貯金に限らずコツコツやる必要があるものは自動化してしまえば、大体問題ない。
「くかぁ、なんだよそれ、そんな簡単なことでよかったのかよ。俺も貯金して、将来ウハウハだ」
薔薇色の未来を想像してにやける桔梗の顔が気持ち悪い。だから華薔薇は水を差す。
「貯金だけじゃ将来ウハウハは無理よ。精々生活に苦労しないレベルよ」
「なんじゃそりゃぁ、貯金が意味ないじゃん」
銀行の金利は低いので、真面目にコツコツ貯金したところで将来ウハウハになるまでは貯まらない。
将来ウハウハしたければ、お金をたくさん稼ぐか、お金を増やす必要がある。
「どうしたら、将来ウハウハになれるんだ。教えてくれ華薔薇様」
「リバースアザレアはどうして貯金したいのかしら? 何か買いたいものでもあるのかな」
「露骨に話題を逸らした。俺は一生貧乏なのか」
桔梗が貧乏になるかは置いておく。華薔薇は嫌がらせでお金を稼ぐ・増やすことは一切触れない。
機会があれば、いずれ雑談されるだろう。
「それとも貯金が目的かしら」
世の中には預金通帳の残高が増えることに喜びを覚える人がいる。
「しくしく、俺は聞いてない。お金が貯まらないこと以外は聞いてない」
「あら、そうなの」
関心のない返事だ。道端に落ちている段ボールの切れ端くらいの関心しかない。
「気になることでもあったか? 何をしようと関係ないを貫く華薔薇さん」
ひどい言い草だが、事実である。華薔薇にとって関係ない・興味ないことに時間を割く理由はない。
「貯金の目的が知りたかっただけ、知らないなら別にいいわ」
「ふーん。ちなみに俺は貯金があったら、服か靴が欲しい」
最近買ったものを紹介している動画を見て、感化されたらしい。
「それはオススメできない買い物ね」
「なんで、欲しいものを買うのに何がいけないのさ」
欲しいものを買えば満足するだろう。ただし幸福は長く続かない。
「服も靴も大事に使えば1年以上使えるぞ。1年使えば十分だろ」
「確かにモノは長く使えるわね。半年、一年、もしくはそれ以上だって可能。でも、幸福かどうかは別問題よ」
モノを買って得られる幸福は、買った時を最大値にして、急激に減っていく。新品の商品をいくら綺麗に保管しようとも、新品ではなくなる。
「慣れてしまえば、感動はなくなる。感動がなくなれば、幸福も感じない。当たり前を当たり前じゃないと感じるのは、無理。だから服も靴もオススメしない」
趣味ならいいけど、と続ける。何も華薔薇は全て買う必要がないと言いたいわけではない。生きていくのに必要な分は買うべきだし、個人の趣味として買うのも否定しない。
ただ無闇矢鱈に買い物しても幸福にはならないから、オススメしていない。時間とお金の浪費は無駄である。
「だったら、何を買えばいいのさ」
「オススメは経験よ」
「敬虔……?」
桔梗の脳裏に教会で手を合わせて祈る姿が思い浮かぶ。全くの見当違いだ。
「経験よ、経験。旅行だったり、スポーツだったり、新しい人間関係とかね」
楽しい旅行の思い出はいくつになっても覚えている。思い返すごとに幸福も蘇る。
「桔梗は中学生の時に買った服や靴は思い出せる?」
「えーっと、かっこいいシャツを買ったぞ。それがどうした」
「それじゃあ、中学生の時の修学旅行はどこに行った?」
「それなら、北海道だ。スキーと食べ歩きをした。蟹よりラーメンの方が上手かったのは今でも思い出せる」
「それよ」
モノを買った思い出は思い出すのに時間もかかるし、曖昧だ。対して旅行の思い出は鮮明である。
たった数年で思い出の濃さに違いがある。さらに時間が経過したときに鮮明に覚えているのが、どちらかは明白だ。
これがモノと経験の違いだ。
コーネル大学の心理学者チームの調査もある。
経験をする前の準備段階でもたらす喜びも大きいことが判明している。旅行が計画している時から楽しいのは周知の事実だ。
対してモノを買う前の検討段階には幸福感はない。
「モノを買う前には幸せはなく、買った後も幸せは長く続かない。だからオススメできないのよ」
「そんなのあんまりだよ」
自分の好きなものを全否定された気分の桔梗が落ち込む。
「楽しい経験に繋げたらいいの。たとえば靴を買うだけは意味ないから、買った靴を履いて出掛ける姿を思い浮かべるのもいい。実際に出掛けるのもっといいわ」
モノを買うことに執着しても意味はない。買ったモノで何をするかが大事だ。
「よっしゃ、じゃあ買う。あの服はちょいと派手目だから、パーっと遊ぶときに着た方がいいな」
結局買うのね、と呆れた視線を送る華薔薇だった。
「これで俺は貯金と幸福の両方を手に入れた」
知識は知っているだけでは意味がない。あくまで実際に行動して、実行しないとお金も幸福も手に入らない。
桔梗が現段階で手に入れたのは知識のみ、実際にお金と幸福が手にはいるのは先になる。
「お金は経験に使うのも大事だけど、他人に使うのも大事よ」
「華薔薇が俺から金をせびろうとしている。ダメだ、俺の金は華薔薇にはやらん」
「いらないわよ。どうして私が桔梗の小銭をせこせこ集めないといけないのよ。非効率よ。やるなら大人数から継続的に集金できるビジネスモデルを構築するわよ」
桔梗から巻き上げても雀の涙。
ビジネスの基本はたくさんのものをたくさんの人に売る、薄利多売か。高いものを少数売る、厚利少売のどちらか。
「桔梗からちまちま小銭稼ぎするような、せせこましい女に見えるか! 舐めるなっ!」
雑談部は面白おかしくお喋りする場所。決して小銭を稼ぐ場所ではない。
「桔梗からお金をもらうなら、桔梗も得するサービスを提供するに決まっている。決して詐欺まがいの行為はしない」
金銭が発生するなら、華薔薇も支払い額よりも得したと感じるサービスを提供する。その場合は雑談部の枠を大きく越えている。
「私を見くびらないように、わかった」
「は、はい」
直立不動の姿勢で返事をする桔梗。
もう少し言い方があったとあったと反省する華薔薇。
雑談部に数秒の沈黙が流れていた。
「言い過ぎたわ、ごめんなさい」
「いや、大丈夫だ。いつも助けられてる、問題ナッシング」
どちらも嫌なことを引きずる性格ではない。信頼関係もあるので、重い雰囲気はすぐに吹き飛ぶ。
「ともかく、他人にお金を使うのも大事よ」
「他人にお金を使うってなんよ。奢るのか」
「いいと思うわ。心理学者エリザベス・ダンの実験を軽く説明しましょう」
カナダの都市バンクーバーのある朝、街を歩く人から実験の参加者を募った。応じた人には封筒が渡された。中には5ドル札か50ドル札のどちらかが入っている。
お金以外に指示書が入っており、お金を自分のために使うか、他人のために使うか、という内容である。
実際にお金をもらって使ったところ、自分のためにお金を使ったグループより他人のためにお金を使ったグループの方が幸福度か高かった。
さらに金額の大小は幸福度に影響を与えなかった。
「つまり、少額でも誰かのためにお金を使うと幸せになれる、という結果ね」
「面白い結果だとは思う。たとえ少額でもずっと続けてたら破産する。塵だって積もりに積もったら山になるぞ」
幸福のために破産しては本末転倒だ。
「バカね。余裕があればの話よ。自分に余裕があって始めて人助けができるのよ。ガリガリに痩せ細った風が吹けば折れてしまいそうな人から食べ物をもらっても困惑しかない。あなたの方がやばいじゃない、は願い下げ。助けるのに覚悟はいらないけど、助けるだけの余裕は必要」
借金している人からお金をもらうのと、お金持ちからお金をもらうなら、お金持ちからの方がいい。お金の価値は同一でも、感情は全く違う。
「優先するのはあくまで自分」
「なんだそれ。華薔薇が俺を助けるのは華薔薇が余裕だからか?」
華薔薇と桔梗は考え方も価値観も違う。桔梗は華薔薇が自分に時間を割り当てるのは施しではないかと心配する。
「物覚えが悪い、ここに極まれり。何度だって言うわ、ここは雑談部。面白おかしくお喋りする場所。私が一方的に桔梗に施す場所じゃない。私は雑談をしているの」
ちゃんと覚えなさい、とチャリティでもボランティアでもないと強調する華薔薇だった。
「わかった? 雑談部では雑談をするのが正解。変なことは考えないように、雑談の邪魔よ」
余計なことに気を取られて雑談に集中できないのは困る。全力で雑談に取り組むのも、また雑談部だ。
「なんだかんだで華薔薇も相談気に入ってたのか。よかったよかった」
「はぁー、もうそれでいい」
華薔薇は相談を気に入ってはいない。雑談のネタとして利用しているにすぎない。桔梗の誤解は解けなかったが、問題ない結論に辿り着いたから、結果として訂正しないのだった。
「今日はこれくらいにしましょう」
華薔薇の雑談のストックはまだまだある。せっかく桔梗に新しい知識を教えたのに詰め込みすぎても仕方ない。無駄にダラダラ続けるても何の生産性もない。短時間に圧縮するのも大事だ。
「よっしゃ、明日から貯金するぜ」
「決意は天晴れね。ちゃんと私の話は覚えてるの?」
決意しても行動が伴わないと意味がない。行動にはまず知識が必要だ。
「ふっはっはっ、ちゃんと覚えているに決まっている。まず勝手にお金を貯めるシステムを作るだ」
引き出せない口座に送金することで自動的に貯金する。
「おお、正解。他には?」
「貯金することを宣言する。これで余計な出費がなくなる」
宣言すると自分だけでなく、周りも意識するから目的に近づく。
「さっきは言わなかったけど、宣言したのに目標達成しないと恥ずかしい。これが原動力になるのよ」
恥をかかないためには達成するしかない。進んで恥をかきたい人はない。だから頑張る。
「ここに来て新情報! 前の情報がこぼれ落ちる」
「そんな簡単に忘れないわよ。他には、まだまだあるでしょ?」
「あれだろ服や靴を買うより、旅行した方がいい」
モノを買うより、経験を買った方が幸福が長続きする。過去の楽しい思い出は簡単には忘れない。
「まあまあ覚えているね。あとは実行あるのみ」
「おう、任せとけ。ちゃんと貯金が貯まったら、華薔薇に上手い飯でも奢ってやるぜ。俺の幸せのためにもな」
「あらそう、期待しないで待ってるわ」
華薔薇は桔梗に奢られても奢られなくても、どっちでもいい。時間が空いていれば、誘いに乗るかもしれないくらいの関係性だ。雑談部の部員以上の役割は求めていない。
「桔梗がちゃんと覚えているのも確認できたし、今日は帰りましょう」
「もし覚えてなかったら、どうなってた?」
「せっかく私の雑談を聞いたのに覚えていないなんて許せると思う?」
教師が一生懸命授業をして、生徒が一切覚えておらず、テストの点数が低い。それでは教師の面目丸潰れだ。
教師が不甲斐ないのか、生徒の態度に問題があるのか、それともどちらも悪いのか。
「ハ、ハハハ、華薔薇に迷惑はかけないぜ」
桔梗は少なくとも生徒が悪いと考える。
「ありがたいわね。だったら雑談の甲斐もあるわ」
「いつでも雑談に付き合うぜ」
「いつでもはいらない。桔梗は放課後だけで十分よ」
つれないな、と言うものの、桔梗は放課後以外で華薔薇のプレッシャーと戦う覚悟はない。
華薔薇の口撃は放課後だけでお腹一杯。キャパシティは悠々に越えている。
「有意義な雑談をしたわ。桔梗、さようなら」
「ああ、また明日な。バイバイ」
体力を大幅に削られた桔梗は雑談部を後にするのだった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!