「本日はメロンさんからのお悩みです。『おかしを食べて何が悪いの』ということです。おかしは美味しいよな」
ある日の放課後。飽きもせず桔梗は誰かの悩み相談を持ちかける。
「食べたければ食べればいいじゃない。そんなの個人の自由よ」
おかしを食べる食べないは誰かが口出しする問題ではない。従って華薔薇も言うべきことはない。
「そもそも、その内容は悩みじゃないでしょ」
桔梗が持ってきた内容は悩み相談ではなく、ただの個人の主張だ。
「た、確かに。でもさ、たまにはこういうのもいいと思うんだ」
「ふーん。何を根拠にいいと思うのかしら」
華薔薇はなんの感情も込めていない視線を向ける。
「いや、その、えーっと」
信念も深い意味もなく持ってきただけに、ちょっとした追求で簡単にたじろぐ桔梗。今回の悩み相談はいつもと経緯が違っていた。
普段と違うテイストに華薔薇は軽くつついたに過ぎない。桔梗の狼狽ぶりは完全に予想外だ。
これはこれで面白いので、さらに深掘りしていく。
「桔梗はどうして、今回の悩み相談を持ってきたの?」
桔梗が持ってくる相談は、本当に困っている悩みを持ってくる。人助けのために奔走して辿り着くのが雑談部である。
困っている人に手を差しのべるのが桔梗。よく言えばお人好し、悪く言えば偽善者。個人の主張を引っ提げて雑談部に来ることはなかった。
「そ、それは」
「うんうん、それは?」
「メロンには逆らえなかったんだ」
「ん?」
どうせ大したことないだろう、と高を括っていた華薔薇は不穏な言葉に眉を潜める。
もし桔梗が弱味を握られていたり、脅迫されているのなら、由々しき事態だ。
桔梗が危機的状況にあろうと華薔薇が直接出向くことはないが、解決に向かうような雑談はできる。現状を脱出する雑談ならいくらでも応じる構えだ。
「逆らえない、とはどういうことかしら? 困っているなら口出しくらいならしてあげるわよ。雑談部のよしみで」
「メロンは、メロンは、すごいんだ」
「……」
華薔薇は視線で続きを促す。
「とても大きく、歩く度にポヨンポヨンと揺れて、視線を釘付けにする。メロンは、メロンはグラビアアイドル顔負けの特大メロンを携えてるんだ。男なら仕方ないだろ」
桔梗はただの思春期の学生だった。
「はぁ、あほらし」
少しでもセクハラ野郎に同情した華薔薇は自分の愚かさを後悔する。
「あの柔らかそうなメロンに挟まれたい、男なら一度は妄想する特大メロン。制服を押し上げて、突き破りそうなメロンを俺だって一度は揉んでみたいんだよ」
「ただのセクハラよ」
ここは雑談部。決して男子高校生の欲望を垂れ流す場所ではない。部室には桔梗と華薔薇の二人しかいないので、被害は華薔薇の軽蔑と侮蔑と嘲笑とその他諸々の悪意の視線を受ける桔梗だけ。
「おかしを食べてもなんだかんだ維持してるくびれのあるスタイル。快活な性格で話しやすいし、端正な顔立ちは美人のお手本だ。何より、華薔薇とは対極の高身長だ」
逆らえないのも無理ない、とメロンの感想を締め括る。
「……言いたいことは、それだけ?」
感慨のない言葉が華薔薇から発せられる。
人を引き付ける魅力に、整った顔立ち、透明感のある肌、さらには引き締まった体型を持ち合わせ、皺のない制服を着ていようとも華薔薇の身長は高くない。
同年代の平均身長から10センチ以上低いのが華薔薇である。
身長は比較的遺伝の要素が大きいので、努力で補うには限界がある。華薔薇としても低身長は覆せないので受け入れている。桔梗に身長のことを指摘されようが構わない。
ただ受け入れていても、全てを受け流せるわけではない。華薔薇は聖人君子とはかけ離れているのだから。
「人のことを引き合いに出す前に、そのセクハラする口を飾り物にしてやろうかしら?」
「うひっ!?」
「それとも、今の発言をメロンに直接聞かせるよう取り計らうべきかしら?」
「すみません、申し訳ございません、許して下さい、神様仏様華薔薇様。メロンに話されたら、俺の高校生活が終焉を迎えるから、どうかこの件に関しては内密にお願いします」
いくら友達の軽いノリで話していても、セクハラが過ぎれば距離を取られるのは必至。桔梗のできるのは誠心誠意許しを乞うだけだ。
ただ桔梗は勘違いしている。華薔薇の怒りの原因がセクハラ発言だと思っていること。セクハラについては華薔薇は怒っていない。またバカなこと言ってるな、くらいにしか感じていない。
実際は低身長発言が琴線に触れたことが原因。桔梗は華薔薇が低身長を気にしているとは微塵も思っていないので、発言に悪気がなかったのが幸いした。
もし悪意を込めていたなら、桔梗のセクハラ発言は問答無用で全校生徒に広がっていただろう。
「まあ、いいでしょう。今回は惨めに許しを乞う姿に免じて許します」
「ははー、ありがたき幸せ」
幸運にも桔梗は難を逃れるのであった。
「さて、どうしようか」
許しを示した以上、追求はできない。つまり雑談のネタ(桔梗のセクハラ)がなくなったのだ。どんな雑談をするか思案する。
「なあなあ、おかしを食べるのは個人の自由なんだよな。だったら華薔薇はどう思ってんの?」
少なくとも桔梗は雑談部で華薔薇がおかしを食べている姿は見たことがない。おかしに限らず何かを食べている様子はない。口に含むのは飲み物だけだ。
「そうね、『おかしを食べて何が悪いの』と言われたら、さっきも言ったように食べたければ食べればいい、と答える。何も悪いことはないんだから」
「個人の自由ってことだな」
でもね、と華薔薇の話は続く。
「体には悪いわ」
おかしは食べる分には個人の自由で、誰憚ることなく食べていい。何も悪くないのだから。
ただし健康には悪い。
食べ過ぎれば自ずと控えるように、おかしが体に悪いということは理解している。おかしが健康に寄与すると信じて、おかししか食べない人はいない。
多かれ少なかれ罪悪感を覚えながら人々はおかしを食べている。
「そりゃ、おかしが体に悪いってのは知ってるけど、ちょっとくらいならいいだろ。ちょっとくらい食べても死なないって」
「へえ、ちょっとくらいならいいんだ。じゃあさ、ちょっとって具体的どのくらい? 1年間に何回食べていいの? 1回当たり何グラム摂取して大丈夫なの? おかし以外なら問題ないの?」
「いや、それは……」
桔梗にはちょっとがどれくらいか答えられない。それに人によって『ちょっと』の定義が違う。おかし1パックをちょっとという人もいるし、おかしの1包装をちょっとにしている人もいる。
「おかしを食べたら、直ちに不健康になるかと言われれば、答えはノーよ。でもちょっとくらいを積み重ねたら、不健康まっしぐらよ」
たとえちょっとでも積み重なり続けたら病気になる。いつかは限界を越えてしまう。マイナスはプラスで打ち消さなければ、大きなマイナスになるのは明白だ。
ちょっとなら大丈夫とは気休めにもならない慰めだ。
「今日はこの雑談を深掘りしましょう」
こうして本日の雑談ネタが決定した。
「何故おかしが健康に悪いのか、まずこれについて説明しましょう。原因はシンプルに糖質よ」
「やたらと聞くけどな、それ」
「糖質は三大栄養素のひとつで糖を主要成分とする物質の総称よ」
糖質の辞書的な説明は重要ではない。本題は別にある。
「糖質はごはん、パン、麺類、果物、ケーキなどのおかしにたくさん含まれていて、これらを摂取すると血糖値が急激に上昇する。その後血糖値は急激に下降する。これがおかしが健康に悪いとされる由縁ね」
おかしやジュースなどは米やパンに比べて消化に時間がかからないため、体内では早く吸収される。糖質が吸収されると血糖値は上昇する。血糖値が上昇すると体内ではセロトニンやドーパミンが分泌され、気分が高揚する。
しかし急激な血糖値の上昇に膵臓が反応し、インシュリンが大量に分泌されて、血糖値は急激に下げられる。すると高揚した気分は落ち込み、イライラや眠気に襲われる。
続けていればインシュリンに抵抗力ができてしまい、血糖値が下がらなくなる。すると膵臓は大量のインシュリンを分泌して対応する。
薬も過ぎれば毒となるようにインシュリンが大量に分泌されるのもよくない。正常な反応ではないので、体にも負荷がかかる。
「あっちに行ったり、こっちに行ったりしたら疲れるのは当然。急激な変化は体に悪いのよ。また精神的にも負荷がかかる」
「なるべくゆっくりなら問題ないってことだな」
「ふふ、そうね、そうかもしれないわね」
急激に血糖値が上がらなければインシュリンが過剰になる心配もない。
「あんまり糖質の話ばかりしても味気ないから、間違っている食事の常識を雑談しましょう」
「味気ない食事はつまらんよな」
「……ボケのつもりはなかったわ」
「もしかして、照れてる。ねぇ、照れてるでしょ」
想定外の指摘に心持ち顔を赤くする華薔薇であった。
「くだらないこと言ってないで、雑談を続けるのよ」
珍しくやり込めた桔梗は密かにほくそ笑む。通算成績では圧倒的に負け越しているから、貴重な一勝と言えよう。
「よくある誤解から、カロリーは肥満の原因ではないということよ」
「いやいやいや、カロリー摂りすぎると太るだろ。今まで散々聞いてきたぞ。間違いでしたなんて許されんぞ」
桔梗が許す許さないに関わらず、カロリーと肥満に関係はない。
「むしろ肥満の原因は糖質よ。ステーキよりもパンやごはんの方が糖質は多い。パンやごはんを食べたら太る。気を付けなさい」
気を付けなろ、と言われても簡単に主食を減らすことはできない。
「そんなん言われても、パンもごはんも美味しいぜ。やめたくてもやめられないだろ」
「やめれないのは糖質中毒になっているからよ。糖質を摂るとドーパミンが出るから依存してしまうのよ。やめたければ糖質のない食べ物で代用して減らしていくしかない」
体に悪い食べ物があるように、体にいい食べ物もある。健康への第一歩は悪い食事を減らして、いい食事を増やすこと。
食べていれば少なくとも空腹感は抑えられる。
「代用が野菜なら結構きついぜ。どうか野菜じゃありませんように」
「体にいい食べ物の代表はナッツよ。小腹が空いたときに菓子パンやおかしを食べるより断然健全よ」
「よしっ!」
ナッツにはビタミン、ミネラル、食物繊維、不飽和脂肪酸などの健康成分が詰まっている。
ナッツと健康については昔から研究されている。1日ナッツを20~28グラム食べると心疾患、癌、死亡率が下がる結果が出ている。
健康以外にも効果があり、頭の回転を早くする働きも期待できる。ピスタチオを食べるとガンマ波が大きく反応する。このガンマ波は脳の情報処理能力や学習能力に関係している。なのでピスタチオを食べると頭の回転早くする効果が期待できる。
「ナッツを選ぶ際のポイントは無塩のものよ。塩味は美味しいけど、塩分の過剰摂取になるから厳禁よ」
「ナッツねぇ」
ナッツは好きでも嫌いでもない、というのが桔梗の素直な感想だ。美味しいがわざわざ進んで食べることはない。
「ナッツはむしろ食べるべき食品よ。病気のリスクの低減、腸内環境の改善、脳機能の向上、睡眠の質を高める、メリットだらけの食品よ。食べない方が損なのよ」
ナッツは健康や睡眠を改善してくれる超優秀な食品だ。食べ過ぎに気を付ければ問題ない。むしろ定期的に食べるのを推奨すべき食品だ。
「そんなにすげー食品が埋もれてたなんて。店では全く宣伝されてないから、知らんかった」
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