五月雨が一人待つ乙姫大明神の像の前まで戻ってきた幽鬼、鬼塚、吉井の3人は一人ただひたすら海をぼうっと見つめ待っている五月雨の前まで戻ってきた。
幽鬼が「待たせてしまって悪かったな。早速だが、都市伝説研究家の五月雨さんには非常に残念なお知らせをしなければならない。」
幽鬼がそう話すと、吉井と鬼塚の3人がかりで持ち上げてきた亡骸を披露し始めた。一部が白骨化した、頭蓋骨の左側が陥没している痕跡のある亡骸を見て思わず五月雨が悲鳴を上げる。
そんな様子を見た吉井は、「左側に陥没をした痕跡があることから鬼塚が見つけてきたこの亡骸は望月樹の可能性が高い。」と話すと、五月雨は恐る恐る質問をし始めた。
「都市伝説では、沖に流されたという逸話があったはずなのに一体どうして見つけてきたの?」
その質問に鬼塚が答え始めた。
「恐らくだが、樹は間違いなくこの七ツ釜で投身自殺を図った。飛び込んだ際に岩に思いっきりぶつけたのだろう、顔の左目付近に致命傷となる陥没骨折を負ってしまった。通常ならその時点で死ぬだろうと考えるだろ?でも樹は違った。わかりやすく言うならあるボクサーが試合中に悪役のボクサーに強烈なアッパーを食らわせ、陥没骨折を負わせるような重傷を負わせたとしよう。ボクシングの世界なら、何かあったときに必ずリングの付近にはドクターがいて、応急処置が不可能と見た場合は救急車で緊急搬送されるだろう。同じことが言える。脳に致命傷を与えるまでの傷ではなかったから、恐らくは見える右目だけを頼りに潜水して意識朦朧の中、あんな狭い鍾乳洞の、入り組んだ奥深いところにまで辿り着くと力尽いて死んだのだろう。もしくはここなら誰も助けには来ないと見てわかり水につかり入水自殺を図ったに違いない。あくまでも俺の憶測にしか過ぎないが、樹の都市伝説はデマだった。亡骸はまだこの地で眠っていた。」
鬼塚が語り始めると、五月雨は「見つけた遺体はどうするの?」と聞き出した。
吉井が「見つけた遺体を海に戻すわけにはいかないだろう。釣った魚じゃないんだからね。警察に通報して身元確認を行ってもらう。」と話すと、持ってきたスマートフォンを手に110番通報をした。
幽鬼は、樹の亡骸が履いていた下着から見つかった何枚にもわたって綴られているA4サイズのメモを広げると読み始めた。
”このメモを見つけてくださった方たちへ”
1974年12月28日 僕の兄である望月裕がとんでもない過ちを犯しました。
大事な家族をこの手で殺害をした後に、兄は観音の滝へ投身自殺を図りました。
しかしこの兄の凶行には報道では伝えられていない裏の真実があります。
兄が凶行に走るまで、兄は親友の染澤潤一郎と共に、赤字続きの会社を何とか立て直そうと必死になって、かつて取引先だった会社に次々と二人で頭を下げては、”再びお取引をして頂けませんか?”とお願いをしてきました。兄は、染澤潤一郎と共に新たな会社を立ち上げ、そこで再起を図ろうとしていた最中でした。しかし、小鳥遊悟が経営するフェニックス・マテリアルの台頭と同時に、同じく新進気鋭の企業として茨城県出身の店曲倫久が経営する未来希望金属加工が名乗り出てくると、同じような会社は続いて現れて出てきたんです。1954年の12月から1973年の11月頃まで19年間続いた高度経済成長期の最中に、先に鳥取県に拠点を置く闐闐設備会社が経済発展が著しいことを理由に1955年に武雄市に進出をすると、続いて長岡に拠点を置いていた稲月進が経営する稲月金属工業が小城市に進出をしてきました。後を追うように金沢から崎田則夫が経営する崎田電機が鹿島市に進出をして佐賀は、そんな金属製品の加工企業による未来の家電製品の開発に向けて力を注ぐ会社ばかりが集結するようになっていくと、野心家が集う会社ばかりが集う企業間戦争においては、それぞれの企業が高度経済成長期の終わりと共に生き残りをかけて熾烈なサバイバル争いが繰り広げられてきました。数ある企業の中において、先進の技術を誇るソメザワ・マテリアルやモチヅキ・ドリーム・ファクトリーといった企業は瞬く間に標的にされ会社を潰そうとしてきました。そこで兄は染澤潤一郎と結託をして、戦友でもあり親友だったフェニックス・マテリアルの小鳥遊悟が自分たちが開発をした技術を模倣したものを先に作り世に出したことを理由に、”小鳥遊が自分たちの会社に自由に出入りできることを理由に企業秘密の技術を盗んだことにより自分たちの企業を潰そうとしている”と思い込み、厳しく叱責をした時期もあったが、単なる思い込みに過ぎませんでした。
僕は小鳥遊悟さんのところへ、染澤潤一郎さんの愛弟子でありまたソメザワ・マテリアルの副社長を務めていた福冨克哉と共に、フェニックス・マテリアルのある武雄市内の本社工場へと毎日のように出向き、生き残りをかけて兄とそして染澤さんとの話し合いの場を設け、それぞれの会社の経営統合をして頂けませんかと何度も何度も頭を下げてお願いをしてきましたが、小鳥遊さんはその都度会ってはくれましたが、「兄や染澤さんの会社を潰すことこそが生き残れる道だ。」と言い張り、聞き入ってはもらえませんでした。
そんな中、新しい技術が導入されていくと同時に兄や染澤さんが、精魂をかけて開発をしてきた商品の新しいバージョンが次々と開発され世に送り出されると、経営難に陥っていた二人の会社はたちまち倒産危機にまで陥ってしまいました。
1974年になったころは、お互いの妻が稼ぎに出ないといけないほどのレベルでした。働かせている従業員には食わせられるほどの生活費を与えてやらないと気の毒だと感じ、二人は無給で従業員には少ないながら給料を支払っていました。
無論僕も、ソメザワ・マテリアルで染澤さんの社長秘書を務めていた鮎川茉莉子と染澤さんが恋のキューピッドになってくれたおかげで結婚をすることが出来て、僕は一一人の夫としてまた父親として苦しいながら、妊娠中の茉莉子は公園や河原などに行けば食べられる草などを調べて拾い集めて、少しでもお金を使わない努力をしてくれました。ご自身だって辛い思いをしているときに、染澤さんが茉莉子の妊娠を知ってお祝いにと言っておむつやゆりかごをプレゼントしてくれました。
染澤さんには感謝しかありません。
僕も兄が経営する会社の立ち直しのためにも、まずは利息で膨らみ続ける借金を何とかしたい一心で、かつて取引先だった会社から、新規の取引先として力になってくれるであろう会社まで、次から次へと足を運び、頭を下げてきました。
しかし結果は同じでした。
そうこうしているうちに、我が社はとうとう倒産が目前に近づいてきました。
もう駄目だと諦めかけていた時のことです。
僕が会社で事務作業に追われていた時にある電話がかかってきました。
6月3日の事でした。
名前はと此方が聞いても名乗らず、ただ電話口で「借金でお困りでしょう?あなた方の会社の立て直しをするためのお手伝いに是非とも協力をしてあげましょう。」という連絡がありました。最初は僕も怪しいと思い、一度はお断りをしました。しかし毎日のように、会社名も名乗らずただ救いましょう、救いましょうという内容の電話が公衆電話から立て続けにかかるようになってきて、さすがに2週間も続いて兄もその電話に出るようになって、精神的にも肉体的にも参っていた兄は「頼るしかないだろう。」といって、その電話を掛けてくれた会社の人と会うようにと言われました。
電話がかかってきて2週間後の6月17日には、電話を掛けてきた会社に対して「お願いします。」といって返事をしたら、翌日の6月18日には是非とも会って話がしたいとのことになりました。
僕は指定場所の雑居ビルの中にある喫茶店へと福冨と共に向かいました。
同じ内容の電話はソメザワ・マテリアルにもあったそうです。
ですが、話した内容は僕たちの会社にかかってきた内容とは異なっており、「生き残れるようにお手伝いをしましょう。」と女性からかかってきたとも聞きました。
会社の名前を名乗らない点で、恐らく同企業によるものだと思い、担当の人間が出てくるのを二人で喫茶店で待つことにしました。約束の時間が11時だったのですが、実際にその担当の方がお見えになったのは13時を回った頃でした。約束の時間を大幅に遅れたことをその人は「申し訳ありませんでした!」と深々と土下座をして謝罪をしてきました。何度も何度も深々と土下座をする姿に、福冨が「もういいですよ。他のお客さんの迷惑になりますから、顔を上げてください。」と言って商談が始まったのですが、それが地獄への道に繋がっていきました。
謎の会社との取引が成立したと同時に、毎日のように”さっさと潰れろ”、”お前たちが開発した商品使えねぇだろ”というような一方的な罵声やクレームの内容の公衆電話からかかってくる電話や非通知による無言電話が後を絶たなかったのですがそれがぱたりと途絶えました。正式に取引をして1ヶ月が経ち、謎の会社の言われた通りの行動を行い、実践をしてきましたが、会社は劇的に変わる気配も無ければ、ますます悪化していく一方です。そんな日々が続いた7月20日に無情な要求を突き付けてきたのです。
「会社は助ける。でもその代わりにこの熾烈な競争社会に生き残る術において潤一郎と裕はこの世界から消えなくてはいけない。」
僕はその内容の手紙が届いたと同時に、すぐにどういうことだと会社に連絡をしましたが、「現在使われておりません」のアナウンスと同時に、会社のある唐津市内に足を運んでみたら、そこはもぬけの殻でした。会社はダミーだったのです。
まんまと騙されたと思い、すぐにでも会社に戻り、会社が存在しないことを兄に伝えようとしたその時でした。
7月23日に再びあの、公衆電話から謎の電話が会社にかかってきました。
その電話には僕が電話に出ると驚きの内容を告げられました。
「染澤潤一郎の死が近付いている。」
それだけでした。あまりにも気味が悪くて「何を言っているんだ!?」と聞き返しましたが、「夜の23時過ぎに染澤邸に来い。良い話をしてあげる。」と言われ一方的に電話は切られました。僕は事の真相を確かめるためにも、言われた通りに夜の23時過ぎに染澤さんのご自宅へと向かいました。
そこで僕は玄関の外に置かれてあったメモに「そこに置いてあるカメラで中を撮影してこい。」と書かれたメモを手にスーパーエイトと取り換え用の8mmフィルムを持った状態で、施錠されていなかった玄関から中に入っていきました。
玄関を上がると、「風呂場に向かえ」と綴られたメモがあり、風呂場へ向かうと信じ難い光景がそこには広がっていました。
染澤さんの母親であるセツさんが息子を殺す現場を見てしまったのです。
僕はセツさんが息子の腹部を切り付けた後に、腹の奥深くまでえぐるように出刃包丁を使い殺害したのをあたかも息子による切腹自殺だと偽装するためにも、指紋や毛髪さらには足跡などを一つも他人による殺人事件ではない事を示すように、抵抗した痕跡すら出ないように染澤さんが抵抗する瞬間を与えることもなく一瞬で殺されたのでしょう。恐らく洗面所にいて夜寝る前の歯磨きなどをしていた頃だっただろうと思います。染澤さんはパジャマ姿でした。
セツさんはゴム手袋やヘアーキャップと雨合羽を被った状態で僕を睨んできたと同時にこう言われました。
「わたしが抱える借金のためだ。チャラにしてくれると言われ殺った。事件だと思われぬために、潤一郎による無理心中事件だと偽装をしてくれ。」
言われた僕は事の真相をすべて話して、罪を償うべきだと説得しましたが、その場にいた男に鈍器で殴られ気絶をさせられると、目を覚ましたのが翌日7月24日の午前2時を回った頃でした。
目を覚ますと、僕は頭部に男から猟銃で突き付けられると、目の前には大量の血のりがあり、それを予め用意された染澤さんが着用したパジャマと同じものを着用させられ、あたかも自分が殺したかのように大量の血しぶきを浴びた状態を作り出し、見ている人が我が家族を自らの手で殺害をしてしまい茫然と座り込んでいる状態で潤一郎になったつもりで撮影しろと言われました。
脅された僕に選択肢はありませんでした。
抵抗をしたら殺されると思い、僕は染澤さんになりきり撮影に挑みました。
それがショートフィルムの”自滅の瞬間”だったのです。
お風呂場でぐったり倒れている染澤さんを横目に、僕は与えられたメイク道具で必死になって潤一郎さんになり切ったと同時に、あたかも潤一郎さんが殺しを行ったかのように見せかける演技をしてしまいました。
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