ヴィーナシアンの花嫁

シンギュラリティが紡ぐ悠久の神話
月城 友麻 (deep child)
月城 友麻 (deep child)

2-7.愛が人類を作った

公開日時: 2020年10月28日(水) 20:09
文字数:3,852

 日々、シアンは着実に成長していく。

 チームを組んで狩りができるようになり、簡単な言葉を話すようになった。人類が何十万年もかけて学習してきた事を、AIチップをガンガン回す事で数週間で実現してきたのだ。


 ただ、うまく行くことばかりではない――――



 マーカスがプロジェクターで、仮想現実空間を映し出し、進捗報告を始めたが……いつもと違って、神妙な顔をしている。


 画面をみると、シアン達はどうやら喧嘩をしているようだ。


 何か叫びながら、ボカボカ殴り合っている。


「What's happen?(どうしたの?)」

「ミンナ ラク シタイネ」


 どうやら、リンゴをたくさん楽して貰える、上位の序列を巡って争っているらしい。

 ニホンザルとか、動物の群れにはよくあるシーンではある。


 ケンカにまでなるのは、健全なAIの成長であるともいえるが……人類の後継者として、そんな暴力的要素を盛り込んでしまっていいのだろうか?


「クリスはどう思う?」

 困ったらクリスに振るに限る。


「…。競争と悪意は違う。悪意はダメだ。それでは悪魔になる」

「そうなんだけど、悪意の定義が難しいね。相手の損を狙うのは健全な競争なので、何をもって悪意とするのかが難しい」


 クリスは目を瞑り、上を向いて何か考え込んでいる……。


 しばらく色々と考えていたようだったが、目を開けて言った。

「…。フェアかどうか見る、というのはどうか?」

「なるほど、ルールを決めて、その範囲で公明正大ならOKという風にしようか?」


 スポーツが分かりやすいが、相手に不利な事をするのは当たり前の戦略だ。

 だが、相手のけがを狙い始めたら、それはスポーツにならない。

 やってはいけない事を定義し、ルールとして掲げれば、競争と悪意は分離できそうだ。


「…。ルールの運用の問題はあるが、いいんじゃないか」

「Marcus! Could you imprement such rules? (ルールを持たせられる?)」

「Ummmm…… ルール イレルノ カンタン。デモ シアンニ ツクラセル ムズカシ」

 そう言って肩をすくめる。


「ですよね~」


 狩りをするより、奪った方が楽、という基本的な力学がある以上、争いは無くす事ができない。


 みんなが考え込んでいると……


「君たちは分かってないな~」

 美奈ちゃんが、会議テーブルに頬杖をつき、人差し指を揺らしながら言う


「愛よ、愛! 愛が無いからケンカばかりするの」

 

「え? 愛?」

 また、嫌な言葉が出てきた。俺が怪訝そうな顔をすると


「シアンは自分の事しか考えないから、こんな事になってるのよ。人間が社会で、みんなと上手くやってるのは、愛があるからなの。他の人が喜ぶと嬉しい、という感情が大切なのよ。」


 なるほど……、一理ある。


 つまり、全員が100%身勝手だと、延々と潰しあってしまうが『他人に利益を渡すと嬉しい』という力学があれば、柔軟で生産的な社会ができるって事だな。そしてこれは一般に『愛』と言われている。


「美奈ちゃん凄いな、まさに核心じゃないか!」

「ふふっ、愛のことなら私に聞きなさい」

 そう言って胸を張る。


「AIの成長にとって、大切なのが愛だなんて、なんだか凄いファンタジーだね!」

 俺がそう言って笑うと、美奈ちゃんは急に近寄ってきて、俺の耳元で……


「誠さんの成長にとっても……愛は大切なのよ」

 小声でそう言ってウインクした。 


 フワッとブルガリアンローズの香りに包まれて、俺は心臓が高鳴り、息が乱れた。


「な、なんだよ! 俺の愛は関係ないの!」


 俺が赤くなって、投げつけるように言い放つと、美奈ちゃんはケラケラと笑った。


 年下の女の子にからかわれて情けない、とは思うものの、彼女は的確に俺の足りない所を突いている。親に捨てられたトラウマで、人と深く付き合う事から避けてきた俺にとって『愛』はいまだにうまく捉えきれていない腫れ物なのだ。


『分かってるんだよその事は!』

 俺はうなだれながら目を瞑り、内心毒づき、大きく息を吸った。

 そして、大きく息を吐くと、気を取り直して――――


「とりあえず、愛の管理システムを追加してみようか?」

 マーカスに言った。


「OK! ヤッテミルネ!」

 マーカスがサムアップしてニッコリして言う。


「…。『マインド・カーネル』だな」

 クリスがボソッと言う。


「え? 『マインド・カーネル』?」

「…。あ、いや、こういうシステムの事を、そう言う人がいたんだ」


 なぜ神様が、AIのシステムなんかに関わっていたのか不思議だが…… 『マインド・カーネル』という名前は確かに言い得てて、いいかも知れない。


「マーカス! じゃ、システム名は『マインド・カーネル』で!」

 マーカスは、ニヤッと含みのある笑いをしてサムアップ。


 なんだろう……、この名前、何かあるのだろうか……

 俺はすかさず検索したが……ヒットしない。キツネにつままれた気分だ。


 それにしても、美奈ちゃんの仮説が正しいとしたら、人類がこんなに発展できたのも、愛のおかげという事になる。

 愛があるからこそ文明、文化が発達した……

 もし、愛が無かったら、いつまでも争い続けて集団行動に繋がらず、ずっと猿のままだったという事になる。

 俺は胸にグッとくるものを感じた……。愛が人類を作ったのだ。

 AIを研究すると、人類とは何かが少しずつ見えてくる。


 俺はまた一つ真実に近づいた気がしてついニヤッと笑ってしまった。


 ただ……。


『愛……愛かぁ……』


 俺は深いため息を一つ吐いた。


 俺は愛が苦手だ。愛が一番欲しい子供時代に、親に捨てられてしまったトラウマは、そう簡単には消えてくれない。

 あんなに大好きで、俺の全てだったママが、ある日いきなり俺を捨てたのだ。俺を要らないと捨てたのだ。

 俺の心にぽっかりと空いた穴は深刻で、いまだに尾を引いている。


 愛は素晴らしい。その素晴らしさは良く分かる。

 しかし、愛するという事は、心の一番柔らかな部分を相手に晒す事。もしまた裏切られたら……俺は考えるだけで背筋が寒くなり、心の奥底のおりが湧き上がって行くのを感じる。

 俺はブルブルっと震えると、目を瞑り、大きく深呼吸してゆっくりと心を落ち着けた。


 守らないといけない、この穴の開いた心を……。

 二度と壊されるわけにはいかないのだ。


 28歳にまでなって、いつまでもこんなではダメだという事は分かっているが、心の問題はそう簡単ではない。



       ◇



 地球から遠く離れた美しい星で、誠たちを見ている人がいた――――


 青いガラスで作られた、巨大コンベンションセンターの様なホールに、一人の高貴な女性が座っていた。透き通った白い肌に整った目鼻立ち、その瞳には美しさの中に凛とした強さを秘めていた。

 彼女は不思議な透明感のある金色のドレスを纏い、足を組み替えるたびにドレスはキラキラと煌めきを放った。


 ホールの上の方では、巨大なクジラが悠然と空中を泳ぎ、それを色とりどりの魚が追いかけている。フロアの周辺部には多彩な現代アートや、物珍しい蒐集しゅうしゅう物が並べられ、まるで美術館のようだ。


 ガラスの壁面の向こうに目を移すと、雪をかぶった美しい山の連なりが緩やかに動いて見える。どうやらこのホールは、空中を移動しているらしい。


 女性の周りには、いくつかの3Dモニタがホログラムの様に浮かび、綺麗にデザインされたグラフや、地球の各地の姿を浮かび上がらせている。

 女性は、閉じた扇子を頻繁に、クルクルと動かしながら3Dモニタを操作し、グラフを眺め、そして誠たちのオフィスを表示させ、ジッと見入った。


 しばらくすると、

「ただいま~」

 という声とともに、空間にいきなり裂け目が走り、現れたドアから若い女性が入ってきた。白のコットンブラウスにグレーのフレアースカート。シックな装いの彼女は、金ドレスの女性とうり二つだが……肌の色だけがやや濃く見える。

 

「すごく楽しんでるわね」

 金ドレスの彼女が声をかけると、


「まぁね、でも結構苦労してるんだから」

 そう言いながら、指先でクルリと宙に輪を描く。すると空中にポップな赤い椅子が現れ、それに座った。


「珈琲でも飲んで」 

 金ドレスの彼女は扇子をくるりと回し、珈琲を二杯出すと、一つを彼女に渡した。

「ありがと!」


「久しぶりにお祭り・・かしらね」

 熱い珈琲をすすりながら、金ドレスの彼女が声をかける。


「だといいんだけどね……」

「ダメそうなら星ごと消してね。うちには、ダメな星を回しておくエネルギーは無いんだから」

 金ドレスの女性は、人差し指を振りながら鋭い目線で言い含める。


「分かってるって、コンテンツ・エネルギー比を落とすなって事でしょ」

「そうそう、ダメな星ばかりになったら、うちごと消されちゃうわ」

「世知辛い世の中だわ……」

 二人はちょっとウンザリしながら、無言で珈琲をすすった。


「でも……本当のエネルギーの実態がどうなってるかなんて、私たちには分かりっこないのにね……」

「エネルギーの話をしだすと頭痛いわ……ワインでも飲む?」

「あら、いいわね」

 金ドレスの彼女はニコッと笑った。


「うちの星のワインは、結構良いのよ」

 そう言って、空中にワインを出し、サーブする。


「そうね、ワインのためだけにでも、残しておこうかしら」

「ふふっ、『葡萄球ワイナース』って名前に変えようかしら」

 白ブラウスの彼女はそう言いながらワイングラスをクルクルと回し、香りを嗅いで……幸せそうに満面の笑みを浮かべた。


「そしたら、葡萄球ワイナースに乾杯!」

「乾杯!」


 チン! というグラスの音に惹かれて、クジラがゆっくりと降りて来る……。

 そして、二人のすぐ上で巨大な尾びれを振った。


「キャ――――!!」「キャ――――!!」


 二人はそんなクジラをギリギリでかわしながら、歓声を上げた。


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