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「またか」
「こんなところで寝やがって」
――また?
そんな会話が聞こえて、俺は目を開ける。
一面に広がる空に、太陽の光が俺に降りかかる。視界はぼやけて、真っ白になっている。
頬を撫でる優しい風。人のざわめき。どこかで赤ちゃんの泣く声が聞こえる。
硬い地面の上で眠っていたようで、起き上がろうとするが体がカチカチに固まっているようで動かせない。
なんでこんなところで眠っていたんだろう?
「もう呼んだのか?」
「ああ。もうすぐ来てくれるはずだ」
どういうことだ? 何が来るんだ?
まわりにはその声の主以外に、たくさんの人の気配がする。
「…………」
声を出そうとするが、喉が詰まっているようで言葉が出てこない。
俺はただまっすぐ、目の前に広がる青空を眺めながら、体の硬直が解けるのを待った。
意識だけははっきりとして、気持ちも落ち着いているのが不思議なくらいだ。
これは金縛りってやつじゃないのか?
金縛りって体は眠ったままで、意識だけが目覚めている状態だって聞いたことがある。まさに今の俺のことではないか。
ということは、まだ夢の中か?
なるほど、謎が解けると慌てることはない。この世のすべての事象には、理由がある。
日本には昔から「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という言葉がある。実態を知ってしまうと、案外なんでもないことに怖がっているということがあるのだ。
落ち着いて考えれば、答えはすぐに見えてくるものだ。
―ーふぅ。
大きく、息を吐く。死んだかと思ったよ。。
昨日の晩は確実にベッドの中で寝たはずだ。こんな外で眠るはずがないのだ。夢に決まってるじゃないか。
夢が覚めればまたいつも通り、高校へ行って、普段と変わらぬ学校生活を送るんだ。
そうと分かればひと眠り、ひと眠り……。
「どういう死に方をしたのかしらね?」
まだ夢の中と断定して目を閉じたら、今度は女性の声がした。
死に方?
いやいや、俺は死んだんじゃなくってこれは夢なんだって……。
「お疲れさん。早かったな」
「仕事だからね。ほんと、アホみたいな顔して、死んだことに気づいてないんでしょうね。幸せ者だわ」
その聞き捨てならない言葉に、俺はもう一度目を開ける。
すると、俺の目の前には、見知らぬ女性の顔。
長く綺麗な黒髪が風に流れ、眼鏡の奥の大きな瞳を細めながら、俺の顔を覗き込んでくる女性。
その蠱惑的な顔が近づくと、ぽわんと甘い香りが俺の鼻孔をくすぐる。
夢でも匂いがするんだな……。
それにしてもなんて美人なお姉さんだ。まるでアニメのヒロインみたい……。
「私が連れて帰るわ。このままじゃブタ箱行きでしょ?」
その女性が俺を指さしながら言うと、まわりからどっと笑い声が漏れた。
ブタ箱って、なんで俺が? これ、どういう設定の夢なんだ?
「ほら、いつまでも裸でそんなとこに寝転がってんじゃないわよ。行くわよ!」
――裸?
俺をまたぐように仁王立ちするお姉さんは腰に手を当て、じっと俺を見下ろす。
その網タイツの長い脚が非常にエロい。
そしてお姉さんの表情は、笑っているような、困っているような、なんとも言えないものだった。
――どういうことだ?
お姉さんのロングスカートが揺れ、俺はようやく首を曲げ、あたりを見渡す。
やはり、というかここは外である。レンガ敷きの道の上に俺は寝ていた。そして一定の距離を取って人々が俺を取り囲んでいる。
どこかの広場だろうか?
建物も、どこか浮世離れしているというか、テレビで見たヨーロッパのような屋根が高い古風な家が見える。
煙突がある家なんて、初めて見た。
取り囲む人たちの服装も、なんだかファンタジーRPGに出てくる人のような格好をしている。
あんな服、ユニクロで売ってないよな? どっかの海外の民族衣装か?
「すぐに来てくれて助かったよ。あいつら、コレの匂いには敏感だからな」
「街の中心に現れるのも珍しいわね。あとは任せて。……誰も触ってないわよね?」
「男の裸に触りたい奴なんかいねーよ!」
またドドッと笑いが起きた。
コレとか、匂いとか、裸とか、どういうことだ?
目に映るモノすべて、状況が、まったく俺の想像を超えてくる。
こんなゲームのような展開はさすがに俺も想像することはできなかった。
ん? 裸の男って……。
俺は首を持ち上げて寝ころんだままの自分の姿を見た。
「は、は……!」
そこでようやく声が出た。断末魔といっていいだろう。
「はだか!」
裸だったのは、俺だった!
俺はこんな街の真ん中、公衆の面前で真っ裸で寝転がっていたのだ!
「そのお粗末なもの、隠してくれない?」
お姉さんは「フッ」と鼻で笑い、俺の下半身に視線を移す。
俺のお代官様は、いつもより小さく縮こまっていた。これは夢サイズだからだよな? 現実ではもうちょっと立派だったはず!
「わわわ……」
さっきまで固まって動かなかった両手で、俺は急いで股間を隠す。
ていうかなんで裸なの? そりゃブタ箱行きも頷けますよ!
「シャルム様、これを!」
と、今度はまた違ったかわいらしい女の子の声がどこからか聞こえた。
同時に、お姉さんのもとに大きな布がふわふわと飛んできたのだった。
「え? 浮いてる?」
浮いてきた布をお姉さんは、当たり前のように掴んだ。
マジックかなんかか? 糸でつり上げてる……わけでもないぞ?
「これでも纏いなさい。ほら、行くわよ。変態」
「へ、変態って言わないでください!」
その布をふわりと俺にかぶせると、お姉さんは俺をまたいでどこかに行ってしまった。
高いヒールがレンガの地面にカツカツとぶつかる音が鳴り響く。
俺は上半身を起こし、その布をマントのようにして身をくるみ、立ち上がる。
取り囲む謎のファンタジー住民たちは俺を見て笑っている。
目を逸らしている女性も、軽蔑の目で俺を睨んでいる人もいる。
どういう状況なんだ? 見知らぬ街で俺は寝ていた? しかも真っ裸で?
やっぱり変態じゃないか、俺!
「ま、待ってください!」
俺は逃げるわけにもいかず、とりあえず「行くわよ」と言われたお姉さんを頼るほかはない。
これって夢だよな? そうに決まっている。
夢じゃなかったら、わいせつ物陳列変態男だよ!
夢であってくれよ! 現実はもっと立派なんだからな! ……何が?
そう強く願いながら、俺は裸足で先を行くお姉さんを追う。
自然と住人たちはさっと道を開けてくれる。
「あのお兄さん、なんで裸なのぉ?」
「見ちゃいけません!」
人々の間をすり抜けるとき、そんな娘と母の会話が聞こえた。
まさか変態に遭遇した際のテンプレ会話を直接聞くことになるとは思わなかった。
大丈夫か? あのお子の成長や性癖を練じ曲げるようなトラウマを植え付けてないかい?
「へへへ、兄ちゃん。派手な登場だったな」
「フルチンで来た奴は初めてだぜ」
男たちが俺の肩を叩きながら、ゲスく笑った。
俺もフルチンを不特定多数に披露したのは初めてである。これが最初で最後になると断言しよう。
「ほら、グズグズしてないで、乗って!」
裸足で石畳を踏みしめながらよちよち歩いていると、すでにお姉さんは長い足を馬車の荷台に乗せて、俺を急かしてきた。
その艶めかし網タイツの足が、ロングスカートのスリットからもりっとはみ出て、マントの中の小さな俺が一瞬反応しそうになった。
いかんいかん、夢で興奮しちゃダメじゃない!
「す、すいません……」
俺は前かがみになりながら、幌で覆われた馬車に乗り込む。
「さ、出発して。アレが出ないうちに、街を離れましょう」
お姉さんが馬車の御者に声をかけ、馬車はすぐに動き出した。
荷台は四人が向かい合って座れるようになっており、お姉さんが進行方向を向いて足を組んで座っている。
俺は黙って、その向かい側に内股になりながら座る。
「……あの、これは、どういうこと、でしょうか?」
俺は揺られる馬車の中で、端整な顔立ちのお姉さんの横顔に尋ねる。
馬車の乗り心地はめっぽう悪く、そもそも道路自体が石畳なので、クッション性は非常によろしくなかった。
「あの、すいません?」
聞こえなかったのかと思い、俺は大きな声で話しかける。
「あとで説明するから、黙ってなさい!」
目も合わせず、ピシャリと一喝である。
見た目は黒髪眼鏡の女教師風なのに、まったくなにも教えてくれない!
それで俺はぐうの音も出なくなり、ただただ流れる風景を眺めることしかできなくなった。
いつしか馬車は町の門を出て、草原を走っていた。
遠くに山が見えるが、どこかアフリカのような壮大な風景に、俺は目を奪われる。
あっちを走っているのは馬だろうか? あれ、ツノ生えてる?
空を飛んでいる鳥も、なんだか羽が異様にでかい。ていうか、でかすぎない?
――ここはどこなんだ?
夢にしては、目に映るものすべてが嘘みたいだが、リアルでもある。俺の想像を超えている。
いや、この肌を撫でる風や、鼻をくすぐる土の匂いもそうだ。この身を包むマントや、馬車の木の質感も夢とは思えない。
さっきのヨーロッパのような町並も、俺が住んでいた日本とは違う。
じゃあ、この人は?
ちらと横目で、向かい側のお姉さんを見る。
頬杖をつきながら、長い黒髪を風に揺らすその顔は、美人としか言いようがない。
高級そうな宝石が連なったピアスと、腕にはアンティークっぽい黒い腕輪。大きな瞳は、カラコンを入れているかのように赤く見える。
特筆すべきはその胸の谷間。まるで歌舞伎町の夜の蝶のような風貌はテレビでしか見たことがない。
服装はさっきの街の住人のようなファンタジーっぽい雰囲気はなく、むしろ現代的なエロさが前面に出されていて、余計に俺を混乱させるのだ。
もちろん、知り合いではない。こんなエロい人に近づいたことさえないのだから、これは夢というかご褒美ですらある。
こんな美人を夢に出演させる俺の想像力たるや。
「……なによ?」
俺の視線に気づかれたのか、お姉さんはギロリとこっちを睨んでくる。長いまつげが、突き刺さりそうだ。
「な、なんでもないです……」
俺は慌てて顔を伏せた。
胸の谷間を見ていたと思われては立場がない。なにせすでに真っ裸を晒して変態扱いされているのだ。これ以上変態の上塗りだけは避けたい。
「お名前はなんていうんですか?」
「へ?」
無駄なおしゃべりは慎もうと俯いた俺に、声がかけられた。
慌てて顔を上げるが、お姉さんは真一文字に口を閉じたまま、外の風景を眺めていた。
始めからこの馬車の中には俺と、このお姉さんしかいない。
それにさっきの声はお姉さんの威圧的な声ではなく、どこかキャピキャピしたカワイイ猫のような声だったのだ。
まさかお姉さん、俺の名前を聞くのが恥ずかしくて、裏声になってしまったのか?
なんだ、かわいいところがあるじゃないか! ツンツンしていても、実は恥ずかしがり屋さんだったなんて!
「いやあ、僕の名前は……」
「着いたわ」
頭をかきつつ名乗ろうとしたら、お姉さんの突き放すような鋭い声に制された。
「……え?」
外では馬がひと鳴きし、しばらくして馬車は止まった。
俺の名前を聞いたんじゃなかったんですか? お姉さん、遅めの反抗期ですか?
馬車が止まるとお姉さんはさっさと降りていってしまった。
ひとり残された俺は、名乗るタイミングすらなくし、口をパクパクさせていた。
「なんだよ、自分から聞いておいて……」
やはり見た目通り、ドSなお姉さんなのかしら。人はきっちり見た目によるよなぁ。
俺もマントに身をくるみ、馬車を降りようとしたところ……。
「お名前は、なんていうんですか?」
今度は耳元で、さっきの声がした。
すでにお姉さんは、馬車を降りてすたすたと歩く後ろ姿が見える。
「だ、誰……?」
ゆっくり、その声がしたほうに首を傾ける。
馬車の中には誰もいなかった。だが、俺の視線の先にいたのは……。
「こんにちは。お名前、聞いてもいいですか?」
ちょうど俺の目と鼻の先に、全長15センチほどの女の子が、浮かんでいた。
メイドさんのようなかわいいワンピースを着て、その背中からは透明の羽が4枚、パタパタと羽ばたいている。
「……え?」
妖精だった。
忘れていた。これは夢なのだ。
夢ならば妖精が空を飛んでいてもなんらおかしくない。むしろ正常。ドリームランドなのだから。
ピーターパン的なあれか?そりゃ妖精くらい飛んでるわな。
「お名前、教えてほしいです?」
空を飛んでいる小さな女の子は、胸の前で手を組んで、にっこりと微笑んだまま首を傾げた。
「は、ははは。やっぱり、これは夢だもんな……」
現実で妖精を見たことがありますか? 話しかけられたことがありますか?
ないですよね? じゃあやっぱりこれは夢なんだ!
いやあ、それにしてもリアルな妖精ですこと! まるでフィギアが浮かんでいるようだ。
しかし、よくできているなぁ。これも俺の想像力の賜物ってやつか?
そうか、最初にマントが浮かんでいたのもこの妖精さんの仕業だったんだな。
「もう、じろじろ見ないでくださいよ! 恥ずかしいですー!」
夢の妖精が両手で顔を覆い、頬を赤らめた。
愛い奴ではないか。
ちょうど俺の顔と同じくらいの大きさなので、じっくり観察する。
そういえばさっきのお姉さんの胸も、夢なんだからガッツリ見ればよかったのだ。
起きて後悔するくらいなら、目が覚める前にしっかり元を取っておこう。夢は一期一会、同じものは二度と見れないからな。
俺は妖精さんに手を伸ばし、捕まえようとした。
「キャ、なにをするんですか!」
恥ずかしがっていた妖精さんは、俺が伸ばした手をすり抜け、距離を取った。
「どうせこれは夢なんだから、ちょっとくらいいいでしょ!」
俺もムキになって、今度は両手で妖精さんを捕獲しにいく。
それもスルリスルリと器用に飛び回る妖精さん。なかなか俊敏であるが、動き回るとそのメイド風のスカートからパンツが見えそうになっている。
「そっちがその気なら、パンツだけでも……」
これは夢である。夢の中ではセクハラなどという概念はもちろん存在しないのだ。
だってこれは俺の頭の中の妄想ですからね!
俺が姿勢を低くして、そのスカートの奥の秘密の花園を覗こうとしたそのとき――。
「エ、エッチ!」
ふわりと浮き上がった妖精さんが、今度は俺の顔面目掛けて急降下してきた。
「パ、パンツ!」
念願のパンツを拝んだ瞬間、まっすぐ俺の顔面に向けてカンフーキックが飛んできた。
「ぶべらっ!」
ほんの手のひらサイズの妖精さんが繰り出したキックは見事に鼻にクリティカルヒットし、俺は馬車の中から馬車から転げ落ちた。小さい体で、なんという攻撃力であろうか!
背中から地面に叩きつけられ、真っ赤な鼻血が噴き出た。
「い、痛い……」
顔面を鼻血で染めながら、夢とは思えない痛みに泣きそうであった。
仰向けにひっくり返る俺の胸の上に、さっきの妖精さんが腰に手をやりながら、トンと降りてきた。
「お名前、なんですか!」
もはやさっきまでのかわいらしい口調ではなく、これは詰問であった。
「ケンタ……。伊佐波ケンタです」
鼻血で鼻が詰まっているのか、ふがふが言いながら名乗る。
「ヘンタ? ヘンタイさんですね!」
妖精さんは訳の分からないことを言って、ふわりと一回転した。羽がキラキラと瞬いた。
「ヘンタイじゃなくて、ケンタ……」
「早く来なさい! ヘンタイ!」
遠くでさっきのドSのお姉さんに呼ばれている。
もう疲れたよ。ここでもう一眠りして、さっさと現実世界に戻ろう。
お姉さんの胸と、妖精さんのパンツを見れただけで今日の夢は大勝利だ。
俺は天を仰いだまま、目を閉じる。ああ、鼻が痛い……。夢でもこんなに鼻血が出るんだな。まるで本当に顔面が血だらけになっているようだ。夢じゃなかったら出血多量で死んでるところだよ。
「またそんなとこで寝てたら、こっちの世界でも死ぬわよ! これは夢でも何でもないんだからね!」
夢をぶち壊すようなお姉さんの言葉が耳に届くが、俺は無視してそのまま眠ろうとした。
起きたらいつもの俺のベッドの上で、爽やかな朝を迎えるのだ。おやすみ、俺。そしてさよなら、夢よ……。
だが、俺は現実の世界で目覚めることは二度となかった。
戻ってきたお姉さんに頬を往復ビンタされ、そのまま引きずられて建物の中に連れていかれる。
気を失いかけながらもうっすら見えた建物の看板に書かれていた文字を、読み上げる。
「い、異世界……、ハローワーク?」
これが俺の第二の人生、異世界ダジュームでの最悪なスタートだった……。
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