私は、基本、キセキだとか、メグリアワセだとか、そういったウンメイ的なものには関心がない。何故なら、今日私が知らずに踏んでしまったアリの、くしゃあっと無残に残された亡骸だってキセキであるし、メグリアワセですらあるからだ。
だから物事は基本的にヒツゼン的だと信じている。そうなるべくしてそうなるのだ。ウンメイは変えられないだとか変えられるだとか言う前に、そもそも話し合う事すら億劫になるほど、私は遠くの山の木々の緑に想いを馳せていた。
学校に来てまだ2日目だったけど。意外にも私は人気で、トカイって人が死んでも目もくれないの、とか、ウミってみたことないでしょ、とか、色んな子達に質問攻めされた。そんな訳ないよって何回も答えてウンザリしてたけど、悪い気はしなかった。むしろ人気者ってこういう感じを味わえるんだって羨ましく思ったぐらい。
でもあまりにも数が多かったから、少し疲れちゃって。髪にコツンと何かが当たったかと思うと、自己紹介して!とか、授業中ですらくしゃくしゃに丸められた罫線が私を知りたがるのだ。私はちょっと用事、って席を離れて、むわっとした風がよく通る廊下に出た。
その時だった。
「あっ…、ごめっ」
首元と袖の部分がオレンジ色の、ださっださっの体操服を着た女の子とぶつかりそうになって、引っ込めた手をグーに握って、後ろに倒れそうになった。
ふわっとした匂いはもう嗅ぎ飽きたぐらい。別段誰かと変わってる匂いじゃなくて、なんとも思わない。その女の子もびっくりして、こっちを振り向いてその時は謝ろうとしてたのかもしれない。けれど私の顔を見た瞬間に、驚いた眉をひそめて、
「うわ」
ごめんねっていう電車は特急で過ぎ去ってしまって、私は眉毛が天井に飛んでくくらいに、まる目玉が月まで届くぐらいに、
「あー!」
叫んだ。ショートヘアは下までストレートじゃなくて、耳の下が少しくるんとなってて女の子らしい。それだけなら、別に珍しくなんてなかった。
でも男の子みたいに気が強いから。スカートも履いてなくて、傷だらけの足が印象的だったから…全然、らしくなかったから。
だから一瞬でわかった。
一昨日の、
私をあんな目に遭わせた、
意地の悪い、
「どいて。じゃま」
ごち。ぼふっと押されて、私の言葉は食道から胃まで逆流してしまった。行き場を失った言葉がゴンゴンと音を鳴らしながら、私の中で何度も跳ね返った。ええっ、だとか、なにそれ、とか、そんな単純な言葉も出せないくらい動揺していた。
ん?ごち?
後ろを振り向くと、鼻を押さえてギュッと目を瞑ってる男の子がいた。
「あっごめん!痛かった?えっと…」
「ぼ、僕は奏太。大丈夫だよ…そ、それより…ええと、夏美さんこそ大丈夫だった?」
えへへ、って明るい顔で、自分を心配するよりも私を心配してくれた男の子。おかっぱみたいな髪型で、八の字になった眉が印象的だった。
「ほんとごめん!私は大丈夫…というか、あの子!あの、気の強そうな…あの!さっきの!」
「あぁ〜…やっぱ。今のマツリじゃん。隣のクラスの茉莉。日暮茉莉だよ」
そんな光景を見て、ミドリちゃんが心配そうに私達に寄ってきた。
「ヒグレ?日暮…」
なんで私が苗字に反応したのかって。私、苗字が日向、ひなたって言うの。日向夏美。で?あの子が日暮マツリ(ここじゃ漢字なんて知らないよ)。そりゃ、誰だって苗字が似てると興味持たない?私だけ?
「茉莉ちゃんは怖いな…」
ミドリちゃんの後ろから、ひょっこり気の弱そうな顔を浮かべるソータくん。ひそめた眉と細くなった目から、しっかりと嫌悪感が読み取れた。
「2人とも、知ってるの」
「いつもみんなから避けられてるからね。というか6年間同じだし。カイソータなんかぶたれたもんねー」
「うぅ…」
「そ、それはひどい。カイソータ?ソータくん、カイって苗字なの」
「いや?ソータは…」
「い、言わないでよミドリさん。今日の給食、好きなものあげるから…」
「やった!やっぱ秘密!」
へへんって感じで、ソータくんの背中をバンと叩くミドリちゃん。そんなやりとりを尻目に、私は嬉しいような悲しいような、むかつくようなほっとするような。なんだか、色んな味が混ざったイタズラドリンクバーのように、訳が分からないまま立ち尽くしていた。
いたんだ。あの子。マツリ?祭り?ここの学校の子なんだ。しかも、同級生だなんて。一昨日のあの子。私に意地悪した…あの子。だんだん、あの子に対してはっきりした感情が湧いてきた。
イライラだよ!
困ってたんだもん。本当に。それなのに私をおちょくって。そのせいで靴も靴下も…大事な、大事な時計もどっかに流れていっちゃって。あんな事が無ければ、無ければ。あんな意地悪さえなければ。
「ゲットだぜぇー!」
「うひゃあ!!」
いきなり、私のうなじらへんで、ズキッとした痛みが二方向から襲ってきた。誰かが髪を引っ張った!私の落ち込んでいた2つのおさげが、両手でがしっと鷲掴まれて、今度は本当に倒れそうになった。
後ろを振り向く間もなく、逃げろぉ、なんて言って廊下を駆けていったのはトモヒコくんだ。私はドキドキする心臓を両手で押さえて、トモヒコくんの走った跡をボーッと眺めていた。
何で。って、思った。
別にトモヒコ君に苛立ったわけじゃない。悲しくだってないさ。まだ、初対面に近いのに。嫌がる人に虫を近付けたり、ぶつかりそうになっても謝らなかったり、私のおさげを引っ張ったり。
どうして皆は、そんなに…
「この前はわざわざありがとう。ずぶ濡れになったおかげで家に帰るのが遅くなっちゃったよ」
5時間目の後の10分休み。私は、覚悟を決めた。滅多に私が人につっかかることなんてないんだけど。あの意地悪な子が同じ学校だなんて知ったら、突っかかりたくなるじゃない。
「ねぇ、聞いてるの?」
いつまでも反応が無いから、少し強気にいってみた。だけども、その女の子…マツリちゃんは、最初からそこに誰もいなかったみたいに、ミサンガの手で頬杖をついて、私とは逆方向の、まるい海に漂うわたがし雲を眺めていた。
転校生がマツリにつっかかってるぞ、やるなぁ、とか、マツリちゃんがいつまでも相手にしてくれないから、私は浮いた存在になってしまった。私はとうとう恥ずかしくなって、机をバンと叩いた。
「ねぇってば!」
と、周りの子がぎょっとするような声を出してしまった。瞬間、あっ、と、口を押さえた。ムキになっちゃった…って思った時だった。机がカタカタ揺れ始めた。ほっぺにあった指が、外側に少し膨れたかと思うと、
「ぶふっ!ぷっ、あははははっ!!」
その女の子は思いっきり、お腹を抱えて大笑いした。たまらないって顔で、涙目で私を見ながらけたけた笑って、机の下で足をぶんぶん振り回した。
「うっそ!ホントに、ホントに入ったの!?あっはは、バッカみたい!あんた、すごいまぬけ!」
私はかぁっと、頭に血がのぼった。まるで胸の中のたくさんの木が、台風が来たかのように、ザワザワ音を鳴らし始めた。ワナワナ体が震えて、じゅっと体温が上がって、高揚した。
「だって!ここ知らないから!普通に教えてくれたっていいじゃん!そのせいで私、大事な時計失くしちゃったんだから!」
「回り道すれば良かったのに!なに?まさかあんた溺れたの?うっそ!あぁ、あの流れてた靴、あんたのだったの!ぶはは!」
マツリちゃんは涙を拭いて、私の顔を一回見て…また、ぷっ、と吹き出して、大爆笑した。その時の私はもう、目の前でけらけら笑ってるマツリちゃんが許せなかった。
「あの時のあんたの真似。いやいや〜、いやいやいや〜。ぷっ。ばっかみたい」
マツリちゃんは両手を胸の前で組んで、くねくねと体を揺らし始めた。今考えたら、私が川に勝手に入って行ったのだから、マツリちゃんはそこは悪くなかった。けれど、なんだか私はいつもの私じゃなかった。本当に、本当に別人みたいだった。
「わっ…笑うな!探してよ!返してよ!私の時計!」
「嫌だよ。あたしかんけーないじゃん。それに何よいきなり。時計ごときでムキになりすぎ」
「ごとき…?あ、あれは、特別な時計なの!」
つい、マツリちゃんの机をバンとしてしまう私。一瞬怯んだマツリちゃんが、腕を組んで、私を睨みつけた。
「だから何よ」
「ひっ…あ、ぅ…」
この子、マツリちゃんは怖い。今にも私を殴ってきそうな雰囲気。でも、私だって。あの時計は、本当に特別なんだ。それを、無くしちゃったから…今思えば、ただの八つ当たりだったかもしれない。私は、震える声で言った。
「ぅ…何って…!だって、あなたのせいで!」
「だーかーら!あたし、関係ないし!そんな汚い時計知らないって!どいてよ、弱虫!」
どん。私は磁石のように後ろへと弾かれた。がん、と机を弾きながら床に尻餅をついてしまった。マツリちゃん自身、そんなに強くやってないってびっくりした。
でも、私は…
もっと、びっくりした。
「き、汚くなんかっ…そんな言い方しなくたって…いい…っ、じゃん」
ほろ、
打って変わって、って、こういう事を言うんだ。それまで笑ってた周りの子達が、ゆっくりと口を閉じていって、私達から目を逸らした。教室を照らす日差しが、一気に消えて真っ暗になった。マツリちゃんが組んでいた腕を緩めた。虫メガネのように、教室中の光が私に集まってきた。
私自身、なんでみんな私を見てるんだろうって思った。なんだか視界がぼやけたと思ったら、もう遅かった。涙ってさらってしてないんだよ。ほんの少しだけぬるっとしてるんだよ。私の頬を、小さな雫が走ってしまった。
「えっ」
マツリちゃんは目を丸くした。廊下で、私達の様子を見ていた子達が、ほかの子達を呼んでいた。マツリと転校生が喧嘩ー!とか、嬉しそうに廊下を走って行った子までいた。
「な、なんで…こんな時に…」
私は一体、何度恥ずかしくなればいいのだろう。すでに周りの子達はひそひそ話し始めていて、サイテーだとか、あーあ、とか、教室がざわめき始めた。そんな雰囲気を出すんだもの。
「〜〜〜ッッ…ぅうっ…」
このままここにいたら、甘えてもっと泣いてしまう。だから、委員長だとか言いつけっ子が来ないうちに。情けない声は出すまいって、私は両手で口を塞いで廊下に逃げていった。
多分マツリちゃんはポカンとしてたと思う。わけわかんないから。帰りの会が終わるまで、私はみんなから目を逸らして、必死に下を向いていた。恥ずかしかった。まだ転校してきたばかりなのに、ずいぶん浮いてしまった。
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