ヴィーナシアンの花嫁

シンギュラリティが紡ぐ悠久の神話
月城 友麻 (deep child)
月城 友麻 (deep child)

2章

深層後継社 起業

公開日時: 2020年9月2日(水) 18:15
更新日時: 2020年9月5日(土) 08:40
文字数:36,075





2-1.ワタシ AIチョットデキル


翌日の昼過ぎ、ファミレスに集まって作戦会議である。


「え~、それでは取締役会を始めます……。修一郎、スマホ止めろ! クビにすっぞ!」

「はいはい、社長! わかったよ!」

学生気分で困る……と、思ったら、修一郎と美奈ちゃんは大学生だったのを思い出した。

先が思いやられる。


1時間くらい、ああだ、こうだとみんな好き勝手意見を言っていたが、最終的には何とかまとまった。


社名: 株式会社Deep Child (ディープ・チャイルド)

オフィス: 田町のデザイナーズメゾネットマンション

最初の資本金: 1000万円

発起人の出資割合: 俺:60%、美奈ちゃん:20%、修一郎:20%

役員報酬: 俺:70万、残り3人:50万円


という形でAIベンチャーの設立が決まった。


会社名は、ディープラーニングというAI技術を使って後継者を作るから、そのままディープな子供、Deep Childとした。漢字で書くと『深層後継者』である。


登記は、知り合いの行政書士さんにお願いするので、来週の取締役会には印鑑証明と実印を持ってくる事、それまでに出資金を振り込む事、を決めて取締役会は終了した。


「う~ん、自分達の会社ができるなんて、ドキドキするねっ!」

美奈ちゃんは、はしゃいでいる。


「もう引き返せないぞ。覚悟は決めてね」

とは、言ったものの、俺も会社作るなんて初めてなので、内心は穏やかじゃない。クリスに見放されない限り、きっと大丈夫だとは思うのだが……。


「僕は将来、パパの会社継ぐから、違和感ないけどね!」

修一郎は生意気である。


俺が今、勤めているITベンチャーも辞めないと……。社長には良くしてもらったけど、人類を守る方が重要だ。それにもう100億円手に入っちゃうし、引き返せない。


「…。誠よ、会社も準備出来て、金も用意できた。次はどうするんだ?」

クリスが聞いてくる。


「いよいよAIの開発だね。5人くらいの、エンジニアチームを作ろうと思う。世界中から天才集めて、最高のチームにするんだ」

「…。天才たちのあてはあるのか?」

「う~ん、エンジニアネットワークで、昨日からいろいろ声をかけてはいるんだけど、まだ反応はないんだよね……」

「…。では私の方でも探すが、いいか?」

「もちろん! クリスが探してくれるなら、間違いないね!」

「…。西海岸かな……」

どうやら、最初から外国人を引っ張ってくるつもりのようだ……。

AIの研究の中心地はアメリカ西海岸。優秀な人を採ろうと思ったらそこから採る以外ない。人類の未来を切り開く仕事なのだ、もう英語使うのは覚悟するしかない。





「Hello, Nice to meet you!(こんにちは!)」

PCの画面の中で、筋肉ムキムキな白人が右手を上げて微笑んでいる。よく見ると、アニメのTシャツを着ている。セーラームーンの青いキャラクター……のようだ。確か……セーラーマーキュリー? 改めて西海岸の奔放さに圧倒される。


「な、 Nice to meet you……(こんにちは)」


英語は久しぶりだ。冷や汗がたらりと流れる。


彼はマーカス・エリソン(Marcus Ellison)、AI業界では誰もが知る大物だ。先日彼が叩き出したAI競技のスコアは、ダントツの1位で、業界の話題をさらっていた。そんな大物をクリスが口説いてくれて、面接に至ったのだ。


「ワタシ、ニホンゴチョットデキル!」

なんと、日本語が話せるらしい。


「それなら、日本語で話しても大丈夫ですね?」

「チョット トイウノハ a little デスネ! HAHAHA!」

うーん、笑いのツボが分からない……。


なるべく、ゆっくりと話してみる。

「当社に、ジョインしてくれるのは、間違いありませんか?」


「ダイジョブダイジョブ! ワタシ AIチョットデキル!」

そう言って、マーカスはボディビルダーの様に、上腕二頭筋をグッと膨らませて、にっこりと笑った。


うーん、本当に大丈夫なんだろうか……。


冷や汗かきながら条件面など色々詰めて、彼の入社が決まった。条件は、フルフレックスで年俸は3000万、住居も会社持ち。彼のスキルを考えると、ずいぶん安い感じがする。多分、今の会社では1億円近く貰っているはずだ。


また、彼の知り合いも、一緒に連れてきてくれるらしい。とても助かる。


クリスの力は本当に偉大だ。






そう言えば、クリスの正体を探るために『ワインを友達に調べてもらう』と言っていた教授から、全然連絡が無い……。さすがに結果が出てる頃だと思うので、電話をかけてみた――――


「こんにちは、誠ですけど」

「あ、誠君? どうしたの?」

「そろそろ、ワインの分析結果が出たかなぁと思って、電話したんですが……」

「ワイン? 何のこと?」

「あれ? BBQの時に出た、神のワインがオカシイから『調べてみる』って言ってたじゃないですか」

「え? 神のワイン? 知らないよそんなの。ワインなんて飲んだっけ?」


大変だ……、ワインの事がない事になってる……


俺は固まってしまった……


「誠く~ん?」

「ご、ごめんなさい、勘違いでした。またBBQ誘ってください!」

「ん? あぁ、またね~!」


教授の記憶が消されてる……クリスがやったのだろう。

俺が教授と一緒にクリスの正体を探ろうとしたことも、バレてるに違いない。

いつ、俺の記憶が消されてもおかしくないのか……。


調子に乗って、会社作ってエンジニアまで呼んでしまったが、俺はまな板の上のコイなのだ。人類のために動いているうちは問題なくても、役立たずだと思われたら最後、俺も記憶を消されて放りだされてしまうに違いない。


今はただ、ひたすらに人類に尽くすしかない……か……。


最初からそのつもりではあるが、教授の記憶があっさりと消されているのを目の当たりにすると、さすがに内心穏やかではいられなかった。





田町駅から徒歩6分、住宅地エリアに立つ、デザイナーズ・メゾネット・マンション、ここが株式会社Deep Childの本店所在地だ。


玄関を開けると……木材の爽やかな香りがする。

洋室とクローゼットのドアを通り過ぎて廊下の突き当り、重厚な木製のドアを開けると……陽射しが降り注ぐ、吹き抜けの広大なリビングが広がっている。


「うわぁ、最高じゃないこれ!」

美奈ちゃんは広々としたリビングで、両手を広げて上機嫌だ。


「ここが我々Deep Childの城ですよ、姫!」

「素敵~!」

美奈ちゃんはくるり、くるりと回りながら、広い室内を堪能している。


「あの上は何になるの?」

階段を上がった、上の部屋を指す。


「あそこは仮眠室とか実験室だね。」

メゾネットタイプだから、2フロアがくっついていて、リビングの階段で上のフロアに行けるのだ。


「ふぅん、なんか贅沢~! で、私の席はどこになるの?」

ニコニコしながら、首をかしげて聞いてくる。


「今なら、どこでも好きに選べますよ、姫」

「う~ん、じゃぁこの窓際がいいな!」

「じゃぁここね」

タブレットの間取り管理ソフトに机と椅子を配置し、『姫』とタイプした。


「僕はどこ?」

修一郎も嬉しそうに聞いてくる。


「お前はフリーアドレスだな。この辺にでかいテーブル置くから、来たら好きな所に座りなさい」

「えー、何? ちょっとそれ差別じゃない?」

「わかったよ、じゃ、ここ、トイレの前」

「えー!」

不満顔の修一郎。


「仕方ないな、じゃぁマーカスの隣でいいよ。ちゃんと英語で仲良くしてよ」

「え、英語かぁ……」

「天下の応京大生が、英語でビビる訳ないよな?」

「も、もちろん……そうだけど……。あ、俺やっぱりトイレの前がいいな、良くトイレ行くし!」

ビビってやがる。情けない。まぁ人の事は言えないが……。


「…。私はフリーアドレスでいい」

クリスは控えめにそう言ったが、神様に席が無いというのはちょっとマズい。


「あー、クリスは俺の隣にお願い。すぐに相談できる所に居て欲しい」

「…。そうか? まあ社長に任せるよ」

「じゃぁ、俺とクリスはここね!」

俺はタブレット上で机や椅子、パーティションを並べ、数を数えた。


それからプリンタやネット機器、冷蔵庫に電子レンジ、必要そうなものを全部リストアップし、適当にネットで発注しておいた。

1週間もすれば、オフィスとして稼働できるようになるだろう。


俺はリビングに大の字になって寝た。

レースのスクリーン越しに、太陽がキラキラと光の粒子を放つ――――


俺はここに、神様と天才と100億円を集めた。人類を救う後継者を生み、育てるために。


放っておくと人類は衰退して消え去るしかないが、我々の子供はきっとそんな人類を救ってくれる。


もちろん、AIの暴走リスクは常にあるが、俺達が心を込めて育てた子供なら、きっと温かく人類を支えてくれるだろう。

それが僕らの目標であり、深層後継者『シアン』に託す想いなのだ……。





ゲシゲシと美奈ちゃんが蹴ってくる。


「誠さん! そんな所で寝てたら踏むわよ!」

「うわ! 何すんだよ!」


俺の感傷は一顧だにされず、隅に追いやられる。社長とは一体……。


「いい? 見てて!」

そう言って、美奈ちゃんはステップを踏み始めた。


軽く跳んで、右に左にステップを繰り返し、腕をクロスから伸ばし、戻す。


静かな部屋にトン、タタン、トン、タタン、という美奈ちゃんのステップ音が響く。


そして、髪をぐるっと回すと、思い切り胸を反らし、指先は大きく弧を描く――――


それはまるで空間を切り取る絵筆の様に、オフィスに聖なるアートの世界を形作った。


トン、タタン、トン、タタン、


オフィスを見に来ただけなのに、こんなものが見られるとは……。

俺は神聖なまでに美しい、指先の軌跡に心奪われていた。


タタタン、トン……、トン……、トン……


美奈ちゃんは、しゃがんで手を伸ばし、片手で顔を覆い、静かに止まった。


パチパチパチパチ

俺たちは熱を込めた拍手で称えた。


美奈ちゃんは息づかい荒く、水のペットボトルを取ると、ゴクゴクと飲んだ。


「美奈ちゃん、すごいね」

俺が声をかけると、


「新たに入居する時は、神様に貢物みつぎものがいるのよ」

と、さも当然のように話す。

地鎮祭みたいな物なのだろうけど、ずいぶん古風な考え方だな……


「あ、じゃ、今の踊りは神様への奉納なんだ」

「まぁ、挨拶みたいなもんよ、祭りの始まり」

「もしかして、神様の事見えてるの?」

「見える訳ないじゃない。バカなの?」


バカ呼ばわりされてしまった……。


「あ、でも、見てる神様・・はちゃんといるわよ」


そう言ってニヤッと笑うと、また水を飲んだ。

確かに美奈ちゃんの舞で、オフィスに何かのスイッチが入ったのが感じられる。しかしそのスイッチが何なのか、この時の俺にはまだ分からなかった。


美奈ちゃんにより清められたオフィスで、Deep Childはいよいよスタートする。人類の命運を乗せて――――











2-2. ビールジョッキ・ブレイカー


アメリカからマーカスが来日した。


成田空港の到着ゲートで、俺はマーカスを待つ。


全日空NH8便の表示が、Arrivalに変わって30分、セーラーマーキュリーのTシャツを着た、筋肉ムキムキのマーカスがゲートに現れた。


「Hi マーカス!」


俺は手を上げて近寄ると


「Oh! Makoto! Thank you!(誠、ありがとう!)」

笑顔で応えてくれた。


まずは固く握手をして


「Thank you for your long trip.(長旅お疲れ様でした)」


マーカスは首を振ると

「アニメ ミテタカラ ダイジョブ!」

強い。まぁ、ファーストクラスだったからなぁ……俺も、ぜひ一度は乗ってみたいものだ。


彼の部屋は、オフィスのマンションの別の階に借りてあるので、レンタカーで東京を目指す。

間が持ちそうにないので、FMラジオで洋楽にチューナーを合わせる。ポップなスタンダードナンバーが車内に響く。


「La la la la~♪ 」

上機嫌に歌い始めるマーカス。


知り合いも誰も居ない日本に、たった一人で飛び込んだばかりだと言うのに、緊張なんて微塵も感じさせない能天気な豪胆さに感じ入る。


あまりに楽しそうに歌うので、つい俺もつられて歌い始めてしまった。


「Na na na na~♪ 」「Na na na na~♪ 」


東京へ向かう高速の上で、カラオケ状態になった。


「Huu~~♪」


信じられない高音を出して、ゲラゲラ笑うマーカス。


俺は彼の横顔をちらっと見て、うまくやって行けそうな手ごたえを感じていた。


ひとしきり歌うと、俺は声をかけた。


「クリスに誘われたんですよね?」

「カミサマ ユメ デタ。 クリスニ シタガエ ト」

うは、神のお告げで来たのかこの人。さすがクリス、何でもアリだな。


「我々はシンギュラリティを目指します。大丈夫ですか?」

「カミサマ タダシイ セイコウ カナラズ!」

彼が本気になれば人類最強だ。夢がぐっと現実に近付いてきたのを感じる。


「具体的にはどうしましょう? GPUサーバーとかは?」

「GPU モウ フルイ! AIチップ ツカウネ」

「え? AIチップはまだ研究段階では?」

「ダイジョブ! Martin ヨウイ スル」


なるほど、マーティン(Martin)という名の、彼の仲間が調達してくれる、という事だろう。

AIチップを使えば、サーバーに大量のGPUを挿して、ブンブン回す必要もなくなる。実に理想的だ。


「マーティンもジョインしてくれるのかな?」

「ダイジョブ マーティン ニホン ダイスキ!」

そう言ってニカっと笑った。


日本大好きなのはありがたい。彼もアニメオタクなのだろうか? だとしたら次はセーラーマーズのTシャツを着て現れたりして。

エンジニアチームで、セーラー戦士が揃ったらどうしよう。俺はそんなバカな想像しながら、まだ見ぬセーラー戦士たちを想った。





マンションに着くと――――


「Hi Marcus! Nice to meet you!(はじめまして!)」

美奈ちゃんが流暢な英語でお出迎え。


「Oh ミナ! ハジメマシテ!」

笑顔で握手である。言葉の壁の心配はなさそうだ。


それにしても、なぜ美奈ちゃんのこと、知っているのだろう? クリスが説明しておいてくれたのだろうか……。


クリスが後ろでほほ笑んでいるのを見つけたマーカスは、急いでクリスの前にひざまずき、彼の手を取って、早口で何かを話しかける。どうも凄い緊張しているようだ。

クリスは、ゆっくりと彼の耳元に顔を近づけると、小声で彼に何かを言った。

マーカスは涙を流し、クリスの手をしっかりと握りしめた。


俺は信者ではないから、友達みたいに馴れ馴れしく接してしまっているが、信者だったらこういう対応になってしまうだろう。それとも俺が馴れ馴れしくし過ぎだろうか? 神様に対する礼儀なんて、教わったことがないから何が正解か分からない。


一方、修一郎はボーっと突っ立っていた。





歓迎会は近くの居酒屋で開いた。


「日本料理ですがいいですか?」

恐る恐る聞いてみると、


「Wow! サシミ~! テンプゥラ!」

と、好反応に一安心。


囲炉裏を模した、大きなテーブルに腰掛けて、まずは、

「生中を5つ!」


「喜んで~! ご新規、生中5つ!」「喜んで~!」「喜んで~!」

厨房からもいい声が響いてくる。いい店だ。


俺はジョッキを受け取ると、一つずつみんなに配った。

だが、最後、クリスにジョッキを渡す時に一瞬意識が飛んだ……


俺は凄い違和感を感じた。何かの病気……だろうか?





この時、窓の外にこちらをうかがう怪しい影があった。誠に『神殺しの呪い』をかけた男だった。男は不思議な方法で気配を殺し、誠が毒を盛ったのをニヤニヤしながら見ていた。


クリスは単独で行動している時は全く隙が無い。しかし、なぜか最近人間と関わり始めた。これは男にとって千載一遇のチャンスだった。


「積年の恨み、思い知れ……」

男はそう言ってほくそ笑んだ。





俺がちょっと考え込んでいると、美奈ちゃんが言う。

「誠さん、乾杯よ、乾杯!」


俺はハッとして見回すと、みんなが乾杯を待ちわびている。


「ごめんなさい、えー、それでは乾杯しましょう。Could you introduce yourself briefly? (自己紹介お願いします)」

俺はマーカスに振る。


マーカスはニコッと笑い、スクっと立つと、

「ワタシ、ニホンゴチョットデキル!」


笑いがあがる


「ワタシ、AIチョットデキル!」

いや、チョットってレベルじゃないだろ。世界一なのに。


「ワタシ、コノチーム デ God ノ コドモ ツクル!」

やる気満々だ、素晴らしい。


マーカスは立ち上がって、

「ヤルゾ―――――!!! カンパーイ!!」

ジョッキを高く掲げ、叫ぶ。


俺達も立ち上がって、ジョッキを合わせる、

「カンパーイ!!!」「カンパーイ!!!」「カンパーイ!!!」


マーカスは筋肉バカである。盛り上がって手加減なしに、ボクシングのフックの様に、思いっきりジョッキを当ててくる


Clashガシャーン!!!


Clinkカラン! Clinkカラン!――――


ジョッキがいくつも砕け散って床に転がる……

ビールかけみたいに、俺もマーカスも泡だらけである。

何でこんな事になるのか……


「HA~! HAHAHA!」

マーカスが腹を抱えて、楽しそうに笑う。


あまりに楽しそうに笑うので、釣られてみんなも笑う。

ハッハッハッ! ハーッハッハッ!


美奈ちゃんも美貌台無しにして、ゲラゲラ笑ってる。

みんなが爆笑するスタート、幸先がいいのかもしれない。


「お客様! 困ります!」

店員さんが、モップとチリトリを手に怒っている。


丁寧に謝り、生を3つ追加する。

「二度と止めてくださいよ! 生3丁!」「喜んで~!」「喜んで~!」


次は気をつけよう……。





窓の外で様子を見ていた男が『チッ』と舌打ちし、消えた。


マーカスがナチュラルに、神殺しの呪いを粉砕したのだ。


クリスは、逃げる男が発した微かな聞き覚えのあるノイズに気づき、

「…。ちょっと失礼」

そう言うと、しばらく席を外した……。


一度見つけてしまえば、クリスの方が圧倒的に優位だった。クリスは男を追跡すると無言で躊躇なく処分した。


「ぐぉぉぉ!」


男は断末魔の叫びを上げながら、


「つ、次だ! 次こそお前の最期だ!」

と、毒づいて、闇の中に飲み込まれていった。





そんな事があったなんて俺は全く気が付かずに、店員を呼んだ。

刺身の盛り合わせに季節の天ぷら、手羽先のから揚げに、シーザーサラダと出汁巻き玉子……次々と注文する。

馬刺しを食べたいのだが……マーカスには地雷かもしれないから、我慢した。


ジョッキ3杯くらい飲んで、だいぶ出来上がってきた。

酔った勢いでマーカスに絡んでみる。


「 What do you think about using anencephaly ?(無脳症の子供を使う事は、どう思う? )」

酔ってる方が英語が上手くなるのは、なぜなんだろう?


「Sure! クリス ノ プラン タダシイ!」

「クリスの言う事なら、なんだってやるの?」

酔った勢いで、意地悪な質問を投げてみる。


「モチロン! クリス ノ タメナラ シヌ!」

「WOW!」

クリスの方を見ると、優しく微笑んでいる。


グラス片手に美奈ちゃんが、小悪魔的な笑顔でやってくる。

マーカスとグラスを合わせながら――――


「Watz up homeboi?(調子はどう?)」

なんだかすごく色っぽい。

飲み過ぎではないだろうか……。


「Smashing, thanks! Wazz up shawty?(最高! おねぇさんは? )」

マーカスも上機嫌である。美奈ちゃんの美貌は外国人にもウケる様だ。

美奈ちゃんはにっこり微笑むと、スプモーニの赤いグラスを一口飲み、上目遣いに聞く。

「Can you die for me?(私のためにも死ねる?)」

「Well obvi!(もちろん!)」

そして見つめあって、もう一度グラスを合わせる。


初対面なのに、なぜこんなにいい雰囲気になってしまうのか。俺は、いきなり蚊帳の外に追いやられた感じがした。


修一郎を見ると、つまんなそうにスマホを弄ってる。


俺は

「そういうとこやぞ!」

と、八つ当たりをして修一郎をいじった。





数えきれないほどビールをお替わりして、俺はみんなの歓談をボーっと聞いていた。

美奈ちゃんは、マーカスと話し込み、アメリカンで派手なジェスチャーをして盛り上がっている。修一郎は、クリスにいじられて目を白黒させている。

このメンバーに、マーカスが呼んでくれた仲間が加わって、いよいよ神のチームが出来上がるのだ。


このチームで我々は、人類の未来を紡ぐ。

我々にしかできない、大いなる人類の一歩を踏み出すのだ。


俺は立ち上がると、少しフラフラしながら、

「よーし! ヤルゾ―――――!!! みんなカンパーイ!!!」

と叫んだ。


マーカスはスクっと立ちあがって、ジョッキを高々と掲げた。

「ヤルゾ―――――!!! カンパーイ!!!」


俺も盛り上がってジョッキを掲げ、

「カンパーイ!!!」


マーカスとニッコリ笑い合って、ジョッキをぶつける。


Clashガシャーン!!!

Clinkカラン! Clinkカラン!――――


ジョッキがまた砕け散った……


あ…… またやっちゃった……


店員さんの鋭い視線に、平謝りである。


それでも、何だか今夜はすごくいい気分。


深層後継者シアン、待ってろよ、

俺たちは確実に一歩ずつ、君に近づいている――――




2-3.思索の煌めき


超高級ホテルの、広大なボールルームで、俺はフラッシュを浴びていた――――


田中修司社長、俺、そしてマーカスが手を重ねて、沢山の記者のカメラの砲列の前で、無限にシャッターが切られている。株式会社Deep Childと太陽興産の、資本業務提携の記者会見を開いたのだ。

AIの第一人者、マーカスが来日するだけでもニュースになるのに、そのマーカスの会社に、ただの貿易会社が100億円投資するというのだから、みんなビックリだ。


記者から質問が飛ぶ

「田中社長、なぜ貿易会社がAIに投資するんですか?」

「君は馬鹿かね? 時代はAIだよ。どんな業界であれ、AIを制した物が勝利する時代に『貿易会社だからAI投資しない』なんて判断は無い。Deep Childさんの所のAIは凄い、このAIを使えば貿易事業も大きく飛躍できるし、AIそのものでも莫大な利益が考えられる。こんないい話やる以外ないだろう」

親父さんがこう断言すると、記者も黙ってしまった。正論だからな。


続いて俺に質問。

「神崎社長、マーカスという大物を、どうやって連れてこれたんですか?」

「彼は日本のアニメが大好きで、彼にとって日本は聖地らしいんですよね。聖地で仕事できるなら良い、と思ったんじゃないでしょうか? また、我々は潤沢な資金で、彼の活動を全面的にバックアップしますから、彼としては、言う事ないんじゃないでしょうか?」


マーカスにも質問が飛ぶ

「Why did you join Deep Child? (なぜDeep Childに? )」

「ワタシ、ニホンゴチョットデキル!」

「あ、それでは、Deep Childに入った理由を教えてください」

「Deep Childサイコウ! ニホン サイコウネ!」

そう言ってニカっと笑い、腕を組んで筋肉を誇示した。


「……。ありがとうございました……」

マーカスは、分かっててわざとはぐらかしてるようだ……。


AIの第一人者、マーカスの会社に出資を決めたニュースは、マーケットでは好感され、株価はストップ高に達した。この日だけで100億円、時価総額は増えてしまったのだ。まさにWin-Winな関係である。







その翌日、AIチップのエンジニア、マーティンと、マーカスの友人二人、コリン(Colin)とデビッド(David)が日本にやってきた。


今日はキックオフミーティング。

いよいよ開発が始まる。


とても緊張するが、社長として彼らを率いねばならない。俺のマネジメントで、彼らに人類の未来を切り開いてもらわねばならないのだ。


会議室に集まった皆の前に立ち、俺は大きく息を吸った。そして笑顔で大きな声を出した。


「Hey Guys! Thank you for your joining us! (来てくれてありがとう! )」


「Yeah!」「Yeah!」「Yeah!」


俺の気合を感じてくれたのか、みんな随分テンションが高い。


マーカスがスクっと立ちあがると、

「Hey guys! Let's pump it up!(ヤルゾ―――――!!! )」

「Yeah―――――!!!」「Yeah―――――!!!」「Yeah―――――!!!」

全員総立ちである。


さすがマーカス、頼りになる。能力ある人を集めただけでは成果は出ない。それぞれがやる気になって前向きになれる環境を、どう提供できるかがマネジメントの肝である。この盛り上がりなら、出だしは上出来だろう。


続いて、具体的な進め方について、俺はホワイトボードに書きながら、拙い英語で説明していった。


AIの学習に、無脳症の赤ちゃんを使うといっても、いきなりは無理だ。まずは仮想現実空間を作り、その中でAIに単純なロボットを動かさせて、学習させる。

それがうまく行ったら、次はマウスを使って学習。AIをマウスの身体に接続し、AIが自由にマウスの身体を動かし、現実世界を感じ、世界観を学習してもらう。

それもうまく行ったら、最後に無脳症の赤ちゃんを使わせてもらう。


結構道のりは遠い。



また、AIの構成については図を元にみんなに説明し、センサーから得たデータを、ディープラーニングの組み合わせで、どうやって『理解』にまで導くのかを解説した。(※)


「Oh! マコトサン! Smashing!「事象認識」ガ Loopシテル ココ イイデス!」

マーカスは、俺のプランを気に入ってくれて、他のメンバーにどこが良いのかを、情熱的に説明してくれた。


ただ、問題点も次々と指摘されてしまう。やはり鉄腕アトムの様なAIは、そう簡単には作れないことが痛いほど良く分かる。


最終的には、最初からパーフェクトな物は作れないので、一歩一歩やって解決して行こう、という事でまとまった。


マーカスは各認識モジュールの開発、マーティンはAIチップを使った実装、コリンとデビッドは、仮想現実空間とロボットの実装を、担当する事になった。

それぞれ相当に重い仕事ではあり、一般のエンジニアでは逃げ出したくなるレベルだ。だが、彼らにとっては、楽しい遊びみたいな物なのだろう、皆キラキラした瞳で、これからのプランを語ってくれた。

俺の役割はチームマネジメントになって、研究開発の最前線からは離れてしまう。ちょっと寂しくはあるが、俺のチームが、俺の構想で人類救済を目指すのだから、文句などない。

俺のチームで、世界中の人を笑顔にするのだ!

頼むぞ、エンジニアチーム!





さて、まずはシステム環境整備、という事で、俺とマーティンはタクシーに乗って、品川のコンピューター設置施設(IDC)に行く。


マーティンは、白い肌に赤い毛がもじゃっとした、スマートなイケメン。グレーのパーカーを羽織り、いかにもハッカーと言う風情だ。セーラーマーズのTシャツ姿でなくて良かった。


IDCに入ると……寒い。サーバーは熱に弱いので、冷房が常にガンガンにかかっているのだ。図書館の本棚の様に整列されて、ずらーっと並ぶサーバーラック群からは、ゴウンゴウンという、冷却ファンのノイズが流れ出してくる。


ここにあるサーバーの一つ一つが、スマホアプリだったり、Webページだったりを世界に向けて発信している……つまりここは、インターネットの工場、ともいえる場所なのだ。今回はここに棚(ラック)を2本借りて、AIチップのサーバー群を設置する。


AIチップは、従来の処理装置(GPU)の、10倍くらいの処理速度を誇っている。2ラックだけでも20ラック分のパワーがある、という訳だ。

このパワーは、エンジニアにとっては垂涎すいぜんものである。


倉庫に届いていたサーバーの段ボールの山を、一つずつ開梱して、運んで、設置して、配線してを繰り返す。単調でしんどい力仕事だ。でも、大切な力仕事。俺はマーティンと一緒に心を込めて、かじかむ手で作業を繰り返した。

結局午後いっぱいかかってしまった。


最後に、マーティンがキーボードを叩いて動作確認に入った。


カタ、カタカタカタ……ターン

カタカタカタ、ターン


「Perfect!(完璧!)」

マーティンはニヤッと笑うと、キーボードをターン!と叩く。


すると、サーバーのLED群が一斉に緑色に明滅を始めた――――


まるで命を込められたかのように、数億円の電子頭脳は今、輝きを放ち始めたのだ。この輝きの一つ一つが、深層後継者シアンの思索となる。


「Yeah!」「Yahoo!」

俺たちはハイタッチをしてプロジェクトの開始を祝った。


シアンが完成したら、ここは人類の聖地として崇められるだろう。品川の寒くてうるさいIDCが、人類の歴史を作っていくのだ。





オフィスに戻ると、皆真剣にキーボードを叩いている。


いい雰囲気だ、頑張ってくれよ~。俺はついニヤッとしてしまう。


今、俺ができるのは……環境整備……くらいかな?


まずは、買ったばかりのオーディオセットで、スローなジャズを流す。歪みのない、すっきりとしたベースの低音に、伸びのある高音のサックスが、部屋を満たす。

気持ちいい、お洒落な空間の出来上がり。


次は……珈琲かな?


珈琲豆を冷凍庫から出してきて、ミルで丁寧に粗挽きをしてみる。ふわぁと少し焦げたような、珈琲の香りが立ち上る。


おぉ……いいね……


実は珈琲は、飲む時よりもこの瞬間の方が好きだ。この瞬間のために、珈琲を入れているようなものだ。脳髄を揺るがす官能な香り……。これだから珈琲は止められない。


香りに引き寄せられて、美奈ちゃんがやってくる。


「誠さん、珈琲入れるの? 美奈にもちょうだい!」

ニコニコしながらせがんでくる。


「はいはい、ちょっと待っててね!」

ミル挽く腕にも力が入る。


すると、クリスが現れて、珈琲豆を摘まんでポリポリ食べはじめた。


「えっ!? 珈琲豆って食べて大丈夫なの!?」

俺が驚いていると、


「…。スマトラ島のマンデリンだね。いい豆だ」

と、ニコニコしている。


それを見てた美奈ちゃんも


「私も~!」

と言って、珈琲豆を食べ始めた。


「え~!? ちょっと! 今入れるから待ってて!!」


すると、マーカス達も集まってきて


「Oh! Japanese style!(日本式だ!)」

と言って、次々と珈琲豆を食べ始めた。

いかん! 日本文化が誤解されている!


「NO! NO! It's Chris style!(違う! クリス式だよ!)」


「オー! オイシイ ネー!」

マーカスは、無駄に上腕二頭筋を膨らまして喜んでいる。

マーティン達もみんな喜んで、次々と珈琲豆をつまんでいる。


「……、本当に美味いの?」


俺も恐る恐る、豆を一粒つまんで食べてみた。


ポリポリっと爽快な歯ざわりである。


「……あれ? ……美味い」


上質なエスプレッソを飲んだ時の様な、濃厚な珈琲の旨味が、ガツンとダイレクトに入ってくる。悪くない……というか、こっちの方が正解の様に思える。


「なんだ、すごく美味いじゃないか!」


調子に乗って、みんなで結構な量の珈琲豆を、食べてしまった。


でも、なぜ、普通は珈琲豆を食べないのか、すぐに理由が分かった。珈琲豆の破片が、いつまでも口の中に残って気持ち悪いのだ。


「うぇぇ~」

美奈ちゃんは渋い顔して、ちょっと舌を出してる。


やっぱりこれからは普通に入れよう。





――――――――


※補足 (ストーリーには関係ない技術的補足です)


今の人工知能は、ディープラーニングがメインだが、ディープラーニングはパターン認識しかできない。つまり、「似たような物」を探すのは凄い得意で、人間を凌駕しているが、逆に言うと似たような物を探す事しかできない。囲碁や将棋が強いのも、単に優位になった過去のパターンを、膨大に学習してるからなだけに過ぎない。


例えば、サッカーのシュートシーンを見せた時に、ディープラーニングはこのシーンはサッカーのシーンとは判断してくれるものの、なぜFWがボールを蹴っているのか、なぜキーパーは止めようとしているのかは、全く認識できない。


さすがにこれを『知能』とは呼べない。


そこで、誠はディープラーニングのモジュールを複数組み合わせ、各モジュール内では『単に似たものを探す事』しかしていないにもかかわらず、全体では事象を理解できる様な情報処理システムを考案した。


具体的には図1における「要素抽出」、「意図認識」、「シーン認識」、「事象認識」が似たものを探すディープラーニングモジュールになっている。ここではサッカーのシュートシーンの画像をそれぞれの要素に分解して過去の似たようなケースと比較して、例えば「サッカーボール」、「キーパー」、「FWの選手」、「ボールを蹴る選手」と言ったようなありとあらゆる切り取り方でシーンの要素を抽出する。


抽出した要素は「シーン認識」モジュールで似たような要素で構成されるシーンを沢山洗い出してくる。例えば「サッカー」、「喧嘩」、「祭り」などである。

さらに「意図認識」モジュールではシーンと要素の組み合わせを用いて過去のデータからどういう意図のアクションに似ているかを洗いだしてくる。

これら複数の要素、シーン、意図がそれぞれ妥当なレベルにマッチするまで事象認識モジュールは何度も照合を続ける。

その結果、最終的に一番妥当性が高い解、「サッカー」のシーンにおいて「キーパーがセーブしようとしている」、「FWの選手がシュートしている」

が選ばれる。

これができれば広い意味で知能と呼んで構わないだろう。


理解が終わったら次に行動である。図2に簡単な流れ図を書いた。行動には意欲が必要だ。つまり人間であれば情動であったり責務であったり何らかの世界に対する意欲が重要になる。誠のシステムでは理解内容が自分、および自分が所属するコミュニティにおいてどういう価値があるのかを評価し、その評価内容から可能性のある行動を全部洗いだす。

続いてそれぞれの行動について、行った場合どういう影響があるのかを評価する。そして最終的にコストとリスクと嬉しさについて評価し、最終案を選択する。この例では「応援」する事を選択した。


ただ、人間は常に学習しながら動いている。つまり推論しながらも同時に新たに学んでいる。だから学習プロセスを同時に動かす仕組みを別途組み込まないといけない。また、現実世界では常に新しいイベントがとめどなく発生している。だから時系列処理が必要になる。つまり、どこからどこまでの空間、時間を一つのシーンとするのか? それが時間的に前後や空間的に近隣のシーンとどれだけ関係しているのか? も評価対象にしなくてはならない。


これらは簡単な問題ではないが、膨大なコンピューターパワーでいつかは実装できてしまう日がやってくる。そしてそれがシンギュラリティなのだ。













2-4.蠢く初代シアン


「そう言えばシュウちゃんは?」

美奈ちゃんは、リスみたいに珈琲のマグカップを両手で持って、聞いてくる。


「大学かな? 最近見ないなあいつ。slackには反応してるから、生きてるとは思うんだけど……」

とは言え、彼に無脳症の赤ちゃんを使った実験を見せるのは、さすがに難しそうだ。

彼は太陽興産とのパイプ役さえ、やってくれればいいので、オフィスに来ないのは好都合ではある。


「…。これ、太陽興産のレポート」

クリスが手書きのメモをくれた。


そこには達筆な字で、太陽興産が新規に扱うべき商材、やめるべき商材、新規に契約すべき会社、契約解除すべき会社、昇進させるべき社員、問題社員が丁寧に書かれてあった。


「ありがとう、清書して修一郎に渡すね」

きっとこのメモ通りにやれば、売り上げも利益も一段上がるのだろう。まさに神のメモ。AIが完成するまでは、これを『AIの成果』と見せかけないとならないのが、やや鬱陶しいが、100億円には代えられない。





「Hi Makoto! (誠さーん!)」


オフィスの奥でコリンが呼んでいる。仮想現実システムと、初代のロボット版シアンができたらしい。

画面を見ると、3DCGの草原に、バボちゃんみたいなキャラクターが転がっている。ボールに目と口が付いて足と手が生えた、出来損ないみたいな奴だ。お世辞にもかわいいとは言えない。



「え~っ! かわい~!」

美奈ちゃんは、キラキラした笑顔で言い放つ。


「……。」

女の子の感性は良く分からん。


計画では、この仮想現実空間内のロボット版シアンを使って、AIに簡単な世界のルールを学習させる。


コリンは自慢げに俺に言う

「I've already connected simple machine learning. Look.(すでに簡単なAIは入れました。見てて! )」


そう言って、キーボードを操作すると、バボちゃんは手足をバタバタさせて、ズリズリ動き始めた。


「This guy's moving!(こいつ動くぞ!)」

俺は思わず、叫んでしまった。


3DCGではあるが、ヌメヌメと生き物のように動く様は、やはりちょっと気持ち悪い。


美奈ちゃんが不思議そうに聞く、

「これは何やってるの?」


「いろんな行動を、学習させてるみたいだね。きっと立ち上がりたいんだろう。でも立ち上がるって、実はすごい複雑な制御が要るんだよ。立ち上がる事一つとっても、AIには試練なんだ」


「ふぅん、でも、立つだけだよね?」

美奈ちゃんには、あまり理解されなかった。


しばらく見てると、ズリズリやっていたAIが、何かの拍子で一瞬立ち上がった。

「あ、立った……あ、ダメかぁ……。頑張れ~!」

美奈ちゃんは、画面をじーっと見ながら応援している。いい娘だ。


AIは徐々にコツを掴んで、立ち上がる動作に、トライし始めるようになった。

腕を振り回して、その反動の瞬間に足に力を入れると……立てそうなんだが、やはり絶妙なタイミングが必要で、失敗続きである。これは何度も試行錯誤して学習していくしかない。


品川のIDCにある、数億円相当のAIチップ群が高熱発しながら今、必死にAIの壁を超えようとしている。

実にロマン溢れるストーリーじゃないか。





翌朝出社すると、マーカスが笑顔で声をかけて来た。


「Hi Makoto. Take a look! (これ見て!)」


画面では草原の中を、バボちゃんの様なロボット、初代シアンが走り回っている。

一晩で立ち上がるどころか、走れるようになってる!

とんでもない進歩である。


「WOW!」

俺が大げさに喜んで見せると。


「チガウネ! モット ミテネ!」

と、画面を指さす。


シアンは急に走るのをやめ、忍び足になった。どういう事なのか見ていると……どうやら獲物を見つけたようだ。


遠くに、リンゴに足が生えたような動物が、歩き回っている。


獲物との距離を詰めると、シアンは一回止まった。そしてリンゴの動きを観察している。

後ろで見ていた美奈ちゃんは、怪訝そうに言う。

「あれ? 止まっちゃった……」


何をしてるのだろう、と思って見ていると……、次の瞬間、全力疾走してリンゴに飛びついた。リンゴは直前で逃げようとしたが、間に合わない。シアンはリンゴを両手でつかみ、リンゴはパンと弾けた。


「わぁ! やった~!」

美奈ちゃんが声を上げる。


「シアン Apple タベタネ」

マーカスが笑顔で言う。


なるほど、潰すと食べた事にしてるのか。


「シアンニハ ナニモ オシエテナイネ」

「え? この動作は、全部シアンが勝手に自動で学習したの?」

「そう、シアン カシコイ」

「Incredible!!!(すげ~!)」


いや、これは画期的な成果じゃないか?


昨日、立てもしなかった原生生物が、今では知的なハンターになっている。なんだこの急速な進化は!


マーカス達は、自慢げに胸を張っている。

思わず、みんなとハイタッチしまくった。


「Yeah!」「Yeah!」「Yeah!」「Yeah!」


お前ら最高!

クリスは微笑みながら、うなずいている。


深層後継者シアンは、天才たちの手によって驚異的な速度で進化していく。




2-5.チュベローズの誘惑


その晩、修一郎は一人で銀座のバーを訪れた。


夕方に、偶然聞いてしまった陰口が頭から離れず、家に帰る気にならなかったのだ。


『あいつはボンボンだからな』

『あいつが上場企業の社長とか、ぜってー無理』

『太陽興産は2代目が潰すって事だよ』

『親不孝だよな~。ハハハハ!』


思い出すだけで気分が滅入る――――


「貧乏人は僻んでろ! 僕だってちゃんとできる!」


そうつぶやきながら、ドアを開けると……カウンターに女性が一人。珍しい。白いワンピースにチャコールグレーのジャケット、ワインレッドの丸いベレー帽で、長い黒髪が綺麗な美人だった。


ちらっとこちらを見たので、軽く会釈をして、彼女から一つ空けて隣に座った。


「マスター、いつもの!」

「かしこまりました」


美人がすぐそばに居るだけで、陰口の事なんてどうでも良くなってくる。男って単純だ。


「マスター、こないだ、良かったね。弘子さんと話しできて」

「本当ですよ、あんな事あるんですかね? でも、弘子に『幸せだった』って言ってもらえて本当に良かった」

「マスター顔色良くなったじゃん!」

「おかげ様で。はい、モスコミュール」


彼女が声をかけて来た

「あの~、何かあったんですか?」


バーテンダーは

「この方のお友達が、イタコみたいな事やってくれてね……。死んだ妻と話ができたんです」

「死んだ人と話ですか!?」

「いや、ただの話術に騙されただけかもしれませんよ。でも、おかげで心はすっきりできたので、私は感謝しているんです」


「でも3年前の浮気って……」

修一郎が突っ込むと、


「あ、いや、その話は止めましょう……」


「ふぅん、何だか面白い方達ですね」

彼女はそう言って、爽やかに笑った。


バーテンダーは

「この修一郎君は有名大学の学生で、かつAIベンチャーの役員なんですよ。すごいでしょ?」

客同士をさりげなくマッチングさせるのも、バーテンダーの腕だ。


「え? すごぉい!」

彼女は大きく目を見開いて、オーバーにアクションする。


「あはは、マスター嫌だなぁ、大したことないよ」

「そんなすごい人に出会えるなんて、今日はツイているわ。私は冴子って言います。この素敵な出会いに乾杯しましょ!」


彼女は修一郎の隣の席に移って、グラスを差し出してきた。

フワッとチュベローズの香りが流れ、修一郎は照れながらグラスを合わせた。


「カンパーイ!」「カンパーイ!」


修一郎は久しぶりに褒められて、お酒が凄く美味い。グイっと飲み干すと、

「マスター! おかわり!」


「おいおい、絶好調だな」


修一郎は満面の笑みで答えた。

「まあね、僕にも運気が回ってきたかも」


「修一郎さんはどちらの大学ですか?」

「応京です」

「わ~すごい! 名門ですね! 私は令和大学なんです。応京には憧れちゃいます!」

「憧れなんて……大したことないよ。へへへ」

「やられてるAIベンチャーって、どういう会社なんですか?」


修一郎はグラスを軽く回し、ちょっと考えて言った。

「マーカスって言う、世界一のAIエンジニアがいるんだ。彼がまたすごくてね……」

「世界一!? すごぉぉい!! そんな会社の役員だなんて、修一郎さんってとてもすごんですね!」

「あはは、冴子さんうまいなぁ。マスター、彼女にもおかわり! 今日は僕がおごっちゃうよ!」


そう、僕はすごいんだ! 僕がいなかったらDeep Childなんて、スタートもできなかったのだ! 僕は人類にとって重要な男なのだ!


すっかり調子に乗った修一郎は、この夜、モスコミュールを8杯も飲んだ。





夜も更け、二人で盛り上がっていると、急に冴子が修一郎の手に自分の手を重ねてきて言った。


「修一郎さん、私ちょっと……飲みすぎちゃった……かも……」


修一郎は、慌てて言う。

「そ、それは大変だ……。お水……もらおうか?」


冴子は上目遣いにうるんだ瞳で修一郎をジッと見ると、

「修一郎さんって、優しいのね……。大丈夫、ちょっとだけ休ませて……」


そう言って、修一郎に身体をもたれかけてきた。

修一郎は、ふんわりと上がってくるチュベローズの香りに心臓が高鳴る。


どうしようかと修一郎が悩んでいると、冴子は修一郎の手を取り、愛おしそうに指を絡めてきた。


「そ、そうだ。ちょっと行った先に休める所あるよ、や……休む?」

修一郎がそう言うと、冴子はゆっくりとうなずいた。



この日、修一郎は家に帰ってこなかった――――














2-6.忍び寄る200億円


オフィスでパソコンを叩いていると、修一郎がやってきた。


「誠さん、ちょっと、会って欲しい人が居るんだけど、いいかな? すごい良い話」


修一郎に人脈なんてあったかな、と思いつつ答えた。

「ん? いいよ」

「急だけど、今晩銀座のバーでどう?」

「あー、いいけどどんな人?」

「それは会ってのお楽しみ!」


うさん臭さ全開である。

まぁ修一郎の話なんて、どうせロクなもんじゃない。適当に酒飲んで帰ってこよう。


小さな会社でも、やらなきゃいけない事は山積みだ。

税務に会計にオフィス周りに、太陽興産との契約周りやレポート周り、できるだけ専門家に依頼してはいるが、それでも把握して判断して、指示は出さないとならない。

社長は究極の雑用である。


仕事終わり、疲れた足でげんなりしながら、新橋駅から歩く。夜の銀座は華やかだ。俺はふと立ち止まり、ゆっくりと夜の街の空気を吸った。


バーに着くと、すでに修一郎と、女の子と、スーツ姿の中年の男が待っていた。


「誠さーん!」

修一郎が大声出して手を振ってる……。恥ずかしいからそういうの止めて欲しい。


男は立ち上がると、会釈をし、名刺を差し出してきた。


名刺には

『CPコンサルティング 代表 山崎 豊』

と、ある。


挨拶して座ると、女の子が豊島冴子としまさえこと名乗り、飲み物を聞いてくる。修一郎の友達のようだ。


「あ、じゃぁビールで」

「マスター! ビールお願いしまーす!」


さて、こんな銀座のバーで、何のお話しでしょうか。


山崎が姿勢をピッと伸ばし、話し始めた。

「お忙しい所、いきなりすみません、修一郎さんの方から御社の事業の話を聞きまして、当社もお手伝いできるのではないかと思い、お時間を取っていただきました」


怪しいコンサルに、一体何が手伝えるのか。


「営業ですか? うちは今の所なにも困ってないですよ」

「いやいや、手厳しいですね。いいでしょう、単刀直入に申します。神崎さんのお持ちの株式を、200億で買い取らせていただきたい」


「は?」


俺は何を言われたのか、良く分からなかった。


「200億……ですか? 日本円で? ジンバブエドルとかでなく?」

怪訝そうに答える俺に、山崎はにこやかにハキハキと言う。


わたくし、冗談は一切申しません。ご了解いただければ、今すぐにでも日本円で200億円、振り込ませていただきます」


これは一体どういう事だろうか……?


俺は先月600万円出資して、株式会社Deep Childの株を60%持っている。それを200億円で買いたい、と言ってきているのだ。

600万がどうして、1か月で200億円になるのか?

この男が何をやりたいのか、皆目見当がつかない。


「お待たせしました、ビールです」


バーテンダーが持ってきたビールを、俺はゴクゴク飲んだ。

しかし、味が良く分からない……。


「ちょっと整理させてください。私が持ってるDeep Childの株を、200億円で買いたい、とおっしゃってるんですか?」

「その通りです」

山崎はにっこりと笑って言う。


「先月600万で得た株を『200億で買いたい』って、随分バリュエーション上がり過ぎじゃないですか?」

「神崎さん、私はあなたの偉業を、高く評価しているのです。太陽興産との100億の増資契約、世界トップのAIエンジニアの獲得、とても普通の人にはできない偉業です。200億円は妥当な評価ですよ」


うん、まぁ、何しろ神様の力だからね。


「で、俺の株を買ったら、お宅はどうするの?」

「別に何もしません。神崎さんは今まで通り社長を続けてください。必要であれば我々の金主のグループが、技術面、資金面でバックアップします」

そう言って、100%完璧な営業スマイルで俺を見る。


「誠さん、いい話だろ? 今まで通りでいいのに200億円もくれるんだぜ!」

能天気に、修一郎が割り込んでくる。


「そうですよ、神崎さん。いいことだらけじゃないですか!」

冴子がプッシュしてくる。


俺はビールをグッと空けると言った。


「お断りします」


「え~、誠さん、なんでだよ!?」

「株ももたない社長なんて飾りだ。何らかのタイミングでクビだ。俺にはDeep Childの事業を、最後まで完遂する使命がある。クビになる可能性など、受け入れられない!」


一分のぶれもなくそう言い切った。そもそも会社はただの隠れ蓑、人類の後継者を作るのが俺達の目的であって、事業活動は二の次だ。隠れ蓑の権利を明け渡してしまったら、目的を達せられなくなる。


「分かりました、こうしましょう。『神崎さんを社長から降ろさない』と一筆金主に書いてもらいましょう」

「いやいや、そんな誓約書に実効力なんて期待できない。それに、俺には200億円の使い道なんて無いからな」


「え~、誠さん頼むよ~」

修一郎は俺の腕を掴んで言う。


「お前、もしかして、自分の株を売るつもりなのか?」

「だって、70億円出してくれる、って言うんだもん。70億あったら一生遊んで暮らせるじゃん」

「もしかして美奈ちゃんもか?」

「美奈ちゃんは『誠さん次第』って言ってた」


なんだよ、株式会社Deep Childは設立早々、乗っ取りの危機だ。お前らほんと頼むよ……。

俺は深くため息をついて頭を抱えた。


俺は山崎に言った。

「うちの会社の根源的な価値は、俺とクリスに紐づいている。強引に買い取っても、俺とクリスが抜けたらもぬけの殻だぞ、わかってるのか?」

「私の仕事は御社の株を買う事です。買った後どうなるかは金主さんの問題です。我々は関係ない」

そう言って爽やかに笑う。


「何にせよ俺は売らない、修一郎の株の売買も取締役会で否決する。お宅の乗っ取りは通らない」

俺はそう言って席を立った。


帰ろうとすると、山崎が笑顔で言い放った。

「神崎さん、私を軽く見ない方がいい。私は今まで全ての買収案件を成立させてきた。あなたも必ず私に『買ってください』と頭下げに来る。必ずだ!」


俺は山崎を一瞥すると、ドアを開け店を後にした――――


買収なんてされたら、スマホのCyanがハリボテだった事もバレてしまうし、最悪詐欺で捕まってしまう。何としても阻止しないとならない。


「修一郎め! 疫病神かよ!」

怒りが止まらなかった。


夜の銀座を歩きながら、急いで美奈ちゃんに電話、

「美奈ちゃん、夜遅くごめん、今いいかな?」

「あら、誠さん……どうしたの?」

「株の買収の話、聞いた?」

「シュウちゃんの話ね、聞いたわよ。70億円だって、思わず笑っちゃったわ」

「美奈ちゃんは……売る気なの?」

俺は恐る恐る聞いてみる。


「正直私、株とか良く分からないのよね。70億はそりゃ欲しいけど、何があるか分からなくて怖いわ」

「そうか、とりあえず売るのは止めて欲しい。売ったりしたら、クリスとの約束も守れなくなるし、クリス怒らせるのはお互いためにならない」

「そうよね~。クリス敵に回して生きていけないわ。シュウちゃんも、相当きついお灸据えられるはずだわ」


美奈ちゃんは、なんとか押さえられそうだ。


「ありがとう。奴らが何か言って来たら『神崎に一任してます』って答えておいて。それ以上何も言わなくていいから」

「オッケー!」


美奈ちゃんはいい娘だな……


修一郎と美奈ちゃんの株を両方取られると、40%押さえられてしまう。そうすると特別決議が通らなくなるので、経営上極めて面倒くさい事になってしまう。何とかそれは回避できそうだが……。





次はクリスと相談。


クリスと俺は、オフィスのマンションの別の階に部屋を借り、ルームシェアしている。

神様とルームシェアなんて、実に光栄な事である。

とは言え、クリスの部屋には家具もなければベッドもない。夜中はどこかへ行ってしまうし、生活の拠点と言うよりは、オフィスの休憩室的な位置づけみたいだ。


コンビニでビールとつまみを仕入れて帰宅――――


リビングのドアを開けると、クリスはテーブルで本を読んでいた。


「…。おかえり」

クリスはチラッとこちらを見て言った。


「ただいま……。ちょっと相談いいかな?」

クリスはこちらを見て何かを察し、本を置いた。


「…。どうぞ」


俺はビールとつまみを出してクリスに勧めると、買収の事を一通り説明した。


クリスは上を向いて目を瞑り、しばらく思索にふけっていた。


俺は、ポテチをポリポリ齧りながらビールを飲む。


「…。天安グループだな」

「天安グループ?」

「…。中国の新興のIT企業グループだ。兆円単位でお金が余っている」

「それでAIの会社を買いたいって事かな? うちは営利目的じゃないんで、標的にされるのは困るな」

「…。買収も純粋な経済行為だから悪い事ではない。ただ、Deep Childを買われるのは困る」

「何か手はあるかな?」

「…。相手のアクション待ちだな。こちらから仕掛けるには、手掛かりが無い」

「了解、とりあえず修一郎には、くぎを刺しておくね」


修一郎はただの小僧だから別に怖くないが、山崎の自信満々な態度は気になる。できる限り、修一郎が余計な事をしない様に、言い含めておかねばならない。


「面倒な話はここまで、ネットで評判のワインを買ったんだ、一口飲まない?」

「…。いただこう」


クリスは爽やかに笑った。





















2-7.愛が人類を作った


日々、シアンは着実に成長していく。

チームを組んで狩りができるようになり、簡単な言葉を話すようになった。人類が何十万年もかけて学習してきた事を、AIチップをガンガン回す事で数週間で実現してきたのだ。


ただ、うまく行くことばかりではない――――



マーカスがプロジェクターで、仮想現実空間を映し出し、進捗報告を始めたが……いつもと違って、神妙な顔をしている。


画面をみると、シアン達はどうやら喧嘩をしているようだ。


何か叫びながら、ボカボカ殴り合っている。


「What's happen?(どうしたの?)」

「ミンナ ラク シタイネ」


どうやら、リンゴをたくさん楽して貰える、上位の序列を巡って争っているらしい。

ニホンザルとか、動物の群れにはよくあるシーンではある。


ケンカにまでなるのは、健全なAIの成長であるともいえるが……人類の後継者として、そんな暴力的要素を盛り込んでしまっていいのだろうか?


「クリスはどう思う?」

困ったらクリスに振るに限る。


「…。競争と悪意は違う。悪意はダメだ。それでは悪魔になる」

「そうなんだけど、悪意の定義が難しいね。相手の損を狙うのは健全な競争なので、何をもって悪意とするのかが難しい」


クリスは目を瞑り、上を向いて何か考え込んでいる……。


しばらく色々と考えていたようだったが、目を開けて言った。

「…。フェアかどうか見る、というのはどうか?」

「なるほど、ルールを決めて、その範囲で公明正大ならOKという風にしようか?」


スポーツが分かりやすいが、相手に不利な事をするのは当たり前の戦略だ。

だが、相手のけがを狙い始めたら、それはスポーツにならない。

やってはいけない事を定義し、ルールとして掲げれば、競争と悪意は分離できそうだ。


「…。ルールの運用の問題はあるが、いいんじゃないか」

「Marcus! Could you imprement such rules? (ルールを持たせられる?)」

「Ummmm…… ルール イレルノ カンタン。デモ シアンニ ツクラセル ムズカシ」

そう言って肩をすくめる。


「ですよね~」


狩りをするより、奪った方が楽、という基本的な力学がある以上、争いは無くす事ができない。


みんなが考え込んでいると……


「君たちは分かってないな~」

美奈ちゃんが、会議テーブルに頬杖をつき、人差し指を揺らしながら言う


「愛よ、愛! 愛が無いからケンカばかりするの」


「え? 愛?」

また、嫌な言葉が出てきた。俺が怪訝そうな顔をすると


「シアンは自分の事しか考えないから、こんな事になってるのよ。人間が社会で、みんなと上手くやってるのは、愛があるからなの。他の人が喜ぶと嬉しい、という感情が大切なのよ。」


なるほど……、一理ある。


つまり、全員が100%身勝手だと、延々と潰しあってしまうが『他人に利益を渡すと嬉しい』という力学があれば、柔軟で生産的な社会ができるって事だな。そしてこれは一般に『愛』と言われている。


「美奈ちゃん凄いな、まさに核心じゃないか!」

「ふふっ、愛のことなら私に聞きなさい」

そう言って胸を張る。


「AIの成長にとって、大切なのが愛だなんて、なんだか凄いファンタジーだね!」

俺がそう言って笑うと、美奈ちゃんは急に近寄ってきて、俺の耳元で……


「誠さんの成長にとっても……愛は大切なのよ」

小声でそう言ってウインクした。


フワッとブルガリアンローズの香りに包まれて、俺は動悸が速まり、息が乱れた。


「な、なんだよ! 俺の愛は関係ないの!」


俺が赤くなって、投げつけるように言い放つと、美奈ちゃんはケラケラと笑った。


年下の女の子に、俺の足りない所を的確に突かれた気がして思わず目を瞑る。


俺は大きく息を吐くと、気を取り直して――――


「とりあえず、愛の管理システムを追加してみようか?」

マーカスに言った。


「OK! ヤッテミルネ!」

マーカスがサムアップしてニッコリして言う。


「…。『マインド・カーネル』だな」

クリスがボソッと言う。


「え? 『マインド・カーネル』?」

「…。あ、いや、こういうシステムの事を、そう言う人がいたんだ」


なぜ神様が、AIのシステムなんかに関わっていたのか不思議だが…… 『マインド・カーネル』という名前は確かに言い得てて、いいかも知れない。


「マーカス! じゃ、システム名は『マインド・カーネル』で!」

マーカスは、ニヤッと含みのある笑いをしてサムアップ。


なんだろう……、この名前、何かあるのだろうか……

俺はすかさず検索したが……ヒットしない。キツネにつままれた気分だ。


それにしても、美奈ちゃんの仮説が正しいとしたら、人類がこんなに発展できたのも、愛のおかげという事になる。

愛があるからこそ文明、文化が発達した……

もし、愛が無かったら、いつまでも争い続けて集団行動に繋がらず、ずっと猿のままだったという事になる。

俺は胸にグッとくるものを感じた……。愛が人類を作ったのだ。

AIを研究すると、人類とは何かが少しずつ見えてくる。



ただ……。

俺自身について言えば、愛は苦手だ。愛が一番欲しい子供時代に、親に捨てられてしまったトラウマは、そう簡単には消えてくれない。

あんなに大好きで、俺の全てだったママが、ある日いきなり俺を捨てたのだ。俺を要らないと捨てたのだ。

俺の心にぽっかりと空いた穴は深刻で、いまだに尾を引いている。


愛は素晴らしい。しかし愛するという事は、心の一番柔らかな部分を相手に晒す事。もしまた裏切られたら……俺は考えるだけで背筋が寒くなり、心の奥底のおりが湧き上がって行くのを感じる。


俺は目を瞑り、大きく深呼吸してゆっくりと心を落ち着けた。


守らないといけない、この穴の開いた心を……。

二度と壊されるわけにはいかないのだ。





地球から遠く離れた美しい星で、誠たちを見ている人がいた――――


青いガラスで作られた、巨大コンベンションセンターの様なホールに、一人の女性が座っていた。透き通った白い肌に整った目鼻立ち、その瞳には美しいという中にも凛とした強さを秘めていた。

彼女は不思議な透明感のある金色のドレスを纏い、足を組み替えたりするたびに、ドレスはキラキラと煌めきを放つ。


ホールの上の方では、巨大なクジラが悠然と空中を泳ぎ、それを色とりどりの魚が追いかけている。フロアの周辺部には多彩な現代アートや、物珍しい蒐集しゅうしゅう物が並べられ、まるで美術館のようだ。


ガラスの壁面の向こうに目を移すと、雪をかぶった美しい山の連なりが緩やかに動いて見える。どうやらこのホールは、空中を移動しているらしい。


女性の周りには、いくつかの3Dモニタがホログラムの様に浮かび、綺麗にデザインされたグラフや、地球の各地の姿を浮かび上がらせている。

女性は、閉じた扇子を頻繁に、クルクルと動かしながら3Dモニタを操作し、グラフを眺め、そして誠たちのオフィスを表示させ、ジッと見入った。


しばらくすると、

「ただいま~」

という声とともに、空間がいきなり割れ、現れたドアから若い女性が入ってきた。その姿かたちは、元いた女性とうり二つだが……肌の色だけがやや濃く見える。


「すごく楽しんでるわね」

金ドレスの彼女が声をかけると、


「まぁね、でも結構苦労してるんだから」

そう言いながら、空中に椅子を出現させ、それに座った。


「珈琲でも飲んで」

金ドレスの彼女は扇子をくるりと回し、珈琲を二杯出すと、一つを彼女に渡した。

「ありがと!」


「久しぶりにお祭り・・かしらね」

熱い珈琲をすすりながら、金ドレスの彼女が声をかける。


「だといいんだけどね……」

「ダメそうなら星ごと消してね。うちには、ダメな星を回しておくエネルギーは無いんだから」

「分かってるって、コンテンツ・エネルギー比を落とすなって事でしょ」

「そうそう、ダメな星ばかりになったら、うちごと消されちゃうわ」

「世知辛い世の中だわ……」

二人はちょっとウンザリしながら、無言で珈琲をすすった。


「でも……本当のエネルギーの実態がどうなってるかなんて、私たちには分かりっこないのにね……」

「エネルギーの話をしだすと頭痛いわ……ワインでも飲む?」

「あら、いいわね」

金ドレスの彼女はニコッと笑った。


「うちの星のワインは、結構良いのよ」

そう言って、空中にワインを出し、サーブする。


「そうね、ワインのためだけにでも、残しておこうかしら」

「ふふっ、『葡萄球ワイナース』って名前に変えようかしら」


「そしたら、葡萄球ワイナースに乾杯!」

「乾杯!」


チン! というグラスの音に惹かれて、クジラがゆっくりと降りてきて、二人のすぐ上で巨大な尾びれを振った。


「キャ――――!!」「キャ――――!!」


二人はそんなクジラをギリギリでかわしながら、歓声を上げた。
















2-8.ハニーポッドの脅威


夕方、修一郎の親父さんから電話がかかってきた。


どうも『緊急で相談したい』という事で、銀座のバーに呼び出された。

深刻そうな話なので、クリスと美奈ちゃんと一緒に行く。


バーに着くと、親父さんと修一郎がすでに来ていた。

「おー、神崎君! 待ってたよ!」

「こんばんは」


取り急ぎ飲み物を頼むと、親父さんは深刻そうな声で話し始めた。

「神崎君、天安グループは知ってるかね?」


なるほど、乗っ取りの件らしい。


「もちろん知ってますよ。まぁ修一郎君の方が、良くご存じだと思いますが」

「え? 修一郎、お前何か知ってるのか?」

「天安グループ? 何それ?」

「お前が、うちの会社の株を、70億円で売ろうとしてた先だよ」

俺はちょっと棘のある声で言う。


親父さんはビックリして、

「シュウ! お前何してくれてんだ!」と、叱りつけた。


「え? だって70億円だよ! 70億円! 欲しいじゃん……」

「か―――――っ! お前は馬鹿か! お前が金に釣られてホイホイ動くから、敵さんが喜んで策を打ってきてるんだぞ!」

親父さんの、脳の血管が切れそうである。


「で、天安グループが何か言ってきたんですか?」

「うちが持ってる、Deep Childへの出資契約の権利を買いたいそうだ。いや、もちろん断ったよ。そしたら敵対的TOBを仕掛けてきやがった」

「え? 太陽興産ごと買収しちゃおう、という事ですか? でも今、御社の時価総額2000億円ですよね? 買収に1000億円以上もかけよう、という事ですか?」

「どうも敵さんは、金に糸目をつけないらしい。何千億円でもぶち込むって言ってきやがった」

Deep Childの買収に数千億円!? どうしてしまったんだ天安グループの人達は……。チャイナマネー恐るべし……。


「マーカスが居ると言っても、ただの零細AIベンチャーに数千億円は異常ですね。特に対外的には、まだ何の成果も出てない事になっているのに」

「ワシの所だって、Deep Childとの話は、極一部のメンバーにしか話しておらんよ」


チラッと修一郎を見ると、目が泳いでいる。


「お前か! 修一郎!」


怪しい挙動を指摘すると、

「いや、僕だって機密は何も話してないよ!」

「誰に何話したか、言ってみろ!」

「冴子さんにDeep Childがどういう会社か、というのを簡単に紹介したくらいだよ。それも具体的な活動については、ちゃんと伏せてるし!」


どうも何か怪しい……。


修一郎をじーっと見てると、何か違和感がある。


「お前、そのスマホどうした?」

裏側も画面になってる、異常に先進的なスマホを持ってる修一郎に、突っ込んだ、


「え? これカッコいいでしょ? 冴子さんにプレゼントでもらったんだ」


俺はそれをすかさずひったくると、クリスに渡した。


クリスの手の中で、スマホはメキメキと音を立てて握りつぶされ、最後にバチバチッと音を立てて死んだ。プシューっと煙が上がる。


「うわっ! 何すんだよー!」

修一郎が立ち上がって抗議する。


「盗聴器だ」

「え?」

予想外の指摘に修一郎は固まった。


「このスマホが、天安グループにずっと音声を送っていた」

「えっ? えっ? 全部聞かれてたの?」

「そうだ。音声だけでなくメールもチャットも全部だ。うちの会社の情報はこのスマホから全部漏れていた」

俺は憮然とした表情で修一郎を睨む。


「そんな……。冴ちゃんはスパイ……だったって事?」

「ハニーポッドだな。お前、あの女に利用されたんだ」

「いや、冴ちゃんはそんな娘じゃないよ! 証拠を見せてやる!」


修一郎は、古い自分のスマホを出して電話をかけた。

しかし……出ない。


メッセンジャーで送ろうとすると――――


「あれ? 冴ちゃんのアカウントが……無い……」

愕然がくぜんとする修一郎。


「今頃、中国行きの飛行機に乗ろうと、空港に移動中だろう」

「……。冴ちゃん……」


すっかり虚脱してしまった修一郎に、美奈ちゃんがおしぼりを投げつける。

「シュウちゃん、不潔! 最低!」


親父さんもそんな修一郎を見て、

「シュウちゃん、お前、女スパイにやられたのか……情けない。育て方を間違えたよ……」

と、うなだれてしまった。


まだ若いから、美人にぐいぐい来られたら弱いだろう。敵ながら、天安の手際の良さに少し感心してしまった。


「お待たせしました、ビールです」

バーテンダーがビールグラスを並べていく。


俺はビールをぐっと呷った。爽やかなのど越しの後、甘く高貴な香りが鼻に抜けていく。


『あぁ、ビールはいいな……』

俺は目を瞑り、しばらくその余韻に浸った。


さて、どうしたものか……。


多分、定期的に親父さんに提出してるクリスのメモ、あれが漏れたんだろう。扱うべき商材や取引企業、社員の評価などが克明に書かれた神のメモの信頼性を調査すれば、その精度の高さが異常な事は誰でも気がついてしまう。使う人が使えばそれこそ何兆円もの価値を生めると分かってしまったのだろう。本気になるのは当たり前だ。これは深刻な情報漏洩事件だ。


さて……これは本格的な危機になってきた。策を練らないと……。


俺はみんなを見回して、言った。


「天安グループのやり口と攻め方は分かった。どうするか、だな。天安グループの過去のM&Aの経緯を見たところ、買収した先は徹底した天安化が施される。多分、今の様な自由な雰囲気での開発は許されないだろう。だから天安グループの傘下に入るのは避けたい」


それを聞いた美奈ちゃんが気楽に返す。

「誰も株売らなきゃ、乗っ取られないんだよね?」

「でも、数千億円単位でガンガン攻められたら、いつかは屈しちゃうよね。美奈ちゃんにもどんどんイケメンスパイが接触してくるよ」

「うわ~!? でも、ちょっと……そういう目にあってみたいかも!?」


冗談はともかく、太陽興産が落とされると、うちとしても、株の過半数が天安グループに取られてしまうので極めてまずい。

とは言え、天安グループは我々の価値に気づいてしまったので、多少の対抗措置をしたところで、手は緩めないだろう。

やはり、トップに買収中止を決断してもらう以外ない。


「クリス、天安グループのトップに、買収を思いとどまらせる事、できるかな?」


クリスはしばらく目を瞑って思案していたが――――

「…。やってみよう」


そう言ってニヤッと笑った。


「では、こないだのエージェントに連絡してみるよ」


俺は、先日貰った山崎の名刺を取り出し、電話をかけた


「神崎です、こんばんは。……。そうですね、冴子さんにはやられましたよ。……。いや、まだ売るとは決めてませんよ。王董事長と直接話したいんですけど。はい……。来週水曜日の19時、分かりました。はい」


「何だって?」

美奈ちゃんが身を乗り出してくる。


「丁度来週、天安グループのトップ、王董事長が日本に来るんだって。その際に時間を取ってくれるってさ」

「ふーん、そこでお断りするって事?」

「普通に断って聞くような相手ではないからね、そこはクリスと相談」

クリスは微笑みながら、うなずいている。


親父さんは

「神崎君、頼んだよ! 太陽興産はワシの子供同然、乗っ取られるのは絶対避けたいんだ」

そう言って、両手で俺の手を握ってくる。


「全力で対処します」

俺はそう言って親父さんの手を握り返すと、ニッコリと笑った。

天安には、神のプロジェクトにちょっかいを出した報いを、受けてもらうしかない。


修一郎はというと、グッタリとうなだれたままだ。

まぁ、いい人生経験だろう。美味しい思いをしたのだから、同情する気にもならない。


彼女が俺に来たらどうだっただろう……? 俺は冴子の魅惑的なまなざしを思い出しながら、悩む。そもそも美人に言い寄られて、拒否できる男なんているのだろうか? 例え、それが罠だと頭でわかったとしても、拒否できるだろうか?


少なくとも俺には自信がない。

男って単純で本当に馬鹿な生き物なのだ。


俺はビールを一気に空けて、言った。

「マスター! ラフロイグ、ロックで!」


美奈ちゃんは、

「あ、マスター私も!」

と、嬉しそうに声を上げる。


「あれ? ラフロイグは臭い、って言ってたじゃん?」

「臭かったんだけど…… なんかまた飲みたくなっちゃった。えへへ」

毛先を指でクルクルしながら、照れて答える。


ラフロイグファンがまた一人増えてしまった。













2-9.中国なら共産党


天安グループの、王董事長との面談は、赤坂の中華料理屋で会食しながら、となった。

メンバーで赴くと、大きな円卓に通される。


見ると、山崎がすでに座っていた。


「神崎社長、今日はよろしくお願いします」

そう言って営業スマイルを見せる。


「こちらこそ」

「売っていただける決心は、つきましたか?」

「さあね」

俺は手のひらを上に向けて首を振る。


「200億は、一生豪遊し続けられるお金ですよ。何が不満なんですか?」

「金は幸せを呼ばない。金は単なる数字だ、無きゃ不幸だが、あり過ぎても不幸だ」

「そういうもんですかねぇ……。私だったら即決しますよ。……。あ、お見えになった!」


扉が開いて、王董事長とその部下たち一行が現れた。

みんな起立して出迎える。


俺も大学以来、久し振りに使う中国語であいさつをした。


「您好! 我是神崎、初次见面、请多关照!(はじめまして神崎です。よろしくお願いいたします。)」

「好好! 你会说中文吗?(中国語話せるの?)」


ちょっと驚いたような感じで、王董事長が聞いてくる。


「一点点 大学时我学中文。(大学時代少し勉強しました)」

「好好! 坐下 喝酒吧。(座って、飲みましょう)」


極小さなグラスが配られ、王董事長が、綺麗な木箱から高そうな酒を出す。


「我带来了茅台酒 请喝越来越多(マオタイ酒を持ってきたから、どんどん飲んで)」


そう言って、次々と我々のグラスに注いでいった。


山崎は

「それ一杯でだいたい1万円ですね。凄い高い酒ですよ」

と、俺に耳打ちする。


「あーそう。まぁ、そんな気はしたんだ」


なんだかすごいアウェー感がする。


「干杯!(乾杯)」


王董事長がグラスを掲げ、声を上げると


部下の人達が


「干杯!」「干杯!」「干杯!」


と、言って、グラスを丸テーブルの角でコンコンと叩いた。


我々も見よう見真似でコンコンと叩く。


すると、みんな一気飲みをして、グラスを空けていく。

我々も空ける……が、予想以上にキツい酒で目が白黒する。


渋い顔をしていると、山崎は

「アルコール度数53度です。無理しないでくださいね」

と、教えてくれる。


美奈ちゃんは、ゴホゴホと咳き込んでいる。

日本人にはちょっとキツい。


食道から胃にかけて、熱い感覚が流れていく。喉が焼けそうだ。


回転テーブル中央の、大きな皿には、野菜を巧みに切り抜いて創り上げられた、鳳凰のデコレーションが置かれている。

その周りに前菜が、ドンドンと乗せられていき、皆、それを取って回していく。

棒棒鶏やクラゲの冷菜、叩いたキュウリ、乾いた豆腐をひも状にした干豆腐料理……たくさん出てくる。


俺もいくつか取って食べてみる。さすが高級中華、味は文句なく美味い。


すると、王董事長から声がかかる、


「神崎先生、干杯!(乾杯)」


そう言って、俺のグラスに酒を注ぐ


「谢谢 干杯!(乾杯)」


そう言って、グラスを合わせてまた一気飲み。このままだと潰されるので、何か考えないと……。


「想加入天安集団吗?(天安グループに入りませんか?)」

いきなり本題から切り出される。ここは頑張らないと。


「我感到很荣幸。但是我优先考虑自由。(光栄ですが、自由でいたいのです。)」

「我们集团有很多钱和优秀的人才。开发速度将提高(うちは金も人材も豊富だぞ)」

熱のこもった誘いが来る。たしかに天安グループはすごい、それは俺も認める所だ。


「我的环境感到满意。(今の環境で十分です)」

「……。我们的资金雄厚(金の力というのは凄いよ)」

上目遣いに、ゆっくりと言ってくる。


要は、強引に乗っ取るよ、と言ってる訳だ。いよいよここが今晩の天王山。

俺がクリスに目配せをすると、クリスはそっとトイレに離席した。


「我们的朋友很坚强。(我々の友人の力も凄いよ)」

「朋友吗?(友人?)」

「看你的手机(携帯を見てごらん)」

「手机?(携帯?)」

王董事長が携帯を取り出すと、着信音が響き渡った。


携帯には『中南海』と出ている。中南海とは中国共産党の本部がある所、共産党の要人から電話があったという事なのだ。

王董事長はビックリして飛び上がると、直立不動で電話を受けた。


「对…。对…。(はい、はい)」


額には冷や汗がにじんでいる。

異様な雰囲気に気付いた部下たちは、一斉に話を止め、王董事長の電話に聞き耳を立てる。

宴会場は不気味な静けさに包まれた――――


短い電話が終わると、王董事長はドカッと椅子に座り、憔悴しきった様子で茅台酒を呷った。

そして、俺をジロっと睨むと


「神崎先生、你是真伟大。(神崎さん、あなたは凄い)」


中国においては、共産党幹部が圧倒的に強い。どんなに成功したIT長者でも、絶対に共産党には逆らえない。共産党に睨まれたら、一瞬で会社など潰されてしまうのだ。

もちろん、天安グループ位になれば、共産党幹部を味方に付けてあるわけではあるが、その人より上のクラスを出せば絶対に逆らえないのだ。


俺はにっこりと王董事長に笑いかけると、


「谢谢 想成为朋友吗?(友達になりませんか?)」

「对!你是我的朋友!(なりましょう!)」

「明年,我想在中国销售AI解决方案。可以成为代理店吗?(来年、AI製品を中国で売るのに協力してくれますね?)」

「对、对。当然可以!(もちろんです!)」


形勢逆転である。これは当たり前だ。俺を敵に回すという事は、電話をかけて来た共産党幹部を敵に回す事、それは絶対に避けないとならないはず。ついでに副産物の売り込みにも成功した。これで太陽興産に恩返しもできるだろう。大勝利である。


「王先生、干杯!(乾杯)」

そう言って、俺は満面の笑みで王董事長のグラスに酒を注ぐ


「谢谢 干杯!(乾杯)」

王董事長はやや引きつった笑顔で乾杯をする。


俺はキツい酒を呷りながら、クリスの力の素晴らしさに改めて感動を覚えた。地球上でクリスに勝てる人など居ないだろう。その気になれば世界征服すら余裕、というより、すでに実質世界征服済みと言っても過言ではないかも知れない。


ただ……、冷静に考えると、クリスがいつまでも味方でいてくれると言う保証はないのだ。深層後継者計画が行き詰まったら、あっさり切られてしまうだろう。ある日いきなり記憶を消されて放り出されるリスクは、常に付きまとう。


もし、記憶を消されたら俺は何を想うのだろうか? 美奈ちゃんの事も、築いてきたいろいろな思い出も、全部忘れてしまうに違いない……。

ダメだ、そんな結末は到底受け入れられない。絶対に成功しなくては……。


折角の勝利だというのに俺の心は晴れなかった。

勝利の美酒はほろ苦い味がした。





王董事長とのやり取りを見てた部下の人たちは、俺と仲良くしようと我先に乾杯にやってくる。


「我是负责企划的董事。见到您很高兴。神崎先生、干杯!(企画担当役員です、お目にかかれてうれしいです。乾杯)」

「谢谢 干杯!(乾杯)」


「我是总经理。拜托了。神崎先生、干杯!(実務責任者です。よろしく。乾杯)」

「谢谢 干杯!(乾杯)」


次々とやってくる部下たちを断るわけにもいかず、結局、全員と乾杯させられた。とっくに限界の酒量は超えてしまっている。

中国企業と付き合うというのはとんでもない事だと、身をもって痛感した。


山崎はその様子を見て、俺と友達になりたいとか言ってきたが、当然断っておいた。


美奈ちゃんはジャスミン茶を飲んで涼しい顔をしてるし、クリスはにこやかに乾杯を繰り返しながら、全然酔ってる様子を見せず、相手を圧倒している。ヤバいのは俺である。結局俺は、その後も数えきれないほど乾杯をして、何度もトイレに行く羽目になった。


気が付いたら、俺はオフィスのソファーで転がっていた。どうやって帰宅したのか覚えていない。

これは本当に勝利……なのか? グルグル回る天井を見ながら、失われていく意識の中そう思った。





その晩、美奈が港区の高級マンションに戻ると、怪しげな男に高い声で呼び止められた。間接照明がお洒落な、エントランスホールの奥から現れたその男は、ハンチング帽をかぶり、中世ヨーロッパ風のちょっと変わった服を着た、小柄な男だった。


「美奈さん、ちょっといいですか?」


美奈はご近所さんかと思い、立ち止まって答える。


「はい、なんでしょう?」


男はニヤッと笑うと、言った。


「美奈さんは、クリスがやってる奇跡を、自分でもやってみたいと……」


美奈は無表情のまま、いきなり男の金的を蹴り上げた。


「ぐわぁ!」

男は余りの激痛に転がってのたうち回る。


美奈は、

「100万年早いわよ、ストーカー!」

そう言うと、スタスタと自宅へ歩いていった。


男は、額から冷や汗を流しながら、

「なぜ、痛いんだ!? クリス、クリスだな、畜生!」


そう喚きながらスーッと消えていった。





「ただいま~」


美奈が家に入ると、父親の克彦かつひこが声をかけてくる。


「美奈ちゃん、変な声が聞こえたけど……大丈夫?」


「え? あぁ、変な虫が出たので驚いただけ、心配しなくて大丈夫よ」

そう言ってニコッと笑った。


「なら……いいけど……。あれ?、お酒臭い……、また飲んできたの?」

「今日は大事な会食だったのよ、そんなにたくさん飲んでないわよ、社長は潰れてたけど」

「え? 社長潰しちゃったの!?」

「男の人は飲むのも仕事なのよ」

「いやまぁそうだけど……、社長放っておいていいの?」

「大丈夫よ、いざとなればクリスが何とかするわ」

「なら……いいけど……、こないだもほら、70億出すって男が来たじゃないか。美奈ちゃんのところの会社、ちょっとなんか変だよ……」

克彦は、娘の事が心配でしょうがない。


「大丈夫、大丈夫、いざとなったら私がエイって解決しちゃうんだから!」

美奈は人差し指をくるりと回し、ニッコリと笑った。


「エイって……どうやるの?」

美奈は、不安そうな克彦をきゅっとハグすると、頬に軽くキスをして言った。

「こうやるの!」

克彦はふわっとブルガリアンローズの香りに包まれ、驚いて目を白黒させる。


それを見ていた母美也子みやこは、

「美奈ちゃん! またパパからかって、ダメよ!」

と、怒った。


「はーい!」

美奈はそう言いながら、自分の部屋に駆けて行った。




2-10.女子大生のダメ出し


美奈ちゃんが

「あれ、結局どうなったのぉ?」

と、愛の管理システム『マインド・カーネル』の実装結果について、マーカスに突っ込む。


「アー ウマク イキマシタガー……」

ちょっと歯切れ悪い感じだ。


話を聞くと、マインド・カーネルの効果でシアンたちは喧嘩もなく、仲良くリンゴを配分するようになった。

そう言う意味では上手くいった。だが、残念ながら初代シアンの進化は、ここで止まってしまったそうだ。


マーカスの説明によると、リンゴの捕獲を、ゴリゴリと最適化チューニングする方向にしか、進化は進まず、初代シアンはただの高効率リンゴ捕獲マシーンと、化してしまったそうだ。

確かに画面を見ていると、一糸乱れぬ連携での狩りはすごいんだが、狩りばかり上手くなっても次につながらない。

これも確かにAIなんだろうけど、人類の後継者としては、全くどうしようもない。


「歌とかダンスとか、文化は出てこないのかな?」

「100マン バイソクデ 1マンネンブン マワシタケド ヘンカナシ」


美奈ちゃんは

「え~! つまんな~い!」

と、膨らんでいる。


今のシアンは、バボちゃんの様な単純ボディでリンゴを獲るだけだから、複雑な概念が生まれないという事かもしれない。

脳みその代わりの、AIのパフォーマンスは相当に高いはずだが、文化は生まれない。

つまり、歌とかダンスとかの文化は、人間の身体から湧き出てくる物だったのだ。脳みその問題ではなかったのだ。

AIを考える上で、ボディが重要だというのは、こう言う所にもあったという事だろう。





AIの基本的なシステムは完成したから、次はいよいよ、生体を使った実験に入る。マウスの登場である。


AIを生体に接続するには、生体の神経繊維の1本1本に流れる電気信号を取り出し、また送り出さないといけない。

人間でいうと、筋肉に指示を出す運動神経の方は数万本で済むのだが、視覚、触覚などの五感の感覚神経の数は膨大だ。


感覚神経を、五感で分けてみるとこうだ

視覚神経 1000万本

触覚神経 100万本

聴覚神経 10万本

嗅覚神経 1000本

味覚神経 1000本


視覚神経だけで1000万本ある。これを目玉から取り出すのは現実的ではない。

仕方ないので、視覚は小型カメラで代用する。同様に、聴覚はマイクで代用だ。

しかし、触覚は代用できないので、頑張ってBMI(ブレイン・マシン・インタフェース)で取り出すしかない。逆に言えば、代用できない触覚こそが人間のコアを形成しているともいえる。人間は皮膚の生き物だという事なのだ。


BMIはすでに、中国の半導体工場に無理にお願いして、開発を進めてもらっている。

「3億円かかる」と言われたので、「4億円払うから最速で作ってくれ」と言ったら、凄い喜んで開発してくれている。

来週試作品が届くはずなので、それで実際にマウスと接続してみよう。


神経に微細な電極を繋ぐなんて事は、やった事もないから不安だらけではあるが、今更止められない。

クリスの神の技がどこまで通用するのか……。もう神頼みである。





その晩、会社のみんなで飲みに行った。

マーカスが、イタリアンがいいというので、近所の小さなお店にした。


まずはスプマンテで乾杯だ。


「Hey Guys! Thank you for your great job! Let's make a toast. Cheers!(お疲れ! 乾杯!)」

「Cheers!」「Cheers!」「Cheers!」


やっぱり仕事帰りのお酒は最高だ。

豊潤で繊細な香りを放つ爽やかなスプマンテが、ディナーの期待値を上げてくる。


俺はシーザーサラダを取り分けながら、マーカスに聞いた。


「Are you used to life in Japan yet? (日本には慣れた?)」

「Yup! ニホン ブンカ イイネ。センソウジ イッタ!」


どうも先週末、美奈ちゃんと一緒に浅草寺に行ったらしい。そんな話初めて聞いた。


「もしかして、美奈ちゃんと付き合ってるの?」

「マダネ!」

そう言ってニヤッと笑った。


まだ、っていう事は、狙っているという事か。応援したくもあり、ちょっと悔しくもあり……。


「ミナ ハ ボクノ ヴィーナス ネ」


そう言って、マーカスは美奈ちゃんの方を、ジーっと見つめている。


「Good Luck! (うまくいくと良いね)」


まぁ確かに、美人でスラっとした美奈ちゃんと、ガタイの良いマーカスは、お似合いかも知れん……。

仲もよさそうだしね。


俺にもそろそろ、色っぽい話が来てもいいのにな……。


俺はペンネアラビアータをつつきながら、何か手はないのかと思索を巡らす。

いつまでも親に捨てられたことを、引きずっていてはいけない。前向きに彼女を作って愛を育て、トラウマを克服するのだ。

とは言え、最近はオフィスにいるばかりで出会いが無い。


こういう時はクリスに限る。

俺は赤ワインのグラスを持って、クリスの隣の席に移動。


「Hi Chris! Are you having fun?(クリス、楽しんでる?)」

「…。Sure!(もちろん!)」


酔ってくると、なぜか英語になってしまう。

「我有一个要求(一つお願いがある)」

「…。怎么了?(何?)」


王董事長の時の余韻で、中国語でも試してみたが、さすがクリス、ついてくる。


「私もそろそろ……彼女が欲しいなとか、思うんですが!」

「…。いいんじゃないかな?」

「ところがですね、なかなかいい出会いが、無いんです!」

「…。それは深刻だね」

「ぜひ、いい人を紹介して……欲しいなーと……」

「…。私が紹介するのか?」

クリスはパスタを巻くフォークの手を止め、驚いたようにこっちを見る。


「クリス顔広いじゃん、世界中の人知ってるじゃん、きっといい人知ってるよね?」

「…。まあたくさん候補はいるが……」

「ほらほら、ちょっと何人か紹介して!」


そこにグラスを持った美奈ちゃんが乱入。

「なに? 誠さん、私じゃダメって言うの?」

そう言って、上目遣いでこっちを見る。


俺はワイングラスを、カチンと合わせて

「美奈ちゃん、浅草寺連れてってくれないし~」

そう言って、そっぽ向いて拗ねてみる。


「あら、マーカスに聞いたのね、秘密って言ったのに」

嬉しそうにニコッと笑う。


「まぁ、仲良くやってくださいよ。社内恋愛禁止じゃないし」

「ふふふ、どうしようかなぁ……」

上を向いて人差し指を顎に当てた。


「また、もったいぶって……悪女だなぁ」

「悪女とは失礼ね! 私は『愛の秘密』を解いた人と付き合うのよ」

また訳わからない事を、言いだした……


「『愛の秘密』? 何それ?」

「秘密を教える訳ないじゃない。バカなの?」

美奈ちゃんは軽蔑のまなざしで俺を刺す。


だが……そんなの分かる訳がない。


「ヒント位くれよ!」

「しょうがないわねぇ……」


美奈ちゃんは、ワインを一口飲んで言った、

「こないだシアンに、愛の機能つけたんでしょ?」

「え? あれはAIの喧嘩防止機能だろ?」

「ふぅ……だからダメなのよ」

美奈ちゃんはため息をつき、ダメ出しをする。


「えっ!? ちょっと待って、シアンと俺って同列なの?」

「そんくらい自分で考えなさいよ!」

そう言って、美奈ちゃんは席を立ってしまった……


いや、ちょっと待って欲しい。確かにAIの喧嘩を防止するための調整機能として、マインド・カーネルを実装した。それで喧嘩はなくなった。でも、それと美奈ちゃんと付き合える条件に、何の関係があるのか?

この禅問答の様な捉えどころのない設問に、俺はすっかり困惑した。


俺はクリスに聞いた。

「クリスは美奈ちゃんの言う事分かる?」

「…。もちろん」

そういって微笑んだ。


「え!? 分かるの!?」

俺は言葉を失ってしまった。


美奈ちゃんはクリスのレベルに達していて、俺はただのお子ちゃまだって事らしい。


一瞬、クリスに教えてもらおうか、とも思ったが、女子大生でも分かる事を、今さら神様に聞くのもしゃくである。

これは自分で解決しないとならない。


俺は赤ワインをクルクル回しながら、必死に考える――――


そもそも愛ってなんだ……?

シアンでは、他人が喜ぶと嬉しくなるように、マインド・カーネルで調整を入れた。愛とは、他人と自分の関係を変えるものって事だ。ここに秘密があって、それを解くと美奈ちゃんの彼氏になれる……。

ダメだ……、全く関連性を見い出せない。本当に繋がりなんてあるのだろうか?


しかし、クリスは納得しているのだから、悪いのは俺の頭の方らしい。女子大生にも負ける俺の知力。俺の28年間の人生は何だったんだ……。

思えば俺は、親に捨てられた事でいじけ、PCを叩いてばかりいたような気がする。人付き合いを忌避し、楽しくやってる連中を『パリピ』と馬鹿にし、世間をひねくれた目で見ていたかもしれない。ある意味、人間関係について、真面目に考えることから逃げてきたのだ。だから彼女もできなかったし、『愛』についても何もわからない。


事、ここに至って初めて、俺は自分の人生の薄っぺらさに愕然とした。


なるほど、美奈ちゃんが呆れるのも当たり前だ。『人間の後継者を作るんだ!』とぶち上げたものの、実は俺自身が、人間の事を全く理解していない現実を突きつけられてしまっているのだ。人間は知恵だけの存在ではない、社会の生き物なのだ。愛とは何か、心とは何か、ここの理解をできない者が後継者づくりなんて、おこがましかったのだ。


人間の姿をして人間社会で活動しているだけでは、『まともな人間』の条件は満たさない。俺は初めて人間の奥深さに触れた気がした。


俺はグラスの中で揺れる赤ワインを眺めながら、自らの浅はかさを深く恥じた。そして、親に捨てられたことにいつまでも拘らず、前向きに、一人一人と丁寧に向き合っていこう、と誓った。


その晩、俺はなかなか寝付けなかった。


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