イモウトパラレル

ひとりっこの俺にパラレルワールドから妹がやってきてしまった件について
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amenomikana

The 3rd day 後編

公開日時: 2020年9月22日(火) 00:00
文字数:7,312

「花房ルリヲはこの小説の中で、神隠しについて以下のように定義しています」


――神隠しとは、神隠しに遭いやすい気質を秘めたる者が、その者が存在しない世界へと迷い込んでしまうことを言うのではないか。


妹のケースと同じだ。

妹は神隠しに遭ったということだろうか。


――神隠しに遭ったものが帰ってきたという話を私は聞いたことがない。なぜ彼らは彼女らは帰ってこないのか。神隠しに遭った者が帰らないのは、何 らかの帰れない理由が存在するか、もしくは帰ること自体が非常に困難であるか、あるいは自分が存在しない世界で生きるということが非常に困難であり死亡し てしまうか、いずれかではないだろうか。


「神隠しに遇った者が、その者が存在しない世界に迷い込む。神隠しが現代社会でもし起きたなら、迷い込んだその者は、その世界では存在しないはず の人間、ということになります。つまり誰もその者を知る者がなく、戸籍もなく、仮に身分を証明するものを持っていたとしても当然その機能は失われていま す。ホームレスから戸籍を買うなんていうことがテレビドラマや映画の中では頻繁にありますが、そう簡単に戸籍などというものは手にはいるものではありませ ん。戸籍がなく、身分証は機能せず、当然保険証もない。自分のことを知る頼れる者もいない。神隠しに遇った者にとって迷い込んでしまったその自分が存在し ない世界は、大変生きづらい世界でしょうね」

教授の話を聞きながら、ぼくは妹のことを考えていた。

妹にはこちら側には戸籍がなく、身分を証明するはずの生徒手帳はあっても、学校に妹の籍はなかった。当然保険証もない。ぼくは妹がこちら側に迷 い込んでしまったという事実を少し楽観視していたのかもしれない。妹がもし病気になったら?怪我をしたら?市販の薬で治るようなものなら構わない。けれど もし病院にかからなければならないような大きな病気や怪我をしてしまったら、保険証がなければ治療費は大変な金額になってしまうだろう。

妹を一日も早くあちら側に帰してやらなければならない。

だけど、その方法がわからない。

「この中に神隠しに遭われたことがある方がいないと先ほど私は断言しましたが、つまりはそういうことなのです」

教授の講義はただ神隠しの説明がされるばかりで、肝心なことがわからなかった。

講義は終わり、何人かの学生が教授のもとへ質問をしに集まり、ほとんどの学生たちは教室を出ていく。昼休みだ。皆、友人たちと学食に向かうのだろう。

ぼくと部長は席を立たず、ぼんやりと教授や質問をする学生や、それから神隠しについて説明がされた黒板を眺めていた。

「わたしの友達にね」

部長が言った。

「花房ルリヲにそっくりな文章で小説を書く子がいるの」

ぼくのことだろう。

「顔も似ていなくはないわね、わたし花房ルリヲの若い頃の写真や映像を何度も見たことがあるもの」

ぼくは父親似だった。

妹は言うまでもなく母親似だ。

「その子はね、家族の話とか一切しないの。わたしはその子はずっと一人っ子だと思ってた。そしたらその子がね、今日突然、花房ルリヲの妻だった内倉綾音にそっくりな女の子をわたしの前に連れてきたの。妹です、って。わたし、驚いちゃった」

部長は一体何が言いたいのだろう。

「わたしね、その子は本当に花房ルリヲのこどもで、妹さんも本当に妹だと思うの」

ぼくは部長を見た。

部長は真剣な表情でぼくを見つめていた。

「だけどその妹さんは内倉綾音といっしょに死んでしまって生まれてくることができなかったはずなの。わたし講義の途中からずっと考えてるんだけど、一体どういうことだと思う?」

女の子っていうのはどうしてこう勘がいいのだろうか。

「仮にもしその子が花房ルリヲのこどもなら、妹は存在しないはずだ。内倉綾音と第二子は、母子ともに死亡してしまったんだからね」

ぼくにはそう答える他にない。

「それなのに、妹がいるとすれば、それは妹が存在するあちら側の世界から神隠しによって、妹が存在しないこちら側の世界に迷いこんだのかもしれないね」

部長が言わんとすることを、ぼくは口にする。

「うん、わたしもそう思う。にわかには信じがたいけどね」

「誰にも言わないでくれないか」

「うん、誰にも言わない。誰も信じないだろうし」

部長は信頼のおける人だ。

けして他人に話したりはしないだろう。

部長にだけは話しておいてもよかったかもしれない。

「わたしね、その子がかわいい女の子を連れて今日わたしの前に現れたとき、すごく切ない気持ちになったの。でも妹だって聞いて、すっごくほっとした。どうしてだかわかる?」

ぼくは首を横に振った。

「わたしね、その子のことがずっと好きだったから」

部長はそう言って笑った。




講義を終えて部室に戻ると、ドアの向こうから誕生日を祝う歌が聞こえた。

ドアを開けると、部屋は暗くカーテンは締め切られていて、奥のテーブルには火を灯した蝋燭が15本立ったホールケーキがあり、妹を中心に部員たちがケーキを囲んでいた。

「ハッピバースデーディア麻衣ちゃん、ハッピバースデートゥーユー」

勢いよく妹が蝋燭の火を吹き消す。部員たちから拍手が起こる。

ぼくといっしょに部室に戻った部長が、拍手が終わると同時にタイミングよく部屋の明かりをつけた。

妹は恥ずかしそうに頬を赤くして、だけどとても嬉しそうに笑っていた。

「あ、先輩、ひどいですよ」

「二日前の麻衣ちゃんの誕生日、お祝いしてあげなかったって聞きましたよ」

後輩の女子部員たちが次々とぼくに言った。

「だからぼくたちで二日遅れだけどお祝いしてあげようってことになって」

「ホールケーキはさすがに用意できなかったから、学食の上のローソンで小さいケーキをいっぱい買ってきたんです」

ケーキはよく見ると、ショートケーキやミルフィーユなど何種類かが並べられてホールを作っていた。

妹にはショートケーキが小皿に載って出され、そのほかのケーキに女子部員たちが手を伸ばす。

「先輩と、部長の分もありますから」

他の男子部員の分はないらしい。

男どもはしょんぼりと肩を落として、「学食、行こうか」部室を後にした。

部長は彼らを見送ると、

「さっきの返事は、妹さんのことが解決した後でいいから」

と、ぼくの耳に囁いた。甘い吐息がぼくの耳に触れた。

ほんの十数分前、ぼくは部長に告白をされてしまった。女の子に告白をされるのははじめての経験だった。ずっと生まれてこなかった妹のことばかり考えて、ぼくは恋というものをしたことがなかった。

妹のことが解決した後、とは、妹があちら側に帰った後、という意味だろうか。

そんな日はこなくていい。

ぼくは少し不機嫌な顔をしていたのかもしれない。

「せっかくのお誕生日会なんだもの、麻衣ちゃんを楽しませてあげなきゃだめよ、お兄ちゃん」

部長にそう背中を押されて、ぼくはテーブルにつき、妹に二日前に言いそびれた言葉を言った。

「お誕生日おめでとう」

妹は、うしししと嬉しそうに笑って、「プレゼントは?」と言った。

「あ、明日、買って、くる」

ぼくは慌ててそう答える。

「先輩、なんでカタコトなんですか」

女子部員に突っ込まれ、妹はまた嬉しそうに笑って、ぼくも笑った。部長も笑っていた。

明日は確か、ぼくの受講している講義はすべて休講だ。すべて、といってもふたつだけだけれど。

妹を大須にでも連れていってあげよう。妹がほしいものは何でも買ってあげよう。

探偵の報酬も買わなきゃいけない。

お誕生日会は楽しかった。

大学には、この部には、部長がいて、かわいい後輩たちがいて、空気は読めないけれど気の合う男どもがいて、そして妹がいて、ぼくはこの楽しい時間がいつまでも続けばいいと思った。

だけど、楽しい時間はそんなには長くは続かないだろう。

妹の幸せそうな笑顔を眺めながら、ぼくはそう思っていた。









午後の講義を終えたぼくは部室まで妹を迎えに行き、妹はアニヤハインドマーチのエコバッグに何冊もの文芸誌を入れて、アパートへ帰った。

エコバッグは部長からの誕生日プレゼントだった。女性のファッションには疎いぼくだけれど、アニヤハインドマーチのエコバッグくらいは知ってい た。数量限定で販売されて、ネットオークションで高値で売買されている、といった程度の知識は、女子部員たちの会話で聞いたことがあった。わたしのお古で 悪いんだけど、と部長は言ったけれど、新品のようにきれいだった。「わたし、もうひとつ色違いの持ってるから、麻衣ちゃんとお揃いだね」と部長は言った。

お誕生日会を終えた後、妹はぼくの講義が終わるのを待つ間、ずっとぼくの小説を読んでくれていたらしい。

「びっくりしちゃった。お兄ちゃんの小説、ドリーワンだけじゃなくって、全部麻衣が出てくるんだね」

歩きながら、妹はぼくに小説の感想を教えてくれた。

ぼくの小説はすべて、生まれてこなかった妹を物語の中だけでも存在させてあげたいという思いから書かれている。だから、加藤麻衣という名の少女が、常に物語のヒロインとして、あるいは物語の片隅に存在する。

はじめて書いた妹の物語は、誘拐された女子中学生の妹が、誘拐犯に言われるがままネットアイドルとしてホームページを立ち上げる、という小説 だった。ぼくはその物語に、海外で行方不明者のポスターに書かれる「ミッシング」という言葉をタイトルとして選んだ。以来妹はぼくの小説の中で、誘拐され 続ける運命にある、あるいは誘拐されることを夢見る少女として存在する。

「麻衣だけじゃなくて、いろんな登場人物が、お兄ちゃんのいろんな小説に出てきて、全部が繋がってるような気もするし、全然関係ないお話もあるし、どの作品とどの作品が繋がってるのかよくわからなくて、麻衣、頭こんがらがっちゃった」

ぼくの小説には大きく三つの時間軸が存在し、また手塚治虫が彼の漫画で確立したスターシステムという、キャラクターを俳優や女優だと捉えて様々な作品に異なる役柄として登場させるという手法をとっている。

そのひとつとして妹が誘拐される世界はある。

妹が誘拐される物語であったミッシングにおいて言及されることはなかったが、その世界では1981年にモノクローン法という、少子化対策のた め、あるいは軍事目的のため、新生児がクローンを伴って産まれることが義務づけられた法律が可決し、翌年試行されている。クローンはモノクローンと呼ば れ、人権と脳が剥奪され、最下級の身分と人工脳が与えられる。

妹は誘拐されてしまった後で、神戸の高校に入学し、小島雪や鈴木芹菓といった友人に出会うことになる。ミッシングのその後の妹が描かれた続編で ある「モノクローン」は、妹の友人である小島雪が夏休みの宿題で自分のクローンである夜子という名の姉の観察日記をつける、という物語だ。

ぼくはこのモノクローンという作品や作中で示した階級制度のある日本がお気に入りで、クローンとオリジナルの関係を真逆にした「てのひらキャン ディ」という小説や、小島雪が夜子ならぬヒルコという名の一卵性双生児の姉をもち、姉妹が隔離病棟で人体実験の被験者として存在する「シンクロニシティ」 といったモノクローンとはパラレルワールドにあたる作品を書いた。

シンクロニシティはモノクローンで示した階級社会をベースに書かれたものだが、続編である「ジェリービーンズ」という作品で、そんな階級社会や モノクローンなど存在せず、モノクローン法は否決され、代わりに犯罪を犯した者が逮捕や懲役に課されないかわりに生涯差別の対象者とするジェリービーンズ 法が1981年に可決され翌年施行されていたことが明らかになる。この世界がぼくの小説の第二の時間軸世界にあたり、妹は誘拐されることを夢見る少女とし て存在する。

そして第三の時間軸世界として、限りなくこの世界に近い、妹が存在しない世界の物語がある。

名古屋市内で次々と少女の首のない死体が発見される「少女ギロチン」や、その事件の容疑者として最初に捜査線上にその名があがり、しかしすぐに 容疑が晴れた要雅雪という中学校教師が引き起こした女子中学生誘拐事件「悲しき雨音」がある。これらの作品において、妹は世界のどこにも存在せず、しかし 妹を誘拐しなければならないという使命を生まれ落ちたときから背負う男の悲劇が物語られている。

少女ギロチンはぼくにとってドリーワンと並ぶ最高傑作であり、ぼくは後半部分を大幅に書き換えた「少女ギロチン・パラドックス」なる作品も書いた。本筋の少女ギロチンや悲しき雨音とはパラレルワールドにあたる作品である。

そして、あちら側ではぼくの手で映画化までされた「ドリーワン」はそれらの3つの世界の出来事がすべて夢の世界の出来事としてあり、さらに言え ばぼくが今まさに執筆中のこの私小説にとってドリーワンを含めたすべての作品が、薄っぺらな紙の上の、ウェブ上の文字列の出来事でしかない。

「難しいんだね」

と、妹は言った。

まったくだとぼくは思った。

自分が書いた小説だというのに、我ながら頭が痛くなる。




アパートの部屋へと帰ったぼくは、妹がぼくの小説を興味深そうに読んでいる横で、部の文芸誌に寄稿する小説を書いた。ぼくはその小説に"sexteen nine"と名付けた。

部に所属していながら小説を書かない輩が多いため、来月の学祭で配布する文芸誌に、部員全員に短編小説を寄稿するよう部長からお達しが出てい た。短編小説なら活字離れした学生たちも読み易いだろうとか、遅筆な部長でも短編なら自分が決めた〆切までに書けるだろうという理由もあるのだろう。部長 はその短編小説集に「ジャムフィールド」というタイトルをつけ、ぼくに星新一みたいなショートショート期待してるわよと言った。部長はどうもぼくを過大評 価している節がある。

そろそろ書き始めないと〆切に間に合いそうもなかったから、ぼくは妹と晩御飯を食べるときもパソコンの前で頭を捻らせていた。妹は妹で、ぼくの小説を読みながら食事をとっていた。

一通り小説を書き終え、校正までを終えたぼくは、冷蔵庫からカシスオレンジの缶を取り出した。カクテルパートナーのカシスオレンジはぼくのお気 に入りだ。ぼくは未成年でまだ19歳だけれど、煙草は吸わないしギャンブルもしないし風俗にも行かないがお酒は飲む。そのお酒も創作に煮詰まったときか、 小説を書き終えた後にしか飲まない。昨今の大学生に比べればはるかに健全と言えるだろう。創作に煮詰まったときに飲むお酒はあまりおいしくはないけれど、 しらふのぼくでは思い付かなかった発想が生まれることが多く、ぼくの小説のうちの何本かはそんな風にしてプロットが書かれたものがある。小説を書き終わっ たあとに飲むお酒はまた格別なのだ。

ちょうどぼくの小説を一通り読み終えた妹は興味深そうにお酒を飲むぼくを見ていた。そんな妹にぼくは元来お酒が飲める気質ではなくカシスオレン ジしか飲めないこと、居酒屋によって酔わないカシスオレンジと酔うカシスオレンジがあることなどを話した。カクテルパートナーのカシスオレンジは酔う方の カシスオレンジだ。

話しているうちにぼくはふと、妹にお酒を飲ませてみたいと考えた。

ぼくの小説の中の妹は、酒癖があまりよろしくない。確かドリーワンの続編として書いた短編にそんなことを書いた覚えがある。妹にお酒を飲ませた のは、今年の初夏に秋葉原で無差別殺人を引き起こした男がモデルの人物だったが、これ以上にないというくらいひどい目にあわせられていた。目の前にいる実 物の妹はどうなのか、ふと気になってしまったのだ。

ぼくは妹に「飲む?」と、飲みかけのカシスオレンジを差し出した。

妹は「いいの?」と嬉しそうに目を輝かせて、ぼくが差し出した缶を奪うように取ると、緊張した面持ちで缶に唇をつけた。ぼくも同じ面持ちで妹を見ていた。

「麻衣、お酒飲むのってはじめて」

一口飲むと、うししと笑って、間接キスしちゃったね、と嬉しそうに笑った。一口だけで妹の顔は真っ赤になった。

どうやらぼくたちの家系はお酒にあまり強くないらしい。

小説の中の妹は酒癖が悪かったが、現実の妹は笑い上戸だった。聞きもしないのに、好きな男のタイプについて語りだし、「ロバートの秋山の顔には ちみつを塗って食べたい」だとか、「加瀬亮に対する想いが日々つのり、おさえられなくなってきている」だとか、話してはけたけたと笑いころげた。

「麻衣にぇ、ろうしても加瀬亮とメールひたくて、でも携帯のアドレスが、ひっく、わかななくて、加瀬亮ならきっとソフトバンクの携帯で、アドレス に加瀬亮ってローマ字で入れてりゅはずだから、メール送ったこよもありゅんだよ。届かなくて返ってきちゃったけど。ひょっとして、ウィルコムだっのか なぁ。あひゃひゃひゃひゃ」

ろれつがすでにまわらなくなりピノコのようなしゃべり方をする妹の中の加瀬亮のイメージがいまいちよくわからなかった。

それから妹の話は「V6の岡田准一の噛んだガムがネットオークションにかけられたらいくらまでなら落札できるか」だとか「木更津キャッツアイの 五人にまわされるならどの順番がいいか」だとか、兄の頭の痛くなるような話を始めたので、ぼくはカシスオレンジを一気に飲み干した。

「学校で、いつもそんな話してるのか」

と尋ねると、

「うん、そうだよー」

と返事がかえってきた。

妹が通っているのは有名私立の女子校だ。ぼくが通っていた共学の高校と女子校は違うと噂には聞いていたけれど、はじめてぼくは女子校は怖いなと思った。

「でもやっぱり麻衣は、ロバートの秋山の顔にはちみつを塗って食べたいな」

何がやっぱりなのかさっぱりわからない。

かと思えば妹は、

「お兄ちゃん、麻衣お風呂入る」

と言って、またぼくの目の前で服を脱ごうとするのだ。

酔っていたせいだろう。

妹が服を脱ぐのをぼくはぼんやりと眺めて見ていた。

母の好きだった七色の花弁をもつ花が見えた。

妹の背中にそのタトゥーのようなものがあるように見えた。

奇妙なのは七枚の花弁のうち三枚がないことだった。

妹がこちら側にやってきて丸二日が過ぎていた。今日は3日目だ。

まさかな、とぼくは思った。

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