「バリ様?!」
「何をしているんだ、貴様?!」
「な、なんですか?! 痛いっ! 離してください!」
瞬く間に取り押さえたバリ。もがき暴れるヤヨイ。
庭園内の一角は、一気に混乱の場と化す。
「明良! 早く、封魔縄をよこせッ!」
バリからは「早くしろ!」との催促が飛ぶ。
「な、何を貴様は言っているんだ!」
「事情はあとで話す! 縄をよこすんだ! 僕も縛っていい!」
拳を作り、振り上げにかかっていた明良も、その言葉でピタリと止まる。
「早くするんだ! 抵抗はしないから、早く!」
「なんの真似なんだ、いったい?!」
「でないと、僕はこの男を斬るぞ!」
ほとんど脅しのような言葉だったが、バリがここまで言い、ここまで鬼気迫る様子――。
一度ならず二度も剣を交え、殴り合いもした経緯もあることから、明良はバリに対し、表面上の態度はつんけんしたものになってしまう。
だが、その居合武芸の確かな技量、三大妖・昏中音から救い出してくれた事実――明良の内心は、オ・バリという人物をおおいに認めている。
そんなバリが、意味もなくこんな騒ぎを起こすだろうか。何か訳があるのではと逡巡するも、少年の頭にすぐに思い浮かぶものはない。
「早くしろ、明良!」
「……くっ」
明良は、渋面を作りつつ、背負い袋から急いで縄を取り出し、バリへと放り投げた。
「すぐに貴様も縛るぞ! いいな?!」
「明良?!」
「明良さん、なんで渡すんですか?!」
自らの足と体重を使い、ヤヨイを器用に抑え込んでいたバリは、飛び来る縄を片眼に捉えると、空けていた片手で掴み取った。
「ああ、そうしてくれ!」
「離してください! お願いですから、離して……」
組み伏せのときと同様、すさまじい速さで両の手が緊縛され、締めつけられる。
もはや解放される希望がないことを実感したのか、ヤヨイの嘆願の声は、だんだんか細くなっていき、ついには完全に消え入ってしまった。
騒動は、いったんは落ち着きをみせた。
ヤヨイ少年は庭園の樹木のひとつに縛りつけられ、そことは少し離れたところ、少年の手によって、バリも同様の姿にされた。
そのすぐそばに立ち、憤然としてバリを睨みつける明良。
少し涙目の美名は、怯えるようにバリとヤヨイ、そして、自らが介抱するグンカ、それぞれに目を移らせていた。
「美名さん、助けてください……。お願いです。お願いです……」
「ヤヨイさん……」
震え声の訴えに、美名も立ち上がりかける。
だがすぐに、捕縛された格好のバリから「近づくな」との一喝があった。
「近づかないほうがいい。今の騒ぎで、五分だったのが確信に変わった」
バリの眼前へ、刀を抜いた明良が立つ。
「さぁ、弁明しろ。この妄動の理由を」
「君は、見なかったかい? 今の騒ぎのなか、彼の手に灯った光の色……」
眉をひそめる少年に構わず、バリは続けていく。
「勘づいたきっかけは、ゼダンの部屋にいたときだ。彼との話がこじれ、平手を向けられ、僕も含め、みんながおそろしく殺気だった瞬間があったね。僕のとなりで、彼も敵意を発していたよ」
「あれだけ険悪になれば、誰だってそうだろう。それがどうした?」
「ゼダンに対してだけじゃなかったんだよ」
「……なんだと?」
「彼の殺意はね、僕とグンカくん、そして、君にも向けられていたのさ。君の背中は、無防備に敵に向けられていたことになるが、気が付けていたかい?」
「……」
「それも判らないようでは、君に刀を持つ資格はない」
唖然となった明良は、ヤヨイに顔を向ける。
縛られた少年は、打ちひしがれたように頭を垂れていた。その悲愴な光景と、今、話されたこととが一向にすり合わず、明良は、今度は美名へと向き直る。
「美名。ヤヨイは敵なのか?」
「……敵?」
「彼のことを、このなかで一番知っているのはお前だ。彼の身元は確かなのか? なにか、よからぬことを企むような人物なのか? ゼダンやシアラ、レイドログに通じている可能性はないのか?」
美名は、身震いするように小さく首を振った。
「そんなわけない。ヤヨイさんは、リン様のお弟子様で、リン様をとても大事に想ってて、トキおばあちゃんにも優しくて、私たちにも優しくしてくれて……」
「……」
「敵だなんて、そんなことない。ゼッタイにありえないわ」
「……すまん。ひどいことを訊いた」
バリに顔を戻した明良の表情には、今にも目の前の男を切らんばかりの怒りがみなぎっていた。
「美名が断言するなら、彼は敵ではない。ほかに正当な理由がないのであれば、今この場で、俺こそ貴様を斬るぞ」
「……ヒトに行使できる使役術は、存在していたんだ」
バリがつぶやいた言葉に、明良はハッとする。
「僕も、美名くんの評は妥当なのだと思う。元来のヤヨイくん自身は、優しい心根をした、ただのヒトなんだろう。シアラのハ行転呼やゼダンのような転生……、特異な能力者でもない」
バリの片目が、チラとヤヨイに向けられた。
「さっきの騒ぎのなか、彼が響かせようとした魔名の光は、淡い緑色だったんだ。緑といえば、タ行使役のもの。彼の元来の魔名は、ヤ行のはず……。他奮の光は、どんなに熟達した者でも青みがかる程度。緑ではない」
「それでは、彼は……」
「使役されている。おそろしく熟達した使役者に操られ、タ行の魔名を放とうとしていたんだ。グンカくんの不調も、まず間違いなく、そいつが仕込んだものだろう」
「それって……、レイドログ様……?」
明良も美名も、にわかには信じがたい。
少女らが目を向けた先、ヤヨイ少年は萎れきっており、顔をひきつらせている。今にも泣き出してしまいそうなほどである。バリの言ったことが誤認であれば、あまりに憐れな状況だった。
だが、この推測が語られ、一同の言葉が途切れるのを待っていたかのよう――場に忽然と現れた人影があった。
「『蟲憑き』だな」
美名が飛び退き、明良が振り返る。
いつの間にやら、グンカのそばに人影がいて、彼をのぞきみるようにしていた。
その人物は――。
「ゼダン?!」
「な……、貴様!」
「……もうまもなく正午になる。今日中に立ち去れと命じたはずだが、何をもたついている。貴様ら、そんなに死にたいか?」
「動力大師はすでに死にかけているようだがな」とほくそ笑んだゼダンは、黒衣をはためかせ、明良とバリに向き直った。
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