幸田のとっておきの場所とは、三階と二階の間にある非常階段だった。外とは言いつつもかなり綺麗で、そのまんま座ってしまっても問題なさそうだ。
何より――
「おー、本当にグラウンドが見えるんだな」
「でしょ?」
「ああ。スポーツ観戦しながら昼飯ってのは、悪くない」
階段からは、無理な体勢にならなくともグラウンドを眺めることができた。昼休みにグラウンドで昼連をするっていう部活は少なくないので、見事にその様子を観戦することができる。
ちょうど、今日は香たちソフトボール部がグランドを割り当てられているようで、活気にあふれる掛け声がグイグイと聞こえてきた。
「スポーツ観戦、好きなの?」
「そうだな……別に好きでもないし嫌いでもない。ただ、何となく見るものがあるってのはいい感じだろ」
「確かにそれはあるかも」
「それに、頑張ってる奴らを眺めてるのは悪い気分じゃないし」
付け足した妄言に、幸田がどう反応したのかは分からない。俺のことを知っているんだし、もしかしたら俺の言葉に同情しているのかもしれない。後ろめたさを抱えている可能性もある。でも頑張っているソフトボール部の声を聞いていたら、そんなことは、分からなくてもいいんだと思えた。
「難点があるとしたら、思ったより肌寒いことかもな」
「あー、うん。分かる。ここ、日当たり悪いからね」
げんなりと幸田は答えた。巾着袋とランチバッグから弁当を取り出しながら、身を縮こまらせている。
幸田の言う通り、このスポットはこの時間、ちょうど日が一切当たらないらしい。夏には避暑地として最高かもしれないが、だんだんと冬へと近づこうとする今の季節には、些か冷える。
制服のブレザーを貸してやるほどの寒さでもなく、地味にやりにくい気温だ。俺は大人しく階段に座り、幸田の用意が終わるのを待つ。
「はい、これ」
「おう、ありがと」
渡されるのは、普通に高校生男子の昼飯に適したサイズのピカピカに青い弁当箱。手に持ってみれば、ずっしりとした重みを感じることができた。
「お箸でいいよね?」
「まぁ、スプーンとかじゃないと食べられないってメニューじゃないなら」
「それなら大丈夫。お弁当にカレーとか、オムライスとか持ってきたりはしないから」
「だよな」
弁当にオムライスを作ってくるのは、ピザソース好きの某妹だけでいい。カレーは、何気に好みが別れて面倒な食事だし。
くだらない分析をしている間に、幸田は箸を渡して――
「ん? 割り箸とかじゃないのか?」
流石に、ここまで来るとスルーする方がよろしくない気がした。
「だって割り箸だとエコじゃないし、不経済でしょ」
「別に一回だけなら割り箸でもいいだろってのはまぁ百歩譲っておいておくにしても、どう考えてもこの箸は新品だよな?」
「そうだね。うち、お弁当に使えるようなお箸がなかったから」
「そ、そうか……じゃあ弁当箱も?」
「まぁね。男の子にぴったりな感じのお弁当箱、持ってなかったし」
「だよなぁ」
何てことないように、幸田は答える。でも、どう考えたって『何てことない』だなんて言えないと思う。
そもそも、俺が今日、幸田と一緒に昼飯を食べるってことすら決まっていたわけじゃないんだ。だというのに幸田は、俺のためにわざわざ箸と弁当箱を用意して、その上で弁当を作ってくれた。
「幸田は母性の塊だなぁ」
「ごめん。そのしみじみとした言い方はちょっとあれ」
「その『あれ』はどう考えても『キモい』だよなそうだよな」
「うんそうだよ」
「何、だと……」
「自分で言ったくせにどうしてショック受けてるの?」
「いや、だって今のは違うって否定してもらうためのフラグだろ⁉」
「私にそういうの求められても困る」
視線で一蹴された。
「話は戻るけどさ。幸田は親切すぎると俺は思うんだよ。正直、こっちが申し訳なくなるくらいに」
「そうかな。これくらい、大したことないと思うけど」
「それを言えるのは、幸田だけだろ」
「……じゃあ、食べるのやめておく? お腹を空かせたまま私がお昼食べてるのを見てたいって言うならそれでもいいよ」
「それはそれでありだな」
「…………私って人を見る目、ないのかな」
「マジっぽい口調で言われると泣くぞ」
俺が言うと、幸田は『あっ』と思い出したように付け加える。
「念のため言っておくけど、柿崎くんのことが恋愛的に好きとかじゃないよ。人間的にはまぁ、色々と尊敬するところがあるかも……うん、あるかもだけど」
「そこで迷われると複雑だなぁ」
「恋愛的に好かれてないことにはまったく言及しないところは、嫌いじゃないよ」
「そうか」
幸田は“あれ”な顏をする。
普段受ける印象とは違う、ぷかんと浮いたような一面だ。
その一面に魅了されて、恋に落ちたというわけではない。そこまで俺は単純じゃないつもりだ。
ただ、幸田のそういう一面に不思議な魅力があるってことは紛れもない事実だ。
「でも、こう見えて心の中ではシクシク失恋で泣いてたり」
「それはないでしょ。分かるものだよ、恋されてるかどうかくらいは」
「おお……確かに、幸田は経験豊富そうだしな」
何しろ、幸田は容姿端麗な才女だ。WEB小説の流行りで言えば、『聖女』とか『天使』とか言って崇められるような部類かもしれない。
そういうことに思いを馳せたら、何だか、胸につっかえるような沈黙が込み上げてくる。
余計なことを頭から振り落として、間を埋め立てるみたいに、弁当箱を開けた。
「うわ、超綺麗にできてるじゃん。これは食欲がそそられるな」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
「おう。んじゃ、いただきます」
「はい。召し上がれ」
ぱっしーん、と手を合わせてから、いよいよ食べ始める。
色のいい玉子焼きが視界にとびこんできたので、まずはそいつから。
「んんっ……すご。こんな美味い玉子焼き、滅多に食えないだろ」
「甘いのでよかった?」
「そうだな。しょっぱいのより、甘いのの方が好みだ」
「そっか。よかった」
摘まんだ砂糖をぽろぽろまぶすみたいに幸田は頬を綻ばせた。あまりじーっと見ているのも悪い気がして、今度はミニハンバーグを切って、口に運ぶ。
「おー、これも手作りか」
「冷凍食品も最近は美味しいけど、やっぱり人に作ってあげるなら手作りかなって」
「ああ。メロメロになるくらい美味い」
購買のおばさんより先に、幸田に胃袋を掴まれてしまいそうだ。何がいいって、単に美味しいだけじゃなくて、幸田の色んな気遣いが見え隠れしていることなんだよ。
「幸田は料理、得意なんだな」
「そうだね。好きだし、得意だよ。スキルレベルも6になってる」
幸田の話を聞いて、心の底から驚いた。
PSSTには、ゲームのステータスのようにスキルというものが存在する。その算出方法はやっぱり一般人の俺では理解できないのだが、物凄く緻密なところまでスキルとして設定されているのだ。
そしてその熟練度も、全身筋力平均などの値のように表示される。
スキルレベルとは、そのスキル熟練度を大幅に分けてレベルとして設定しているものだ。例えば、香はソフトボールのスキルの熟練度が400超えており、この値でスキルレベルは6となっている。
PSSTの基本的な能力値以上に、こういったスキル熟練度を上げることが物事のプロとなる上では重要なのだ。
「6って、あとちょっとでプロじゃんか」
「小さい頃からやってたからね」
「なるほどなぁ」
幼女版幸田が料理をしている姿を想像すると、それはそれは大変可愛らしかった。頬っぺたに生クリームとかつけて、『えへへー』とかやってたらマジ可愛い。
「その努力の成果なわけか。うんうん、超美味いぞ」
「ふふ。分かったから、よく噛んで食べてね。あと、野菜もしっかり食べること」
「はい、幸田ママ!」
「シンプルにキモい」
「せめて『あれ』ってぼやかして!」
幼女版以上に、お母さん版の幸田がしっくりきすぎるんだが、幸田はお気に召さなかったらしい。
特筆して俺の方に意識を向けることはなく、幸田は幸田で手元の弁当へと手を付け始めた。
改めて、作ってもらった弁当箱を覗く。
真っ白なご飯を、お星さまみたいに散りばめられたごま塩と、太陽のフリをした月のように形のいい梅干しが彩っている。
小さなハンバーグが合計二つ。玉子焼きにウインナー、それから和え物に煮物。ピリ辛のキュウリも添えられていて、決して食べていて飽きることはない。心の底から、幸田の料理の腕に拍手喝采を送りたいと思えるほどの完成度だった。
こんな立派な弁当を、とびきりの美少女の隣で食べる。あまりにも出来すぎた青春で、不思議な心地よさが胸を酔わす。
グラウンドでは、相も変わらずソフトボール部が熱心に練習をしている。香の汗すら見えると錯覚するほどに、彼女らの熱がこちらまで伝わってきた。
「やっぱり学校来てよかったよ。改めて、さんきゅな」
「……そっか」
「いつか、この恩は返すよ。だからこの『さんきゅ』は受け取っといてくれ」
自然と声が零れていた。自分でも何を言っているんだろうな、と思う。我ながら、随分と痛々しいことを言ってしまった。
反応が気になって幸田の方を向くと――目が合う。
「うん、待ってるね」
「え、ああ……ああ」
熱に浮かされるみたいなぼやけた返事しか、できない。
コロコロとしたビー玉みたいな瞳は直視するには些か透き通りすぎていて、弁当を食い終わるまでの間、そちらを向けなかった。
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