水泳の授業でだるまをやるように、重たい足を腕で抱えながら、ゆらゆらベッドの上でおきあがりこぼしのマネをしていた。日が昇る前から、私はとっくに起きていた。ぱっちり目がさめてた。学校に行きたくなかったから。
時計はもう8時になりそうだった。今頃、みんなは朝の3分間走を終えて、何で真面目に走らないんだ、とか先生のありがたーいお話を聞いている頃かな。このまま休もうと思ったけど、お父さんが私の脇に隠してた体温計を勝手に取っちゃって。36.1℃。具体的な、人の影を薄くする数字を見られちゃって。それを見られたらしょうがない。
はぁ、と、大きなため息をついて、ボーンと大きな時計の振り子を聞く。ベッドにもう一回寝っ転がって、ヤダヤダってクネクネ体をよじらせる、どうしようもないくせに。ご飯を食べた後、せめて1時間目の終わりくらいに行こう、って5分刻みに時間を確認していた。
それでとうとうランドセルを背負おうとしたら、いけない、学校の支度してない!って気付いて急いでランドセルを下ろした時。
ぱきっ。がちゃん、カラカラ…何でそんな所から、って思った。うぐいす色にちっちゃい白マーガレットの影絵のデザインのお箸入れ。床に落ちて、がしゃあっと細かい破片が飛び散った。
あぁ、そういえば学校の支度、マツリちゃんが。そう気付いたと同時に、昨日のマツリちゃんの怒った顔が思い浮かんで、一気に現実に戻された。壊れて床に散らばったお箸入れを直視して、また目が遠くなる。眉間に眉をこれでもかってぐらい寄せて、思いっきりぶたれた。
初めて怒られた。あんなに真剣に。全部を睨みつけられた。お箸入れの破片を片付ける訳でもなく、私はカラカラと転がったお箸を拾い上げて、突き刺すようにランドセルにしまった。
はぁ。学校、行かなきゃ。
私のいた学校が特殊なだけだったかもしれない。遅刻して学校に行ったから、てっきりずるいだの何だの言われるかと思っていた。けれど教室に着くなり、私は仲の良い子悪い子問わず、色んな子から心配の声を聞かせてもらった。
本当に嬉しかった。気にもかけて貰えなかった向こうと違っていて。でも、私は終始ドアの方からマツリちゃんが覗いていないかって気になって、常にちらちら目線を廊下に移していた。ミドリちゃん、ソータくん、アキラくんに友彦くん。皆が心配してくれた。
「夏美もツいてないね、転校してきて間もなく風邪って。でも、すぐ良くなってよかったぁ」
「心配したんだぞー、夏美ィー。お見舞い行けなくてごめんなぁ」
私の肩に手を乗せる友彦くん。励ましてくれる皆。嬉しくて、つい涙が出そうになる。ミドリちゃんがたっぷりの笑顔で、
「それと、夏美がいない間も、しっかり考えてたかんね!私達!」
ずい、と、私に近寄るミドリちゃん。
「えっ?私の風邪のこと?」
「バッキャロウェイ、夏美が始めた事じゃねえか、夕焼け隊の事だよ」
女の子の私にも躊躇なく頭を叩くアキラくん。
「それでね!多分、ヤコウチュウがキーワードっぽくて!だから今日、夜、出掛けたいんだけど、夏美っちは大丈夫?私は塾あるけどサボる!」
放課後、ゆうやけ隊。てっきり、私だけが本気になってる事かと思った。でも違った。皆…本当に楽しそうに、参加してくれていた。
「ヤコウ…何?」
「夜光虫!とっても綺麗な、虫?なんだよ!ここの海で、見られるの。私達はセカイ海岸って呼ぶの!行こうよ!」
口が自然とニヤけた。私。誘ってもらってる。友達とだけで、夜、海。海。不思議な虫を探して。冒険。
「おいらん家は門限ないからOKだけど」
「俺ぁトレーニング兼ねてるからよぉ」
「ぼ、ぼくんちごめん、やっぱ無理そう…怒られちゃった」
「はー?なに、ノリ悪いわね」
でも。
そんなみんなのやりとりを見て、私も口を大きく開けて、乗ろうとして…でも…口を閉じて、下を向いてしまった。もちろん行ってみたかった。行ってみたかった。
でも、家の事が浮かんだ。お父さんの事が浮かんだ。怖かった。楽しむ事が、とっても。楽しんだら、今まで押さえつけていたものが、全部飛び出してきそうな気がした。自分がダムみたいに思えた。私は重い口を開いた。
「ごめんね、私ムリ。ちょっと…予定があって。でも、次は参加するよ!明日、色々聞かせてね!」
必死に、笑顔を作った。眉をひそめるミドリちゃん。
「えーっ。えー、えーっ。じゃああたし、男だらけの中に一人だけー?」
「ごめんね。あ、そうだ…じゃあ、マツリちゃんは?」
「なら一人でいいし。あたし茉莉、嫌いだし。ねー、ソータ、あたしあんたん家行くよ。何時ならヒマ?」
去ってゆくミドリちゃん達を尻目に、私はドアの方をさっと見た。安心した。
あの子には見られてなかったから。
もう一回目線を戻して、ミドリちゃん達がわいわいやってるのを見て、私は荒野から後ろを振り向いてるような気がした。普通だったら、その輪に入ろうとするのかも。ため息をついて、私は思った。だれか、だれか。私に気付いてって。私は、もう戻れないんだって。それか、いっそ、私をみんなの記憶から消したあとに、
殺してって。
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