異世界ハローワークへようこそ!

――スキルもチートもありませんが、ジョブは見つかりますか?
ハマカズシ
ハマカズシ

第一章『俺のスキルはなんですか?』

異世界ダジュームへようこそ(1)

公開日時: 2020年9月1日(火) 07:00
更新日時: 2020年9月3日(木) 10:37
文字数:5,223

「俺、死んだんですか……?」


 鼻の穴にティッシュをつっこみ、両頬を手のひらの形に真っ赤にしたバカ面で、俺はお姉さんに尋ねる。


「質問は最後って言ったでしょ!」


 テーブルを挟んで、お姉さんは豪華なソファにふんぞり返って爪を磨いていた。


「す、すいません……」


 叱られた俺は、黙って手元の分厚い本に目を落とす。


 テーブルの上には『異世界ダジュームの歩き方』とか『ダジュームの歴史』とか『YOUは何しに異世界へ?』とか書かれた本が並べられている。


 ここへ来るなり、とりあえず読めと言われて渡された資料である。


 そして今読んでいるのは『異世界転生、そのとき君は?』という本。一番イラストや写真が多かったので選んだだけだ。


「お茶をどうぞ。……鼻血、止まりましたかー?」


 そこへさっきの妖精さんが湯飲みをかかえてふわふわと飛んできた。


 相変わらずマントの下は真っ裸の俺は、妖精さんが運んできた湯飲みを空中でゆっくり受け取る。


「ありがとうございます……。血は、止まったみたいです、はい」


 鼻の奥がキーンとするが、血は止まっている。


 この鼻血は元はと言えばこの妖精さんの急降下キックのせいなのだ。なぜ俺が礼を言わねばならんのだろう?


「ダジュームではよくあることですから。気を付けてくださいね」


 ぴゃららーという音をたてて、妖精さんはまたどこかへ行ってしまった。体は小さいが、胆力は大きいみたいだ。


 しかしこんなバイオレンスなイベントはよくあってもらっては困るんだが……。


「はぁ……」


 ダジューム、という初めて聞く単語に、思わずため息をつく。


 これまでの話を要約すると、俺は真っ裸で街のど真ん中で目を覚まし、変態扱いされ、このお姉さんと妖精さんにここへ連れてこられたのだ。途中でキックとビンタを受けながら。


 そして俺は今、この異世界ダジュームについて勉強させられている。


 ざっとその資料本を流し読みし、俺はお姉さんに向き合う。


「あの、すいません。読みました」


「早いわね? ちゃんと読んだの?」


 いつの間にか紅茶と焼き菓子を楽しんでいたお姉さんは、不審そうな視線を俺に投げかけてくる。


 胸の谷間となまめめかしい脚に気を取られるが、なるべく見ないようにする。またエロいことを考えて、しばかれたらたまったもんじゃない。次は鼻血どころでは終わりそうにない。


「あ、はい。それで質問が……」


「それぜんぶ読んで、まだ質問があるっていうの?」


 なぜかキレ気味である。さっき質問は最後にしろって言ってたよな?


 どうやらこのお姉さん、ドSのようで、もうすでに怖い。見た目は美人でエロいのに、超怖い。これで優しかったら超女神なのに、うまくいかないものだ。


 エロと優しさの両立は人類の叶わぬ夢なのだろうか?


「異世界? ダジューム? っていうのは大体理解しましたけど、……これは夢ですよね?」


「質問ってそれ? いい加減、目を覚ましなさい。夢じゃないの。これは、現実」


 カチャンとカップをソーサーに置く音が、部屋の中に響いた。


 認めたくなかった事実を、お姉さんが突き付けてくる。


 いつまでも目覚めないこの状況に、俺も薄々は気づいていた。


 もはやこれ以上、俺自身を騙すことはできない。


「じゃあ本当に俺は死んで、この異世界に飛ばされたってことですか?」


 さっき読んだ本に書かれていたのは衝撃的な内容だった。


 元の世界で死ぬことにより、このダジュームという異世界に転生してきたというのだ。


 この現実を自分の口から発することで、状況を飲み込もうとする。


「まあ半分正解、半分間違いね。ちゃんと読んだの?」


「よ、読みましたよ……」


 お姉さんが積まれた数冊の本を指さす。窓から差し込む光で、ネイルがきらりと反射する。


「あなたが元の世界で死んだのは本当。ええっと、名前はヘンタイだったっけ?」


「ケンタです! 伊佐波いざなみケンタです!」


「まあなんでもいいけど、ケンタ。あなたは単純にここに飛ばされたわけじゃない。あなたは元の世界ではきっちり死んで、同位体どういたいとしてここに現れたってコト」


 お姉さんは人差し指を真下に向け、俺をまっすぐ見据えた。


「同位体……?」


 確か高一のときの化学基礎で習ったような……。


「そ。元いた世界のときと姿や形、記憶はそのままだけど、まったく違うの。簡単に言うと、今のあなたの体はコピーみたいなものかしら? あなたのような意識だけ転生してきた人たちのことをここでは同位体、アイソトープと呼んでいるわ」


「アイソトープ……」


 俺は自分の手のひらを広げ、じっくり眺める。


 本当に死んでしまったのか? 死んで意識だけが異世界に転生した? 


 だが、俺は今、こうやって生きているのだ。ここ、異世界ダジュームでアイソトープとして。これは夢じゃない。


 じゃあこの体は一体なんなんだ? 俺は俺の体で生きているぞ?


 さっぱり理解できずに、自分の体をペタペタと触る。


「理解できなくて当然よ。このダジュームにも理解している人間なんていないんだから」


 俺が悩んでいるのが分かったのか、お姉さんが安心させてくれる。


 いや、安心なんてまったくできないのだけど。まったく分からないことほど、不安なものはない。


「……異世界転生ってやつですか?」


 アニメでしか聞いたことのないその単語を、俺は口に出す。


「あなたがその言葉で納得できるのなら、そういうコト。なぜそんなことが起こったのか、どんな理由があるのか、まったく分からないんだけどね。あなたが元の世界で死んでここにやってきた、これが唯一分かっている事実なの」


「なんで、俺が死んだってことが分かるんです?」


「アイソトープはあなただけじゃないから」


 このお姉さんは俺の質問を何度も受けているように、答えが簡単に示された。


「じゃあこの世界には俺以外にも同位体……、アイソトープが?」


「もちろん、いるわ。ダジュームにとってみれば、そう珍しい存在じゃないのよ。あなたみたいに転生してくる存在は」


 お姉さんは待ち受けていたかのように答える。


 確かにさっきの町の住人達も、慣れたような口ぶりだった。俺が全裸であること以外は。


「ここにやってきたアイソトープの最後の記憶をたどると、死の直前にさかのぼるのよ。たとえば車にかれた瞬間だとか、病気で入院していたとか。物騒なのは誰かに刺された、とかね。転生してきたアイソトープの最後の記憶を統計すると、元の世界で死んでからここに転生されたってことが分かったのよ」


「俺の最後の記憶……? 昨日はベッドで普通に眠ったことしか覚えてないんですけど?」


 そうだ。事故に遭ったわけでも、誰かに殺されたわけでもない。


 俺はいつも通りの生活を送って、いつも通り明日の学校の準備をしてベッドで眠ったはずだ。死んだ記憶なんてまったくない。


「突然死だったんじゃないの? 死んだときの格好でこっちに転生してくるらしいんだけど、なんであなたは裸だったのよ?」


 眉間にしわを寄せながら、お姉さんが俺の下半身を指さしてくる。


「そ、それは……。なぜでしょう?」


 咄嗟に言葉を濁らせたが、心当たりがないわけではない。


 俺は夏場、寝ている間に服を脱いでしまう癖があるのだ。今回も無意識のうち服を脱いで寝てたら、突然死してしまったってこと?


「ま、死んだことは確実なんだから、これ以上考えてもどうしようもないわ。とりあえず、この現実を受け止めることね。そして……」


「ちょっと待ってください! それじゃあ俺は……」


 と、食い気味で質問しようとする俺の口を、お姉さんがピンと伸ばした人差し指で塞いできた。


「あなたが言いたいこと、当ててあげましょうか? 『どうすれば元の世界に戻れますか?』でしょ?」


 もう何度もこの質問を受けてきたというふうに、お姉さんはすらすらと俺の気持ちを読んできた。


 間違いなく、俺はそう聞こうと思っていた。


 黙って頷くと、お姉さんは軽く嘆息を漏らし、続ける。


「答えは、戻れない。だって元の世界では、あなたは死んでいるからね。あなたが帰る体は、もうないの。火葬されてもう影も形もないんじゃない? ここで死ねば戻れるとか、そんな簡単な問題じゃないってコト」


 お姉さんの眼鏡の奥の赤い瞳は、俺に対しての憐憫れんびんか同情か、少しだけ曇って見えた。それがかえって説得力というか、俺の迷いに決定的な釘を刺す。


「そ、そうですか……」


 この答えもある程度は予想していたのかもしれない。


 じわっと、手のひらに汗が滲んでいることに気づく。


「あなたはここ、異世界ダジュームで第二の人生を生きて、そして死んでいく。アイソトープとして、ダジュームの住人として。これが現実よ」


 少しトーンを落としたお姉さんのその声が、ずしりと俺の胸に突き刺さった。


 これが夢ではなくて、俺は本当に異世界に転生したのだとしたら、十分考えられることだった。


 俺は冷めてしまったお茶を一口、乾ききった喉を潤す。


「意外と落ち着いてるわね。やっぱり若い子は呑み込みが早いのね」


 俺の様子も想定内だったのか、お姉さんは大きな瞳で俺の姿をじっくり見てくる。


 俺だって高校二年生、そういうアニメやラノベは読んでいる。異世界転生というものが一方通行というのが大体の摂理であることは把握していた。


 実際に自分の身をもって答え合わせをするとは思わなかったが……。


「ま、そう落ち込まないでよ。期待だけさせるわけにもいかないから、初めにしっかり理解してもらわなきゃいけないってコト。こういうのって誰かに説明されなきゃ分からないでしょ?」


 そこまで言って、ようやくお姉さんはまっすぐ俺のほうに体を向けた。


 いつの間にか、その左肩に妖精さんが舞い降りて、ちょこんと腰を掛けている。


 妖精という存在が、すでにこのダジュームが異世界であることを証明しているのだ。


 最初に感じたファンタジー世界のようだと感じた直感が、そのまま現実として目の前で繰り広げられている。


「ダジュームのことは、大体この本を読んで理解しました。ここはいわゆるモンスターと人間が共存する世界……」


 資料によると、ここはいわゆるファンタジーの世界である。


 流し読みしただけでも、それくらいは理解できている。


「人間とモンスター、そしてあなたのようなアイソトープね」


 お姉さんはくいっと首を持ち上げ、俺を値踏みするように目つきを向けてくる。


 そう。この世界には本来いるべきではない第三の存在として、俺は転生してきたのだ。


「で、魔王もいるってほんとですか?」


「本当よ。でも、ここラの国は魔王の城からは遠いから、今のところ直接的な影響はないわね。モンスターの活動もそんなに活発じゃないし、あなたラッキーだったわよ」


 どうやら俺は異世界ダジュームのラの国というところにいるらしい。


 何がラッキーだったのかは分からないが、とりあえず笑っておこう。ラッキーのラの国と覚えよう。


「モンスターにとって、アイソトープはご馳走なのよ。すぐその匂いにつられてやってくる。だからさっきもあなたを素早く保護しなきゃいけなかったの」


 お姉さんは足を組み替えながら、少しめんどくさそうに眉根を下げた。


 そうか。あのとき、街の住人が俺に近寄らなかったのもそういうことなのか?


 俺に触らないのも、アイソトープの匂いをつけたくなかったからってわけか。ま、裸の男になんて誰も触らないでしょうけどね!


「で、お姉さんは俺をどうしようと……?」


 そうだ。転生してきた俺を真っ先に回収したのは、街をモンスターから守ること以外にも意味があるはずだ。


 このお姉さん、アイソトープである俺を利用しようとしているのではないか?


 だってそうだろう?


 人間とモンスターが対立する世界で、突如現れたアイソトープ。このイレギュラーな存在はきっと世界の平衡を壊しかねない存在に違いないのだ。


 いや、待てよ。こういう異世界転生ものの王道パターンがあるじゃないか。


 まさか、俺に魔王と戦えと……?


「私はシャルム。ようやく本題に入れるわね」





 す、とお姉さん、シャルムはソファの背もたれに身を任せた。


「ほ、本題……?」


 俺はごくりと唾を飲み込み、前かがみになる。


「さっき言ったでしょ? あなたはこのダジュームで生きていかなければいけない」


 腕を組むシャルムの真面目な目は、俺に対する期待、そして憐れみも含まれているようだった。


 やはり俺はこのダジュームで、この身をささげることになるというのか……?


 そう、世界を救う救世主として!


「ケンタ、行きましょうか」


 すくっと立ち上がったシャルムはそのまま奥の部屋へ向かった。


「私はホイップです! さ、ヘンタイさん……じゃなかった。ケンタさん、行きますよ!」





 ぴゃららと音を鳴らしながら、妖精さん、ホイップがシャルムのあとを追いかける。


 俺も言われるがまま、その二人に続いた。


 大丈夫、覚悟はしているさ。異世界に転生することがどういうことか。


 俺の運命は、もう決められたも同然だ。


「よし……!」


 これから起こることに、俺は覚悟を持って臨もうと胸を一度叩く。


「どうぞ、入ってください」


 リビングの隣の部屋に、ホイップが案内してくれる。


「ここは……?」


読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート