馬に乗って走り去るターゲットの姿を、「第三の目」を通して魔王城の自室で見ているのは魔王の執事ジェイドと、その雑用係の妖精ペリクルだった。
「これは好都合というべきか……」
腕を組んだまま、ディスプレイに映るその映像を見ているジェイド。
それを白い目で見ているペリクル。
「今度こそさっさと拉致したほうがいいんじゃないですか? このままアイソトープを自由にさせておくと、またモンスターに襲われて殺されるだけかと思いますけど?」
ペリクルはあくびを噛み殺しながら、眠そうにまともなことを言う。
ずっとまわりくどいことをしているジェイドに対しての皮肉のつもりだった。
「簡単に言うんじゃない。あれから事務所の中で何があったのかまでは分からないので、迂闊には手を出せん……」
ジェイドの【監視】スキルである「第三の目」は、ハローワーク事務所から三キロほど離れた上空からずっと監視を続けていた。
再び結界を張られたので、事務所内には侵入できなかったのだ。
そしてこんな真夜中になり、ケンタが一人で出てきたことを捉えたのだった。
「またそんなこと言って。慎重になりすぎたら、またチャンスを逃しますよ? さっきも逃げ帰ってきただけじゃないですか」
「うるさい! これは罠かもしれないだろ!」
「どんだけこのアイソトープを買いかぶってんですか。ジェイド様ともあろう人が!」
いちいちうるさいペリクルを無視し、ジェイドはディスプレイを凝視する。
ペリクルに指摘されたことは、ジェイドにとっては耳が痛い。
あのターゲットを眠らせ、そのまま連れ去ろうとした時のことだった。
突然事務所の前に誰かがワープしてくる気配を感じ取ったジェイドは、その場にケンタを置き去りにして自分だけワープでこの魔王城へ帰ってきてしまったのだ。
自分以外の者を一緒にワープの魔法で連れていくことはできない。ケンタを連れていくには、そのまま空を飛んでその場を離れるしかなかったのだが、ジェイドはそうしなかった。
あの一連の出来事はやはり罠だったと、ジェイドは思い込んでいる。
予想した通り、あそこにワープで現れたのはハローワークの所長だった。
確か、名前はシャルム。
その黒髪の女は、すぐさま事務所に張ってあった結界が消えていることに気づき、オーラを四方に飛ばして不審者がいないかを探った。
瞬間、ジェイドも「第三の目」の存在に気づかれないように回収したのだった。今は気づかれないように、再び事務所から三キロほど離れたところから監視しているだけなので、もちろん事務所内で何が起こったのかは感知できていなかった。
「あのとき、逃げずに所長も一緒に殺しちゃえばよかったでしょうに。ジェイド様なら人間に負けるはずないでしょう」
小さな妖精は、すっかりモンスターの感情に慣れてしまって簡単に残酷なことを言うようになった。平和の象徴、妖精とは思えない。育つ環境というのは大事だ。
「なのにターゲットを置いて自分だけ逃げ帰ってくるなんて、情けない。魔王様が知ったら、悲しみますよ!」
「ええい、うるさい! 相手の実力も計れぬ状態で戦闘をするほど無駄なことはないのだ!」
まるでチキン扱いされたジェイドは、つい大声を出してしまった。
このシーンだけを見ると、ジェイドはモンスターといえど口だけ野郎のように見えるが、まったくそんなことはない。
魔王軍においての戦闘力だけの序列を見ると、魔王ベリシャスは別格として、その下には参謀ランゲラク、そして四天王がいて、その次くらいの実力は備えているのだ。
まともにシャルムと戦ったとして、おそらく二秒もかからずにジェイドが勝つことは明らかだった。相手は人間なのだ。それが当然である。
だがそうしないのはジェイドが考えすぎて慎重すぎるからで、さらに魔王からターゲットを傷つけるなと言われていることが大きかった。
ターゲットの【蘇生】スキルの有無の確認が本来の任務であり、その過程でハローワークの所長を殺してしまうのは余計なことであった。それこそ魔王に何を言われるかわからない。
それに、シャルムを殺せなかった理由がもうひとつ……。
ジェイドがその理由を思い出し、考え込んでいるとペリクルが声をかけてくる。
「で、どうするんですか? しばらく泳がせますか?」
ふぅ、と聞こえるように大きなため息をついて、ペリクルが尋ねる。呆れているような態度に、ジェイドはイラッとする。
「まあ、しばらくは『第三の目』で監視を続けておく。もしモンスターに襲われそうになったら、私がまたワープで助けに行けばよかろう」
「そんなんじゃいつまで経っても、【蘇生】スキルがあるかどうか確認できないじゃないですか。ジェイド様もずっとこいつの行動を見てらんないでしょ」
「……どうせ今から向かうところなど、ここからだったらアレアレアぐらいしかなかろう。あの町に入ったら、モンスターに襲われることはあるまい」
「結界が張ってありますもんね。でも町に入られたら『第三の目』で監視できなくなっちゃうじゃないですか。ていうかジェイド様。一体どっちの味方なんですか?」
「敵も味方もあるまい! こいつの行動の意味が分からない以上、罠ではないと確認出来たら、今度こそさっさと捕まえてくる!」
「何ですか、その言い方! せっかく一緒に作戦を考えてあげてるのに!」
「力づくで拉致することなど、作戦でも何でもないだろうが! お前はもう寝ろ!」
「言われなくても寝ますよ! じゃあ朝まで寝ずの監視を続けてください! おやすみなさい!」
ペリクルは愛想を尽かせたように、羽をバタバタと大きく羽ばたかせながら、自分の家である小さなドールハウスに帰っていった。
「まったく……!」
一言多いペリクルに、ジェイドは冷静になろうとスーツの襟を正した。
間違ったことを言っていないのが、よけい腹が立つ。
慎重であることは否定しないが、無理にことを荒立てる必要もない。問題を解決するためには相手を殺すとか暴力前提で考えるのは、モンスター特有の思想であって、ここで生きている以上避けては通れないことなのもジェイドは理解している。現にそうやって、モンスターはダジュームで生きてきたのだから。
だが、ジェイドはこの思想と行動に、心の片隅で引っかかりを覚えているのだ。言葉では表現できないし、誰かとこの気持ちを共有するつもりもない。
こんなモンスターらしくない感情が生まれたのは、魔王の執事となってからである。
魔王自体も、どこか争いを求めていないように、ジェイドには見えたのだ。
魔王専属の執事であるという立場上、魔王と二人きりで話すことも多いジェイドである。【監視】スキルに優れたジェイドはダジュームで起きたことや勇者の動向を毎日報告する仕事が与えられた。
ジェイドと魔王は、魔王軍としての戦略的な話というよりも、もっと身近な話題を話すことのほうが多いのだ。いわば世間話である。
自分のようないちモンスターが魔王と話すことなど恐れ多いと、いつも畏まりすぎて固くなってしまうが、そんなジェイドの態度さえも受け入れてくれている。
そんな世間話の中で、いつか魔王が言った言葉を、ジェイドは今も忘れられない。
「平和とは、誰を対象にした言葉なんだろうね」
あの言葉を聞いた時の背筋が凍るような感覚は、ジェイドは今でも覚えている。
モンスターにとっての平和とはなんなのだろうか?
モンスターと平和とは、まったく相反したものなのだろうか?
人間だけしか平和を願うことはできないのだろうか?
あの魔王の問いかけに、ジェイドはもちろん答えることはできずにただうつむいていた。
魔王様は平和を願っている?
魔王様にとっての平和とは?
いつしかジェイドはそんな疑問が頭の中に浮かぶようになった。
今回の任務だってそうだ。
もし魔王がウハネの復活を恐れて【蘇生】スキルが邪魔なんだとしたら、スキルの確認なんて回りくどいことをせずに疑いのあるターゲットをさっさと殺せと命令すればいい。
だが、魔王はそう命令しなかった。翻せば、もし【蘇生】を使えないのなら傷つけるなということである。
このジェイドに与えられた任務にしても、魔王の平和を望んでいると思われる一辺が垣間見えた。
これにジェイドが影響を受けないわけがない。
育つ環境は大事だ。
それはモンスターにとっても。
そしてもう一つ。
ジェイドは答えが見えない疑問を抱えていた。
それはあの香り。
ようやく気付いたのだ。先日、魔王の部屋に来ていた賓客が残した香水の匂いと、さっきハローワークの事務所の中でかすかに残っていた匂いが、同じであるということを。
(あの女が、魔王様と?)
それが、さっきワープしてくるシャルムから思わず逃げてしまった大きな理由でもあったのだ。
これはもちろん、ペリクルにも伝えていない。魔王にも尋ねることは、決してできない。
(どういうことだ? 何が起こっているんだ?)
ジェイドが真夜中の自問自答を繰り返していると、ディスプレイの中のターゲットはやはり予想通りアレアレアの町にたどり着いていた。
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