染澤さんになりすまし、あたかも染澤さんによる無理心中事件を装うために、8mmフィルムで動画を撮影し始めた。
『1974年7月24日夜の2時を回ったぐらいだね。俺は愛する家族をこの手で殺してしまった。豊子に、息子の宏親、靖典、智紀、皆ごめんな。でもこうするしかなかった。俺は小鳥遊を悪魔になってでも復讐を果たしてやる。地獄できっとサタン様が俺のことを見守っていて下さっているだろう。怨念で漲るこの俺に大いなる力を授かるためにはこうするしかなかった。誰かに殺され怨念を抱きながらこの世を彷徨うより、怨念を抱きながら自らの手で殺したほうが、より悪の力が増す。霊の存在は俺は信じないが、本で読んだこの内容だけは俺は信じてならない。俺は死んで悪魔になる。そしてのうのうと生き続ける小鳥遊悟を追い詰めてやる。今迄支えてきてくれた、皆ありがとう。』
生前の染澤さんが、悪魔崇拝を行っていたのは紛れもない事実です。
精神的にも肉体的にも追い詰められた染澤さんが、競合他社を蹴り落したい目的で熱心に調べるようになって、いつしか「魔王サタン様万歳!」といって悪魔の王でもあるサタンを拝み始めるようになっていきました。
染澤さんの殺人事件が、捜査に動き出た警察により、「現場に染澤さん以外の指紋や毛髪さらには足跡以外は見受けられなかったこと、さらに2階の窓や1階の玄関の扉も含めすべて施錠され、誰かが侵入をした痕跡も無かったことから推定し、染澤さんの遺体の近くには彼の直筆による”未来の食糧計画”と書かれた電気をエネルギー源とし食物を育てるという設計図には”悪魔と取引したい”と記されていたことから、警察もこれ以上の詮索は気味悪がって、”精神錯乱に陥った染澤潤一郎による無理心中事件”だ。」と判断しました。
僕は染澤さんが亡くなってから毎日懺悔の日々を過ごしました。
兄は戦友でありまた親友でもある染澤さんの無理心中事件にショックを隠し切れませんでした。兄も染澤さんが悪魔崇拝にのめり込んでいたのは知っていましたし、微力ながら俺が親身になって相談に乗ってあげるべきだったと悔やんでいました。
そんな最中、僕はあれだけのことをしておいて、かつ会社を助けるためにと言って犯罪にも加担させられたことについて、少しでも会社が抱える借金が返せればの、ただそれだけだった。しかし事態は変わらず、利息だけが増え、さらに借金をして払わなければいけない利息をさらに新たな借金をしてしまう悪循環に陥りました。
最終的には兄と僕、そしてソメザワ・マテリアルの副社長だった福冨克哉の3人で会社を切り盛りしていました。福冨さんは、僕と必死になって借金を返すためにありとあらゆる会社へと出向き頭を下げ、営業活動に奔走しました。兄は会社に残り、新規で取引をしてくれる会社が現れることを期待して会社でひたすら事務作業をしていました。しかし電話がかかってきたとしても借金の催促ばかりでした。
「もう借金は返せそうにない、自己破産するしかない。」
兄が日に日に弱っていき、次第に弱音を言い始めるようになっていきました。
12月に入っても忙しさどころか、かえって益々借金の催促の電話が一日中鳴りっぱなしの時もあれば、中にはヤクザと共謀して会社にまで脅迫をしてきたところもありました。命の危機を感じざるを得ませんでした。
そんな最中にまたしてもあの公衆電話から電話がかかってきたのです。
12月28日の事でした。
借金がついに利益だけでは返せられなくなり、ついに兄の会社は倒産しました。兄は会社の倒産と同時に自己破産の申告の手続きをしました。借金の額は利息も含め大よそ10億にも上る計算です。身を粉にして働いたとしても返せない金額だったのです。会社だった土地は財産の一つとしてカウントされるため差し押さえになり、また兄が住んでいた小城市内の我が家も自己破産と同時に手放さなければいけなくなり、着るもの等をすべて持参できるものは全て持った状態で、僕の住む佐賀市内のアパートに引っ越しを余儀なくされました。小城市の取り立てに入るまでに、会社にはまたしてもあの謎の会社からの公衆電話が入ってきました。
「会社の倒産おめでとう。借金の返済のお手伝いをしてあげよう。」
その電話を僕が受け取り聞きました。
僕がたまらず「またそうやって、人を地獄を落とすつもりなのか!?俺達や染澤さんを追い詰めるのが目的で近付いたんじゃないのか!!」と怒鳴りました。
しかし相手は笑うだけでした。
「弟のお前は知らんだろうけど、兄の裕はまるでパペットのように我々の言うとおりに従ってくれたよ。かつての旧染澤邸で行われたあの無理心中事件の地に足を運び心霊現象ともとれる映像を君の兄貴は体を張って撮ってくれた上に、”悪魔になってあげる”という名言までも8mmフィルムに残してくれたよ。名優だったよ!自慢の兄貴を持ってよかったな、弟よ。」
僕はその言葉を聞いて「そんなに精神的に弱っている兄を追い詰めて何がしたいんですか!?」と問い詰めるも、「12月29日になるまでに、夜の23時30分頃に唐津市内を代表する自殺の名所でもある観音の滝の滝面へ来い。良い取引をしてあげよう。来なければどうなるかわかっているか?」と話し始めると、反論をすることも出来ず一方的に電話は切られました。
身重の妻を犠牲にするわけにはいかないと感じた僕は、言われた通りに観音の滝の滝面へと向かいました。
僕は23時20分ごろには到着し、森の中へと入っていき、滝面へと向かいました。
すると、滝面の近くに手紙が置かれてありました。
”樹さん、ごめんなさい。許されない過ちを犯しました。”
そう綴られた手紙には、「裕さんの最愛の家族である絹子夫人、哲也君、和保君を裕さんが殺したかのように偽装を行い、家中にガソリンを撒き放火しました。全ては男からの脅迫に断ることが出来ず、染澤さんの時でも脅されて猟銃で樹さんの頭部にめがけて発砲をするかのように見せかけて脅せよと言われ行った。今迄の俺が、ソメザワ・マテリアルに就職するまで盗難や万引きばかりをしては捕まり刑務所に入るを繰り返してきた前科3犯の俺を救ってくれたのは染澤潤一郎さんでした。”二度とあんな冷たい監獄の中に入りたくないのなら、俺のところで真面目に更生しようじゃないか”といって、出所したばかりの俺に優しい言葉をかけてくれました。”泥棒なんてもうしない”と約束してくれるよね?ってそういっていつも俺に優しい言葉をかけてくれたが、ソメザワ・マテリアルの倒産危機と共に、ある電話がかかってくるようになってきた。それは俺の前科を知っている人間だったようだった。”お前がかつて犯罪を犯したという履歴はどんなに真面目に更生したであろうが決して拭い去ることはできない。”と言われ、反論をしようと思ったが一方的に電話は切られ反論は出来なかった。非通知だったので折り返し連絡することも出来なかった。そんな電話が毎日のようにかかってきて、染澤さんには真剣に相談してみたが、”その手のいたずら電話などは放っておきなさい、真面目に頑張って営業活動をしてくれているんだからそれだけで俺は助かっているよ、ありがとう。”といって励ましてくれました。でもいたずらが日に日にエスカレートしていき、送り先不明の着払いの郵便物が毎日届き、最初は小っちゃなケースだったのが段々とミカン箱ほどのケースにまで大きくなっていき、入っている中身も”お前の悪事を闇に葬ることはできない”という一文のみでした。警察に通報したいところだったが、タイプライターで打ち付けたような文字を張り付けてあるだけのものでは誰の筆跡なのかは特定も出来ずかたや綺麗に貼り付けられてあったため、嫌がらせと通報するには誰かを特定しなければいけなかったのですが、誰かに後をつけられているわけでもなければ、かたや会社の迷惑になっていることと言っても、僕宛で来ている以上責任は僕が取らなければいけない。精神的に参り、行きついた答えは犯罪に加担することだった。」
樹がその手紙を声を上げて読んだ時だった。
後から誰かの声がする。たまらず振り返った。
「にっ、兄さん・・・!!」
振り返ると兄と隣には福冨克哉の姿があった。
福冨さんが僕にこう告げた。
「俺は致し方がない。たった今、最凶の死刑執行人に裕の家族はお仕置きをしてもらったところだよ。裕もお仕置きの現場を俺と共に見れて幸せだったと語っているよ。なあ、望月裕さん。気持ちよく家にガソリンをバアーって撒いちゃえばね、差し押さえになった物件が訳ありの物件になる現場を気持ちよく見れたね。」
福冨がそう語ると、兄はまるで魂が抜けてしまったかのような状態になっていた。
僕は福冨を問い詰めた。
「福冨さん、そんなことをしたら、あなたに待っているのは地獄だけですよ!」
問い詰めると福冨はさらに笑い始めた。
「裕、大好きな弟が頭のおかしなことを言っているぞ。近付いて話を聞いてやれ。」
福冨がそうはなすと、ぜんまい仕掛けの人形が背中のぜんまいを巻いて動くような感じの勢いで、兄は僕のところへと近付いてきた。
兄が滝の滝面のところへと近付くと僕にこう話してくれた。
「樹、頼りない兄貴でごめんよ。これは与えらえた次の指示書だ。言うとおりに従ってくれ。それが樹自身を守ることでもあり、また茉莉子さんを守ることにも繋がる。頼む!!」
兄は僕にそう話すと、背後から猟銃を持って迫ってくる福冨から逃げようと滝面へと勢いよくダイブして飛び込み二度と戻ってくることはなかった。
「兄さん、兄さん。福冨さん、どうしてそんなことをするんですか。一体何があったのか教えてくださいよ。どうして兄さんを追い込んで自殺させたんですか。兄は家族のことを第一に思う優しい夫であり父親でした。一体誰なんですか?誰がこんな酷いことをしたのですか?説明してください!!」
福冨さんは質問されても黙るだけだった。
僕は仕方がなく、兄から渡された指示書を開き始めた。
「裕になりすまし、スーパーエイトと8mmフィルムを使い、自殺前だと思わせる映像を撮影しなさい。」
僕は再び、染澤さんにしてしまったことを振り返り思い出すとそれは出来ないと考えて指示書を捨てようとした。しかし後ろにはあの猟銃を持った男が立っていた。
「福冨さん、目を覚ましましょうよ。こんなことをしても犯罪に加担するだけで何の得になりませんよ。」
僕がそう言うと、福冨が語り掛けた。
「何を言っているんだ。俺もお前もとっくに犯罪に加担しているだろ?」
そう言われると反論が出来ず、僕は兄になりすまして、ショートフィルムの”望月の最期”を撮影した。
「モチヅキ・ドリーム・ファクトリーは借金が膨らみに膨らんだ結果、倒産する流れとなりました。俺を支えてくれている妻や子供達には家や車を財産差し押さえで失ったばかりでなく、数億円にも上る借金の返済を背負わされ、夫として父としてこの上なく力不足で満足な生活を送ることが出来ず申し訳ない気持ちでいっぱいです。どうかこの罪深い俺を許してください。そして俺は、裏切った小鳥遊を許さない。悪霊になってでも俺は小鳥遊に制裁をしてやるんだ!」
撮影を終えた後は罪悪感でいっぱいになり、明くる日の12月29日に警察から電話があって事件の概要を改めて知ることになった。
そして福冨克哉は事件後すぐに染澤さんの事件から兄の事件を記録した映像を記録した8mmフィルムを、聞けば金庫ほどの大きさの箱に鍵をかけて保管をしたのを虹の松原の中にある一画に埋めたそうだ。僕がそのことを知ったのは、福冨さんが事件を苦に嬉野市内にある轟の滝で投身自殺を図ったのを知ってからの事だった。
1975年の1月1日の事でした。朝9時に警察から僕に事情聴取がしたいと連絡が入り、何事ですか?と身に覚えがなかったので聞くと、「福冨克哉さんが虹の松原で首を吊った状態で見つかった。足元には、”望月樹さんへ”と綴られた手紙が残されており、自殺に関与されたかどうかを伺いたい。」という内容のものでした。
僕は唐津署へと向かい、そして渡された手紙を読み始めた。
「今までお世話になりました。こんな悪い人間でも、真摯に向き合ってくれた染澤さんや望月さん兄弟には感謝しかありません。でも一度過去に悪いことを起こした人間であることを知られてしまっている以上、社会では全うに評価されませんでした。望月裕さん樹さん、そして染澤さん、ありがとうございました。そしてこの競争社会が招いた闇は決して裁かれることはないと思います。自由主義である以上、自由競争を生き抜く上において、邪魔者は排除されるということだと思います。最後になりますが、最凶の死刑執行人は僕じゃありません。その正体は、決して樹さんは知らないほうが身のためだと思います。そして虹の松原に向かえば樹さんに見せたいものがあります。詳しい場所までは教えられませんが、行って是非探して下さい。今までありがとうございました。」
手紙を読み始め、担当の刑事が「何だね?その最凶の死刑執行人ってどういうことだね?」と聞かれたので、僕は「いえ、全くもって心当たりがありません。わかりません。」と回答して、福冨さんが自殺をした理由もわからないと答え、僕はその場を後にしました。
その後、茉莉子とも幸せだったと思える生活は、積み木崩しのように崩壊していきました。もう茉莉子とは新婚当初だったあのときの幸せはもう取り戻せられないぐらいに会話もなく、すっかり冷え切ってしまいました。兄の事件を機に、まるで極悪人のような実名報道、マスコミによる酷いバッシング、アパートの扉には落書きされ、世間とはこんなにも冷たい社会なのだと改めて実感させられました。
そして僕は今までの罪を認め、兄と同じ世界へ旅立ちます。
1975年3月31日 望月樹
樹が遺したメモを一通り読んだ幽鬼は、その場にいた鬼塚と吉井、五月雨の3人に語り掛ける。
「警察が来て事情聴取が終えたら、皆で虹の松原へ行こう。何か隠されている。」
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