国立第一高校は、PSSTの国内導入に合わせて設立された学校だ。それまでの学校教育を維持しつつも、効率的にPSSTを向上させるため、特別なカリキュラムが組み込まれている。
が、逆に言えばその特別なカリキュラム以外には一般的な学校教育とほとんど変わらないとも言える。そんなわけで俺も香も、見事に型に嵌った高校生として登校した。この時間となれば既に部活動の朝練も中盤に入っているらしく、満ち溢れた活力が校舎を揺らす。
活気の音がする。血が震えるみたいな、成長の音だ。一生懸命自分が好きなことに没頭し、PSSTを上げ、高みを目指すのである。
「意外と注目されてないんだな」
「なに、自意識過剰? あんたのことなんて注目するわけないじゃん」
「いやいや、俺はそれくらいの自意識を持っててもいいタイプの人間だと思うぞ? 不登校児の複雑な心ってやつを理解してほしいな」
教室までの道のり、俺はぶつぶつと呟く。
俺は、この高校に入学してから一週間だけ登校していた。だからこそ、俺が不登校になったことは割と知られていて、もう少し気まずくなると思っていたのだが……すれ違う一年生たちからの反応は特にない。
これは、本当に俺の自意識過剰だったのか?
不思議に思って首を傾げていると、今度は香がぼんやりと言った。
「まぁこの数週間は色々あったからね。あんたのことなんて考えてるような暇はなかったんじゃない?」
「そういうもんか?」
「そうそう。だから、気にすることなんてないっしょ」
「……いや、別に気にしてるわけじゃないんだけどさ」
昨日髭を剃ったときに、色んなものに蹴りはつけたつもりだ。そうでなきゃ学校に来ようとなんて思わない。それでも、素直に現状を受け入れられるかって言ったら、それは別問題なんだけど。
「っていうか香。お前が俺を励まそうとするの、似合わないな」
「え、なになに? 僕の頭でホームラン打って?」
「言ってねぇしどうやってやんだよ」
「どうやってって、そりゃあ、どうやってでも」
「脳筋」
「うっさいっ!」
ばっこーん。
快い音が俺の頭を叩いた。さっきのバッグと違って、こっちはシャレにならんくらい痛い。
「くぅぅぅ、痛ぇ。お前、もうちょっと加減しろよ」
「はん、あんたが悪いのよ。むしろあたしがシャキッとさせてあげたんだから、感謝してほしいくらいね」
「感謝してほしいくらいって言われてもな……別に、俺は緊張とかしてないんだが?」
叩かれた後頭部をスリスリとしながら目を向けるのは、我が一年C組の教室の扉。二週間くらいしか経っていないというのに、何故だかとても懐かしい。
で、被告人は久々の教室だからと緊張してる俺のためにわざわざすっごいパワーではたいてきたなどと申しているんだが、一体どうしてやろうか。
「とりあえず、暴力系ヒロインはイマドキ流行らんとだけ教えておこう」
「ぼうりょくけいひろいん? なにそれ」
「……まさにお前みたいな奴のことだよ」
香はラノベやアニメ、漫画といったオタクカルチャーに興味がないタイプなので『暴力系ヒロイン』が通じなかったらしい。
まったく、『暴力系ヒロイン』なんて登場するだけで炎上ものだからな、最近は。この引きこもり生活の間にWEB小説で『幼馴染ざまぁ』なんてジャンルのラブコメを見つけた時には、驚いたもんだ。
「わけ分かんないこと言って、本当は緊張してんじゃないの?」
「そんなわけないだろ。むしろワクワクしてる」
囃し立てる香は無視して、俺は扉に手をかけた。そして、特に意識することもなくその扉を開く。
「おはよっす」
自分でも驚くほどにするりと声が出てきた。教室全体へと向けた俺の挨拶は、既に登校しているクラスメイトへと届く。
ぱらぱらと返ってくる挨拶には、不登校児に向けられるようなちょっと周波数のズレた感情がこめられていない。普通にクラスメイトにするような、日常的な挨拶だった。ここにくるまでの周囲の反応からしてお察しだったけど、それでもホっとしなかったと言えば嘘になる。
「あ、おはよう」
「おう、おはよ幸田」
ちょうど幸田は、俺に割り当てられた席の後ろ辺りにいた。手元を見るに、朝から読書をしているみたいだ。教室のエアポケットみたいな空間に、俺は自然と歩を進める。まぁ、俺の席もそっちにあるんだから当然なんだけど。
「来たんだね」
「そりゃ、幸田と約束したからな」
「約束は守る主義?」
「守りたい約束は守るし、守りたくない約束は知らんぷりする派だな」
「うわぁ、それって何だかあれだね」
幸田は、ピンク色のブックカバーを着た文庫本に栞を挟んで、俺と話す態勢になってくれた。俺も朝にやることはないので、後ろを向いて椅子に座って――
「ちょ、ストップ! なになに、なんで二人ともいきなり仲良くなってるの!」
「がふっ、おまっ、だからそういうのやめげふげふっ」
――座ろうとして、香に制服ごと引っ張られた。ただでさえ着慣れてない制服で気分的に息苦しいっていうのに、物理的にも息苦しくなっていく。『暴力系ヒロイン』はダメだって、ついさっき言ったばっかりだろうに。
「守井さん落ち着いて。そのままだと柿崎くん死んじゃいそうだから」
「息なんかしなくたって生きてけるって!」
「いけねぇよ!」
ナチュラルに俺に人の理を超えさせようとしていやがる香を、ちょい強引に振りほどく。少し香も痛く感じてるだろうが、そんなこと知ったところじゃない。PSSTがあろうとも、呼吸をしなきゃ死ぬっていう理は超えられないのだ。
「はぁ、はぁ。ったく、なんで登校再開初日からこんな目に遭わなきゃいけないんだ」
「あはは……。柿崎くんって、本当にあれだよね」
「本当にな」
何もかも、俺の腐れ縁のスキンシップが過度すぎるのが悪い。ちなみに香は美少女だし、背は高くスタイルもいいのだが、胸だけは慎ましやかである。それでも普通にスレンダーな美少女だし、距離が近いからと言ってドキドキしないわけではない。
もっとも、美少女具合で言えば幸田だって負けてはいない。髪型は、少し長めのボブっといったところか。身長はそれほど高くないが小さくもなく、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでもいる。ほんわかとした優しい目つきや笑顔は、凄く魅力的だと思う。
「うわぁ、盛ってる目だ」
「香。せめて、せめてエロい目とかいやらしい目って言え。それでもアウトだが、『盛ってる』とか一発退場だからな」
「だってそういう目だったし」
「……柿崎くん、そうだったの?」
「断じて『盛ってる』なんてことはないから安心してくれ」
「でもいやらしい目では見てた?」
「…………」
「沈黙は何より雄弁だね」
「やめてジト目で見ないで」
確かにスリーサイズなどと表される部分とかに目が行ってたから完全に否定できないのが口惜しい。
ジトーっと俺を見る幸田だが、やがてせせらぐみたいな笑みをけらけら漏らした。
「ふふっ。柿崎くんに出てきてもらってよかったよ」
「それは、朝のモノクロームな時間が俺と一緒だと楽しくなる、的な?」
「読書は全然楽しいしその考えはちょっとあれだと思うよ?」
「だよね分かってた俺も読書ダイスキ!」
俺が冗談めかしながら謝ったのに合わせるみたいに、幸田も香もぷっと笑う。そんな正しい青春のような瞬間に、ああいいな、と思ったのだった。
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