「はぁー。ほんと、すげぇ美味かったよ。マジでありがとうな、幸田」
「ううん。料理作るのは楽しいし、全然気にしなくていいよ」
弁当を食い終わり、その後も例のスポットで少し休んでいた俺たちは教室へとゆっくりのっそり向かっていた。休み時間は、大体残り七、八分。特別に広いわけではない校舎なので、余裕を持って教室に帰ることができるだろう。
「弁当箱は、明日にでも洗って返すから」
「えっ、それは困るよ」
「すぐに使う用事があるのか?」
青いランチバッグを右手で揺らしながら、尋ねる。洗って返せないのは申し訳ないが、流石にすぐに使うというのならこちらの想いを通すわけにもいかない。
すると幸田は、こてりと首をかしげてからぽつりと言った。
「だって明日の分のお弁当箱がないもん。二つ目を買うのはちょっと……」
「明日の分って、誰の」
「柿崎くんの」
「は?」
「え?」
幸田が、キュキュっと目を細めて俺を見る。『こいつ何言ってんだ』とでも言いたげな目だ。
だが、それはこちらの台詞。こめかみに手を添えながら、幸田に再度確認する。
「ちょっとたんま。幸田は、明日からも弁当を作ってきてくれるのか?」
「そりゃそうだけど……嫌だった?」
「嫌とかじゃないけどさ。流石にそれは、俺に尽くしてくれすぎじゃないか?」
少し真剣に言った。的当てで直接的に触るみたいで、少し反則なことをしている気になる。
幸田は一瞬顔を伏せてから、躊躇をしつつ俺の問いに答えてくれた。
「尽くしてるつもりはないよ。ただ……これくらいはするのが私の義務だと思うの」
「別に、その件で幸田に罪はない。気にしなくていいんだぞ」
幸田は、俺が不登校になった理由を知っている。そう分かっているからこそ、はっきりと言った。
俺の行動の全ての責任は、俺にある。まして、幸田としっかり話したのは正真正銘、昨日が最初なのだ。当時友達でもなかった幸田が、俺の行動に責任を感じる必要がない。
俺が譲る気がないことは分かったのだろう。幸田は複雑そうな顔をして、それから何か閃いたように目を見開く。
「それなら、私が料理を上達するために柿崎くんに食べてもらいたい、っていうのならどう?」
「料理下手な女の子相手ならともかく、幸田だったらわざわざそんなことする必要はないんじゃないか?」
「柿崎くんなら、食べてもらう価値があると思うよ。だって――」
くしゃっと申し訳なさそうなティシュみたいに顔を歪めて、続けた。
「柿崎くんは有名人じゃん。プッストマスターの柿崎源って」
「…………そのダサいネーミングを受け入れた覚えはないんだけどな」
想定以上の沈黙ができてしまったけれど、かと言って取り立てて隠すことでもないから、あっけらかんと応じた。
プッスト――それは、PSSTをより縮めた俗称だ。PSST導入期にとあるインフルエンサーがPSSTをプッストと読んだことから始まり、その年の新語・流行語大賞も受賞した。
そして俺こと柿崎源は、PSSTを向上することに全身全霊をかけ、結果として同年代では考えられないほどのPSSTを手にしたことから“プッストマスター”と呼ばれていた。尤も、それは中学時代の話だが。
「レベル5以上のスキルは数えきれず、一部のスキルはレベル7にも到達してるって。私たちの世代じゃ、知らない人はいないよ」
「それと、俺が弁当を作ってもらうことにはどんな関係が?」
「だって、柿崎くんの料理スキルは私より上だろうから」
「……確かにそうだな」
小さい頃から料理が好きだったという幸田には言いにくいが、彼女の言っていることは事実だ。
俺の料理スキルはレベル7。
もちろん、幸田はそんな俺を利用したいわけでも、プッストマスターがどうのこうのという話を掘り返したいわけでもないだろう。それは昨日、扉越しで交わした会話で何となく分かっている。
そんな幸田がわざわざこの話を出すあたり、引くつもりはないのだと分かる。
「分かったよ。そこまで言うなら、これからも弁当食べさせてもらう。でも、気の利いたアドバイスができるかは分かんないぞ。俺はもう、プッストマスターとやらじゃない」
「いいよ、それでも。私より上手い人に食べてもらうってだけで、身も引き締まるし」
「そういうものかね」
「そういうものだよ」
ここまで決まってしまえば、今更、幸田の申し出を断るわけにもいかない。そんな風に思ったところで、ふと自動販売機が目に付く。
「それと、一つ条件」
それからくいっと、顎でその自動販売機を指す。
「何? 飲み物奢れってこと?」
「ちょっと幸田の中の俺がどんだけ外道な奴なのか問いただしたい。俺が、弁当を作らせた上に飲み物を奢らせる奴だと?」
「違うの?」
「違うよっ⁉ 逆だから、逆」
「飲み物を作ってこいってことなら、まぁ別にいいよ」
「どういう意味での逆なんだそれ」
何だかんだ、俺よりも幸田の方がボケる率高いよな。
大袈裟に首を振ってから、俺はこほんと咳払いをする。
「そうじゃなくて、飲み物を奢るって話。毎日、飲み物を奢らせてくれ。それが、俺が弁当を作ってもらう条件だ」
「そういうところ、本当に本当にあれだよね」
その指示語は、やっぱり何を言いたいのかは分からない。
でも、幸田は少しだけ笑っているように見えて、そのことに何とも言えない感慨を覚えた。
「いいよ、それで」
「そりゃありがたい。あんな美味い弁当を毎日食ってたら、恩を返しきれなくて、『絶対に覗かないでください』とだけ言って夜逃げの準備をするところだった」
「鶴の恩返しの鶴って、返済しきれなかったからいなくなったわけじゃないよ?」
「そうか……でも今のはワンチャン面白くなかった?」
「いや別に全然」
「そうか…………」
同じセリフを繰り返しちゃうくらいにはショックだぞ、それ。今のは割と本気で面白いネタだと思っていた。
ちょっと不服で幸田の方を向けば、自動販売機の前で飲み物を選んでいる彼女の横顔が見える。
「どれにしようかな。おすすめとか、ある?」
「俺は、入学してから数日はこれを飲んでたな」
おぼろげな記憶は、個性的なその名前を見たらすぐに戻ってきた。俺が指さすと、幸田は訝しげにその商品を見る。
「栗羊羹コーラ? なにこれ、おいしいの?」
「美味いか不味いかは言及しないけど、秋は感じるな」
「美味しくないものに秋を感じても、あれだけど……そう言うなら、今日はこれにするよ」
「うい」
栗羊羹コーラ、しめて100円。
ついでにシンプルなミルクティーも買い、口を開けてから幸田に渡した。
「ありがと」
「礼は、飲み終わってから言うんだな」
「……すっごい不穏だなぁ」
幸田はぐんにゃりと嫌そうな顏をしつつ、栗羊羹コーラへと口をつける。
そして――
「嘘、美味しい」
「だろ?」
「う、うん。てっきり、そのミルクティーを『俺の飲みかけでよければ飲むか?』とかやるために私を騙してるのかと思ったのに」
「失礼な。流石にそんなことはしないって」
鳩がゴム鉄砲をくらったみたいに驚く幸田に、俺はぷっと笑いを漏らした。
そのついでみたいに、ふいに思ったことまでまろび出る。
「っていうか、幸田は『俺の飲みかけでよければ飲むか?』って言われるって分かってて栗羊羹コーラを選んだのか?」
「…………そういうの、口にしちゃうとモテないよ?」
「ガチ目に辛辣で真顔になるのでやめて」
有名人だからモテないわけじゃないけど、いざ女子に『モテない』とか言われると辛いものがある。
俺の言葉を受け取らずに教室へとずんずん進んでいく幸田の背に、俺は独り言ちた。
「女心は秋の空、か」
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