天野先生に解放された俺は、ひとまず購買に向かうことにした。何しろ、俺は弁当を持ってきていない。料理が作れないわけじゃないんだが、食べるのが自分だけってなると、買った方が手っ取り早い気がしてしまった。
ぎゅるぅって音までは鳴りはしないけれど、思っていた以上に腹が空いた。久々の学校ってこともあって、普段よりエネルギーを使っているのかもしれない。
購買まで向かう道すがらにすれ違う生徒たちを見て、俺は悪目立ちしているわけじゃないんだと安堵する。朝も思ったことだけど、自意識過剰だったみたいだ。そのことが恥ずかしくて、しかもそこに安堵が入り交じった複雑な気持ちを抱えながら、歩く。
――が。
「……え、売り切れですか」
「うんごめんなさいねぇ」
「いや、俺が来るのが遅かったのが悪いんで大丈夫です」
購買のおばさんが申し訳なさそうな顔をするので、すぐに俺はかぶりを振った。だが、そうしてみたところで目の前にあるすっからかんのトレーは変わらない。
有り体に言えば、俺は購買戦争に参加すらせず敗れたらしかった。
「いつもこんな感じなんですか?」
「えぇ、そうね。お昼休みが始まってから十二、三分もすれば、何も残らないわ。かと言ってこれ以上は持ってくることもできなくて」
「なるほど」
何だかんだ天野先生と話し込んだせいで、昼休みは十五分ほど経過している。時間だけ見ればギリギリだが、実際には休み時間が始まると同時にやってきて並んでおかないと買えない感じだろう。
うむ、天野先生の言ってたことはこういうことだったのか。あの人が『ざまぁ』と言っている姿が目に浮かんだので、脳内でバッドの錆にしておく。ソフトボールの練習を付き合っていた俺のスイングは伊達じゃない。
「まぁ、また明日きてね」
「そうっすね。こんだけ人気なら気になるし、また来ます」
別に購買じゃなくて登校途中にあるコンビニで買えばいいし、もっと言えば自分の心に鞭打って自炊したっていい。でも、購買のおばさんのお袋っぽい雰囲気は都会に似合わないくらい暖かくて、胃袋を掴まれたい気分になった。
学校っていいな、と思う。
PSSTが重視される外の世界の中でも、こういう古きよき文化っていうかドラマみたいな青春だけはそこにあって、昔の息吹を感じられる。
ついでに、こんな風に昼飯で困るっていう不便さも学校らしくていい。幸田には学校ってシステムが古いって語ったけれども、俺は、学校は学校であってもいいと思う。それとは別の選択肢が必要ってだけで。
「とりあえず昼飯抜きか」
「今日って七時限目まであるよ? お昼抜いちゃうと、七時限目とか死んじゃうんじゃない?」
「いやそれは別に何とかなる。引きこもってる間は二食抜くとかざらにあったし――って、幸田じゃん」
あまりにもスルッとそこにいたので驚くことすらないが、途方に暮れ始めていた俺の前には幸田が立っていた。ハッピーな桃色の巾着と心地いい空色のランチバッグを持っていて、盾系の防具を装備する枠にバグ技で武器を装備しているみたいな、若干の仰々しさを身に纏っている。
そんな彼女はきゅっと眉を顰めて、言った。
「柿崎くん、そんなだらしない生活してたの?」
「……? ああ、引きこもり生活の時のことか。まぁ、引きこもりだしな」
「別に引きこもってても食事とかはしっかり摂ると思うよ」
「あれか。お母さんに料理を部屋まで持ってきてもらって、『置いとくわよ』って言われるパターンか」
「そうそう。『囚人番号14番! 食事の時間だ!』って」
「塀の向こうにはいなかったから!」
言うと、幸田は桃色巾着が細かく揺れるのに伴って、快い笑みを零した。片手で口元を抑える仕草はとても自然で、やっぱりそういう仕草が似合ってもいる。
「それで、幸田はどうしてこんなところにいるんだ? お腹を空かせた可哀想な俺のことに気付いて、駆け付けてくれた感じ?」
「当たらずとも遠からずっていうか、解釈違いだけど間違いじゃないっていうか、とりあえず介錯してあげるからあれしてほしいなって感じかな」
「初めて『あれ』の意味が繋がったと思ったら切腹だったんだけど」
「違うよ、斬首だよ」
「セルフで? 介錯は?」
「気持ちだけ受け取っておくよ」
「何の気持ち⁉」
「犬の」
「俺は犬じゃない!」
そろそろ、周囲の俺の扱いに涙がちょちょぎれてくるな……。ところで『ちょちょ』ってなんなんだろう。『ちょ待てよ』の『ちょ』か?
閑話休題。
「えーっと、話を戻すと何が『当たらずとも遠からず』で『間違いじゃない』んだ?」
「多分想像通りだし、絶対その目は分かってるよね?」
バレてた。
まぁ、幸田の今の状態を見れば誰だって分かる。
「それでもほら、俺って草食系男子だから。幸田の口から聞きたいじゃん」
「へぇ。じゃあ、お弁当用意してあげたけど野菜しかいらないね。ごめん、柿崎くんがビネガーだとは思わなかったよ」
「それを言うならビーガン! 何この、昭和みたいな陳腐なボケは」
「一応は照れ隠しだったり」
「まったく照れてる様子がないのに隠されてもなぁ」
これで実は上手く照れを隠しているだけとかだったならいいんだけど、幸田の場合は本当に照れている様子が見えない。ただただ純真で尽くしてくれるメイドさんを彷彿――
「柿崎くん、今ちょっとあれな感じがしたんだけど」
「そ、そうか。キノセイダヨキット」
「……なんでわざわざ片言に言って墓穴を掘るの」
「な、何でもないって。ただのジョークだからさ」
表情に怒りや疑心が現れるわけでも、俺を見る目が鋭くなるわけでもなく、だというのに明らかに空気だけでじりじりとライフが削られた。幸田のメイド姿は色んな意味で高校生活に支障をきたしそうなので、頭の片隅の先っぽに追いやることにする。
「はぁ……もうそういうことにしておいてあげるよ。それより、早くいこ。そんなに時間はかからないだろうけど、お昼休みが終わるギリギリまで食べてるのも嫌でしょ?」
「俺は、幸田と一緒にいられるからウェルカムだぞ?」
「もう、またジョーク。しょうもないことばっかり言ってないで、さっさとお弁当食べに行こう」
「…………まぁ、それもそうだな」
だからこれもマジなんだけど、とは言えん。
ただ考えてもみていただきたい。
当然のように弁当を作ってきてくれて世話を焼いてくれる美少女学級委員に惚れない男などいるのだろうか。
本当に面倒見がいい。まるで、ビニール傘みたいだ。
ふらふらと進んでいく幸田の背を追いながら、自然と力のこもっていた右手に苦笑した。
「で、どこで食う? 教室でイチャイチャを見せつけたいって言うなら別にそれでもいいけど」
「トイレかな」
「それはそれでドキドキするな……」
「もちろん別々だよ」
「チッ」
冗談めかして舌打ちを打つと、幸田は『またそういうことを』と溜息を吐いた。出会ってから二日目にして、もう完全に呆れられてしまっている。
「教室だと、色々あれだから……外出よっか」
「外?」
「うん。グラウンドが見える、ちょうどいい場所があるんだ」
「ほーん」
幸田は、どこか誇らしげだ。
入学してから一か月弱。そんな穴場を見つけたというのだから、誇るのも分からなくはない。秘密基地を教えてくれる子供みたいで、ふいに宝物を見つけたような感覚に陥る。
「幸田のとっておきの場所で密会ってのはウェルカムだけど、俺に教えちゃっていいのか?」
こそばゆい気持ちになりながら答える。どんな答えが返ってくるのだろう、と期待に胸を高鳴らせている自分に気付く。
でも、幸田は拍子抜けするほど平坦に答えた。
「別に」
「え、何その倦怠期カップルみたいな反応」
「いや違うけど」
「じゃあクーデレ?」
「それが何なのかは知らないけど、何かあれだなってことは分かるよ」
「そ、そうか」
ツンデレと違って、クーデレはオタクとかじゃないとポピュラーじゃないもんな。ヤンデレでも、ギリギリ分からない人はいるだろうし、幸田が分からないのも無理はない。じゃあどうして、まさにクーデレって感じの冷たい視線を向けてきているのかって話なんですけどね?
「もしかして、そこまでとっておきの場所ってわけではない感じ?」
「うーん……そこそこにはとっておきかな」
幸田は、気まずそうに視線を揺らしながら続ける。
「ほら、昨日は柿崎くんのパーソナルなところにちょっと踏み込んじゃったし。それに、色々思うところもあったりするだよ。だから、とっておきの場所の一つくらいは教えてあげるのが筋だと思って」
「義理堅いんだな。昨日は俺のこと、軟派な奴だって言ってたのに」
「たとえ相手が三下のチンピラみたいな相手でも礼儀を失っちゃいけないんだよ」
「喩える対象が酷すぎて泣きそうになるからやめてぇ」
折角ちょっと甘い雰囲気が出てきたと思ったのに、一瞬でぶち壊されてしまった。まぁ、俺と幸田は出会ったばかりだしそういう空気にはなりにくいか。
いつか、甘い雰囲気が続くようになる日が来るのだろうか。そんな、尻が痒くなるようなIFが脳裏によぎって、すぐにそいつを振り払った。
何はともあれ花より団子、である。
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