昼休み。朝のうちに青いランチバッグを受け取っていた俺は、香と共に三年生の教室に向かっていた。
普段から、ソフトボール部の部長に集まって色々と話しているらしい。部員全員が集まっているわけではなく、集まりたい時に集まりたい奴が部長のもとに押しかけているって感じなのだそうだ。
「あんた……そんなバッグ持ってたっけ?」
道中、何の気なしに香が言う。特に深い意味があって聞いてきているわけじゃなさそうだけど、俺としては何と答えたらいいか悩む。
「買ったんだよ。どうせだから、自分で弁当作ろうと思ってな。いっぺんに、ランチバッグも買ってきたんだ」
「へぇー。ま、あんたは料理も上手いもんね」
「そういうこと。思ってた以上に購買は人気みたいだったんで、泣く泣くな」
弁当を作ってもらっていることはあまり口外しないでほしい、と幸田に頼まれている。香に嘘を吐くのは気が引けるけれど、義理を通す方が優先だ。
三年生の教室は、一階にある。二年生が二階で、一年生が三階。二つ階を降りたところで、ようやく目的地までたどり着いた。
「部長、こんにちはっ!」
真っ先に、香が教室へと入る。俺もそれに追従して三年C組の教室に入って、すぐに『あ、ここは一年生の教室とは違うな』と思う。
三年生の教室には、何だか物凄く歴史が塗られていた。席でわいわい騒いでいる姿も、仲良さげに昼飯を食べている姿も、どれも一年生がしているよりも馴染んでいて、ノスタルジックに映る。
青春の蓄積の重みに、ああいいなぁと漠然と思った。
「ああ、守井――と、誰か連れてきたのか?」
「はい。私の幼馴染がどうしても来たいって言うんで」
「ほう」
香が話しているのが、ソフトボール部の部長。こうして教室にまで来たことはなかったが、この人とは面識がある。不登校になる前、何度か香に言われて、ソフトボール部の練習を見学していたのだ。
「こんにちは、早乙女先輩。一応、何度か会ったことはあるんですが……覚えてないですか? 覚えられてないと、結構寂しいんですけど」
「……いや、少し雰囲気が違うから分からなかったが、声を聞いて思い出した。ソフトボール部の、マネージャーだったからな」
「それ、確かにそういう話はしてましたけど返答してませんからね?」
「草食系男子というのは、答えを言わないうちから察してほしがるものなんだろう?」
「勝手に草食系男子だって決めつけないでくださいね?」
「違うのか?」
「違うわ! ――って自分で言うのも、それはそれでおかしいから、その質問に答えにくいんですけど⁉」
実際問題、自分が肉食系なのか草食系なのか絶食系なのか雑食系なのか……つまりは、どういう系の男子なのかは分からない。明確に恋をしたことってないし、そういう意味では暫定絶食系?
それより、どうして久々にあった先輩女子と恋愛スタイルについて話しているんだろう、俺。心の中で愚痴っても何も変わらないのだけれど。
「はぁ……本当に、早乙女先輩は変わらないですね」
「そりゃそうだろう。皆に信頼されて上に立っている者が、そう簡単に軸をぶらしてはいられない。ちなみにブラは――」
「公衆の面前だし部員の皆さんの目が鋭いからそれ以上言わないでくださいねマジで」
「……君相手じゃないと下ネタなんて言えないんだからそれくらい許してくれよ」
「いや下ネタについてこれる人は多いと思いますけど」
「私が下ネタを言うと、色々と大変になる奴が多くてな」
言いながら、早乙女先輩は自分の身を抱くようにぎゅっと腕を組む。すると、早乙女先輩に下ネタを言われた奴らが『大変になる』原因の一つであろう、立派な胸部が強調された。
スタイル抜群な上に、圧倒的な美人。それでいて人当たりはよく、こうして多くの生徒に慕われている。ソフトボール部部長だけでなく、生徒会長をもこなす彼女のことを考えれば、確かに下ネタを軽々に言えないかもしれない。言ったら最後、健全な高校生活を送れない奴が多そうだ。
「じゃあ俺にも言わないでほしいですね」
「いや、君なら大丈夫だろう?」
「それは、どうしてです?」
「君の件を正しく知っているからな」
「……そりゃ生徒会長なら知ってますよね」
考えてみれば、当然だ。
何か大切なものを割ってしまった時のような気まずさに襲われて、俺は視線を逸らす。
「なるほどな。その件に触れたくないというなら、それもいい。それよりも、昼を食べようか」
「そうですね」
察してくれたことに感謝をして、俺は香の近くに腰を下ろす。膝の上で弁当箱を開くと、幸田が作ってくれた美味しそうな弁当が顔を出す。
野菜が混ざった玉子焼きに、からっと揚がった唐揚げ、清涼なサラダなどなど、今日も美味しそうなおかずが揃っている。
「おや……君は、料理ができるのか」
「まあ、色々得意なもので」
「そうか。そういえば君は、プッストマスターとやらだったな」
「そう呼ばれたこともありましたね……」
「ふむ」
俺が答えると、早乙女先輩は何故だか満足げに頷く。玉子焼きの程良い甘さと昨日とは違う触感に口の端だけでにやけながら、『何か?』と視線で問う。
「いや、大したことではないんだが。それだけ万能なら、我が部のマネージャーにぴったりだと思ったんだよ」
「えー……その話、まだ諦めてないんですか?」
「当たり前だろう。守井も、彼がマネージャーになるのは賛成だろ?」
「はい、私も賛成です!」
「おいてめぇ?」
コンビニで買ったらしいカツサンドを頬張ってリスみたいになっている香を、ぎろりと睨んだ。
「別にいいじゃん、あんた何だかんだ何でもできるんだし。ソフトボールだって、嫌いじゃないでしょ」
「それはそうだけどな……女子しかいない部活のマネージャーを男子がやるとか、色々いかんだろ」
周囲のソフトボール部員に視線で同意を求めながら、言う。
しかし早乙女先輩は、風にたなびいても必ず元の体勢に戻る風鈴みたいに、何てことない様子で答えた。
「さっきも言っただろう。私は君の件を正しく知っているんだ。ありきたりで下衆な問題など、君が起こすわけないと分かっている」
「いやそこについては俺も思春期の男子なのでそんな風に全幅の信頼を置かれてもって感じなんですけど?」
「……ほう。それならば仕方ない。君がどうしてもと言う時は私が――」
「部員だけじゃなくて三年生の皆さまからの大変冷たい殺意までいただいちゃってるのでマジでそれ以上言わないくださいね⁉」
「? 私が君を殺す、というつもりだったのだが、何か問題があったか?」
「思わせぶりな台詞を言うのも危険ですから!」
というか、こんな風に早乙女先輩と話してる時点でソフトボール部員からの鋭い視線がとんできてるのが非常に居た堪れない。
豪快かつ上品に笑う早乙女先輩の姿は、そのまんま太陽みたいだった。だからなのでしょうか、近づけば近づくほどにダメージを負っているんですが……。
口の中で小さく溜息を吐いてから、俺はこの場をいったん切り上げることにした。そうしないと、俺の悪い噂が広まりかねない。
「どっちにしても、今はそういう気にはならないんで。色々思うところもありますし、暫くは休みたいなって」
「そうかい。まぁ、いずれマネージャーになってくれるのならそれでいいさ」
「諦めはしないんですね……」
「当たり前だろう。見込んだ男は、手放さない主義なんだ。特に、女を守るために何だってする男はな」
木製バットみたいにぎっしり詰まった言葉に、ドキリとさせられる。相手は、ソフトボール部員に慕われで部長をやり、全校生徒から信頼されて生徒会長になった人なのだ。嬉しくないはずがない。
だからこそ俺は──
「そんな大したことができる男だと勘違いしてくれるなら、ありがたいっすね」
と自嘲して、へらへら笑うことしかできなかった。
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