ダジュームに転生してきたときのような感覚だった。
何が起こったかわからないまま、目を開けると現実を突きつけられる。準備と覚悟とかは一切なく、すべてが変わってしまった無慈悲な現実。
体に感覚が戻った時には、今回もすべての状況が変わっていた。
あの時と違ったのは、ちゃんと服を着ていることくらい。
「ここは……?」
さっきまで海岸線の砂浜に立っていたはずだった。一瞬、体が浮いたと思ったら続けて気を失った。
そして今、目を開けると俺は木に囲まれていた。
風で葉っぱが優しく揺れる音、鼻孔をくすぐる土の匂い、天から差し込む暖かな光。
ここはまさしく、森。俺の知っている、森だった。
「ここが、妖精の森……?」
あたりを見渡していると目の前に影が走った。
「ようやく起きた?」
くるんと一回転して俺の目の前に下りてきたのはペリクルだった。
「なんかよくわからないけど、妖精の森に来たんだな? 俺たちは?」
「そうよ。森が私たちを認めてくれたの。魂が許されたってこと」
相変わらず観念的なことを言うペリクルに、俺はまったく理解が進まないでいた。
はっきりとした奴だと思っていたが、やはり妖精の言うことは根本の部分でよくわからない。
「認められたって誰に? 森に?」
「何言ってんのよ。シャクティ様に決まってるじゃないの」
またも初めて聞く名前が出てきた。
「シャクティ様って誰だよ?」
「この妖精の森そのものよ。ダジュームの妖精は、すべてシャクティ様から生まれたの」
「生まれた? お母さんみたいなものか?」
「発想が貧困ね、あなた。シャクティ様は始まりの妖精」
「さっぱりわからねーよ」
「理解力がない男は嫌いよ! さ、行くわよ」
俺の理解は置き去りにして、ペリクルは話を打ち切って森の奥へと向かった。いつもこうだよ!
「どこへ行くんだよ?」
「シャクティ様に会いに行くに決まってるでしょ! あなた、ここに何しに来たのよ?」
軽く振り返って、顔をしかめるペリクル。
「何って、身を隠すんだろ? この森に?」
魔王軍と勇者から逃れるためにここにやってきたのだ。
海のものとも山のものとも分からない、この妖精の森に。
「そうよ。とりあえず森に入れたからいいけど、ここにいられるかどうかはシャクティ様の判断によるわ。しょうもない質問しないでよね。ついてきて」
「じゃあもうちょっと教えてくれてもいいのにさ……」
しぶしぶ俺は森を進むペリクルについていくことにした。
だがペリクルの言うことをぼんやりとまとめると、この妖精の森に入るにはシャクティ様という人に認められなければいけないということだ。俺がここにいるということは、すなわち認められたということである。理由は分からないが。
そういえばさっき、砂浜で聞こえた声。あれが俺を認めたシャクティって人の声だったのかしら?
シャクティ様に認められない限りは魔王軍や勇者にはこの妖精の森に入るどころか、見つけることもできないのではなかろうか?
地図にも載っていないし、なんか海の上にいきなり現れたし、シャクティ様という人によって妖精の森が隠されているとするならば、ここは逃亡先としては完ぺきに思われる。
あとは俺としてはシャクティ様にゴマを擦って、ほとぼりが冷めるまでここに隠れていれば無事ということだ。
「もしかして、逃げ切ったんじゃないか、俺?」
この森は平和そのものである。
まさに魂の安らぐ場所だ。俺にとって待望のスローライフを実現できる悠久の地ではなかろうか?
そうだ、ここに山小屋を作らせてもらって、毎日アウトドア生活をしてはどうだろう。
ここで暮らすためにハローワークの裏山で薪拾いをしていたのかもしれない。あれはここにたどり着くための壮大なフラグだったのかも?
「あら、ペリクル。戻ったの?」
陽気な気分で森を歩いていると、前を行くペリクルのもとに青い髪の小さな妖精が飛んできて声をかけた。
さすが妖精の森である。歩けば妖精に出会うようだ。
「アオイじゃないの! 久しぶりね、何十年ぶり? まだここにいたの?」
ペリクルはその妖精と抱き合って喜んでいる。アオイと呼ばれたその妖精も、ペリクルと同じレオタードのような服を着て、背中からはもちろん羽が生えていた。
俺もダジュームに来て出会った三人目の妖精なので、今さら驚くこともない。
「それ、誰?」
アオイはペリクルと久闊を叙すと、すぐさま俺に厳しい目を向けてきた。
小さな体に似合わず、ずいぶんと好戦的なまなざしに俺も思わず目を背けてしまう。
「こいつをここにかくまうつもりなの。ちょっといろいろあってね、ビジネス的に。ケンタっていう、アイソトープよ」
軽く首を傾けつつ、ざっくりと紹介される。
「へぇ、よく入れたわね。シャクティ様には?」
「これから。起きてらっしゃるかしら?」
「たぶんね。また近々、何人か生むみたいで最近ナーバスになってらっしゃるわ」
「そうなの、知らなかった。とりあえず行ってみるわ」
妖精二人が会話を終えるまで俺は手持無沙汰で待たされていた。
シャクティ様というのがどういう妖精なのか見当もつかないが、忙しい人ではあるのは想像がついた。
何人か生むと言っていたが、妊娠しているのだろうか。妖精もそうやって生むのだとしたら、男の妖精もいるってことか。まだ会ったことないけど。
こればかりは妖精の性質や習慣が分からないので、よくわからないが。
やっぱりもうちょっと妖精についてペリクルから聞き出しておくべきだった。
「じゃあ行くわよ」
「ああ」
ペリクルに急かされ、アオイの横をすり抜けようとしたとき、声を掛けられる。
「できそこない」
「……なんだって?」
俺に対する言葉であるのは明らかだった。
そんな悪意のあるアオイの言葉を無視できずに、俺は立ち止まる。
アオイをにらみつけようとするが、そのアオイのほうは俺を敵意むき出しの目でにらみつけていた。
俺も大人げないなと思いながらも、小さな妖精に対して何を言い返してやろうかと言葉を探していた。
「ケンタ!」
だがペリクルに呼ばれ、俺は冷静になる。
ここは妖精の森であり、俺はどちらかというと異物である。妖精から見たらアイソトープができそこないだと思われても仕方がないことだ。ここはこっちが大人になろう。
「ああ、分かってる」
俺はアオイを一瞥し、ペリクルのあとを追った。
あのアオイという妖精の言った「できそこない」という言葉がずっと頭の片隅に残っていた。
まさかそんなことを言われるとは思っていなかったし、俺の中で勝手に作っていた妖精のイメージが少し悪くなってしまった。
少し俺も調子に乗っていたのかもしれない。
ここ最近、勇者だ魔王だとスケールの大きな話ばかりだったので、俺自身も勘違いしそうになっていたのだ。
このダジュームでは俺はただのアイソトープ。なんのスキルもなく、できそこないであるのは当然だ。
あのアオイの言う通り。
俺はぐっと、唇をかみしめたのは、悔しかったからかもしれない。
しばらく森の中を歩いたが、風景はさほど変わらない。
空を飛ぶ妖精だけが住んでいるからだろうが、足元には道らしい道はなく草や穴ぼこに足を取られながら、ペリクルのあとについていくのに必死だった。
そのまま方向感覚も分からぬまま森を歩き、ようやく視界が広がった。
そこは円形の広場のようになっており、奥は大きな岩壁が行く手をはばみ、そのはるか上空から滝が流れ落ち、泉を作っているのだった。
「すげぇ」
俺は思わず上空を見上げるが、滝が落ちてくる頂上はまったく見えない。ただ水しぶきだけが俺の顔を叩いてくる。
その幻想的な風景に、俺のもやもやした心が洗われるようであった。
同時に、俺を驚かせたものがもうひとつあった。
その滝が広場の中央に泉を作り、泉の真ん中から大きな木が一本生えていた。
もう何百年もここで立っているような立派な大樹だった。
まるでその大樹がこの妖精の森の象徴であるかのように、堂々と、そして荘厳に。
「シャクティ様、ペリクル、ただいま戻りました」
俺がその大樹に目を奪われていると、ペリクルも泉の前まで飛んでいき、地面に足を下ろして頭を下げていた。
「シャクティ様?」
この泉にそのシャクティ様がいるのかと、目を凝らして探してみるが、泉から跳ね返る水しぶきの向こうには妖精なんているようには見えなかった。
『よく帰ってきました、ペリクル』
するとその立派な大木のほうからエコーがかかったような声が返ってきた。
それはさっき砂浜で聞こえた声と同じものだった。
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