「神内さん、ちょっと新人さんと店番頼めるかしら。休憩室で弟と大事な話をしたいので」
「はいはい。相変わらず仲が良いわね。まあここは任しとき!」
大きく胸を張って店内に戻る神内を見ながら輝市朗があたしに親指を立て、『なっ、俺の言った通りだろ』と上機嫌に笑って見せる。
あたしの弟はあの手鏡とロケットペンダントを手に入れて大きく出世しても頭の作りだけは昔から同じだった。
──西條架輝市朗はあたしと名字は違えど、あたしの大切な弟だ。
あたしと名字が違うのも東峰岸は母親の姓だからである。
その父親とあたしの母親は価値観の違いで離婚し、母親は結婚する前の姓の東峰岸へと名字を戻し、聞き分けがいいせいか、同じ性別だったせいか、弟以上に可愛がっていた姉の方の私を引き取り、近所の安アパートに移り住んだ。
しかし、元から体が良くなかった母親は私を育てる合間に体調を崩して癌で病死。
残された私は大学を奨学金制度で卒業し、その卒業と共に母親が経営していたこの弁当屋を引き継いだ。
……とここまでは順調だったのだが、あたしはこの弁当屋の裏に隠されたからくりに気づいてしまった。
実は母親は弁当屋の経営で無理が祟ったのではない。
この弁当屋の隠し部屋に潜んだ研究所で休む暇なしに闇稼業で雇った若い男性の助手と秘密の実験をしていたのだ。
そのことに気づかされたのも母親からの遺言状が元だったのだが、母親の助手は現在では行方をくらまし、別の女との間に生まれた一人っ子の男の子を成人までゆっくりと育て上げたらしい。
後に男の子の成長を見守った父親は母親を残し、一人で行き先のない放浪の旅に出たと近辺の住人から知らされた。
──それから数年後のある日、その父親の男の子がこの弁当屋の隠し部屋に一人でやって来て、新米だったあたしに向かってこう告げたのだ。
『僕のおじいちゃんはお金さえあれば、こんな所で働かなかったし、僕らと末長く暮らす道を選んだんだ。だから僕はおじいちゃんが昔、目指してた売れっ子の漫画家になる』と……。
あたしはその男の子の意気込みを肌で感じ、男の子の夢を応援することを決意した。
──男の子の漫画がメジャーで売れるようになり、書籍になるとあたしは彼の紙の書籍を発売日当日に購入し、店内にも飾って彼の漫画の告知や宣伝をした。
あたしはいつの頃からか、彼のファンではなく、恋する瞳で彼の後ろ姿を追っていたのだ。
──そんな彼がある日突然作家名を変更した。
ペンネームは今では有名な『トテツヤマの大家』である。
彼の話ではついこの前、男の子が生まれたからとその子の名前から文字ってサキタラシとし、大家のネームはこれからこの子の親になる意味を込めて大家として繋げたものだった……。
あたしがこうやって表向きに彼の活動を応援していたのに彼は他の女性と秘密裏で交際していたのだ。
そのことに気づかされたあたしは激しく嫉妬し、その女と結婚し、女の姓の戸籍になった安良川家を執拗に調べつくした。
そうやって行き着いた先に彼の子供である哲磨という子供を探り当てたのだ。
──あたしはその子をお父さんの知り合いだからという単純な理由で彼の子供である哲磨をこの弁当屋のバイトとして雇った。
あたしは好きだった安良川涼馬とその哲磨を生んだ女の人生を思いきり壊してやろうと願ったのだ。
でもその私利私欲ために息子さえも犠牲にしたら安良川家の子孫は途絶えてしまう。
あたしは生みの親御だけに制裁を与えるつもりだった。
哲磨の幼馴染みでもあろう深裕紀という女の子がこの計画を知ってしまったのは痛手だったが、哲磨の誕生日まで日を置いて待ち、彼の誕生日パーティーとして誘い込み、放火のせいで焼死してしまったことにすれば容易く済む。
一人遺された哲磨はあたしが母親のような目線でじっくりと育てていこうと、そう思っていた。
──だが現実の風当たりは冷たかった。
その深裕紀を助けようとしていた哲磨自身をやむなく刺殺しようと行動したのに、哲磨はその後に奇跡的に回復し、幼馴染みを喪ったことで哲磨は心の病を持ち、この弁当屋のバイトを勝手に辞めてしまったのだ。
あたしは哲磨とも仲が良かった弟の輝市朗と協力し、深い傷を負った哲磨をなんとかこの場所に来させることに成功した。
輝市朗による借金の取り立ての脅しや、電話での演技で哲磨に過去の記憶を蘇らせ、この場に連れてきたのが正しい答えなのかも知れない。
少々荒っぽいが記憶を思い出させるショック療法というのも中々使える策である。
だけど、あの漫画家の彼と同じく勘の鋭い哲磨はこの店の内装を見ただけで、あの事件は放火魔ではなく、あたしが恋心でやった故意の事件と思われてしまった。
このままではあたしがサツにより、牢獄に送られるのも時間の問題だろう。
あたしが輝市朗と決意したことはこの隠し部屋の研究所で哲磨の記憶を操作すること、そしてあたしが作った異世界でのデータの流れをスタートラインに戻すことだった──。
****
──弁当屋の休憩室の隠し扉を抜けた研究所は吹き抜けで古代の神殿のような作りとなっていて、弟の輝市朗がてきぱきとパソコンのキーボードを叩いていた。
そのパソコンのコードを通じ、床に横たわる大きな筒状の水槽の中には先ほど眠らせた哲磨の体が浸かっており、緑色の培養液の中で呼吸だけを繰り返している。
「ナンバー6のサキタラシの様子はどう?」
「ああ、問題ないぜ。これなら次回の異世界でも違和感なくやっていけそうだ」
「例の鏡とペンダントの解析は?」
「ああ、何者かがこの研究所に侵入してここのデータを奪い、製作したアイテムということは判明したぜ。だが、その抜き出した後に重いプロテクトがかかってて、迂闊にハッキングすると、この研究所の情報が外部のネットワークに漏れてしまう」
輝市朗がキーボードを叩く手を休め、その場で悩ましげに目頭へと指を当てた。
「そうなったら、ここの研究所は警察や軍事関係者に徹底的に捜索されておしゃかだぜ」
「くっ、相手も中々の手練れだわ」
折角、この研究所で端正込めて手にした『つがいの鳥の羽』によるDNAから得た『天使の羽』と言う遺伝子を研究し続けて来たのにそれを盗む者が現れたのだ。
パソコンのプログラムで製作した異世界もその何者かによっておかしくされつつあるし……。
「彼のお気に入りの息子だからトテツヤマサキタラシとプログラミングしたのは安易だったかしら」
「プログラムだけじゃないぜ。その異世界のプログラムが例のアイテムで自我を持ち、自害することにより、プログラムをやり直せるという意思も持ってしまうしな」
輝市朗が肩をすくめながらも無機質なディスプレイの細かい数字を入力し続ける。
「だから異世界からこのアイテムを奪って同業者に買い取らせたふりをし、表面上で多額の金だけいただき、ここで解析してみたんだが、コイツは一筋縄ではいかない情報量の多さだぜ。現在の技術では製作不可能な部品ばかりだし、まさに神が作ったようなアイテムだ……」
「……ふーん。偉大なる神ねえ」
異世界での道しるべを指し示すように、この現実世界でも神というものは存在するのだろうか。
もしそうだとしたら、この最悪な状況もひっくり返してくれるのか……。
あたしは石のテーブルに置いた湯気の立つマグカップのコーヒーを一口飲みながら、いるはずがない神にそうやってささやかな願い事をしているのだった……。
東峰岸の視点で描いたほとんどが説明口調で締めている文章です。
いつもの私によるスタンスなら、会話文の流れが主になるライトノベルな作りですが、この話にはそれはなく、ひたすら地の文で書かれています。
そんな本来の小説のような型ですが、元はと言えばライトノベルではなく、大衆小説を好んでいましたので、当時は何も苦にせずに執筆したことを思い出しますね。
東峰岸視点ですので、哲磨よりも表現が若干大人な作りですが、軽い感じじゃない地の文の説得力に圧倒されます。
今読んでも新鮮味がありますね。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!