最後の勝負。
本当に本当のラスト勝負だ。
カケルは走り出した。
足下の地面がドンドン崩れていく。
先ほどまでよりも、ずっと速いペースで。
カケルの隣をイダも走る。
走る。
走る!
走る!!
いつもはこんなに速く走らない。
このスピードでは、42.195キロ走るのは無理だから。
仮に走りきっても、足を壊してしまうだろう。
(それがどうした)
今、カケルは全力で走り続けていた。
一瞬でも足を止めたら赤い水に落下してしまう。
それは絶対にダメだ。
みんなが頑張ってくれた。
フトシが、ケイミが、ツヨシが。
そして、カオリが。
鬼との五番勝負。
閻魔王女が用意したルール。
本当なら敗北必至だったはずの壁。
それを、少しずつ、少しずつ突き崩して。
ようやく、ほんの少しだけ勝てる見込みができた。
走れ。
走れ!
走れ!!
1歩でも前に。
1メートルでも先に。
ただひたすらに走れ。
戦いきった仲間達の分も。
どれだけ走り続けたのだろう。
もうわからない。
両足の痛みは、すでに感じられない。
ちょっと油断すると意識すら飛びそうだ。
カケルの肉体は、ひたすらに水と休息を求めている。
それでも前へ!
足を止めれば、奪われるのはカケル一人の命じゃない。
ここまで共に戦ってきた四人の仲間達の命も失われる。
フトシ、ケイミ、ツヨシ、それにカオリ。
(四人はオレに託してくれたんだ)
だから、足を前に。
1歩、1歩、1歩、また1歩。
ただそれだけを考えろ。
この地獄の道を、1歩でも前に。
そんなカケルに、閻魔王女が相変わらずのニヤニヤ顔でささやく。
「カケルく~ん、がんばるね。でも無駄だよ。キミに勝ち目はない。人間が鬼に勝てるわけないじゃない」
(うるさいっ! 鬼だろうが神様だろうが、オレは負けない!)
「もう足の感覚もないでしょう? 疲れて、眠くて、お腹がすいて、喉が渇いて、とってもつらいんでしょう?」
(うるさい!)
「楽になりなよ、カケルくん」
「うるせぇー!」
叫ぶカケル。
(そうだ、オレはあきらめない)
足が動く限り――いいや、足が動かなくなっても前に進む!
みんながオレを信じてくれた。
だから、オレもオレを信じる。
絶対に負けない。
生きて、この地獄の世界から抜け出して、カオリ達と一緒にまた学校に通うんだ。
決意を胸にカケルは地獄の道を駆け続ける。
隣を走るイダを見る。
いつの間にか、鬼のマラソンチャンプは肩で息をしていた。
牙の生えた口を辛そうに開け、目を血走らせている。
(そうだろうな)
彼だって、いつもよりも速く走ることを余儀なくされているのだ。
普段のペースと違う走りは辛いだろう。
オレと同じだ。
人間も鬼も関係ない。
マラソンは辛い。
たった一人でどこまでも走り続ける競技。
マラソンの天才と呼ばれるカケル。
だが、カケルだって何度も何度も走るのをやめようと思ったことがある。
今回だけじゃない。
マラソン大会の時は、心のどこかで、ほんの少し、いつも思う。
『なんでこんなことをしているんだろう』
『走るのをやめたら楽になれる』
『足が痛い』
『息が苦しい』
『家に帰って横になりたい』
『もう、走りたくない』
そんな気持ちが、常にほんの少しあって。
だけど、それ以上に。
『走るのが楽しい』
『もっと先に行きたい』
『ゴールの快感サイコー』
『1位になって嬉しい』
『応援に応えたい』
『負けてたまるか』
『オレはまだ走れる!』
そう思って、いつも1歩ずつ足を前に出す。
それはとても孤独な戦い。
レースが始まるまでは色々な人が助けてくれる。
カケルほどの天才だと、コーチだっている。
お母さんはマラソン選手用の栄養を考えた美味しい料理を作ってくれた。
お父さんは練習で一緒に走ってくれた。
友達も応援してくれる。
だけど。
レースがはじまれば1人だ。
走り続けるのも、止まってしまうのも、カケルの意思1つだ。
きっとそれは、相撲も、フラッシュ暗算も、将棋も、空手も同じだ。
フトシも、ケイミも、カオリも、ツヨシも。
きっと何度も『もうやめたい』と思ったことがあるはずだ。
みんな天才なんて言われているけど、才能だけでここまできたわけじゃない。
努力して。
泣きたいこともあって。
乗り越えて。
同年代の友達が遊んでいる時も必死に練習して。
何度も何度も『もうやめよう』という誘惑を振り切って。
時には『アイツってマラソンなんかに必死になってバカじゃね?』みたいに言われて。
それでも。
それでも、走り続けてきた。
才能だけじゃない。
努力だけでもない。
才能と努力と両方があって。
それで、ようやく天才と呼ばれるのだ。
カケルは走る。
走る。
走る。
走り続ける。
今のカケルには、もう走ることしかなかった。
閻魔王女の煽るような実況も。
仲間達の鼓舞する声援も。
隣を走るイダの息づかいも。
赤い水も。
崩れる道も。
足の痛みも。
疲労も。
飢えも。
乾きも。
もう、何もなかった。
ただ、足を前に。
前に。
前に。
前に。
前に!
ある瞬間、カケルは全ての苦痛を忘れた。
なぜか、人生で一番気持ちいい時間を味わっていた。
今、オレは走っているのか?
道を駆けているのか?
それとも。
空を飛翔しているのか?
もう、わからない。
ただ、前へ。
前へ。
前へ!!
体が軽い。
こんなにも軽い。
意識なんていらない。
根性なんて邪魔だ。
走るのに、そんなものはいらない。
なにもかもが邪魔だ。
だってこんなに、気持ちいいんだから。
先へ。
先へ、先へ、先へ!
さあ行こう。
どこまでも、翔けて!
今のオレは、きっとどこまででも走れる。
7日間走り続けられる?
それがどうした。
今のオレは、10日だろうが、1ヶ月だろうが、1年だろうが走り続けられるぞ!
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気がついたとき。
隣にイダはいなかった。
ほんの一瞬だけ、カケルは後ろを振り返る。
イダはずっと後ろにいて。
そして、崩れる道とともに、赤い水へと落ちていった。
その顔は悔しそうで。それでいてすがすがしく。
(そうだよな)
カケルにはその意味が分かる。
(お前もマラソン選手なら、もっともっと走りたかったよな)
閻魔王女が何かを叫ぶ。
人間の勝ちとかなんとか言っているんだろう。
きっと、会場では観客達がブーイングでもしているんだろう。
知ったこっちゃない。
オレはまだまだ走れるんだから。
道がくずれなくなり、仲間達が飛行車から落ちて駆け寄ってくる。
カオリが代表して叫ぶ。
「カケルくん! やったね」
(ああ、そうだな。やったよ)
イダには勝った。
だが、オレはまだ走れる。
ケイミが呆れたように言う。
「いつまで走り続けるつもりなのよ?」
(どこまでもだ)
ツヨシが苦笑する。
「お前って、本当に……」
言いながら、ツヨシはカケルに併走した。
そうだな。
イダの次はツヨシと勝負だ。
カケルもツヨシもボロボロで。
それでも、走り続けた。
もう、そんな必要も無いのに。
カオリやケイミ、フトシもそれに続く。
みんな、疲れ切っているのに。
そうだよな。
オレ達はもっと先に行くんだ。
閻魔王女の声が響いた。
「まさか、人間が鬼に勝つとはね。約束だ。君たちは人間界に帰してあげる」
閻魔王女はそう笑った。
カケルの目の前に、光があふれる。
明るくて、まぶしくて、それでいて優しい光。
思わずカケルは目をつぶる。
意識が遠のき、いつしか消えていく。
気がついたとき、カケル達五人は――
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