僕には今、やらなければならない諸事がある。
しかしそれらの所用は、三日後することになっていて、僕一人の裁量ではどうすることもできないのである。こういうことは日々過ごしていればままある。誰かとの予定とか、大勢での催事なんかはたいていこういうものだ。僕はこの時間が、何だか苦手である。一度予定が決まると、その諸事が頭から離れなくなってしまう。家の中をうろうろして、読みかけの本を手に取ってしばらくパラパラ繰ってみても、一向に頭に入ってこない。目が滑るとは、なるほど昔の人は上手いこと言う。例えば、その諸事が今すぐに手をつけてしまえるものなら、僕は勇んで全ての予定を完了させてみせる自信がある。そして僕の心もすっと穏やかになるのだろうけれど、未来のことには、悲しいことに僕の手は届かない。今までに何度も考えたこんな事をまた僕は考える。そして僕は、自分の中でうごうごしている居心地の悪い焦りをなるべく見ないように、何か別の予定を作って急いで外へと出かけるのである。今回もそうして、夕暮れ前の鴨川の河川敷までやってきた。
これらの行動全て、僕の小心者ゆえであろう。川の上流から下流まで撫でるように眺めていても一向に落ち着かず、溜息の数もやけに多い。そういえば子どもの時分、祖母に、溜息をつくと幸せが逃げると言われていたことをふと思い出した。その度毎に僕は、これは溜息ではなく、深呼吸なのだと祖母に弁明していたものだった。その時は単なる詭弁であったあの説も、世間で言えば大人と言われるようになった今となっては、正しかったかもしれないと思っている。祖母は今年で81か、2くらいだったか。こうして川を眺めている間に、亡くなることもあるかもしれないと想像してみる。ばあちゃん、元気でやってるかい。僕は仕合せなことに平安に暮らしています。鴨川の土手には、陽気につられて人が増えてきました。人もたぬきも変わりませんね。早く根を張って生活ができるように精進します。ばあちゃんもご自愛ください。近いうちに帰ります。あちらに行く前にまた何でもない話をしてくださいね。では。
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