イモウトパラレル

ひとりっこの俺にパラレルワールドから妹がやってきてしまった件について
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amenomikana

The last day 前編

公開日時: 2020年9月27日(日) 00:00
文字数:6,046

警視庁捜査一課13係、通称神隠し係の者です、と二人組の刑事は名乗った。見せられた警察手帳には安田呉羽と戸田ナツ夫とあった。背の高い、いかにも叩 き上げといった感じの男が安田、背の低い、いかにもキャリア組だとわかる、アルマーニのスーツが似合わない男が戸田というらしい。

「妹さん、ご在宅ですよね?」

安田刑事の言葉に、ぼくは首を横に振る。

「ぼくに妹はいません」

「こちら側に存在するはずのない妹さんですよ」

戸田刑事の言葉に、ぼくは言葉を詰まらせた。

「なあに、お兄ちゃん。お客さん?」

ベビードール姿の妹が部屋から顔を覗かせた。

「いるじゃないですか、妹さん」

「お嬢さん、加藤麻衣さんですよね?」

あ、はい、と妹は答えると不安そうにぼくを見た。無理もなかった。妹を知る者がこちら側にいるはずがないのだから。今思い返せばなぜこのときぼ くは妹を連れて部屋を飛び出さなかったのか、悔やんでも悔やみきれない。しかしこのときぼくは驚きのあまり身動きひとつできなかったのだ。

「我々捜査一課13係、通称神隠し係は、神隠しにあった者の捜査、ならびに保護、元いた世界へ帰還させることを生業としています」

「神隠しは、神隠しに遇い易き気質を持つ者に起こる。これは柳田國男翁の時代から言われています。我々13係はその時代から今日まで神隠しについての研究を進めてきました」

「そして15年前、1993年のことです。神隠しに遭った人間は、その人間が何らかの理由で存在しない世界へ迷い込む、というある仮説が、一冊の小説によって立てられました」

「加藤学さん、あなたのお父上花房ルリヲ先生の最後の小説です」

「その説をもとに、我々は研究を進めてきました。残念ながらこの説が真実であるなら我々は我々の世界から忽然と消えた人間を探し出すことは不可能です」

「しかし、こちら側に迷いこんでしまった人間を探し、元いた世界へと返すことならできる。おふたりはカタストロフ理論、あるいはバタフライ効果というものをご存じですか?」

「巨大なハリケーンが発生した理由を突き詰めて考えていくと、一羽の蝶の羽ばたきだった。一羽の蝶の羽ばたきがハリケーンを起こすという学説です」

「神隠しにあった人間が、その者が存在しない世界に迷いこんでしまうことで、その世界に大きな変化をもたらします」

「例えば、作家として15年前に死んだと酷評され筆を絶った作家が、最近になって突然文筆活動を再開する、といったようにね」

「妹さんの存在は、あなたたちの預かり知るところだけでなく、預かり知らぬところでもこの世界に影響を与えています。我々は研究を重ねて、このバタフライ効果の発生と発生源の所在を特定する装置を開発しました」

「役に立つ日が来るとは思いませんでしたけどね。しかし、四日前、その装置はバタフライ効果の発生を確認した。そしてその発生源があなたの妹さんであること、その所在がこのアパートのこの部屋であることを特定したのです」

「今はまだ小さな変化に過ぎませんが、やがて大きなうねりとなって、ハリケーンに匹敵するほどの変化をこの世界にもたらしかねない」

「この世界は、妹さんの存在を消すことによって選びとられた、無数に存在する世界の選択肢のひとつなのです」

「その世界の選択が、はたして正しいのか、はたまた誤りであるのか、判断するのは私たちではありません。世界の決めたことですから」

「この世界に生まれた私たちは皆、この世界の行き着く先を見届ける運命を担っているのです」

「同時に、この世界の唯一無二の秩序、つまりは妹さんが存在しないということを守るべくして定められた存在であるということが言えます」

「加藤学さん、麻衣さん、署までご同行願えますか?」




少しだけ時間をください、準備をしないといけませんから、ぼくがそう申し出ると、

「いいでしょう。妹さんと共にこちら側にもたらされたものがいくつかあるはずです。それもまとめていただけると助かります。それらはこちら側にあってはならない物ですから」

おおよそ想定通りの返答がかえってきた。もっとも警視庁捜査一課13係、通称神隠し係なんていう存在や二人組の刑事の訪問は想定外だったけれど。

こんな日がいつか来るかもしれないとは思っていた。だけどそのときがこんなにも早く訪れるとは思いもよらなかった。

ぼくは妹のセーラー服や、こちら側にやってきたときに身に付けていた下着を妹の学校指定のナップサックに詰めながら思った。

もっと妹と話したいことがたくさんあった。したいことがたくさんあった。遊園地くらい連れて行ってあげればよかった。ぼくにしかしてあげられな い、あちら側の「ぼく」にはできないことがまだまだたくさんあったはずだった。15年間ずっと妹に会いたくて、もし会うことができたなら話したいことやし てやりたいことがもっともっとたくさんあったはずだった。

妹は、玄関で力なく座り込んでしまっていた。

ぼくは妹がこちら側にもたらした父の小説と、「ぼく」が監督を務める映画のDVDもナップサックに入れた。

「おや、それは」

安田刑事がめざとくそれらに目をつけた。

「ちょっと待ってください。それは花房ルリヲ先生の最新刊ですか。それにそちらはあなたが監督の映画だ。これは興味深いですね。妹さんが存在するという、たったそれだけのことで、貴殿方親子が辿る道はこんなにも違ってしまったのですね」

どうせぼくは何の取り柄もない大学生だ。

しかし父は作家として活動を再開した。

ぼくもこのまま平凡に生きるつもりはなかった。

妹がこの世界にたった数日でも存在したことをぼくは記したいと思った。ぼくが作家として、二代目花房ルリヲとしてデビューするならそんな小説がいいと思った。

だから今ぼくはこの小説を書いている。

「そのDVD、コピーしたりしていませんよね?」

ぼくは首を横に振った。

「確かインターネットには、ほとんどすべてのDVDをコピーすることができるフリーソフトが出回ってますよね。そこにあるパソコンを調べれば、すぐにわかることです。嘘はつかないようにしてください」

言い忘れましたが、貴殿方には黙秘権があります。虚偽の証言をした場合、法律によって罰せられる場合もあります、と安田刑事はつけくわえた。

仕方なくぼくはコピーしたDVDを一枚ナップサックに入れた。

「それは鑑賞用ですか? それとも保存用、もしくは布教用といったところですか。あと二枚はあるはずです」

刑事の勘というやつはなぜこうも鋭いのか。ぼくは渋々、残りの二枚もナップサックに入れることにした。

「それでいいんです」

ナップサックを背負ったぼくは、

「麻衣、行くよ」

妹を起こしてやった。


ぼくたちはパトカーに乗せられて、最寄りの警察署へと連行された。

運転席に戸田刑事が座り、後部座席の左側のドアからぼくと妹はパトカーに乗るよう指示された。妹、ぼくの順にパトカーに乗り込むと、ぼくの左隣に安田刑事が座った。

「助手席が空いてますよ」

「規則なんです。ご理解ください。そちら側のドアは開かないように作られていますが、こちら側は簡単に開いてしまいますのでね」

妹はずっと肩をふるわせて怯えていた。

ぼくはその肩をそっと抱いて、大丈夫だから、とだけ言った。

「お兄ちゃん」

車の走る音や街の雑踏に溶けて消えてしまいそうな小さな声で、妹はぼくを呼んだ。

ぼくは妹の膝小僧の上で震える手を握ってやった。

「お兄ちゃん、キスして」







「お兄ちゃん、早く。麻衣、怖いの。壊れちゃいそう。お願い。一度だけでいいから。それ以上は麻衣もう望まないから」

ぼくは妹の唇にキスをした。

妹はぼくの背中に手をまわし、震えから背中に爪を深く食い込ませた。痛いほどに。

どれくらいそうしていたかわからない。ただ唇と唇が触れるだけのキスなのに、妹の唇がやわらかったからだろうか、ぼくは気持ち良さに気がどうにかなってしまいそうだった。

唇を放すと、妹は「長いよ」とだけ言った。

「ずっと息止めてたんだからね」

いつもの妹だった。

ぼくはもう一度だいじょうぶだよと言って、妹の頭を撫でた。

「我々は貴殿方をどうこうしようというつもりはありませんのでご安心ください」

安田刑事が言った。

「ただ麻衣さんにあちら側に帰っていただくだけですから」

「神隠しに遇った方をあちら側に帰還させるというのは実は麻衣さんがはじめてのケースなんですけどね」

「我々は神隠しには天候がひとつの条件であると考えています」

父の小説において、母は雨の日に父の元にやってきた。妹も同じ雨の日にぼくの元にやってきた。確かに天候は条件のひとつかもしれない。

「麻衣さんからお話をお伺いして、麻衣さんがこちら側にやってきた日と同じ条件下の天候にある日に、同じ時間同じ場所に麻衣さんを配置すれば、あるいは」

妹はあちら側に帰ることができる?

「麻衣、帰りたくないもん」

パトカーが警察署についた。


ぼくと妹は警察署内の留置場で一晩を過ごすことになった。名古屋には監獄居酒屋なんてものがあるけれど、ろうやに入れられたのははじめての経験だった。

明日、妹とぼくから詳しい事情を聞きたいと安田刑事は言い、明後日、警察病院で妹の精密検査を行いたいと戸田刑事は言った。ぼくはいくつかの書類にサインをし、拇印を押した。

二人組の刑事が去ると、耳が痛いほどの静寂がそこにはあった。

留置場にはぼくたちの他に誰も入れられてはいなかった。

ぼくたちは疲れて少しだけ眠ってしまった。

真夜中、ふと目を覚ますと、戸田刑事が、まるで見張りのようにぼくたちのろうやの扉にもたれかかって座っていた。




戸田刑事はろうやにもたれかかり、ガチャピンのかわいらしいカバーがつけられたニンテンドーDSを開くと電源を入れた。ポンポンポンと電源を入れた時になるあの音が聞こえた。

ぼくと妹は一体何が始まるのかと、その画面を覗きこんだ。

任天堂からのゲームを遊ぶ上での注意事項が表示された後、見慣れないローディングと英語表記された画面が続き、ゲームソフトのタイトルがずらりと並ぶ。

「それ、マジコン、ですか」

と、ぼくは尋ねた。

「そうだよ、これは有名なR4とかじゃなくて一番使い方が簡単なTTDS」

戸田刑事はさらりと答えた。

マジコンについてぼくはあまり知識がある方ではないのだけれど、ニンテンドーDS用のものなら多少知識があった。それは専用ソフトと同じ形をし たカートリッジに、マイクロSDカードを差し込む。マイクロSDカードに、ゲームソフトから専用の機械でパソコンに吸い出したロムと呼ばれるゲームデータ や、海外のイリーガルなサイトにごろごろと転がっていてダウンロードし放題なそのロムをパソコンから移すことで、新作ソフトが発売日に無料で手に入る、定 価でソフトを購入するのが馬鹿馬鹿しくなるような代物だ。マジコンのすごいところは、DS用のソフトだけでなく、エミュレーターと呼ばれる他のゲームハー ドを再現するソフトとロムさえ用意すればファミコンやスーパーファミコンのゲームを遊ぶことができるということだ。ニンテンドーDS用のスーパーファミコ ンのエミュレーターは動作確認されたロムも少なくまだまだ発展途上といったところだが。

他にもMP3プレイヤーとしての機能や、youtubeやニコニコ動画、DVDなどの映像を専用の変換ソフトを使うことで鑑賞することが可能だ。

まさに魔法のツールといったところだが、

「夏に任天堂とか大手のゲームメーカーがマジコン販売業者を訴えて、摘発されちゃったでしょ」

大手をふってインターネットで売買されていたが、今では入手が難しくなってしまった。

「そのとき押収したのがこれ」

戸田刑事はスーパーファミコンのソフトであるドラゴンクエスト3を起動した。

「犯罪、ですよね?」

「いいのいいの、俺キャリア組だから」

すぎやまこういちのメインテーマが留置場に響きわたる。

「今からさ、俺ここで独り言言うから」

と、ぼうけんのしょをえらびながら戸田刑事は言った。

「なんてね、こういう台詞言ってみたかっただけなんだけど」

戸田刑事は、ナツオ、レベル21、ダーマ、というぼうけんのしょを選んだ。

「さっきは戸田刑事にあわせてたけど」

冒険は、聖なる神殿の入り口から再開された。

「神隠しにあった者が、その者が存在しないはずの世界に迷いこむこと、迷いこむという表現はおかしいな、召喚されるというほうが適切かもしれない」

コマンド、じゅもん、ナツオ、ルーラ、ジパング、戸田刑事は十字キーとボタンを操作して、神殿から極東の島国に一瞬で移動した。島国はとても小さく、すぐそばに勇者たちが所有する船がある。

「物事にはすべて原因があり結果がある。俺は、麻衣ちゃんがただこちら側に迷いこんでしまったとそういう風には思えないんだ。この世界がそう望ん だからだと思うんだ。何らかの理由で、この世界に麻衣ちゃんが不在であること、それがこの世界にとって良くないことだから、麻衣ちゃんは召喚された。俺は そう考えている」

戸田刑事と同じ名の勇者たちが乗り込んだ船は、大海原を北へ向かう。

「ひょっとしたら、学くんと麻衣ちゃんの、ボクとキミの物語が、この世界の運命を担っているのかもしれない」

戸田刑事は、はははと笑って、「セカイ系」と口にした。

セカイ系とは、ライトノベルやアニメなどでは今ではありふれた、戸田刑事の言葉通りボクとキミの物語が、この世界の運命を担ってしまうようなジャンルの物語を指す。

「だから俺はきみたちを安田さんの思い通りにさせるつもりはないんだ」

大海原の真ん中には浅瀬がある。浅瀬の手前に船を停めた勇者ナツオは道具袋の中から渇きの石を取り出すと、それを海に落とした。

海面はみるみるうちに干上がり、浅瀬であったその場所に小さな島が浮かび上がる。

島には祠があり、その中には宝箱があり、世界中のどんな鍵のかかった扉も開けてしまう、「さいごのかぎ」が入っている。

ナツオは宝箱を開けた。


なんと さいごのかぎがはいっていた!

ナツオはさいごのかぎをふくろにしまった


その鍵は、ろうやさえ開けてしまう。

戸田刑事はニンテンドーDSをぱたんと閉じると、ろうやをろうやたらしめる鉄の棒に手をかけて立ち上がり、ぼくたちに顔を向けた。手には鍵が握られていた。

「これがきみたちのさいごのかぎってわけ」

そう言うと彼はぼくたちをとじこめるろうやの鍵を開けてしまった。

「行きなよ。安田さんに見付からないようにね」

そう言った。

「いいんですか、こんなことして」

ぼくの問いに戸田刑事が答える。

「きみたちをここに入れるよう指示された所轄の刑事が鍵をかけわすれた。だからきみたちは脱走した。そういう筋書きじゃだめかな。明日の朝には安田さんがきみたちの不在に気付く。それまでになるべく遠くに逃げるといい」

ぼくは妹の顔を見た。

「行こう、お兄ちゃん。麻衣、お兄ちゃんといっしょならどこへだって行くから」

だから6日目の今日、ぼくたちは留置場を脱走した。

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