その頃、日本では学校でのいじめが止まらなくなっていた。学校でのいじめが原因と思われる自殺者が後を絶たない。
マスコミやニュースは、毎度のようにどこかのいじめを扱っていた。だが、既に亡くなった被害者名は出しても、いじめをした加害者の名前やいじめが起きた学校名は出さない。だから、マスコミが取り扱ってもいじめは全く減らなかった。
そもそも報じ始めるのが遅過ぎた。それまで、どんなにひどいいじめが雑誌で報じられても、テレビや新聞は知らんぷり。
ようやく、報じるようになったときには、もうどこもかしこもいじめが起きていて、自殺する子供が相次いでいた。
そんなときにニュースや新聞がそれを報じても、既にいじめをしていた子供は、それが悪いことだと今更気づかず、他人事のように気にもとめないでいじめをし続けた。
周りの子供もそれを止めることなどせず、自分もいじめを行う側だというアピールのため、軽いいじめをときどき行った。だが、やがてそれがどんどん悪質なものと化した。
やがて、政府がようやく事の重大さに気付き、いじめを厳罰化しようとしたが、他の様々な政党が子供には公正の機会を与えるべきだなどと言って、結局厳罰化には至らなかった。
さらに、いじめの方法はよりデジタル化して行き、大人達が気づくことが出来なくなってしまっていた。
小学生から皆スマホを持ち、スマホを持っていないとそれがいじめられる原因となるから、親も与えるしかなかった。
匿名で使えるsnsなども増え、それらを利用したいじめは、皆がしているからなどと言う理由で行われ、子供達がいじめの責任を感じることがなくなって行った。
イジメを受ける子供には学校を変えるという選択肢もあったが、それには親を説得させる必要があったし、それ以前に何より他の学校に行っても、もはやどの学校でもいじめは起きているのだから同じ事だと皆考えた。
だから、いじめを受ける子供のほとんどが親に相談しなかった。
そんなとき、いじめを行った子供に対して罵倒をしたことが原因で、いじめを受けるようになった子供が匿名のsnsを利用して、いじめを受ける子供達にグループに集まるよう呼びかけた。
すると、続々といじめを受ける子供が集まってきた。
今や、日本でいじめを受けている子供は誰も把握できない数になっていたのだ。
そうして1000人程が集まったとき、呼びかけた子供が言った。
「この現状を変えよう。一人ではどうしようもないが、ここに集まった人が一斉に行動を起こせば、きっと変えられる」
これに集まった子供の多くが、賛同の言葉を述べた。
そして、どのような行動を一斉に起こすか意見が続々と上がった。学校で人に危害を与えるという過激なものもあれば、授業を脅しでボイコットするなど、危害を与えずに行動しようというものもあった。
やがて、危害を与えることに賛同する者達とそれに反対する者達で真っ向から意見がぶつかり合った。
だが、それに対して最初に集まることを呼びかけた子供が言った。
「人に危害を加えることをしなければ、今の状況は何も変わりはしない。俺達は、この状況を変えるために集まったんだ。状況を変えるためには、誰かに危害を与えることも止む終えない」
これにより、危害を与える行動を起こすという方向にグループの意見が向かって行った。それに反対し、グループから抜ける者もいたが、皆この計画は漏らさないと誓って抜けて行った。
そして誰も、実行の時まで本当に、誰かに計画を漏らすということはしなかった。
皆、やり方での考え方の違いはあったが、状況を変えたいと願う心は同じだったのだ。自分はそういうことは出来ないが、誰かにやって貰い、この状況を変えてもらおうと考えた。
やがて、残ったグループでどのような行動を起こすか話し合われた。ある者は言った。
「教師を殺そう。いじめが生まれているのは、子供を管理し切れていない教師のせいだ」
だが、ある者が言った。
「それではいじめを行っていた者たちは、何も感じることはない。やはり、元凶であるいじめを行うもの達に制裁を与えなければいけない」
これに多くの者が賛同した。そして、ある者が言った。
「今はいじめを行っているが、まだ大人では無いのだから、改心させる余地はあるはずだ」
それに対し、ある者が言った。
「ならば、殺さない程度にいじめを行う者たちに危害を加えよう」
これに、ほぼすべての者が賛同をし、この意見を実行することに結論が出た。
やがて、決行日を月曜とすることが決められた。理由は土日と休日を挟むことで、いじめっ子への恐怖心を和らげ、計画を一斉に確実に実行するためだった。
その月曜の朝、それぞれの子供は感じたことのない緊張状態の中、家を出た。だがそれと同時に、ようやく開放されると言う安心感も彼らの中に芽生えていた。
そして、決行の時間と決められた朝8時から9時の間に各地で事件は起きた。
ある学校では、朝の会が行われている最中に、少年が突然立ち上がり、教師の静止も聞かずに突然ある男の子の椅子と机を倒し、驚く男の子を尻目に何度も腹を踏みつけた。
やがて、少年は周りの子供や教師に止められたが、やられた男の子は少年にとって眺めるのが爽快な顔をして、腹を抑えながら立ち上がり、やり返そうとした。だが、これも騒ぎを聞いて駆けつけた別の教師によって止められた。
少年は、相手に不快な行いをし、なおかつ相手にはやり返させない事が、こんなにも気持ちの良いことなのかと高揚感に浸っていた。
また、とある学校では子供が、家から持ち出した包丁をいじめを行っていた子供がドアを開けて入って来た瞬間、立ち上がってそっちに向かって飛び出して行き、周りの子供にぶつかったことなど気にも止めず、太ももを刺した。
何とも言えない痛々しい音が包丁を目にし、一瞬静寂に包まれた教室の中に響いた。直後、耳を塞ぎたくなる聞いたこともない、聞き取りようの無い絶叫が起きた。
刺した少年は、血の海となった教室のドア付近を眺めて満足感に浸り、少し口角を上げて立ちすくんでいた。集まった教師によって、取り押さえられたが特に何も抵抗はしなかった。
悲鳴を聞きつけた教師が、他の教師に救急車を呼ぶよう大声で指示し、自分はありえない奇声を発する子供を抱き抱えて保健室へと走り去った。
またある子は、一時間目が始まった直後にようやく決心をつけ、家から持って来た鋭利な大きなハサミを持って隣の席に座る子に詰め寄り、それを首に突きつけた。それから、学校では出したこともない大声で
「今すぐ教室を出ていけ!出ていかなければ、殺す」と叫んだ。
教師は驚きながらも咄嗟に
「言うとおりにしろ」
と言って、他のクラスメイトを外に出し、自分も教室から出た。
ハサミを突きつけられた女の子の友達は、その教室から離れて避難する際、大声で泣いた。その声が、突きつけられた女の子の何も言えずにただ鼻をすする音だけがこだます教室に響いた。ハサミをつきつけた男の子はそれを聞いて激怒した。
自分を誰かがいじめていたときは、悲しんだり怒ったりもせず、ただ眺めていただけだったのにと。
男の子は、女の子の結んである後ろ髪を一気に引っ張り上げ、それに彼女は言葉にならない悲鳴を上げた。
離れたところから警察を待っていた教師達はそれを聞き、教室に近付いて男の子に話し合いでの解決を求めた。だが、何を話しかけても何故いじめを容認したと泣き叫ぶ声が聞こえてくるだけだった。
やがて警察が到着し、警察は立てこもる子の母親を呼ぶよう学校側に要請した。やがて、母親が到着すると、第一声に震えた声で
「お願い!女の子を話して」と話かけた。
男の子はこれに何かを感じたようで、はさみの手をゆっくりと遠ざけ、ドアの方に女の子を軽く押した。女の子が後ろを恐る恐る少し振り返ると、目に涙を浮かべ、それを手で覆う男の子の姿があった。
女の子は急いで走り出し、ドアを猛烈な勢いで開けた。開けた扉が壁にぶつかってドーンという音が鳴ったと同時に、女性の警察官に抱きかかえられ、そのままゆっくり歩いて行き保護された。
男の子はすぐに警察に拘束された。拘束されてからも、何時間も男の子が泣き止むことは無かった。
こうした様々な形での犯行が日本各地で発生した。その数は約650件程。そのうち600人程が警察に逮捕された。約700人が負傷し、そのうち50人が重症だった。また、その他に5人が重体となった。
お昼からのテレビのニュース番組では、このことが大々的に取り扱われ、事件が起きた学校の名前も報道された。出演者達は事件を起こした彼らを非難しながらも、この事件が起きた背景を見ていく必要があると口を揃えて語った。
しかし、事件を扱ったニュース番組には抗議の電話やメールが殺到した。
なぜなら、今までいじめの報道は被害者名を出すだけで、加害者の名前やいじめが起きた学校名は一切出して来なかったからだ。そうしたことで、いじめが減らずにこうした事件が起きたのだと抗議した者達は考えたのだ。
こういう事件が起きてようやく学校名を出すということなら彼らの起こした行動には意味があったと考えた人から、同情の声が数多く寄せられた。
やがて、政府が厳正に対処するという旨の声明を出した。これにも国民から対処するのが遅過ぎるとの批判の声が上がった。世論は事件を起こした子どもたちに同情する声が多数を占めた。
しかし、重体であった子供の1人が死亡したというニュースが流れ出すと今度はやり方が間違っていたとして加害者に重罰を求める声が多くなって行った。やがて裁判が行われ、多くの子供が心神耗弱状態にあったとして、保護観察や更生保護施設に入るという処分となった。
しかし、被害者を死亡させてしまった15歳の少年と17歳の少年はそれぞれ、少年院での不定期刑となった。それでも、情状酌量の余地が認められたため、最短で7年で出てくることが可能な刑となった。
また、最初に呼びかけ、いじめを受ける子供を集めた少年は結局、人に軽い打撲を与えただけであったし、精神疾患を患っているとされたため、これまた保護観察処分となった。
この事件では、結局2人の命が失われる結果となったが、その遺族は表立ってメディアの前に立つことはなかった。亡くなった2人共、いじめを行っていた事実を教育委員会や学校側が認めたからである。遺族が民事裁判を起こして、加害者家族に賠償金を求めることもなかった。
事件が起きたクラスの担任は子供達の親やメディア、世間からいじめに適切に対処していなかったとしてやり玉に上げられ、多くの担任教師が懲戒解雇処分となった。また、事件が起きた学校の校長も同じくやり玉に上がり、皆自ら辞任を申し出た。
この事件で学校の状況は大きく変わった。それまで積極的にいじめを手動していた子供達が、今度はいじめのターゲットとなったのだ。
彼らは、それまでいじめを止めず、ときどきいじめに参加していた者達によって、責任を押し付けられた。責任を押し付けた彼らは、今までの穴埋めのつもりか、いじめを受けていた子供にいじめの指示をさせた。
いじめをそれまで受けていた子供は、報復という大義名分によって、いじめを行うことによる罪悪感を捨て、それを快楽へと変えて行った。
このようないじめをメディアはまたもや取り上げようとはしなかった。そういった話題より明るいものを取り扱うようスポンサー側に要請を受けていたためだ。スポンサーがついていない公共放送などでも、こういったいじめを報道することは無かった。こちらは政府に報道しないよう圧力を受けていたのだ。政府としてはこの問題にしっかり対処したという事を国民に見せたかった。
だから、あまり今までの状況が変わったということは無かった。ただ、それまでいじめを受けていた者にとっては大きな変化だった。
事件を起こした者達はいじめの現場から開放され、ネットでは英雄視する声が多く上がった。彼らは当然それを見て自分の起こした行動を誇らしく感じ、死亡者が出た事実に対する罪悪感など忘れ去っていた。今までいじめを受けていた者達は、今度はいじめを行う側に周り、自分が誰をどういじめるのか決められるようになった。
子供の善悪の判断は大人と比べ、未熟なのだからいじめを行う側といじめを受ける側など、簡単に入れ替わることが往々にしてあるはずだ。いじめを行う者は明日にはいじめを受けているかもしれないし、いじめを受ける側は何か反撃をすれば、今度はいじめを行う側に回るかもしれない。結局、いじめをすれば自分もそれをされるかもしれないのだ。いじめを行うということは、もし自分がそれをされたとき、受け入れなければならないということだ。
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