「ごちそうさまでした」
食い終わり、手元の水をちびちび飲みながらバラエティー番組にケラっと笑う。流行の漫才とか、面白いと思う芸人とか、そういうのを口外するのは格好悪い気がして、『別に芸能界のことなんて知らねぇし』みたいなフリをしていた頃があった。今思えば、あれも一種の中二病だったのかもしれない。
ひとしきり笑ったところでデバイスを見るけれど、PSST-RINKには動きはなかった。メッセージなり電話なりをしてもらえないとこちらからは反応できないので、少しばかり持て余してしまう。
洗い物をした後でも、やはりその状態は変わらなかった。
「風呂入るかなぁ」
俺は、夏でもない限りばっちり湯船に浸かる派だ。幸田を待つ間に風呂に入るのは気が引けたが、どうせデバイスは完全防水だからと、結局入ることに決める。
湯船がそれなりに貯まったところで服を脱ぎ、何となく姿見と睨めっこした。
昨日自分でざっと切った髪は、手前みそだが悪くはない。容姿も、ずば抜けて悪い方ではないと思う。良い方なのかは、プッストマスターとして見られるようになってからの周囲の反応だと参考にならないから、分からんけど。
筋トレはしていたので、体もそれなりに引き締まっている。前線でスポーツをしていた頃よりは全身筋力平均は落ちているけど、そんな今でも一般的な水準よりは高い。
これ以上はナルシストになるな、と苦笑したところで
――ぶぶぶっ。
デバイスが、控えめに震動した。
「……いっか」
貯まった湯船を無駄にするのも嫌だったので、浴室にデバイスを持ち込んでしまうことにした。
「って、電話かよ」
流石に一発目はメッセージかもと思っていただけに驚きつつも、軽くシャワーで体を流してから湯船に浸かり、通話状態にする。
「もしもし」
『もしもし……柿崎くん?』
「はい、こちら、あなたの柿崎源です」
『――ッ』
切られた。
改めて、駆け直す。
『……もしもし』
「いきなり切ることはないだろうが」
『いやごめん。状況が状況なだけにあれすぎてね』
「状況?」
幸田がげんなりと言うので聞き返すと、その答えよりも先にしゃぽーんと、ちょうど電話のこちら側でも聞こえているような音が聞こえた。
これ、もしかして……?
「勘違いだったらすまん。幸田って、入浴中だったりする?」
『流石に分かっちゃう?』
「そうだな。残念ながらと言うべきか、ご馳走様と言うべきか」
『セクハラ』
「ぐうの音も出ないけど昨日今日知り合った女子と電話をしてる高校生男子の気持ちもちょっとは理解してね?」
軽口を叩かなければ、変な妄想をしてしまうところだ。
別にビデオ通話にしているわけでもないのだからドキドキする要素なんてないはず。だというのに電話の向こうの相手に想いを馳せれば、水にイチゴオレを垂らしたみたいに桃色の思考が広がって、何をしても離れなくなる。
『あんまり待たせるのもあれだったから、お風呂に入りながらにしちゃおうと思ったんだけど……失敗だったかな』
「いや大丈夫。何一つ失敗じゃない」
『その反応が、どう考えても失敗の証拠だよ』
「そう謙遜するなって」
『謙遜じゃないよ嫌悪だよ』
「そこまで?」
『どこまでも、かなぁ』
幸田の反応に、俺はくくっと笑みを零した。ちゃらちゃらと水面が揺れる。水に馴染むみたいな笑いが電子音になってこちらに届いて、浴室は少し幸せそうだった。
『……もしかして、柿崎くんもお風呂?』
「ああ。ちょうど入ろうと思ってたところでかかってきたから」
『なんか、ごめんね』
「いんや、どうせ入ってる時には音楽聞くし代わらないよ。むしろ、普段より素敵なBGMになってハッピーだ」
嘘ではない。普段から、デバイスに入れてある音楽を適当に流しながら風呂に入っている。引きこもっている期間は入浴を欠かすこともあったが、その以前にもずっとそうしていた。
ちゃぽん、ちゃぽん、ぱちゃぱちゃ。
こちらから聞こえる音と、あちらから聞こえる音とが混ざり合って、距離の隔てりすら忘れてしまいそうになる。
正しく青春で、正しく秋の夜で、その分ドキドキして、俺は思考を逸らすように続けた。
「それで、電話するってことは何か用事があったのか?」
『うーん、そういうわけじゃないんだけど。強いて言えば、お礼かな』
「お礼?」
『学級委員になってくれた、お礼』
「なるほど」
学級委員になった旨は、幸田本人には特に言っていなかった。わざわざ言うようなことじゃない気もしたのだ。だから、香に話しているところを聞いたか、天野先生伝手で聞いたかしたのだろう。
「まぁ気にしないでくれ。とびきりの美少女と一緒にいたいっていう下心だからさ」
『このお礼は、貰ってはくれないんだね』
「貰う筋合いがないものを貰ってばかりだと、ヒモになっちゃうだろ」
『その時は、ハサミでちょんって切ってあげるね』
「そりゃ怖い。ならヒモじゃなくて糸になって、縫い物の合間にキスをしてもらうことにしよう」
『そんなことする前にゴミ箱に捨ててあげるから安心していいよ』
「ヒモにも糸にもならずホモサピエンスでいることにするから許して!」
俺の声は、浴室にかんかん響いた。
返答は、ない。ぽかぽかとお湯が体を温めて、思考を少しぼんやりに変える。
ふと、窓を見た。
俺の家は高層マンションの一室だ。だから、浴室の窓を覗くと見える月は不完全にまん丸で、くっきりとした球体だった。
やっぱり、と思う。
春よりも秋の方が、青春にはぴったりだ。
『今、何見てる?』
「月かな。ここは高いところにあるから、近くに見えるんだ」
『うん……そっか』
月にとっちゃ、地上からマンションの十数階までの距離なんてちっぽけなものなんだろう。それでも、ぴょんぴょん跳んでく兎さんみたいに、縮まる距離を数えるのは悪くないと思うのだ。
『高層マンションに住むのってさ、どんな気持ち?』
「そうだな……別に、普通と変わらないんじゃないか。まして、俺たちは親の稼いだ金でここに住んでるんだし」
『そっか』
「ああ。でも、月の近くにいられるのはいい感じがする。冷たい世界とは離れてて、月光が温かいのを感じられて――って、ちょっと詩的すぎるか」
『そうだね。ポエミーで、ちょっと鳥肌が立ったかも』
「俺、何を言ってもマイナスにしかならないよな。ワンチャン、既に好感度がMAXだから減点しかされないパターンだったり?」
『そういうことを言うから減点ばっかりが目に付くパターン、だよ』
「さいですか」
肩を、深く湯船に鎮める。首にお湯が纏わりついてきて、お湯の中での姿勢がブレた。その分、近づいてくる肌寒さを溶かしきる。
「ここで月が綺麗ですね、とか言ったらどうする?」
『死んでもいいわって答えるかな』
「そんなに気色が悪いのか」
『……こういう冗談をスルーされるのって辛いんだね』
「ツッコまなきゃ、冗談にはならないと思ったんだけど」
『くばたってしまえばいいのに』
「二葉亭四迷にかけたジョークだよねそうだよね⁉」
ちなみに『死んでもいいわ』とは、かの有名な夏目漱石の『月が綺麗ですね』の返しとしてよく使われる言葉で、二葉亭四迷っていう作家が訳したものだ。で、その二葉亭四迷のペンネームの由来が『くたばってしまえ』という言葉だったりするので、きっとそれとかけたジョークなんだよそうなんだよ。
『さて、と。それじゃあそろそろ電話切るね』
「おう……もしかして、これから体を洗う――」
ツーツー。
【変な妄想はしないから許してください】
【本当にあれであれだよ】
【……さいですか。気をつけます】
こりゃ明日は機嫌を取るところから始めなきゃいけないのかと思ったが、幸田はなんてことない感じで対応しそうで、苦笑した。
「体、よく洗っとこ」
特に理由があるわけじゃないけど、そうした方がいい気がした。
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