アレアレアの町へは夜間は住人だけしか入れないらしく、ケンタは門のそばで夜が明けるのを待った。
周りには同じような朝を待つ旅人や商人の姿もあり、一人ではない安心感が生まれた。町の上空にはモンスターが入ってこれないように結界が張ってあるが、ここなら少しでもその恩恵が受けられそうな気はするし、門の外でも何かあればすぐに護衛団が駆けつけてくれるだろう。
少なくとも、真夜中の草原を一人で走っているよりかは、安全なのは間違いなかった。
行く当てもないケンタは、このアレアレアに来るしかなかった。
冷静に考えて、魔法も使えないアイソトープが一人でどこへ行けるというのだろうか?
アイソトープがモンスターをおびき寄せるのは自明の理であり、どこかで一晩を過ごすということは死に直結する。
そうするとケンタが思いつく中で安全な場所といえば、結界が張られているアレアレアの町しかなかった。
(アイソトープである限り、俺は一人では生きていけないじゃないか……)
膝を抱えながら、じっと寒さに耐えるケンタ。現実はもっと寒いものである。
門の前には松明が燃え盛っているが、冷たい風はケンタの体温を奪っていく。
「お、裸のあんちゃんじゃねえか?」
同じく朝を待っている人たちの中から、ケンタに向かって声がかけられた。
ふと顔をあげると、いつかここで会ったでっぷりとした商人のおっさんだった。
「あ、ああ。どうも」
「なんだ、こんな夜中に? 今日は一人か?」
知り合いを見つけて嬉しくなったのか、商人の男はケンタに寄ってくる。その気持ちは嬉しかったが、今のケンタは一人でいたかった。
「ええ、そうです」
「仕事かい? こんな夜中に立派だな、あんちゃん!」
「え、ええ……」
「この前の友達は? 訓練か?」
「そうですね……」
以前ここで会ったのは、勇者パレードのときのことだった。
友達とは、言うまでもなくシリウスとカリンのことだろう。
ケンタは少し、寂しくなる。
「あの日は大変だったよな! 俺も帰ろうとしたら、無理やり避難所に押し込められてよ」
スネークの死があり、住民以外の旅行者たちはすべて町の施設に避難させられたのだった。この商人の男も例外ではなかったのだろう。
「あの時は勇者がいてくれて助かったよ。そういや勇者たちはまた旅立ったらしいな」
よく喋る男ではあるが、いろんなことを忘れるにはちょうどいいかもしれないと思い始めるケンタだった。
「勇者は、どこへ?」
「さあ。最近は勇者の情報もなかなか出てこないようになったんだよな。噂ではドの国へ行ったとか聞くがな。ていうかなんでこんなド田舎のラの国になんか来たんだろうな? 勇者も大変だな!」
あの事件以来、しばらくこのアレアレアの町に滞在していた勇者クロス一行も、もういないらしい。情報規制もされているようだ。
きっとこの商人も、あのとき何が起こって、勇者が何をしていたのかは知らないはずだ。戦士スカーの死も、いまだ発表はされていない。
「俺は今日も日帰りだから、もう変なことは起こらんように願ってるんだよ! またこの町に泊まったら、帰れなくなっちまうぜ」
商人というジョブはどうやら忙しそうである。
「どこから来られてるんですか?」
ケンタはトラブルさえも楽しそうに話す商人のジョブに、ちょっとだけ興味がわいた。
「俺かい? ソの国だよ。馬車で半日かけてな。だから向こうを夕方に出発して、こんな夜中に着くんだよ」
ソの国は、隣国でありながら面積だけでいえばラの国よりもかなり小さい。しかし豊富な資源を抱えていて経済規模は数十倍あるらしい。
確かハローワークも国内に三つあって、シャルムも常々文句を言っていたからケンタもよく覚えていた。
(そういえば、国際ハローワーク会議で会ったプロキスさんもソの国の第一ハローワークの所長って言ってたな)
ケンタはあの会議で、アイソトープだとバカにされたことを思い出す。あの髭の男、プロキスだ。
「ソの国は金鉱が豊富でな、金がそこら中から発掘されるんだ。ソの国の金はダジュームの中でも抜群に価値があるんだぜ? 今もバブル景気で笑いが止まらねえぜ」
商人はアタッシュケースをケンタの前に持ってきた。
「ほれ、裸のあんちゃんにも見せてやるよ」
と、ケースを開くとその中は金がびっしり、光り輝いているではないか!
テレビでしか見たことのない金の延べ棒がずらりと並び、指輪やネックレスに加工されたジュエリーから、パッケージに小分けされた砂金まで、大きさや種類はいろいろあり、ケンタは圧倒された。
こんな真夜中でも光って見えるのだから、メッキや偽物ではないのは素人が見てもわかる。
「す、すごい……。これ、本物ですよね? いくらくらいあるんですか?」
ケンタは圧倒され、思わずのけぞる。
まさか金の商人だったとは思いもしなかった。
「あんちゃんの給料じゃ一生働いても買えないくらいはあるぜ? ソの国の商人は、こいつのおかげで稼がせてもらってんだ。アレアレアの富裕層相手に、今日は忙しくなりそうだぜ」
ヘヘヘ、と商人の男は自信に満ちた笑いを漏らした。
ケンタもソの国が金鉱によって潤っていることは知っていたが、目の前で金を見せられてその経済効果を実感することになる。
金というものの価値は、どの世界でも同じらしい。
「そんなに金が採れるんですか?」
「そりゃそうよ。ダジュームの90%以上の金がソの国で採れるんだぜ? 今でも24時間体制で金鉱は動いているからな。どれだけ掘っても出てくるんで、人手が足りないんだよ」
商人はソの国の経済事情を自分のことのように語ってくれた。
行く当てのないケンタにとって、その商人の話は聞き流すことができなかった。むしろここで、このタイミングで、この商人に会ったことが運命のようにも思えた。
「あの、今日はアレアレアでそれを売るんですよね? それから、どうするんですか?」
さっきまで適当に話を合わせていただけのケンタが、ぐいっと前のめりになる。
「どうするって、ソの国に帰るさ。明日の朝までには着きたいね」
「お願いがあります!」
ケンタは膝をついて、商人に向き合った。
「裸のあんちゃん、本当に行くのかい?」
アレアレアの町の南門を出たときには、もうすっかり日も傾いていた。
ケンタは商人の男の質問に、力強く頷く。
「はい。もう決めてますから」
その決断に、商人の男は諦めたかのように肩をあげ、どこか嬉しそうでもあった。
ケンタは今朝ここでこの商人に会い、仕事を手伝うことを条件にソの国まで連れて行ってもらうことを約束したのだった。
アレアレアに来たのも成り行き上であったし、ここで何かをする当てもなかったケンタは、ソの国の金鉱が人手不足だと聞いて、ソの国行きを決めてしまったのだ。
この商人に会っていなければ、おそらくカフェアレアレの店長を頼ることしかできなかっただろう。そしてすぐにシャルムに見つかり、ハローワークに連れ戻されるのが関の山だった。
だがケンタは、もうハローワークに戻ることはできない。
魔王軍のモンスターに追われる身であり、できるだけ遠くへ行く必要がある。こんな近くに潜んでいては、あのジェイドにもすぐ見つかってしまうだろう。
隣国のソの国が安全かはわからないが、きっとアレアレアにいるよりは見つからないはず。
とにかくケンタは、ここではないどこかへ行く必要があった。
それにこれから一人で生きていくためには、金の問題がある。
人手不足というソの国の金鉱なら、なんのスキルもないケンタでも働き口があるのではないかと考えたのだ。
「……そうか。裸のあんちゃんよ、今さらだが名前は?」
「ケンタです」
「……ケンタだって?」
商人の眉間にしわが寄った。
だがそれも一瞬のことで、目にほこりが入ったような感じで、すぐに元の表情に戻った。
「そうですけど、何か?」
「いや、なんでもない。ケンタか。ああそうか、分かった。ケンタ」
商人はきっちりと覚えるように、首を縦に振りながら俺の名前を繰り返す。
「今は詳しい事情は聞かんが、男には黙ってやらねばならんときはあるもんだ。そうだろ、ケンタ?」
髭の下の口元をくいっと上げる商人。
さっき聞いた、彼の名前はビヨルド。でっぶりと太った腹は、金で稼いだ幸福が詰まっていると嘯く、陽気なオヤジだった。
持ってきた大量の金を一日で売りさばく商才もあり、信用できそうな男であった。
「お願いします、ビヨルドさん」
裸のあんちゃんを卒業したケンタが、まっすぐな瞳で頭を下げる。
「よし、荷台に乗りな。明日の朝にはもうソの国だ」
ビヨルドは馬にまたがり、ケンタは荷台に乗せてもらう。
ケンタがここまで乗ってきた馬は、スマイルさんに連絡して返すことにした。もちろん事情は話していないし、シャルムにも言わないようにお願いしておいた。
「さあ、ケンタの新しい門出に!」
ビヨルドが馬の腹を蹴ると、馬車はソの国へと向かって走り出す。
(これでいい。これでいいんだ……)
ケンタはじっと目をつむり、転生してきたこのラの国を離れることを今一度噛み締めた。
厄災をおびき寄せる自分の身は隠さねばならない。ソの国の金鉱ならば、きっとモンスターにも、ジェイドにも見つかるまい。
もちろん、シャルムや、カリン、シリウスにも……。
ケンタ・イザナミは、この日、ラの国から身を消した。
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