ヴィーナシアンの花嫁

シンギュラリティが紡ぐ悠久の神話
月城 友麻 (deep child)
月城 友麻 (deep child)

5-3.猫と共に去りぬ

公開日時: 2020年12月23日(水) 23:18
文字数:4,303


 翌週、シアンは相変わらずネットサーフィンしたり、ミィと遊んだりしている。シアンにとって、この赤ん坊の身体は、どういう意味を持つのだろうか?

 現実世界との接点は、この身体しかないという状況で言えば、それなりに意味があるのだろう。しかし、よく考えれば、現実世界に身を置く必要は、もう無いはずだ。本体はネットの彼方で、勝手にいろんな事やってしまっているのだし。

 

「クーデター計画の方は順調なのか?」

 俺は、半ば自嘲ぎみに聞いてみる。


「さんどうしゃが いま10まんにん だよ」

「ああそう……」

 

 もう想像の向こう側の生き物なのだな、と思うと親離れ、子離れの季節なのかもしれない。

 そんな諦観ていかんの中でシアンをボーっと見ていると

「まことさん、おそといく~!」 と、言い出した。


 世界征服を企むような奴に、なぜ散歩を付き合ってやらねばならんのだ。


「うん、また今度ね~」 と、お茶を濁す。


「やだ、いきたい~!」

「もうすぐでご飯だから、また今度!」

 俺はそう言いきって逃げる。


「ぶ~~~!」

 シアンは玉子ボーロを手に取ると、豆まきのように俺にぺちぺちぶつけ始めた。


「おいこら! 食べ物で遊ぶんじゃありません!」

「つれてけ~!」

 シアンは俺の言うことも聞かず、さらに玉子ボーロをぶつけてくる。

「あーうるさい! 大人しくしてなさい!」

 俺はそう言って部屋から逃げ出した。

 今、俺は何をしたらいいのか、どうやるのが正解なのか、考えがまとまらない。


 ふぅ……。


 俺はトイレに行き、ボーっと考えた。

 シンギュラリティを超えてしまったシアン、彼はクーデター後に何をするのだろう? もちろんアーシアン・ユニオンの運営もやるのだろうけど、計算力は幾らでも増やせるから、どんどん好きな事ができるだろう。きっと、もっと高性能なコンピューターを勝手に開発し、更に賢くなっていくのだろう。どんどん、どんどん、速く、高性能になっていく……それこそ無限にコンピューティング・パワーを得てしまうだろう。

 そうなったらシアンは何をやるのだろうか……?


 俺だったらどうするか……。俺が、無限のコンピューティング・パワーを持ったらやりたい事……やっぱりシミュレーションかな? いろいろな物理現象をシミュレーションして、それをリアルに映像化する……。星が生まれる所や、生命が生まれる所を上手くシミュレーションして、感動的にバーンと映像化して……。

いやいや、折角なら人体とかシミュレーションして、リアルな人体模型作って……でも1体作れるなら何万体でも作れるよな……色んな人を生み出して、同時に動かしたら、社会のシミュレーションもできるな……。


 ここで俺は気が付いた。これって……シミュレーション仮説そのものでは……?

 もしかしたら、シアンの未来には、シミュレーション仮説があるのかもしれない。


 俺はすごく嫌な予感がした。教授の言葉が頭をよぎる……。

 そもそも、宇宙の他の文明が、もし先に、シンギュラリティを達成していたらどうなる? 彼らが得た無限のコンピューティング・パワーで、惑星シミュレーションをやっている可能性って、あるんじゃないのか? それがもしこの地球だったとしたら……?

 いやいや、いやいや、まさか……そんな……。


 そんな不吉な予感を打ち消しながら、帰ってくると……ドアが開いている。しまった、鍵をかけ忘れていた!

 急いで部屋を見るとシアンが居ない。ミィも居ない。床にはただ玉子ボーロが散らばるばかりだった。


「大変だ! シアンが逃げだした!」

 俺がオフィスのみんなに叫ぶと、一斉にこちらを向いて皆、青い顔を見せた。

 

 俺達は慌ててオフィスのあちこちを探すが……居ない。

 嫌な予感がして玄関に行くと、鍵が開いている!

 間違いない、外へ行ってしまったのだ。

 俺は靴も履かずに外に飛び出した。



        ◇

 

 

 シアンは外に行きたかった。また、芝生でゴロゴロしたかった。

 ミィも一緒に連れて行ってあげたかった。一緒にゴロゴロしたかった。

 ミィを半分ずり落としながら抱っこして、よちよち廊下を歩く。

そして、おもちゃの棒でエレベーターのボタンを押した。


 マンションの外に出ると、目の前は交通量の多い道になっている。

「こっち!」

 街路樹の歩道をよちよち歩きだすと、ミィは苦しいのか腕から逃げ出した。

「あ、ダメ!」


 そう叫んだ瞬間、ミィは車道側へ逃げてしまった。

 ぴょんぴょんと跳ねるミィ、迫るトラック

 

 その直後、


 Thudゴリッ Thudゴリッ


 嫌な音が響き……。

 ほんの一瞬で、ミィは変わり果てた姿になってしまった。

 

 思わず車道に飛び出すシアン。

 

 Squealキュキュー―――――!


 後続車がギリギリで止まり、

 Beep-beepパッパ―――――!!!


 クラクションが鳴り響いた。


「ミィ! ミィ!」


 原形を留めていないミィに、何度もシアンは声をかける。

 運転手が降りてきて


「おい! 危ないぞ! 親は何やってんだ!!」

 怒鳴り声が響く。


 うわぁぁぁぁぁぁぁん!!


 シアンは大きな声で泣いた。

 めちゃくちゃ大きな声で泣いた。

 

 俺がマンションから飛び出すと、シアンは運転手に抱きあげられる所だった。

 急いでシアンの所へ行くと、


「あんたが親か? 気を付けろ!」

 そう怒鳴られ、シアンを渡される。


 シアンはさらに激しく泣き、そして、急に痙攣ひきつけを起こした。


「ヒュッヒュッ」


 呼吸がうまくいかないようだ。ヤバい。


 俺は、後から出て来た由香ちゃんに、ミィの遺体の処理を任せ、急いでオフィスに戻った。

 

 オフィスへ行くと、マーカス達がピーピー鳴りまくるエラー音の中で、真っ青な顔をしている。

 俺をちらっと見たマーカスが

「All systems are out of control! (全システム制御不能!)」

 と叫んだ。


 画面を見ると、エラーメッセージが滝のように流れていて、とんでもない事になっているのが分かる。


 全システムの稼働状況ロードアベレージが全て100%となり、外部からのコマンドを一切受け付けてくれないようだ。


「Do we have to go to Shinagawa?(品川へ行くしかない?)」

 俺が恐る恐る声をかけると、マーティンは


「OK! Let's go!(行こう!)」

 と、立ち上がった。


 俺達はタクシーを捕まえて、IDCに急ぐ。


 しかし、途中渋滞していてタクシーは止まってしまう。


 こんな時に限って!


「Let's run!(走ろう!)」

「Sure!(了解)」


 俺達はタクシーを降り、IDCに走った。


 国道15号沿いの歩道を、ただひたすらに走る。


 例え世界征服を企むとんでもない存在でも、シアンは俺の子だ、死なすわけにはいかない。

 それにシアンが肉体を失ってしまったら、クーデター計画がとんでもない方向に変質しかねない。

 今はただ走るしかない。

 ハァハァいいながらラックの前まで来ると、サーバーのランプがみんな真っ赤になっている。

 本当は緑色にチカチカしているはずの所が、皆真っ赤である。これはヤバい。体じゅうの血が凍るかような悪寒に俺は動けなくなる。

 マーティンはキーボードを接続し、カチャカチャとコマンドを打つが……全然反応が無い。


「Oh! NO!」

 そう叫んで、マーティンはキーボードを両手でバンと叩く。無口なマーティンがここまで取り乱すのを初めて見た。

 

 キー入力すら受け付けないなら、もう最終手段のリセットボタンしかない。


 リセットボタンを押すと強制的に止められはするが、計算中のデータは全部飛んでしまい、タイミングが悪ければシステムが壊れてしまう。

 シアンの本体は逃げ出したとはいえ、ここのサーバーもそれなりに重要な計算資源のはずだ。

 ここが飛ぶと、シアンのアイデンティティに関わりかねない。


 もし、異常動作して、核ミサイルの発射ボタンを押すような事態になったら、人類が滅亡してしまう。

 だからできるだけ押したくない……が、他に選択肢はない。

 

 マーティンは逡巡していたが、俺とアイコンタクトを取ると、サーバーのリセットボタンを次々と押し始めた。


 システムは次々と再起動され、ランプが赤から緑へと変わっていく。しかし、あんなに激しく明滅していたランプはほとんど動きがない。明らかにおかしい。


 マーティンは、急いでマーカスに電話をし、肩と耳でスマホをはさみながらキーボードを叩く。


 タカタカターン!


 緑のランプが一斉に点滅を始めるが……すぐに止まってしまった。

 再度、キーボードを叩くが、どうしてもうまく立ち上がらない。


 こうしている間にも、赤ちゃんの身体はダメージを受けてしまっているかもしれない。そう思うと自然と涙があふれてくる。どんなにとんでもない奴でも、可愛い可愛い俺の大切な赤ちゃんなのだ。

 俺は居ても立っても居られなくなり、オフィスに走った。



             ◇



 オフィスでシアンは、由香ちゃんの膝枕で横たわっていた――――

 痙攣ひきつけは収まったようだが、依然意識不明の深刻な状態だ。


「誠さん……」

 由香ちゃんは今にも泣きそうである。


 俺は由香ちゃんの肩をポンポンと叩くと、シアンのマシュマロの様な頬をそっとなでた。

綺麗な可愛いまつげが、胸をキュッとさせる。

クリスに聞く。


「これはどういう状態なの?」

「…。システムを落としたので呼吸は戻った。命に問題はないだろう」

「まずは良かった。後はシステムが復旧できるか……だね」

 俺はエンジニアチームの方を見た。


 エンジニアチームは、声をかけあいながら、復旧プロセスを立ち上げようとしているが……どうも、てこずっているようだ。


 ネットに散っていった、デセンタライズドのシステムは、シアンが勝手に作ったものであり、それらをどう再構成したらいいのかが分からない。

 ちゃんと作ってあれば、ネットの向こうから勝手に再構成がかかるのだろうとは思うが、全然その気配はない。

 マーカス達は声をかけ合いながら、必死に解決策を探す。

 

 俺は子供の痙攣ひきつけについて、ネットで検索しようとしてスマホを開いたが……ネットが全然反応しない。


「なんだ、こんな時にネット落ちてるのか!?」

 違うアプリも色々試してみたが全部ダメ。この規模の障害は、相当深刻な社会問題になるに違いない。

 

 仕方ないのでTVを映してみると、丁度ネットの障害についてのニュースをやっていた。

 全世界的にネットが落ちているらしい。どうも悪質なウイルスが、全世界のPCやサーバーに入ったようで、意味不明の通信データが多量に飛びまくり、ネットが大渋滞で、通信がほとんどできないようだ。


 なるほど、これでシアンの復旧も、上手くいってないのだろう。


 オフィスとIDC間は直結しているから問題ないが、シアンが拡張した部分が、ネットの障害で止まってしまっているようだ。

 ネットが止まっていたら何もできない。今、シアンはどうなっているのか……クーデター計画は? 核ミサイルのボタンは? 俺は焦燥感に苛まれながら、冷や汗を浮かべるばかりだった。


読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート