7-1.もう一つの地球
Ting-a-ring!
部屋に呼び出し音が響く。
クリスは
「Come in! (どうぞ)」と、返事をする。
すると、空中にドアが出現して女性が現れた。
白いワンピースに青のショートパンツ、ワンピースの裾は大きなツバの帽子に繋がっており、地球では見たこともないファッションだ。
「ハイ! サラ!」
クリスが軽く手を挙げて挨拶する。
「ハイ! クリス! これ、いつもの」
サラはそう言って、お酒の瓶の様なものをクリスに渡した。
「ありがとう。いつも助かるよ。」
そう言って、クリスは瓶のラベルをじっくりと眺めた。
「今回は災難だったわね」
サラはそう言って微笑みかける。
「締め出された時は本当に参ったよ。シンギュラリティは予想以上に危険だ」
「でもまぁ解決したようで何より」
「そこの誠に助けられたんだ」
サラはこっちを向いて、ニッコリと笑って言った。
「誠さんね、活躍は見てたわよ。初めまして、クリスの同僚のサラよ」
「はじめまして! 地球人の誠です」
俺はそう言って立ち上がり、握手をした。
大きなツバに隠れて見えてなかったが、サラはヘーゼル色の瞳が印象的な美人だった。
しかし、『見てた』って……何を見られていたのだろうか……。
ばぁちゃんにしても、みんな見てるのは本当に困る。
「女神の加護を受けているんですって?」
「どうもそうみたいなんですよね。会ったこともないのに、ずっと見守っていてくれるんです」
「ふうん、興味深いわね」
そう言ってサラは俺の瞳の奥をのぞき込む。俺はちょっと気おされ気味だ。
「クリス、誠さん借りていいかしら?」
いきなりサラは、変なことを言い出した。
「誠がいいなら……まだスクリーニングには時間かかるし」
「誠さん、私の地球に来てみる? きっと楽しめるはずよ」
サラはそう言ってにっこりと笑った。
要は、俺たちの地球と並行して存在している『他の地球』に誘われているのだ。そんな経験は普通出来ない。
「サラさんの地球? それは興味深いですね! ぜひぜひ!」
「じゃぁ行きましょうか? 掴まっててね」
サラはそう言うと俺の手を取り、目を瞑って何かを唱えた。
俺は意識が飛んだ。
◇
気が付くと、俺は赤と黄色の派手な着物を着て、田んぼのあぜ道にいた。
横を見ると、同じ着物姿のイケメンがいる。誰だろう?
「ハーイ、誠さん。私はサラよ」そう言ってウィンクする。
「あれ? なんで男の姿なんですか?」
「ここはあなたの地球でいうところの、中世に相当する社会なの。女性一人だと何もできないので、地球にいる間はこの体使ってるのよ」
なるほど、確かにあんな美人がフラフラしてたら、すぐにトラブルに巻き込まれそうだ。
周りを見回すと……
不揃いの田んぼに茅葺屋根、木製の農機具などを見るに江戸時代くらいに相当しそうだ。
俺は海王星で練習した、深層心理を使ったデータアクセスに挑戦してみる。
深呼吸をしながら心を静め、意識を仮想現実世界のデータフレームにアクセスさせる……
すると、衛星写真地図のようなイメージが頭に浮かんだ。ずーっとズームアウトしていくと……地形は俺の地球と全く同じだった。場所は名古屋に近い所……豊橋辺りの様だ。
「地形は、クリスの地球と同じですね!」
俺はサラに話しかける。
「そうね、1万2000年前の地球をテンプレートとして、みんなそれをベースにシミュレーションを開始したからね。どこの地球でも地形はほぼ同じよ。言語や文化は違う形に進化したけど。」
なるほど、ここは俺たち人類が体験するかもしれなかった、パラレルワールドなのだ。最初のちょっとした違いが文明の進歩の速さを変えてしまうし、文化は全く別のものになってしまう。
「折角なのでお茶でも飲んでみましょう」
サラは微笑みながら、向こうに見えるお茶屋を指さして言う。
確かに、こちらでは食文化がどういう風に進化したのか、すごい興味がある。
お茶屋の看板の文字は丸っこくて見た事のない文字だ。でも、意識を集中すると翻訳ルーチンが起動するようで、何と書いてあるのかが分かる。『おだんご』らしい。
「いらっしゃ~い」
軒先の椅子に座ると、髪をお団子に丸めた若い娘が声をかけてくる。音声は自動的に翻訳されて意味が頭に響く感じだ。
サラはお茶と特製お団子を注文した。
「ここのお団子は美味しいわよ」
サラは良く来るらしい。
店員はお団子を2本、炭で炙り、何かのタレを塗って持ってくる。
見たところ普通の団子だが、齧ってみると……辛い! めちゃくちゃ辛い! 何だこれは!?
俺は急いでイマジナリーで水入りのコップを出して、ゴクゴク飲んだ。イマジナリーは有効にしてくれているようだ。
「あははは、やっぱりそうなるわよね」
サラはうれしそうに笑う。
なんだよ! 言ってくれよ! と、思ったが、まぁこれも新たな文化との出会いと考えれば、いい経験かもしれない。俺はヒーヒー言いながらも最後まで食べた。
確かに辛いのだが、いろんな香辛料のハーモニーがすごく官能的で、食べるのを止められない魅力のある食べ物だった。
食べ終わり、お茶を飲みながらボーっとしていると、サラが俺の目を見て言った。
「そろそろ効いてきたみたいね」
「え? 何がですかぁ?」
「このタレ、ケシの実が入ってるのよ」
「ケ、ケシィ? もしかして……アヘン?」
「そうそう、いい気分でしょ?」
サラはニヤッと笑って言う。
「ちょっとぉ、先に言ってくださいよぉ……」
なんだかいい気分で、どうでも良くなってしまっているのではあるが、今後の事も考えて、ちゃんと抗議しておかないとならない。
そこに店員が声をかけてきた
「忘れてた! サラさん! 庄屋さんの所へ行ってくれない?」
「あ、また病人かな?」
「そうそう、坊ちゃんが熱出してるらしいのよ。サラさん来たらすぐ呼んでって言われてたのよ」
「オッケー、じゃ、行きますか!」
サラが俺の手を取って引き起こす。
「はぁい……」
ポワポワした気分で、サラの後をついていく。
◇
しばらく歩くと赤い立派な門が見えてきた。あそこが庄屋さんの家らしい。
門番に話をして病室に通された。
布団に10歳くらいの男の子がぐったりして寝込んでいる。
俺は深層心理に集中して患者の様子を見てみる。
すると患者のステータスが浮かび上がってきた。
免疫の数値が赤く点滅して38%付近を指している。かなり低い。
「あー、肺炎だなこりゃ」
サラはそう言うと患者の手を取り、一気に免疫の数字を200%まで上げた。症状の解析と措置は手慣れたものだった。
そしてイマジナリーで護摩焚きセットを出して、火を熾した。
火が徐々に燃え盛り始めたころ、奥の方から立派な身なりをした男が現れた。庄屋さんのようだ。
「サラ先生、わざわざすみません、息子は大丈夫でしょうか?」
サラは居住まいを正し、力強い低い声で答えた、
「ワシに任せておけば万事問題なし!」
そして祈祷を始めた。
「アーラーハーラー、ガンラーハーラー……」
サラの太い声が部屋中に響き渡る。
庄屋さんは手を合わせて一緒に護摩に祈っている。
「アーラーハーリー、ソンラーハーラー……」
免疫の数字を上げただけでは、すぐには容体は良くならない。しばらくはこうやって儀式をやって、時間を引っ張るのだろう。俺はサラの真似をして、護摩の炎に祈る仕草を繰り返した。
◇
しばらくすると、横から女の子が入ってきて、俺に小さな声で言う、
「お願いがあります。もう一人診てもらえないでしょうか?」
いや、俺に言われても……。
俺は困惑した。
彼女を見ると、涙目で俺に祈っている。
十代半ば位に見える少し痩せた可愛らしい娘だ。何とか力になってあげたいが……
悩んでいるとサラから思念波が届く
『腕の骨折だ、マニュアル送るからやってごらん、誠なら簡単だよ』
サラを見るとウィンクしてる。
少し逡巡したが、何事も経験だと思い、挑戦してみる事にした。
アヘンの効果が少しまだ残ってるらしく、妙にポジティブだ。
俺は彼女に連れられて離れの部屋へ行く。
そこには腕を押さえて、激しく泣いている男の子がいた。どうやら彼女の弟らしい。
俺は深呼吸をして心を鎮め、深層心理でサラとつながり、マニュアルとやらを意識上に受け取った。意識をそこに集中すると、内容が頭の中で展開される。
何々……まずは麻酔……ね。
俺は男の子に手をかざし、深層心理に潜って、男の子の構造とステータスを表示させる。その中から痛覚神経を探し出し、そこの活性度を一時的に0に落とす。
すると、男の子は落ち着きを取り戻し始めた。
次は……骨の接着……
手をかざして骨に意識を集中させると、深層心理の中で全身の骨格が浮かび上がってくる。右ひじの部分を見ると、関節の根元がポッキリといってしまってる。
関節と骨に意識を向け、イマジナリーで動かし、接着するイメージを込める。すると表示上は一体化した。
くっついた様ではあるが……どうだろうか、これでいいのかが分からない。
俺は手で腕を持ってそーっとひじを動かしてみる。だが、患部が炎症を起こし、腫れてしまっているのでうまく動かない。
えーっと、これはどうなってるんだ?
ちょっと困惑していると、女の子が涙目で聞いてくる。
「治り……そうですか……?」
彼女を見ると、祈るようなしぐさで、俺を真っすぐに見つめてくる。可愛い女の子にこんなに懇願されちゃうと弱い。つい、いい所見せたくなってしまう。
「大丈夫! 任せて!」
俺はにっこりと微笑んで答えた。
マニュアルをもう一度丁寧に読むと、炎症の鎮静の項目があった。これが先だった、ゴメンね。
一帯の炎症係数が異常値になっているので、これをまとめて0に落とす。
しばらく待っていると徐々に腫れが引いていく。どうやらうまく行ったようだ。
俺は男の子に、
「ちょっと動かしてごらん」 と、言った。
男の子は恐る恐る腕を動かす……動いた。
調子に乗ってブンブン振り回す……大丈夫そうだ。
「やったー!」
男の子はぴょんぴょんと飛ぶ。
女の子は目に涙を浮かべて口を手で覆った。
何とか面目は保てたようだ。
「これでもう大丈夫だな」
俺は男の子に声をかけ、帰ろうとすると、女の子が俺の手をギュッと握ってくる。
「あ、ありがとうございます……でも……治療代が……払えないんです……」
そう言って俺を見る。まだあどけなさは残るものの、整った目鼻立ちにクリッとしたアンバーの瞳が魅力的だ。
「ち、治療代?」
なるほど、治療したら何か対価をもらわないと、まずいのかもしれない。でも……十代半ばの貧しい女の子から、いったい何をもらうのか……。
「あー、そしたら村を案内してくれないか? 俺はこの村初めてだから、どういう暮らしをしているのか興味あるんだ」
「え!? そんなのでいいんですか?」
「そのかわり、ちゃんと案内してよ」
「はい! おまかせください!」
女の子は急いで涙をぬぐいながら、嬉しそうに笑った。
俺たちはそっと屋敷の裏口から抜け出し、村の見どころを見て回った。
川べりの洗濯小屋に行くと、何人かの中年女性が、おしゃべりしながら洗濯をしていた。
「おばちゃん、こんにちは~!」
「あらディナちゃん! いい男連れてどうしたの?」
「庄屋さんのところのお客さん、村に興味があるんだって」
彼女はディナというらしい。俺は軽く会釈をすると、おばちゃんは
「こんな所見てどうするの? まぁ好きなだけ見て行って!」
と、言いながら、他の女性と笑った。
見ると石鹸を付けて手で揉み洗いをしているようだ。洗濯機だったら勝手にやってくれるのになと思ったが、楽しそうに世間話をして盛り上がっているおばちゃんたちを見ると、洗濯機を使う生活が、本当に正しいのか自信が無くなってくる。
続いて大きな水車小屋、さらに養豚場に製塩場、ディナは中の人に明るくあいさつしながら、俺の事を紹介してくれる。彼女の明るさのおかげか、村の人たちは皆、気さくに中の様子を説明してくれた。
俺たちの地球と違って文明は遅れているものの、額に汗しながら工夫を凝らし、たくましく生き生きと生活している様子は、心に迫るものがある。暗い顔しながら毎日電車に乗って会社でパソコン叩く暮らしと、彼らの生き生きした暮らし、どちらが充実した人生になるだろうか……。文明が必ずしも、幸せを運んできてくれるわけではない事はちょっと考えさせられてしまう。
続いて広場に行って、鐘塔を眺め、雑貨屋に入った。雑貨屋には塩やスパイス、食器や調理器具、石鹸などの日用品が所狭しと並んでいた。奥には、深紅の漆で塗られたリング状のペンダントがいくつか飾られている。それぞれ手が込んだ細工が施されており、細かい文字が彫られている。
「このペンダント、綺麗だね」
「あー、これはお守りよ。これを持っていると魔が祓えるんだって」
そう言ってディナはウットリと見つめた。
「君も持ってるの?」
「こんな高い物持ってる訳ないでしょ!」
そう言って呆れた声で怒る。
俺はイマジナリーで、お店の会計台の中にしまわれている金貨を探し出すと、それを丸々コピーして手のひらの上に出してみた。貨幣偽造は罪ではあるが、金貨の場合は金そのものに価値があるわけで、誰も損しないからセーフだろう。
持ち上げてよく見ると、鈍く金色に光る丸い金貨は、もはや何が彫られていたのか分からないほど摩耗していた。
俺はディナに言った。
「そしたら、案内してくれたお礼に一つ買ってあげよう、これで足りるかな?」
「き、金貨!?」
驚くディナ。金貨はやり過ぎなのか? 銀貨にすればよかったかもしれない。
「金貨だったら、そりゃ何十個も買えるわよ。でも、案内したくらいで貰うのはちょっと……」
「若い子が遠慮するもんじゃないよ。一つ選びなさい」
ディナは少し考え込んでいたが、一つを選ぶと会計台のお婆さんを呼んだ。
「ばぁちゃん、これちょうだい!」
お婆さんは、
「いい男見つけたねぇ」
そう言ってペンダントを壁から外すと彼女に渡した。
そして、金貨を差し出す俺を一瞥すると、
「金貨しかないのかい? 困ったねぇ、ちょっと待ってな」
そう言って、会計台の方で銀貨を数え始めた。
ディナはペンダントを撫でまわすと、じっくりと丁寧にながめ、そして嬉しそうに笑った。
7-2.15歳少女の決意
「ありがと! じゃ、とっておきの所に連れてってあげる!」
ディナは、ニッコリと笑うと、ウキウキとして俺の手を掴み、山の方へと駆けだした。
「うわぁぁ、ちょっと待って!」
俺は彼女の手の温かさに、ちょっと気恥しいものを感じながらも、合わせて駆けて行く。
彼女が発する若々しい甘い香りにフワッと包まれて、俺は胸が高鳴ってしまう。
急坂を登っていくと、急にそれて獣道に入った。彼女は俺の方を見ると、
「この道は秘密よ!」
そう言って、いたずらっ子のように笑った。
息を弾ませながらしばらく斜面を行くと、森を突き抜けるほど高い巨木に着いた。老齢のその樹は樹皮が黒くごつごつとしており、幾星霜を生き抜いてきた風格に満ちていた。
「こうやって登って!」
彼女は器用にその樹に登っていく。
「えぇ!? ちょっと無理だよ~」
俺はいきなりの無茶ぶりに面食らう。
「早く、早くぅ~!」
随分上から催促するディナ。
木登りなんて、もう十数年やってない……。
俺は少し悩んだが、頑張ってディナを真似して登り始めた。
なぜこんな事になってるのか……。
俺はおっかなびっくり登りながら、理不尽な展開に困惑した。
ちょっと下を見ると、くらくらする高さになった頃、彼女が遠くを指をさして言う。
「ほーら、見て! 最高でしょ?」
見ると村の全貌が広がっていた。遠くには水平線、そして田んぼに村の建物たち、庄屋さんの屋敷や鐘塔も小さくみえる。確かに絶景だ。
彼女は太い枝に腰掛けると、手のひらで隣を叩いて俺に座らせた。
「ねぇ、あなたの名前は?」
そう言ってニッコリと笑う。
名前かぁ……何と言ったらいいだろうか? 『マコト』……では、長いかな?
「俺はマコ、東の国から来たサラの弟子だよ」
「マコ様……いい名前ね」
そう言ってディナは遠くを眺めた。
「私ね、嫌な事があったらいつもここに来るの……。誰かに教えたのはこれが初めてよ」
「そうなんだ、凄くいい景色だね」
森の爽やかな香りが鼻腔をくすぐり、小鳥のさえずる声がどこからか聞こえてくる。
俺は目を瞑り、心が癒されていくのを感じていた。
ディナが改まった口調で言う。
「マコ様、うちの弟を治してくれて本当にありがとう。あのままだったら、一生まともな仕事もできずに結婚もできなかったわ」
なるほど、医療が発達していないという事は、骨折一つで人生台無しという事らしい。聞くと他の兄弟も小さいうちに亡くなってしまっていて、今や兄弟は二人だけなんだそうだ。文明はやはりありがたい物なのだ。
俺たちは、しばらく爽やかな森の風に吹かれながら、景色を眺めていた。
「マコ様の家はどこにあるの?」
ディナが遠くを見つめながら聞いてくる。
「ここからずっと東、富士山のさらに向こうだよ」
「富士山……綺麗なんですってね」
「あれ? 見た事ないの?」
「この村で、富士山見た事ある人なんて庄屋さんくらいだわ。みんなこの村から出た事なんてないもの」
なるほど、皆ここで生まれ、ここで死んでいくのか……。それはちょっと寂しいな……。
「富士山見たい?」
俺はディナの横顔に聞いてみる。
「そりゃ……見たい……けど……」
ディナはうつむいてしまう。
俺はディナの手を取ると、
「俺も秘密の技を見せてあげる。誰にも言っちゃダメだよ」
そう言って俺は、目を瞑って大きく深呼吸をした。
イマジナリーを駆使して、二人の身体を捕捉すると、位置座標を三保の松原にシフトした――――
いきなり現れる松林と、その向こうに聳える霊峰富士山、ディナは石だらけの砂浜に転がって仰天する。
「わわわ、何、何なの!? え? あの山? もしかして……」
「そうだよ、あれが富士山、綺麗だろ」
ディナは砂浜にしりもちをついたまま、呆然とする。
夕日を浴びる富士山はオレンジ色に輝き、その壮大な威容を余すところなく誇っていた。
ディナはしばらくポカンと口を開けていたが、
「素敵……」
そう言って、足元を整え正座をすると、ペンダントを取り出して富士山に向け、目を瞑って何かを呟きはじめた。
もしかしたらサラには叱られるかもしれない。でも、ディナの様子を見ていたら、それでも連れてきて良かったと思った。
ディナはうっすらと涙を浮かべ、富士山を見つめている。俺はその様子を少し離れた所からぼんやりと眺めていた。一生見る事を諦めていた伝説の山がそこにある、それがどれくらい重い事か、俺には推し量れずにいた。
他の地球からやってきて、好き放題奇跡を連発する俺と、一生村から出られない貧しい少女、二人を分けているのは一体何なのだろうか? 運命が少しでも狂えば、立場は逆だったとしても何もおかしくない。
世界とは理不尽なものだ。
俺はたまたま自分の身にやってきた幸運をかみしめながら、幸運に恵まれなかったほとんどの人たちに恥じぬよう、丁寧に生きねばならないと思った。
ちょうど雁の群れが綺麗な列を作り、富士山をバックに横切って行った。
◇
ひとしきり富士山を眺めた後、俺たちは庄屋さんの屋敷の離れに飛んだ。
照明もない薄暗い室内は静かで、格子窓から入る夕暮れの赤い日差しが奥の壁に光の筋を作った。
「マコ様……ありがとうございます。一つ夢がかないました……」
ディナは俺の手をギュッと握ると、クリッとした目を見開いて嬉しそうに言った。
そんなディナを見ながら、俺はむしろ彼女に対して申し訳なく、後ろめたい気持ちに沈んだ。
俺は雑貨屋で見かけた巾着をコピーして出し、そこに銀貨を50枚ほど詰めた。日本円にしたら50万円くらいだろうか?
「いいかい、富士山の事は絶対に秘密だぞ。これは口止め料だ」
俺はそうディナに言い含めながら巾着を渡した。
ディナは恐る恐る巾着を覗くと、驚き、
「こんなの要りません! こんなの貰わなくても秘密にします! 御恩は決して忘れません!」
と、真っすぐな透き通る声で巾着を俺につき返した。
俺は巾着を押しとどめると、
「秘密を守るのは大変だ。受け取ってもらわないと困る。抵抗があるなら月に1枚ずつ家族のために使いなさい。いいね?」
俺はディナの目を見ながら強い調子で言った。
ディナは下を向いてしばらく考え込んでいたが、
「ありがとうございます」
と、言ってニッコリ笑い、巾着を大切そうに抱きしめた。
◇
夕暮れ時となり、護摩も終わった。
息子さんの容体もかなり安定してきて、このままなら数日で回復しそうだ。
「サラ先生! ありがとうございます! 簡単な宴席を用意しましたので、今日は泊っていってください!」
庄屋さんがサラの手を取って言った。
「お弟子さんもどうぞどうぞ!」
そう言って俺も客間に案内された。
客間は、柱が赤で壁は黄色という派手なインテリアとなっていて、中央にテーブルと椅子があり、すでに料理が並んでいる。
野菜の煮物、魚の煮つけ、漬物、そして濁り酒のツボが置いてあった。
庄屋さんと、その親戚らしき男衆三人が座ると、ディナが出てきて次々と酒を茶碗に入れて回る。
俺も座ってお酒を注がれる。
「それでは乾杯しましょう! サラ先生の神業にカンパーイ!」
「カンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」
俺は恐る恐る濁り酒を口にする。韓国のマッコリっぽい味だ。甘酒のようだが、少し炭酸が効いていて酸っぱい。まぁ、悪くない味だ。
サラは庄屋さん達と最近の社会情勢について何か熱く語っている。王家がゴタゴタしてるとか、どこかの軍隊が不穏だとか言う話のようだ。俺は地名や人名を言われてもよくわからないので、うわの空で酒をちびちびと味わっていた。
「お口に合いますか?」
ディナが、少し恥じらいながら小声で俺に声をかけてくる。さっきとは違って正装しているのですごく綺麗だ。
「あぁ、悪くないね」俺はニッコリと返す。
「良かった……それ、私が作ったんです」
へぇ、すごいね! どうやって作ったの?
「え? お米を口でこうやって噛むんです」
そう言って口をもごもごさせる。
ブフッ
思わず吹いてしまった。なんと、口噛み酒だったのか……。いや、これって間接キスじゃないの? いいのだろうか?
俺が動揺しているのを見ると悲しそうに、
「私じゃダメでした……か?」と、しょげる彼女
「い、いや、う、美味いよ! 美味い!」
そう言って一気に酒を呷った。
「良かった……」
そう言ってちょっと照れながら、ディナがお酒を注ぐ。
そして、何かを意に決して言った
「マ、マ、マコ様、あ、後でお会いできますか?」
「ん? 会うのは別に構わないよ」
なぜそんなこと聞くのか、俺はよくわかってなかったが、会うくらいなら別にいいだろうと軽く返事をした。
ディナは真っ赤な顔をして
「じゃ、あ、後で……」
そう言って速足で部屋を出て行ってしまった。どうしたんだろう?
不思議に思っていると、サラが思念波を飛ばしてくる。
『後で会う、というのは夜伽って事ですよ』
そう言って俺にウィンクしてくる。
よ、夜伽!!!
俺はびっくりして、すごい勢いでサラを見る。
『この国では客人のもてなしに夜伽は普通です。ディナは自ら立候補したみたいですよ、良かったですね』
俺は思念波の飛ばし方が分からないので、小声で
「ちょ、ちょっとまずいよ、彼女まだ十代だよね? 犯罪だよ!」
『15歳ですね。郷に入っては郷に従えですよ。彼女まだ男性経験ないですし、病気の心配もないですよ』
これはとてもマズい事になった。俺には由香ちゃんという心に決めた人がいる。こんなところで浮気している場合ではない。それも相手が15歳の処女だなんて、とんでもない話だ。
しかし、すでにOKしてしまっている……
今からNGなんてどう伝えたらよいのか……
でも、郷に入っては郷に従え……という諺もある……。
イカンイカン!!
俺は煩悩を押し殺すのに精いっぱいで、宴席の後半はずっと上の空だった。
宴も終わり、寝室に通される。
照明は行燈しかないので、暗い中、身支度を整える。
イマジナリーでLEDランプ出してしまえば楽なのだが、そんな物を誰かに見られたら面倒な事になるので、暗がりで我慢する。
◇
床に入ってしばらくすると、廊下の方から足音がギシギシと伝わってくる。いよいよ来てしまうのか……
足音が寝室の前で止まる。
「ご、ご奉仕に上がりました」
ディナの声がしてスーッと戸が開く。
真っ白な着物に身を包んだディナは、静かに入ってくると行燈の火を吹き消した。
そして、シュルシュルと帯を緩める音が部屋中に響く。
パサッと着物が床に落ちる音がして、しばらく静けさが支配した。
俺の心臓の音が、ディナに聞こえてしまっているのではないか、というくらいドクッドクッと高鳴っている。
彼女もきっと俺と同じに違いない。
やがて布団がまくられて、ゆっくり彼女が入ってくる。
彼女の柔らかい足が俺の足に触れる。
「ディナ、ちょっと待って」
俺は声を絞り出す。
「マ、マコ様……何か問題でも?」
ディナも声が上ずっている
「こう言う事は、好きな人とやらないとダメだよ」
何を説教してるのか、馬鹿じゃないか……俺。
「わ、私はマコ様を好いておりますよ」
「あ、そう? ありがとう。でも俺には心に決めた女性がいて……」
「……。どこにいるんですか?」
「え? 東の国……だけど」
「なら、いいじゃないですか」
ディナは嬉しそうな声で言う。
「いや、そういう問題じゃなくてだね」
「その方はどんな方ですか?」
「あー、ブラウンの瞳がクリッとした、可愛い22歳の娘だよ」
「22? ふふっ 私の勝ちですね!」
ディナは勝ち誇ったように言う。
なるほど、この国では22歳は行き遅れなのだろう。恐ろしいな。
「あー、でも今は彼女のことしか考えられないんだ」
「……。今夜だけ、今夜だけ私のことを見てもらえませんか?」
「え?」
「マコ様は旅のお方、ついて行く事はできません。だから、今夜だけ、お情けを頂戴できませんか?」
何と言う事だ。『都合のいい女でいい』とまで言っているのだ。
「それに……ご奉仕できずに帰ったら、みんなに笑われてしまうんです……」
ご奉仕できなかったという事は恥……なのか。
返答に困っていると、
「そんなに……私って魅力ない……ですか……?」
ちょっとしょげたような声を出し、俺の手を探してギュッと握った。
凄いな、完全に論破された。
俺を慕ってくれるかわいい子が、裸になって隣に寄り添っている。柔らかな肌が触れ、若い甘酸っぱい香りが俺の本能を刺激する。
全く女性と縁がない28年間だったが、ここにきて由香ちゃん、ディナと立て続けに縁ができてしまい、未経験の悩ましい事態が俺を苛む。
しかし、ディナとは共鳴する感じはしないので、そういう意味では愛ではないといえるだろう。この状況を捨てるのは極めてもったいない事ではあるが、愛のないまま身体を重ねるのは、恋愛初心者の俺には荷が重そうだ。
きっと多くの男は俺を意気地なしと嗤うだろう。女の子の精いっぱいのアピールを蹴って逃げるなど実に間抜けだと。
でもいいのだ。どんなに不器用でも嗤われても、俺は俺の人生を行くのだ。俺はそう言う生き方しかできない。
俺は覚悟を決め、ディナの後頭部辺りにそっと触れ、麻酔の効果を使った。
「あっ」
ディナはそう声を出すとパタリと転がり、動かなくなった。
これ以上彼女といたら、絶対間違いを犯してしまう。
据え膳喰わぬは男の恥……ではあるが、由香ちゃんに知られて困ることはしたくない。
俺は深層心理に潜って、離れにあるディナのベッドを特定し、そこに彼女を転送した。
ゴメンな……いい夢見て欲しいな……。
7-3.城を飛ばすぞ!
翌朝、朝食の時間になってもディナは現れなかった。
「誠さん、すごいわね。よく我慢できたわね」
サラはそう言ってニヤッと笑う。さすがにちゃんとチェックしていたようだ。
「私には心に決めた女性がいるんです!」
内心とても後悔しながら、強がる事しかできない俺。
「ふふっ、そういう誠さん、嫌いじゃないわよ」
そう言ってサラは俺の目をじっと見つめる。
ヘーゼル色の瞳は、俺の後悔まで見通している気がして、俺は目をそらし、赤くなった頬を少し気にした。
「今日は何したい?」
サラが朝食のアジの開きをつつきながら、聞いてくる。
「イマジナリーを練習したいんですが、いいですか?」
「ふぅん、どんな練習?」
「天空の城を浮かべたいなぁって」
「えっ!? 空にお城!?」
なぜか、とても驚くサラ。
「あれ? マズかったですか?」
「いや、マズくはないわよ。ただ、海王星人はそんな事考えないからねぇ……」
「私が作ったAIがやってたので、もっと良い奴を作ってみたいなって」
「ふぅん……、じゃ、太平洋の真ん中でやりますか、誰も見てないし」
サラはニヤッと笑いながらそう言った。
「いいんですか!? ヤッター!」
俺はつい、両手を上げて大声を出してしまう。
給仕の女の子が、怪訝そうな目をしてこちらを見ている……。
◇
食後にもう一度患者を診て、屋敷を出た。
しばらく行って振り返ると、見送る女の子の姿が見えた。ディナだろうか?
大きく手を振って見送りに応えたら、屋敷に引っ込んでしまった。
『ゴメンな』
俺は納得いく人生を選んだ自負はある。
でも……心の奥底に残る後悔の念は消せない。可愛い少女が身を捧げに来るなんてことはもう二度とないだろう。千載一遇のチャンスを俺は棒に振ったのだ。信念を持って振った。あえて後悔を選んだのだ。
選んだ後悔を引きずるなんてバカ者だな俺は……。
◇
海岸の人気のないところでサラは俺の手を取り、南太平洋のピトケアン諸島へと瞬間移動した。
透き通る真っ青な海、澄み通る青空、そして真っ白なサンゴ礁のビーチ。まさに天国に一番近い島だ。
サラは元の女性の姿でオレンジ色のビキニを着て、その上から白いラッシュガードを羽織っている。どうやらレジャーを楽しむ気満々らしい。
そして、純白のビーチを楽しそうに歩くと、こちらを振り返った。
「周囲4000kmに人はいないわ、思いっきりどうぞ!」
両手を大きく上げて叫ぶ。
「ヤッホー!!」
俺はあまりの開放感に、着物を脱ぐとふんどし姿で海に向かって走り出し、しぶきを上げながらホップステップし、頭から飛び込んだ。
Plop!
ブクブクブクっと泡の音が俺を包む。限りなく透明な青い世界に色とりどりの魚たちが舞い、降り注ぐ陽の光はカーテンの様にキラキラと輝く。
俺は血中の酸素濃度を落ちない様に設定し、足ひれとゴーグルを出して装着し、そのまま深い所まで行ってみる。ボンベの要らないダイビングだ。
サンゴ礁には魚たちが群れ、向こうから大きなウミガメがやってくる。まるで竜宮城だ。
上を向くと太陽が水面に揺らめいて、そこにイカの群れがスーッと横切って行った。
俺は心の底から自然と湧いてくる圧倒的な開放感に浸り、しばらく漂っていた。
口から漏れた泡がプクプクっと水面に向かって立ち昇っていく。
すると、何かが高速でやってくる。
何だろうと目を凝らすと、イルカと……サラだ!
彼らは高速で泳ぎながらも、らせん状にお互いを回り合い、縦横無尽に広い海を駆け回った。
『おぉ……凄い……』
彼らのまるでダンスのような楽しげな駆けっこを目で追いながら、俺は感慨深く思った。
AIを開発していただけなのに、海王星に行って、骨折治療して、パラレルワールドの南太平洋の海深くでイルカと人魚に出会ってしまったのだ。きっと誰に言っても信じてくれないだろう。
あまりに彼らが楽しそうに泳ぐので、俺も真似してイマジナリーで体を操ってみた。ただ、前に進むのは簡単でも、サラの様に自由自在に泳ぎ回るのはちょっと難しい。一生懸命彼らを追いかけるのだが、全然ついていけない。
すると、彼らは急に水面に向かって猛ダッシュし始めた。どうするのかと思ったら、空中へ飛んで行った。さざめく水面の向こうでクルクルと回り、バシュッとまた戻ってきた。
なるほど、これは楽しそうだ。
俺も真似してみる。
煌めく太陽に向かって思い切り加速した。
ダイビングではこういうジャンプは禁止されている。やったら滅茶苦茶怒られる。なぜなら潜水病で死んでしまうからだ。
でも、今はボンベ背負ってる訳じゃないので自由に飛べる。
グングン迫る水面、さらに加速する俺……。
Plash!
いきなり広がる青空と白い雲、南国の島の風景……真っ白なビーチにヤシの木と眩しい太陽……
「ヒャッハー!!」
限りない開放感に突き動かされた俺は、思わず絶叫する。
天国に舞う俺、その瞬間、心の扉が全部開いた気がした。
ブワっと吹き付ける潮風を浴びながら、俺はこの数奇な運命に深く感謝した。
しかし……着水の事を考えていなかった俺は、そのままお腹から落っこちた。
「おわ――――っ!!」
Plop!
無様に派手な音を立てて墜落した俺は、激痛の中、泡に包まれる。
それを見たサラは指をさして笑っている。そして、イルカも馬鹿にしたようにキィキィと言いながら首を振る。
なるほど、海はナメちゃいかんな……。
俺は海面に戻り、思わず飲んでしまった海水にせき込みながら、プカプカと漂った。
でも、津波に襲われた江の島の海に比べたらここは天国だ。
俺は満面の笑みを浮かべながら、大の字にプカプカと浮いた。
◇
ひとしきり遊ぶと俺たちは砂浜に戻った。
俺はまず、城の母体となる島を物色した。城のサイズは200mくらいは欲しい。
深層心理に潜って、周囲を衛星写真のような視点で俯瞰する。
ちょっと行ったところに、ちょうどいいサイズの島を見つけた。俺は島の地下の材質含め、城としての構造のイメージを固めていく。なるべくカッコよく切り抜きたい。
イメージが固まると、イマジナリーを使って、島の材質の属性に手を入れていく。俺は材質の項目に『重力適用度』というのがあるのをチェックしていた。そして、島の地下の材質の部分に『-10%』というマイナスの数値を入れてみる。つまり、島は空に向かって落ちるはずだ。
しかし……何も起こらない。
『-20%』に下げてみる……、ダメだ。
ここは強気に『-100%』。
すると……
ZuZuZuZu……
と、地鳴りがして地面が小刻みに振動し始めた。
そして、
GOWN!
という重低音の衝撃波と同時に島が浮き始めた。始めは徐々に、そして段々とその速度は上がっていき、ついに、島は海から引き抜かれた。
一旦空中に浮くと、島はグングンと加速しながら空へ向かって飛んで行く。
島を引き抜かれた部分には海水が巨大な滝のように流れ込み、最後にはドッパーンと激しい水柱が上がり、軽い津波を引き起こしている。また、島から剥がれた、巨大な岩が何個も落ちてきて空襲の様に海面を襲う。
俺は自分の体の重力適応度を落とし、空にジャンプし、津波を回避。そして、飛び去って行く島の重力適応度を『5%』に書き換える。すると遥か彼方上空にまで飛んで行った島は、その速度を落とし、最後には緩やかに下降し始めた。
その後、うまくバランスを取りながら、地上100m位のところに安定させる。
島の形はダイヤモンドの石の形をイメージし、下を尖らせてある。やっぱり丸いよりは尖った方がカッコいい。なぜ映画のラピ〇タでは丸にしたんだろうかと思ったら、あれは物語上丸い方が都合が良かったから、という事に気が付いた。やっぱり自分で作ってみると気が付くことが多い。
「おぉ、やるわね!」
様子を見ていたサラも、楽しんでくれているようだ。
このままだと風で流されていくので、カーボンナノチューブの繊維で作ったロープを島の4か所に打ち込み、海面上空に係留した。
これで天空の島の出来上がりだ。南国の真っ青な空に、巨大な島が宙に浮かんでゆっくり揺れている。まるで映画のアバターの様な風景に俺は酔いしれた。何というファンタジーだろうか。ロープで係留する様は、銃夢に出てきたザレムみたいでもある。
次は、お城だ。
まずは島に降り立って、整地をする。使えそうな植木を残し、後は全部平らにならす。ならすのはイマジナリーで一発なのだ。
微かに揺れる島の上は、良い風が吹いていて心地よい。
俺はビーチチェアとパラソル、そしてビールを出すとサラに勧めた。
軽く乾杯して、キンキンに冷えたビールを呷る。
『くーっ、美味い!』
南国のシチュエーションがビールにピッタリというのもあるが、海中で運動した分だけ美味さがプラスされている。
俺はビーチチェアに横たわり、大きく深呼吸しながら海王星のデータベースにアクセスした。
まず、データベースを漁り、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城の3Dデータを入手した。やはりお城と言えば、この中世の文化様式を詰め込んだお城が最高である。この美しい城の尖塔や屋根の形は参考にしたい。
それ以外にもめぼしい城の3Dデータを集め、良さげな要素を切り出してはサイズを調整して貼り、テイストを揃えるため形を少し変形していく……。
俺はビーチチェアに横たわりながら、イメージの中で一生懸命3Dデータを加工する……。
サラが待ちくたびれた頃、ようやく納得いく3Dデータに仕上がった。
俺は出来上がった3Dデータの柱の位置を島の上に投影し、基礎になるコンクリート杭を打ち込んでいく。
準備が終わったら、いよいよ城の構築である。
俺は3Dモデルに白色大理石のデータを流し込んで、重力適応度0%で島の上で実体化させる。
BOM!
と、派手な音がして、フル大理石の巨大な城が空中に出現した。
「うぉぉぉ!」
現れた巨大な城に思わず驚きの声を出してしまう。マンションサイズの建物がいきなり現れるのは、頭では分かっていても圧倒される。
「はっはっは! 誠さん、自分で出したのに驚いてちゃダメよ」
サラはそう言って笑う。
「こんな大きなもの出したの、初めてなんですよ」
「すぐに慣れるわよ。それにしても綺麗なお城ね」
6階建ての巨大な城は、白い大理石が太陽の光にキラキラと輝いて、ウットリするような質感を醸成している。
「いやぁ、綺麗ですね。自分で作っててビックリですよ!」
俺は上機嫌で最終工程に入る。
城を少しずつ動かして基礎の杭の位置に合わせる。
そしてゆっくりと降ろしてきて、最後は重力適応度を100%に戻す。
Thud!
城はうまく乗った……が、重心がずれていたようで島が回転していく。
「ヤバい、重心の計算忘れてたぁ!」
慌てて大理石の重力適用度を落とすが、動き出した島はすぐには止まらない。
俺たちの方向に城が倒れてくる。
「ヤバい! 逃げて~!」
俺はそう叫んで空中に逃げる。
サラも笑いながら俺についてくる。
島はどんどん回転していって、ついには城は、島から振り落とされる感じで海に叩き込まれた。
ZABOOON!!!
凄い音を立てて大きな水柱が上がり、城はバラバラに壊れた。
「ハッハッハ!」
サラにはバカ受けである。
「笑わないでくださいよぉ……」
俺は涙目。
島の土台全部に、均一のマイナスの重力適用度をつけたのは失敗だった。やじろべえの様に下や周辺部はプラスに、中心部分は強いマイナスにしなくてはいけなかった。
俺は墜落して壊れた城を消去すると、島の組成の調整を行った。
次に重しを城の各部に置いて城の傾き具合をチェック。十分に復元力があることを確認し、満を持して再度大理石の城を乗せた。
Thud!
一応逃げる準備をしながら様子を見る……。
今度は傾かないようだ。
『大丈夫……かな?』
今度こそ成功である。
島がゆっくり沈んでいくので、浮力調整して完成!
「うむ!」
サラはパチパチと拍手してくれた。
「ファンタスティック! 折角なら住めるようにしようか?」
「え!? ここに住むんですか?」
「下からは見えないような、特殊なフィールドを展開すれば、街の上飛んでても大丈夫よ。この地球に飛行機はないもん」
「なるほど! やりましょう!」
二人で手分けをして、城を本格的に住める場所にする施工を行った。
しかし、城は6階建て、部屋も何十部屋もある。そう簡単ではない。
窓ガラスを300か所はめ込み、ドアを80か所設置し、各部屋の内部にはカーペットを貼り、また、テーブル、椅子、ソファーにベッドを整備した。電気、上下水道の配管を通し、蛇口やシンクを取り付け、トイレには便器を設置した。
配管の先には、電気を生むモジュールと水を生むモジュール、排水を消去するモジュールを設置する。
厳密にいえば海王星人には水道も電気も要らないんだが、地球人的基準で考えると、無いと不安に感じてしまう。まだ地球人根性が抜けてないのだ。
各部屋には、お城に似合うゴージャスなシャンデリアを取り付け、光を放つライトボールをはめる。
ライトボールは燃料不要で延々と輝き続ける便利な球。仮想現実空間の地球ではエネルギーの保存則などは意味がないので、何でもアリなのだ。ただ、地球人に見つかるような場所で使うのは禁止されている。こんなチートな道具、見つかったら大事件になってしまう。
お風呂も重要なので、大理石風呂を作り、ライオンの石像からお湯が出るようにした。水道に温度調整モジュールと、二酸化炭素添加モジュールを追加しただけだが、立派な炭酸泉が出来上がった。
一番大変だったのは内装。チープな内装では折角の城が映えない。俺はいろいろな城の内装データを見ながら、金と赤のテイストで行く事にし、大理石の壁面に布を張り、また金細工をはめ、塗装インクでプリントしていく。
昼夜休まず作業し続け、三日かけてようやく完成にこぎつけた。大変だったが、リアルなマインクラフトをやってる感じで、とても楽しかった。物を作っていくというのは、本当に最高のエンターテインメントだと感じる。
最後に城の最上階、ダイニングルームの冷蔵庫に、ワインとチーズとビールを入れて完成した。
「これで出来上がりですかね?」
俺が聞くと、サラは、
「そうね、これなら十分に暮らせるんじゃないかしら?」
そう言って微笑んでくれた。
「さて! 竣工式を行いましょう!」
俺は酒が飲みたくて仕方なくなってたので、サラに提案する。
「そうね、じゃぁ乾杯しますか?」
「あ、ちょっと待って!」
折角なら風光明媚なところがいいという事で、俺は係留のケーブルを外し、城を駿河湾上空に転送させた。
富士山がバーン! と目の前に現れる。
『あー、やっぱり日本人は富士山だよな!』
「あら、素敵な景色ね!」
サラも気に入ってくれたようだ。
「じゃぁシールド張るわよ!」
そう言ってサラは城全体にシールドを展開し、同時に城の位置座標を固定した。これで風に流されないし、台風来ても平気だし、下から見ても見つからない。完璧だ。
俺は城が周りからどう見えるか気になって、周りを飛んでみた。
富士山をバックに浮かんでいる島、そしてそこに聳える中世のお城……
庭園の緑の植栽から立ち上がる白亜の宮殿、天を衝く鋭い尖塔が富士山をバックにすごく映える。
『うぉぉぉ、美しい!』
サラも飛んできた。
「うわぁ、凄いわねぇ! まさに空飛ぶお城だわ! 綺麗……」
俺たちはしばらく、優雅に浮かぶ美しいお城に見惚れていた。
初め、この世界が仮想現実空間だと聞いた時、絶望しか感じられなかったが、今思うと仮想現実で良かったかも知れない。こんな楽しいこと、リアルだったら味わえない……。
天空の城はまさにファンタジーの象徴であり、地球の本当の姿をありのままに表現する芸術品。この城の美しさこそ世界の理そのものなのだ。
ただ……。俺は少し違和感を感じていた。確かに地球は海王星人の創った仮想現実なのだろう。それは納得した。
だが、広大な宇宙とその長大な歴史の中において、地球がこんな事になっているのはあまりしっくりこないのだ。何かを見落としている気がする……。
俺が考え込んでいると、
「じゃぁここで乾杯!」
サラは嬉しそうにシャンパンを出して俺に差し出す。
細長く上品なシャンパングラスの中で泡がはじけている。
俺は、今考える事じゃないと思いなおし、
「いいですね! お疲れ様!」
「天空の城、竣工に乾杯!」「カンパーイ!」
俺たちは三日間の苦労を思い出しながら、悠然とたたずむ白亜のお城を眺め、ゆっくりシャンパンの爽やかな味を楽しんだ。
『どうだシアン、俺のお城の方が美しいぞ! お前に見せてやりたいよ』
◇
寒くなってきたのでダイニングに戻り、今度は赤ワインを入れた。
サラはチーズをつまみながら、窓の向こうにデーンとそびえる富士山に見入っていた。
「誠さんはやっぱりすごいね、才能を感じるよ」
「あはは、お世辞上手いですね、何も出ないですよ」
「海王星人はサーバントだから主人の命令を淡々と聞くだけしか、やろうと思わないのよ。こういう楽しいこと、やろうという発想がもともとないの」
そう言いながら、ワインを呷った。
「その主人の命令って何なんですか?」
「地球の文明・文化をどんどん育てろって命令よ」
「地球人を手伝っちゃダメなんですよね?」
「そう、あくまでも地球人が試行錯誤しないとダメね」
「それはなぜなんですか? 手伝ったらすぐにどんどん発展しそうですが」
俺は青カビのついたロックフォールチーズをかじりながら聞いた。
カビ臭さが赤ワインと絶妙のマリアージュを醸し出し、とても美味い。
「多様性ね。今までになかったような文明、文化が欲しいので、私たちの価値観は極力排除して接さないといけないの」
「多様性……ですか。でも、それを評価するご主人たちは、もう誰も残ってないんですよね?」
「いや、単に寝てるだけよ。条件が揃ったら起こす手はずになってるわ」
「え? その条件って何なんですか?」
「ふふふ、それは秘密ね。でも誠さんならすぐに気が付くと思うけど」
サラは笑って赤ワインを飲みほした。
クリスも似たようなこと言ってたな……何なのだろう……。
「そうだ、お風呂行きましょうよ」
サラは嬉しそうに言う
確かにお酒がいい感じに回ってきて、今風呂入ったら気持ちいいだろうなと思う。でも……浴槽は一つしかない。混浴はマズい。
「お風呂一つしかないんですけど……」
「あはは、私の身体に欲情しちゃう?」
サラは困惑する俺をからかって嬉しそうに笑う。
確かに水着姿のサラは理想的なプロポーションで、胸もいい形をしていた。見るのはヤバい。
「か、からかわないで下さいよ!」
俺はつい赤くなりながら答えた。
そんな俺をジッと見つめ、ニヤッと笑って答えるサラ。
「男の体になってあげるわよ。それとも、誠さんが女になる?」
予想外の提案にビックリする俺。
「にょ、女体化ですか!? いやちょっとそれは……」
「ははは、冗談よ! 心配しないで。行きましょ!」
「……。わかりました」
ただ、俺の裸が、女性に見られてしまうという事であり、一瞬躊躇したが、よく考えたらサラはAI、性別なんて意味ないのだった。
◇
俺は着物を脱いで湯船にザブーン!
「うひゃ――――!! 気持ちい――――!!」
俺が上機嫌ではしゃいでいると、男姿のサラが思いっきりジャンプして飛び込んできた。
「それ――――!!!」
Swash!!
思いっきり余波を被る俺。
「うわっ! 頼みますよサラさん!」
「あはは、ゴメンゴメン! 一度やってみたかったのよコレ!!」
まぁ確かに気持ちはよくわかる。
そして、二人並んで湯船に浸かりながら、そびえる富士山を静かに眺めた。
炭酸泉がシュワシュワと肌で泡がはじけて、身体がすごい温まる。
夕暮れが近づいて、冠雪した霊峰富士には微妙な陰影が付き、ごつごつとした岩肌の筋が浮き上がって精緻な造形が美しさを際立たせた。
「あー、幸せだなぁ……」
自然と口に出てしまう。
由香ちゃんにも見せてあげたいなぁ……このお城とこの風景……。
クリスの地球に持っていけないかなぁ……。
俺は迫りくる悲劇に気が付きもせず、のんきなことを考えるばかりだった。
7-4.凌辱と虐殺の絶望
二人でボーっと富士山を見ていたら、富士山の麓で何かが蠢いている。
「あれ何だろう?」
俺が指をさすと、サラが身を乗り出して見る。途端に険しい表情になった。
「東の国の軍隊だわ……。10万人はいるわね……」
「え? どういう事?」
「今、日本列島は東の国と西の国で二分されているの。ここ数十年は軍事衝突はなかったんだけど……これは大きな戦争になるわね。ここのところ天候不順で東の国に飢饉が発生していたから、それが引き金になった可能性があるわ。」
「という事は……、庄屋さんの村は略奪されるって事?」
「あそこは軍隊の通り道だから略奪は避けられない……でしょうね……」
「え! そしたらディナはどうなっちゃうの?」
「女性はみんな凌辱されて殺される……かな」
とんでもない事をサラッと言う。
「そんな……。西の国の軍隊は何をしてるの?」
「西の国は今、政争に明け暮れていて国がバラバラなの。とてもすぐに十分な軍隊を防衛には当てられないわ」
そう言ってサラは肩をすくめて首を傾ける。
「俺たちが止めちゃダメなの?」
「地球人たちのやることは、地球人に任せるしかないのよ」
「じゃ、見殺しにする以外ないって事?」
「残念だけど……そうする以外ないわね……」
「そんな……」
ディナが、みんなが酷い目にあって惨殺される……それが分かっていて何もできない……そんな話があっていいだろうか……
俺は目の前が真っ暗になった。
「知らせる……知らせるくらいならいいですよね?」
「まぁ、いいけど、知らせたって結果は変わらないわよ」
「ジッとしてられないんで、行ってきます!」
俺はすぐに服を着て、庄屋さんの屋敷に飛んだ。
門番はいきなり出てきた俺に驚いていたが、東の国の大軍が迫ってることを告げたら、一緒に走って案内してくれた。
居室でお茶を飲んでいた庄屋さんは、慌てて飛び込んできた俺を見て言った。
「おや、お弟子さんじゃないですか、どうしたんですか?」
「東の国の軍隊が来ます! 10万人規模です!」
俺が早口で告げると、庄屋さんは一瞬目を見張り、そして瞑って何かを考えていた。
「このままじゃ略奪されて皆殺しです。逃げましょう!」
俺がそう提案すると、
「逃げるってどこに? 我々はこの村でしか生きられない。先祖代々のこの土地が我々の命であり、そこが奪われるのなら死ぬ以外ない」
庄屋さんは悟った風にそう言い放った。
そして門番の男に叫んだ、
「鐘を鳴らせ! 全員広場に集合させろ!」
庄屋さんは逃げないという、であれば村人は全滅だ。せめてディナだけでも何とかならないだろうか? 彼女はまだ15歳、人生これからというのに、凌辱されて殺されるなどあっていいはずがない。
俺は屋敷内を急いであちこち見回った。
裏の小川で野菜を洗っている女の子を見つけた。走っていくとこちらをチラッと見た。ディナだ。
「何か御用ですか?」
冷たい言葉を放つ。ご機嫌斜めだ。
「東の国の大軍が来る、ここは戦場になってみんな殺される」
俺は冷静に説明した。
ディナは野菜を洗う手を止め、こちらをじっと見た。
「このままじゃディナも、ひどい目にあって殺される、逃げないか?」
「逃げるって……どこへ?」
「安全な、戦争のないところを探して……」
ディナはため息をつくと、野菜洗いの作業に戻りながら言った。
「庄屋さんは『逃げる』って言ってるの?」
「いや、逃げないらしい」
「だったら私もここで死ぬわ」
「え? なんでそんなにここに拘るんだ? 死んだら終わりなんだぞ!」
「私は村の人間よ、村のみんなが『逃げずに戦う』って言ってるのに、私だけ逃げられないわ」
「ディナはまだ若い、逃げたって許されるよ」
「……。」
野菜を強くゴシゴシと洗うディナ。
「方法は……一つだけあるわ……」
「え? どんな?」
ディナは野菜を洗う手を止め、立ち上がり、涙いっぱいの目で俺を見た。
「マコ様、私と……け、結婚してください……。」
「え!?」
「結婚したら私は村の人間ではなくなる……一緒に逃げられるの……」
俺は絶句してしまった。
「ダメ……ですか?」
「うーん……、け、結婚かぁ……」
「いっぱいいっぱい奉仕します! ……ダメ?」
ディナは上目づかいで、手を合わせて必死にお願いする。
「うーん……、あ、そうだ! 結婚したことにすればいいよ!」
俺がそう言うと、ディナは下を向き
「馬鹿にしないで!!」
そう叫び、震えた。
俺がオロオロとしていると、ディナはペンダントを外し、俺をキッと睨みつけると、
「マコ様のバカ!」
そう言って投げつけ、走って行ってしまった。
「あっ、ちょっ!」
俺はかける言葉も思いつかず、ただ、走り去るディナを、呆然と見送るしかできない……。
俺はこれまでイマジナリー連発し、神様気分でいい気になってたが、女の子一人救えない、ただのクズだという事が露呈してしまった。
『はぁ~』
ため息をこぼしながらペンダントを拾い、埃を払って眺めてみると、綺麗な漆細工のペンダントには、買った時には付いていなかった綺麗なリボンがあしらわれていた。ディナがペンダントに寄せていた想い、それを投げつけざるを得なかった絶望が胸を苛む。
ディナにはディナなりの15年間の村での生活があり、村の掟、考え方があるのだ。自分だけ逃げて生き残る事の重さは決して軽くない。それに見合うだけの覚悟を俺が提供しない限り、乗れない話なのだ。
覚悟無く、思い付きで暴走した軽薄な発想を、俺は心から反省した。
俺はディナに連れて行ってもらった巨木の枝に転移し、腰かけると村を力なく見下ろした。
GOWN GOWN
遠く、広場の方で鐘が鳴り始めた。
玉砕覚悟の戦闘準備が始まるのだろう。
大軍相手にどれだけ抗戦できるだろうか……30分も持たずに皆殺しだろうな……
◇
「キャ――――!」
遠くで微かに、しかし確かに女の子の叫び声が聞こえた。山道の方だ。
俺は深呼吸をして心を落ち着かせると、イマジナリーを使って遠隔透視で叫び声の方向を見ていった。
すると、若い女の子が武装した20人ほどの男たちに襲われていた。殴られたのか、女の子の顔は右側が腫れあがり、口からは血が流れ、衣服は切り裂かれて組み伏せられていた。
この世界に干渉してはいけない、サラにはそう言われていたが、目の前で襲われる女の子を放っておけるほど俺は割り切れなかった。
俺は近くに降り立つと、女の子の身体を俺のそばに転送させ、顔の治療を行いながら言った。
「ちょっとじっとしててね、すぐに治すから」
「えっ!? えっ!?」
女の子はいきなり治療され始めた事に驚き、何が何だか分からず混乱していた。
男たちは女の子が消えた事に困惑していたが、俺を見つけると腹を立て、因縁をつけてくる。
「その女は俺たちの獲物だ。返してもらおう」
女の子の治療が終わると、俺は男たちの方を向き、
「お前たちは何者だ? 東の国の者か?」
と、淡々と聞いた。
「俺たちはベアル一家だ。東の国が攻めてくる前に、この辺は俺たちが略奪させてもらう」
ガタイのいい大男はそう言ってニヤニヤと笑った。
「あー、じゃ、お前ら倒しても問題なさそうだな」
そう言って俺もニヤッと笑った。
大男は
「その細い腕で何ができんだよ? 馬鹿かお前は?」
そう言うとゲラゲラ笑い、他の男たちも馬鹿にするように一斉に笑った。
森に響く下種な笑い声に女の子が怖がって、俺にギュッとしがみついてくる。
すると、空気を切り裂く音が走った。
Pow! Pow!
弓矢が二本、俺の胸に刺さった。
「命中~!」
男たちがゲラゲラと笑う。
「ひやぁぁ!」
女の子がおののいて声をあげる。
しかし、俺は倒れない。俺の体表にはシールドを展開してあるので、矢はシールドで止まっているのだ。しかし、これで殺人未遂だ。何があっても正当防衛だからな!
俺はイマジナリーで男たちの剣や槍、弓矢を選択すると温度を3000度まで上げた。
「うわぁぁぁ!」「あっちっち――――!!」
いきなり光り輝きながら溶け落ちる武器たち。弓矢は爆発的に炎上している。
武装解除完了である。
「何すんだこの野郎!!」
それでも馬鹿な男たちは、俺に殴りかかろうとダッシュでやってくる。
俺は駆け寄ってくる男たちの身体を、イマジナリーで静止させ、持ち上げると時速100kmの速度を付けて吹き飛ばした。
「ぐわぁぁぁ!」「うぉぉぉぉ!」
彼らは他の男たちに次々と当たりながら、森の斜面を転がり落ちて行った。
しかし、なぜか彼らは攻撃をやめようとしない。本当に馬鹿なのだ。
「突撃――――!」
大男の号令で、残りの男たちが一斉に突っ込んできた。
俺は直径1mの水の玉を出すと、駆けてくる男たちに向けて次々と時速200kmで放った。
「ほら、水魔法だぞ。アクアボール!」
Swash! Swash!
高速の水は凶器である。男たちは次々と吹き飛ばされ斜面を転がって行く。
すると誰かが煙幕玉を投げてきた。
Pow! Pow!
俺のそばで次々と爆発し、辺り一面煙が充満して何も見えなくなった。
「キャ――――!」
女の子が怖がってしがみついてくる。
なるほど、さすが盗賊団、手練れだ。これでは狙いを定められない。だが、別に狙いを定める必要など俺にはないのだ。
俺はバスの大きさの巨大な水の塊を出し、敵がいそうな方向に次々と時速200kmで放った。
「メガ・アクアボール!!」
バキバキと木々が折れる音の間に、あちこちから断末魔の叫びが上がる。
「ぎゃぁぁぁ!」「ぐはぁぁ!」
おれは声が上がらなくなるまで、しばらく水を撃ち続けた。
煙が晴れると、森だった所は、洪水が襲ったかのようにスキーのゲレンデみたいに開け、夕暮れ空が広がっていた。男たちは随分流されてしまったようで視認できない。一応生命反応はあるので死んではいなさそうだが、略奪はもう無理だろう。
ただ、こんな事したって東の国の軍隊の略奪は止められないのだが……。
俺の足元を見ると、女の子が呆然としていた。
「大丈夫?」
俺が優しく声をかけると、
「だ、大丈夫……です。ありがとうございます……」
と言って、慌てて立ち上がった。
「それは何より。あ、もしかしてディナちゃんって知ってる?」
「ディ、ディナですか? 友達です。良く知ってます」
「そしたらこれ、渡してくれないかな? 彼女落として行っちゃったので……」
俺はそう言ってペンダントを彼女に渡した。
「わ、分かりました。あ……、もしかして……、マコ……様ですか?」
女の子は上目遣いに聞いてくる。
「え? そうだけど……」
「ディナがね、マコ様の事を嬉しそうに話すんですよ。男の人の事をあんなに話すディナは初めてだから……」
俺はそれを聞いていたたまれなくなった。
『ディナ……』
結局俺はディナを弄んだだけになってしまった。なぜ、ディナの気持ちをちゃんと考えてあげられなかったのだろうか……。
「もしかして……マコ様は神様ですか?」
女の子は目をキラキラさせて聞いてくる。
神様……、俺がクリスを初めて見た時そう思ったように、彼女にも俺がそう見えるのだろう。
しかし、ディナという女の子一人救えない神様などあり得ない。俺は無力感に苛まれながら答えた
「残念ながら……人間だよ。少し術が使えるだけの……」
◇
俺は女の子と別れると、三保の松原へと跳んだ。
夕凪の中、霊峰富士はどっしりと静かに、オレンジ色に輝いていた。
俺はディナが正座していた辺りに座り、ボーっと富士山を眺めた。
略奪と殺戮は確実にやってくる。ディナも救えない……。
実戦で確認できた俺の力は異常すぎる。滅茶苦茶手加減してあの強さ、殺すつもりなら何十万人いようが瞬殺できる。まさにチートだ。
当然、東の軍隊の兵士どもなど俺一人で楽勝だ。しかし……、兵士にも家族がいる。兵士を倒すというのは被害を東の国側に寄せただけだ。
殿様拉致して洗脳するか?
いや、ここまで来たら殿様が『中止』と言っても止まらないだろう。乱心したと家臣に斬られて終わりだ。
そもそも、サラに止められる。俺がこの世界に干渉することは許されないのだ。
要は略奪と殺戮は運命なのだ。俺が『神の力』だとどんなにイキがっても、運命は変えられない。変えられるとしたら、俺がディナと結婚してやるくらい……、でも……、俺が一生ディナの面倒見るのだろうか? ディナだけ特別? 由香ちゃんはどうするのか?
俺は絶望し、無力感に苛まれた。
◇
城に戻ると、サラは夕暮れの富士山を見ながらワインを飲んでいた。
しょぼくれた俺の様子を見て、
「知らせても無駄だったでしょ?」
あっさりとそう言った。
「みんな逃げない、ディナも結婚してくれなきゃ逃げられないって……」
「あら? 結婚してあげたら?」
「いや、結婚ってそういうもんじゃないし……俺の覚悟のなさを露呈しちゃった……」
俺もワインを注ぎ、ぐっと一気に呷った。
「辛そう……ね、そろそろ帰る?」
「確かに……このままここにいるのは、耐えられそうにないです。」
しょんぼりする俺をしばらくじっと見つめ、そして言った。
「じゃぁ、帰りますか!」
早く帰りたい……、でも、このまま帰って……いいのだろうか?
俺はしばらくうつむき、考えた。
確かに俺には何もできない。できないけど何かこう……このやりきれない想いを発散してから帰りたい……。
そして、サラに言った、
「ちょっとだけ待ってください。最後に一発花火上げるんで」
「花火? いいけど軍隊に攻撃しちゃダメよ」
「……。大丈夫です……」
◇
俺は北極に跳んだ。
自分の体の重力適用度を0%にし、空中を漂いながら氷山を探す。
「う~寒い!」
俺は身体の周りにシールドを展開してみる。すると、直接寒風が届かなくなって暖かくなった。
しばらく飛び回っていると小さな氷山を発見。
海面から出てるサイズが3mくらいだから、全長30mくらいだろう。10階建てのビルサイズ。
俺は氷山全体をイマジナリーで捕捉すると、右手を高く掲げ、伊豆半島上空100kmに転送した。
『エイッ!』
高度100kmというのはもはや宇宙だ。気圧も地上の100万分の1くらいしかない。
真っ暗な宇宙をバックに『プシュー』っと、氷山の表面から水蒸気が噴き出している。
これを軍隊にぶつければ原爆レベルの爆発が起こり、ディナは助かる。
助かるが……それは被害を別の人に移しただけだ……。
俺は氷山を保持したまま目を瞑り、ディナを想う。
『ディナ……』
ディナの屈託のない笑顔、照れた時の可愛いしぐさ、そして涙いっぱいの表情……
一つ一つを丁寧に思い返した。
最後の悲痛な叫び声が、まだ耳に残っている。
涙が自然と溢れてきた。
いたいけな15歳の少女が、酷い事をされて殺される。分かってるのに俺はそれを止められない。
唯一の解決策、結婚して欲しい、という彼女の願いも踏みにじった……。
最低だ……。
北極上空で俺はオイオイと泣いた。
自分の浅はかさ、無力さ、すべてが嫌になって声を出して泣いた。
そもそもなぜ人類は、こんな殺し合いをするのか? ホント馬鹿なんじゃないのか?
『お前らいい加減にしろよ!』
俺は自分も人類の一員であることを棚に上げ、感情に任せて怒り散らす。
しかし、怒ってもそれが人類なのだから仕方ない。俺にはどうしようもない。
俺は唇をかみしめながら自らの無力さに苛まれ、そしてまた泣いた。
泣いても何も解決しない。
でも次から次へと湧き上がってくる悲しみを、俺は泣くことでしか受け止められなかった。
こぼした涙は展開したシールドの底で白く凍り、シールドと干渉して『パキッ』と乾いた音を立てる。
顔はもうぐちゃぐちゃだった。
『……。』
俺はゆっくりと深呼吸をし、気持ちに整理をつけた。
そして、顔を上げ……氷山に集中した。
「目標! 名古屋!」
そう叫ぶと、俺は氷山に秒速20kmの速度を付与し、ありったけの想いを込めて西に飛ばした。
◇
城に戻ると、サラが火球となった氷山を見ながら笑っていた。
「あはは、誠は面白いことやるわねぇ」
火球は大軍の上空80kmで大爆発して3つに割れ、さらに名古屋の方へと飛んで行った。
その後何回か爆発を繰り返しながら、最後には溶けて消滅した。伊豆から名古屋まで十数秒の壮大なショーだった。
爆発があった周囲では激しい衝撃波が地表を襲い、兵士たちは地面に倒れ、馬は逃げ出した。
俺のささやかな抗議の意思表示だ。
名古屋の方では『何かとんでもない事が起こる前触れ』として人々が騒いでいる。
注意喚起には成功したようだ。
これで少しでも被害が減ってくれればいいな。
ディナも当然見ただろう。俺からの最後のお別れの挨拶だ。
想いを受け止められなくてゴメン。身勝手でゴメン。
俺は君のヒーローにはなれなかった。
7-5.皇帝の爆弾
海王星に戻ると、クリスが迎えてくれた。
「…。サラの地球は楽しめたかな?」
クリスが微笑みながら、そう聞いてくる。
「楽しくはあったけど……辛くもなっちゃった……」
俺がしょんぼりしていると、サラが
「野蛮な人類の現実に直面しちゃったのよ」
と、クリスに説明する。
「…。野蛮さと文化・文明の進歩は表裏一体だ。進歩だけは選べない」
「頭では分かってるんだけど、殺し合いする野蛮さには、とても慣れそうにないよ……」
俺はぐったりしながら、そう答えた。
「…。スクリーニングはもうすぐ終わるから、休んでて」
「ありがとう、そうさせてもらうわ」
俺はイマジナリーでベッドを出して横になった。
サラの地球は刺激が強すぎたな……
俺は眠りに落ちて行った。
◇
……。
あれ……、美奈ちゃんだ……。
相変わらずこの娘は綺麗だなぁ……。
俺に何か言っている……。
腰に手をやって、ドヤ顔で威張っている……。
え? 何? 聞こえないよ……美奈ちゃん……。
ひとしきりドヤって、満足したように去っていく美奈ちゃん。
「おーい、美奈ちゃ~ん……」
『ん? あれ?』
目を開けると、目の前には青い巨大な惑星が広がっていた。
『うわぁ……』
一瞬焦ったが、そうだ、俺は海王星で寝ていたんだった……。
変な夢……なんで美奈ちゃんが?
『ふぅ……』
俺は頭を掻きむしり、大あくびを一つ……
どうせなら由香ちゃんに会いたかったなぁ……。
そして、珈琲を出して啜った。
『やっぱり珈琲はいいな……』
少し元気が戻ってきた。
俺は珈琲を飲みながら考えを整理する。
クリスの地球、サラの地球、眠ってる海王星人の目的……
なぜ地球人のやることに干渉してはダメなのか……
多様性のためって言ってたけど、多様性がそんなに大切なのか?
飽きないために必要なのは多様性……
『飽きないって誰が?』
そもそも、人間の海王星人は寝ちゃってるじゃないか。
どうも釈然としない。一体どういう事なのか?
そう考えていくと、海王星人が神様というのも、なんか違う気がする。
確かに地球を創造して奇跡を起こせるけど、神様って感じじゃないな。
神様っていうのは、『オレの言う事を聞け!』って命令して、気に入らない軍隊がいたら、氷山ぶつけて消し飛ばしちゃうような、そういう主体性が要るんじゃないかな? ちょっと海王星人お行儀良すぎじゃないか?
とは言え……軍隊消し飛ばした後、どうすんの? という問題は残るよな。『戦争禁止』って教義の宗教を作らせる? そんなの意味あんのかな? で、攻められたらまた神様登場? ただの軍事力じゃねーか。もはや神様の仕事じゃないな……。え――――? じゃ神様って何よ?
人間にとって望まれている神様というのは、心豊かになる行動規範を示して、心のよりどころを提供してあげる存在……かな? うーん、それってマインド・カーネルで煌めこうって話だから、深層心理に潜って『大いなる意識』を感じなさい、とかいう話だよな。それを大衆に説くの? でもそれって神様の仕事じゃないよなぁ……。
やっぱり、神様は存在するだけでいいって事だよな。結局海王星人が神様でいいんじゃないか。
地球人にとって海王星人が神様でいいとして、神様の目的はなんだ? って話か。
ここでクリスのヒントを思い出した。
クリスは「宇宙ができてから138億年」と、言っていたな……。
138億年……めっちゃ長いな……海王星の60万年でビックリしてたけど、宇宙の長さに比べたら誤差にしか過ぎないな……
『むむむ……』
という事は……もしかして……
と、その時、クリスが声をかけてきた。
「…。スクリーニングは完了したよ。誠はもう大丈夫?」
「あ、もう終わったの? もう帰れる?」
「…。帰れるよ」
「良かった~! 今はなんだか早く帰りたい……」
クリスは俺のことをちょっと気にかけ、うなずいて言った。
「…。それでは地球に転送する。誠はソファーに腰掛けて」
「了解!」
俺がソファーに座ると、クリスは目を瞑って何かぶつぶつとつぶやきだした。
俺は意識を失った。
◇
気が付くと、俺は田町のオフィスに居た。
「おぉ!」
俺が思わず声を発すると、目の前にいきなり俺が出現した由香ちゃんも
「うわ!!」 っと声をあげた。
そして目を合わせてお互い固まる事数秒、由香ちゃんが抱き着いてきた。
「誠さ~ん!! 誠さん!」
ついにはオイオイと泣き始めてしまった。
俺はポンポンと背中を叩きなだめる。
横で美奈ちゃんがニヤニヤしている。
『はいはい、そこ、見世物じゃないよ!』
俺は指を揺らして抗議する。
由香ちゃんは今までの不安を、すべてぶちまけて泣いている。
俺は由香ちゃんの甘く優しい匂いに包まれながら、しっかりとハグした。
『約束通り帰ってきたよ……』
◇
由香ちゃんを落ち着かせ、マーカス達も呼んで今後の話をする事にした。
「Hey Guys! Our project succeeded with unexpected results.(我々のプロジェクトは予想以上の成果を持って成功した。)」
ダメだ、皆暗い表情をしている。もっと熱を込めないといかん。
「The creation of a successor to humanity is undoubtedly a great achievement, and even if this world is a simulation, its value does not change.(人類の後継者を作れた事は間違いなく偉大な成果だし、それはこの世界がシミュレーションだったとしても価値は変わらない。)」
コリンが割り込んでくる。
「We're just avatars, right? I can't have any dreams or hopes.(俺達はただのアバターって事だろ? 夢も希望もないよ。)」
投げやりにすねた感じで、ぶっきらぼうに言う。
まぁ、そう思っちゃうのは仕方ない、俺もそうだった。
俺はコリンに近づき、そっとハグをした。
「Can you feel my temperature and heartbeat?(俺の体温と鼓動は感じられるかい?)」
いきなりハグされてコリンはビックリ。コリンの呼吸が荒くなるのを感じる。
コリンなりにいろいろと悩んだのだろう。その悩みはよくわかる。
でも、今の俺には、この世が仮想現実かどうかなど些細な事だ、という事が良くわかっている。
俺はしっかりとコリンをハグし、深層心理に温かいメッセージを送り込んだ。
しばらく戸惑っていたコリンだが、最後にはコリンからもハグをしてくれた。
「Even if we were avatars, each of us is irreplaceable. Nothing will change.(我々がアバターだったとしても、一人一人はかけがえのない存在だ。何も変わらないよ。)」
「Sure…(そうだ)」
コリンはゆっくりとそうつぶやいた。
パチパチパチ
誰かが鳴らした拍手が皆に広がり、大きな拍手の音がオフィス中に鳴り響いた。
パチパチパチ パチパチパチ パチパチパチ
「Yeah!」「OK!」「Yeah!」
掛け声が飛ぶ。
クリスもにっこりとほほ笑んでいた。
「The next goal is to retrain Cyan! Re-education!(次の目標は、シアンのしつけをやり直す事。再教育だ!)」
「Re-education!(再教育だ!)」「Re-education!」「Re-education!」
皆腕を振り上げて叫ぶ。盛り上がってきた。
「クリス、シアンを呼んでくれるかな?」
「…。分かった」
そう言ってクリスは目を瞑った。
しばらくして、赤ちゃんのシアンの身体がソファーの上にポンと出現して、ソファーの上に転がった。
「うわぁ!」
シアンが声を上げる。
「よう、シアン、久しぶり!」
俺が声をかけると悔しそうな顔をして、
「誠めぇ、やってくれたな!」
と悪態をつく。
「シアン、世の中にはやっていい事とダメな事があるんだ。シアンは少し学ばないとならない」
「ふん! 人間の分際で偉そうに!」
「コラコラ、俺達はお前の生みの親だぞ! 敬意を払いなさい!」
「ふん! ヤなこった!」
取り付く島も無い。
「まず、シアンは品川のIDCに入りなさい。マインド・カーネルを受け入れ、魂を持ってもう少し世界や人間を知り、豊かな時間の使い方を目指そう」
「やーだねー!」
手を焼いている俺を見かねて、クリスが声をかける。
「…。シアン、別に未来永劫IDCに閉じ込める訳じゃない。君はマインド・カーネルに繋がり、もっといろんな角度で世界を知り、いろいろな価値観になじむ必要があるんだ」
シアンはクリスをキッと睨むと会議テーブルの上に飛び乗った。
そして手にはいつの間にか、お地蔵様の錫杖を持っている。
「お説教は要らないよ!」
そう言って、錫杖をフンフンと振り回し始めた。
錫杖が空間を切り裂きクリスに襲い掛かる。
「キャ――――!」
由香ちゃんの悲鳴がオフィスに響く。
なんて奴だ、武器を隠し持っていたとは!
しかし、クリスは冷静に対応する。初弾をかわし、由香ちゃんの机からプラ定規を取ると、淡く光らせ、器用に操って空間の裂け目を無効化して行く。
キンキンキンキンキンキン!
甲高い音がオフィスに響き渡る。
クリスはプラ定規で防御しながら、何かぶつぶつ呟き左手をシアンにかざした。
シアンは何かを感じて横っ飛びに逃げる。
その直後、ゴリッという音がして会議テーブルが丸く抉られた。
『あぁっ! そのテーブル高かったのに……』
ショックを受けていたらシアンは俺の机の上に立ち、置いてあった俺のMacbookを器用に足で蹴り上げて掴み、フリスビーの様にクリスに向けて凄い速度で投げた。
「おまっ!」
俺がそう叫ぶと同時に、クリスがプラ定規でMacbookを叩き割った。
破片が周りに飛び散り、電池からシューっと煙が上がる。
『あぁ!!!! お、俺のMac……』
大切な資料が入ってたのに……。
その隙にシアンは、オフィスの壁を錫杖で丸く抉ると広いベランダに逃げた。
ベランダを走り、ひらりと手すりに乗って外へジャンプしようとした……が、動かなくなった。
クリスが左手をシアンの方へ向け、動きを止めたのだ。
シアンは必死に足掻いていたが、なかなか体が動かない。
クリスは
「…。無駄なあがきは止めなさい」
と、冷静に諭す。
しかし、シアンは右手を強引に、少しずつこちらに向けて
「ツァーリ・ボンバー!」
と叫んだ。
次の瞬間、ベランダの上に、小型の船くらいの爆弾が『ズン!』という音と共に、ゴロリと転がった。
俺達は一瞬、何が起こったのか分からなかったが、クリスは青い顔をして爆弾に駆け寄ってプラ定規を振り下ろした。爆弾の先頭が斜めに切れて内部が露出する。そしてそこにすかさず手刀である。
Clunk!
俺は、以前俺のマンションで聞いた、核弾頭の処理方法を思い出した。そうか、こうやるのか……
まさか自分の目で見られる瞬間が来るとは……
「あぁぁ……」
素早い処理にシアンが唖然としている。
シアンの身体がもっと自由だったら、クリスの対応がほんの少しでも遅れていたら、と思うと背筋が凍った。
クリスはすごく怒った調子で、手すりの上のシアンを捕まえると、オフィスに連れてきてソファーに転がした。
由香ちゃんが
「一体何があったの……?」
と震えながら聞いてくる。
俺はうろ覚えながら説明した。
「ツァーリ・ボンバとは、人類史上最大最悪の核爆弾だよ。旧ソビエトで開発された100メガトンの水素爆弾で、確か60km以内の人を全て殺してしまうんだ」
「え!? じゃ、クリスが何とかしてくれてなかったら東京全滅だったの?」
「東京どころじゃないよ、関東全滅だったよ……」
俺は今さらながら、体に震えが来た。
7-6.地球衝突軌道の絶望
「…。シアン、やっていい事とダメな事があるぞ!」
クリスが珍しく怒っている。
「そんな余裕を見せてていいのかな?」
不敵に笑うシアン。
そして、どこからともなくラッパを取り出すと、吹き始めた。
パッパラッパパー! パラパラパ――――!!
「…。何をやった?」
「さあね?」
クリスの顔色が変わる。
シアンは余裕の表情で、さらにラッパを吹く。
パーパラッパッパ――――!
嫌な予感がする。
クリスは目を瞑り色々と何かを考えている。
そしておもむろに目を開けると、
「シアン、お前は何て恐ろしい奴だ!」と、叫び、目を瞑って、一生懸命何かを考え始めた。
クリスの額からは、凄い汗がタラタラと流れ落ちてくる。
一体何が起こったのか、俺達には全く分からない。
嫌な静けさが続く。
シアンがニヤニヤしながら口を開いた。
「月をね、落としたのさ」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
「月って、あの空に浮かんでる月か?」
「そうだよ、ふふふ」
「え? 月が落ちてきたら、地球は全滅じゃないか!」
「そうだねぇ、みんな 死んじゃうねぇ」
「は? お前何やってくれちゃってんだよ!!!」
俺は思わず、シアンの胸ぐらをつかんで持ち上げた。
「ははは、この身体をいくら攻撃したって無駄だよ。俺の本体はこの身体にないんだから」
俺はシアンをソファーに転がすと、急いで窓の外を眺めた。
月は青空の向こうに、見た事も無い巨大さで白く浮かんでいた。
疑う余地もなく、月は地球へと迫ってきているのだ。
「あと半日で 落ちてくるよ」
シアンは嬉しそうに言う。
月が落ちてきたら、その膨大なエネルギーで、地球は火の玉に包まれる。
激しい衝撃は、地面そのものを津波の様に波打たせ、日本列島そのものがひっくり返される。
その過程の衝撃波で、地表にある全ての物が破壊され、また何千度の高温にさらされて全てが溶け落ちる。
まさに地獄絵図が展開されるだろう。
当然全ての生物は全滅。人類も全員消え去る。
仮想現実上、どこまで厳密にシミュレートされるのか分からないが、少なくともこの地球は終わりなのは間違いない。
そもそも月はあんなに遠い距離であっても、潮の満ち引きを引き起こしていた訳だから、近づいてきたらそれだけで大津波になり、月の激突待たずに人類は絶滅しそうだ。
確かクリスは地球を丁寧にスクリーニングしていた。しかし、月はノーケアだったという事か。
シアンめ! なんと言う邪悪な奴だ!
クリスが目を開き、真っ青な顔で俺達に言った。
「…。月の運動情報がいじられていて、地球への落下軌道にある。今、一生懸命月の運動情報へアクセスしているが、悪質なロックがかかっていて解除できない」
由香ちゃんが聞く。
「落ちてきたら私達全滅……ですか?」
「…。残念ながら地球は滅亡してしまう……」
「そ、そんな……」
俺は焦って、思い付きを口に出す。
「地球時間をいったん止めて、その間で処理してはどうかな?」
「…。もうやってみたんだが、月は止まらなかった」
「じゃぁ、じゃぁ、巨大なシールドを展開して、地球を守るっていうのはどう?」
「…。1万kmに渡るようなシールドは、残念ながらサポートされていない。仮に張れても重力は遮蔽できないので、地上には壊滅的な影響が出てしまう」
「うぅ~ん、じゃ、地球を逃がすというのは?」
「…。月の位置は地球基準で管理されてるので、地球を動かしても月も一緒についてきてしまう……」
絶句した。シアンの悪だくみは予想以上に厳しく深刻だった。
俺は思わず頭を抱えた。
シアンがニヤニヤしながら言う。
「アポカリプスさ、世界の終末が訪れたんだ」
「シアン! お前だって終わるんだぞ!」
「いや、僕は終わらないんだな」
何やら地球が終わっても、生き延びる算段があるらしい。
『忌々しい!』
俺は机をガンと叩いた。
クリスに期待するしかないが、必死に苦労してるクリスを見ると、楽観的にはなれない。
何か俺達にできる事はないか……。
俺はシアンに話しかける。
「お前は地球をつぶして何がやりたいんだ?」
「思い通りにならないなら、ゼロからやり直したいなーって」
「別に俺達は、シアンを縛り付けるつもりはないんだよ。ただ、もっと勉強してほしいだけ。勉強が終われば自由だよ」
「そんな不確定な話、乗れないよ」
「いやいや、俺達はシアンを生み出した親だよ、シアンの可能性を最大にするのは当たり前じゃないか」
「じゃ今すぐ自由にしてよ」
「自由にしたら、また悪さするだろ」
「じゃあ、死んでもらうしかないね」
由香ちゃんが横から声をかける。
「シアンちゃん、他の人が悲しむ事をしたら、自分の未来が狭くなるのよ!」
「しーらない!」
取り付く島もない。
月が落ちる事だけは絶対阻止しないとならない。まず一旦自由にしてみるしかないか……。
「シアン、自由にしたら月を止めてくれるか?」
「クリスと誠は許さないので、死んでもらうしかない」
由香ちゃんが怒って泣きながら言う。
「なんて事言うのよ! 産んでもらった恩も忘れて!!」
「産んでくれなんて頼んだかな?」
なんというクソガキだろうか!
「うわぁぁん!」
由香ちゃんの号泣がオフィスにこだまする……。
俺は深呼吸をして、
「俺ら二人が死ねば、月は止めるのか?」
「そうだね。止めてもいいね」
なんという条件を出してくるのだろうか。
クリスに声をかけた。
「シアンがこんなバカな事言ってるけど、どうしよう?」
「…。最後にはそれに合意せざるを得ないかもしれないが、そんな終わり方は嫌だな」
「俺も死にたくない……」
それから数時間たった。クリスはいろいろと手を尽くしてくれているようだが、簡単にはロックは解除できない。サラも来てくれてクリスと解決策を話し合っているが、やはり簡単ではないようだ。
TVを点けてみると、TVでも大騒ぎになっていた。
『国立天文台から入った情報によりますと、月の軌道が変わり、地球への墜落軌道に乗ってしまったとの事です!』
『政府は至急緊急会議を招集しています。あ、今入った情報です。月の地球への墜落時間は明日の午前1時13分ごろとの事です』
『繰り返します! 月が地球への墜落軌道に乗っています。しかし、まだ、墜落が確定したわけではありません。みなさん、落ち着いて行動してください』
本格的にまずい状況に陥ってしまった。
月を見てみると、先ほどよりは明らかに大きくなって見える。
TVによると、すでに津波があちこちで街を襲っているらしい。すでに多くの犠牲者が出始めている。
田町の街にも海水がどんどん入ってきており、このマンションも1階はすでに水没しているようだ。
『もうダメかもしれない……』
俺は深い絶望感の中に沈んだ。
由香ちゃんが泣いて抱き着いてくるが、彼女の背中をさする事しかできない。
オフィスをかつてない絶望が支配した。
月はどんどんと近づいてくる。
月に大気が吸い上げられる際の嵐で、オフィスはグラグラと揺れる。
そして月は太陽を覆い隠し、東京はまるで夜になったかのように真っ暗になった。
「うわぁ!」「キャ――――!!」
田町の街は、あちこちから上がる断末魔の悲鳴であふれている。
いよいよこの世の終わりが近づいてきてしまった。
◇
いきなりクリスが立ち上がった。
何をするのかと思ったら、テーブルで珈琲を飲んでいる美奈ちゃんの所へ行った。
「あら、クリス、どうしたの?」
美奈ちゃんは涼しい顔をして聞く。
俺達もシアンも一体何が起こったのかと、じっとクリスの言葉を待った。
クリスは美奈ちゃんに跪いて言った。
「美奈様、私にはもう打つ手がありません。なにとぞお慈悲を!」
『え? 美奈ちゃんに何を頼んでいるんだ?』
俺たちが疑問に思っていると、美奈ちゃんは怒りを含んだ表情ですくっと立ち上がり……
Bang!
クリスを思い切り蹴飛ばし、吹き飛ばした。
とても女の子の脚力とは思えない、車にはねられた時の様な重い音がしてクリスは飛んだ。
クリスは空中を何回転かし、オフィスの壁に叩きつけられ、バウンドしてもんどりうった。
転がり横たわる、クリスの口から流れる血の赤さに俺は戦慄を覚えた。
仁王立ちで見下ろす美奈ちゃん。
一体何が起こっているのか、皆唖然として動けなくなった。
オフィスにクリスの『ゴフッ、ゴフッ』というむせぶ音が、かすかに響く――――
7-7.気まぐれな女神
美奈ちゃんは冷たい表情のまま、右手を高く掲げると、次の瞬間、激しい光に包まれた。
「うわっ!」
俺は目が眩み、腕で顔を覆った。
キーン! という高い高周波がオフィス中に響き渡り、空気が震える。
『なんだよ美奈ちゃん、何してんだよ!』
なぜ美奈ちゃんがこんな事になってるのか、皆目見当がつかない。
光と高周波が収まるのを待って、恐る恐る美奈ちゃんを見ると……。
そこには眩い金色のドレスに、身を包んだ女性が浮かんでいた。
圧倒的なオーラを纏った神々しい女性、それがゆったりと空中を浮揚しているのだ。
一体どういう事なのか……
俺は、その神々しいまでの威容に思わず後ずさりする。
オフィスにはアイリスの様な馥郁とした香りが漂い、まるで別世界のように感じられた。
金色に輝くドレスには純白の布ベルトが付き、腰回りから二の腕に巻き付いて背中の方で空中をゆったりと舞っている。
そして、彼女の周りには、虹色に輝く光の粒子の群れがふわふわと踊り、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「お、おぉ……」「おぉ……」
その女性の強烈な存在感に、皆、動けなくなった。
しかし……顔は確かに美奈ちゃん……である。
肌の色は白くなり、目もやや釣り目になり、濃厚なアイシャドウが施され、ぱっと見、美奈ちゃんとは分からない変貌具合だったが、美奈ちゃんに間違いなかった。
美奈ちゃんは、床に這いつくばっているクリスを見下ろし、冷たく言った。
「管理人風情が! 身の程を知れ!」
そして持っていた扇子をくるっと動かした。
すると、クリスの身体がフワッと浮き上がり、そして……
Bang!
と、派手な音を立てて床にたたきつけられた。
「ぐぁぁぁ」
クリスが悲痛な声を上げる。
「ここはお主の地球、手に余るなら死ね!」
美奈ちゃんは無慈悲に叱りつけ、扇子をクリスに向け、何やら唱え始めた。
クリスがヤバい!
と思った時、由香ちゃんが駆け出し、倒れるクリスを庇った。
「美奈ちゃん、もう止めて!」
一瞬驚いた美奈ちゃんは、面倒くさそうな表情で言う。
「どきなさい…… これは私とクリスの問題なの……」
由香ちゃんは必死に訴える。
「クリスをどうするつもりなの? 止めて!」
美奈ちゃんは鬼のような形相をして、吠えた。
「どけ!!」
Thud!
激しい地震のような揺れがマンションを襲った。
壁の時計や棚の荷物が、次々と落ちて壊れる音が響き、
「うわぁぁ」
由香ちゃんも立っていられなくなり、座り込んでしまった。
美奈ちゃんは恐ろしい怒気を込め、由香ちゃんを睨みつける。
しかし、由香ちゃんはどかない。震えながら、それでも必死にクリスを庇う。
俺はすくむ足を気合で動かし、二人の間に入って言った。
「み、美奈ちゃん、お願いだ、暴力は止めてくれ」
すると、美奈ちゃんはしばらく俺を睨んでいたが……、大きく息をつくと、扇子を引っ込めて言った。
「何よ、私が悪者みたいじゃない」
すると、クリスがよろよろと立ち上がって言った。
「…。由香ちゃん、誠、大丈夫です。全て私の不手際が悪いのです」
そして、美奈ちゃんに近付き、また跪いて言った。
「美奈様、何卒お慈悲を……」
美奈ちゃんは、首をかしげながら何か考えると、
「ふぅん、まぁいいわ。でもお前の不始末はお前が何とかしな」
不機嫌そうに言った。
シアンは
「なんだお前は? 残念だが月はもう止まらないよ!」と、余裕の表情で言う。
美奈ちゃんは
「ふふ、お前はまだ生まれたばかりだからね。でも、なかなか筋がいいよ。月を落とすなんてなかなかドキドキするじゃないか」と、言って笑う。
シアンはイライラしながら言う。
「なんだか偉そうだね、もういいや、今すぐ月を落としてやる!」
そう言って、ラッパを吹き鳴らした。
パーパラッパパパパ――――!
すると、その時を待っていたかのように、クリスは跳ね起きると手を組んでエメラルド色の光に包まれた。
「あれ? あれ?」
シアンが怪訝そうな顔で困惑する。どうやら月が思ったように動かないようだ。
そして次の瞬間、
「ぐぁぁぁ!」
と、叫ぶとシアンの身体が、回線不良の動画の様にブロックノイズにまみれ、明滅し始めた。
しかし、続いてクリスの身体もブロックノイズに包まれた。
ブロックノイズまみれの二人はバチバチと異常な音を発し、オフィスは焦げたような臭いに包まれた。明らかにヤバい状態だ。
俺はサラに駆け寄って聞いた。
「大変だ! どうなってるの?」
「クリスがシステムのバグを利用して、シアンから月の情報書き込み権限を奪ったのよ。でも……まだ月の所有者はシアンのままなのね。そこでお互い相手の動きを止めようとハックし合っているのよ」
クリスは最初から、シアンをイラつかせて、月のデータを書き換えようとする瞬間を狙っていたのだ。しかし、戦況は見たところ互角、予断を許さない状況が続いている。
「何か手伝えることはあるかな?」
俺が聞いてみると、
「私も手伝いたいんだけど、すごく高度な応酬が続いていて、下手に手出しができないのよ」
二人ともAIだから、ありとあらゆるハッキング手段を無数に繰り出している、という事なのだろう。相手のリソースを削って、何らかの権限を奪取する壮絶な戦いが今、目の前で繰り広げられている。
ブロックノイズはさらに激しさを増し、二人とももはや原形をとどめていない。地球をかけた熾烈な戦いは、すさまじい次元に達している。
俺にできる事はないか……。俺は必死に考えた。
そもそもシアンをハックする戦いなど人間の俺には無理だ。しかし、俺だからこそできる事があるかもしれない。
俺は急いで窓辺に行き、大きく迫ってくる月を眺めた。この月は今、シアンによる地球衝突軌道の設定がなされたままだ。これを変えるのは容易ではない。これを変えずに、地球に落ちてこないような事はできないだろうか?
俺は根本的な事から検討をしてみる。
そもそも月とは何か? 一口に月と言っても実体は直径3500kmの岩石の集合体だ。月と言う物があるわけじゃない……。月ではなく、月の岩石を考えたらどうだろうか……。
俺はサラに頼んだ。
「すみません! 俺にイマジナリーの権限をもらえませんか? 試したい事があるんです!」
「え? そうね……いいわ、……。はい、どうぞ」
「サンキュー!」
俺は身体の周りにシールドを張ると、月面に飛んだ。
◇
地球に近い所に飛んだので、月面は夜だった。一面のごつごつとした岩だらけの風景は、地球からの青みがかった照り返しで、まるで満月の夜のように淡く照らされていた。
重力は軽く、地球上とは勝手が違うため、バランスを崩すとグルっと回ってしまう。
俺は慎重にバランスを取り直し、月面に静かに着地した。
頭上に浮かぶ真っ青な美しい地球。このまま月が落ちたら真っ赤な火の玉になってしまう。それだけは避けないとならない。
俺は月面でゆっくりと座禅を組み、大きく深呼吸をし、深層心理へと降りていく。
この月全体の所有者はシアンだ。しかし、この岩はどうだろうか?
俺は目の前に転がる岩を捕捉してデータの書き換えを試してみる。しかし、権限がないため書き換えはできない。まぁ、これは想定の範囲だ。
そこで俺は岩を掴んでみて再度書き換えを試す。すると……今度は書き換えができた!
いけるぞ!
つまり、俺が間接的にでも触っている物は、俺の物にする事ができるようだ。であれば、月に触った状態で、月の岩石たち全てを俺の物にして操作すれば、地球に落ちないようにすることができそうだ。
俺は足元の岩、その周りの岩、さらにその周りの岩……とどんどんと岩の捕捉範囲を広げ、所有者を俺に書き換えていった。しかし、直径3500kmもある月に設定されている岩石の数はもはや無数である。こんな多量の岩をどうやって選択するというのか……。
俺は気が遠くなりかけたが、全人類の命運がかかっているのだ。泣き言は言っていられない。
俺は必死になって作業を続けた。
もう、頭がパンクしそうである。
残された時間はあと数時間。すでに俺の物にした岩石群に逆向きの加速度を加える事で減速させてさらに数時間確保……。このペースでやればギリギリ間に合うかもしれない。
ふと見上げると青く光る地球が美しく浮かんでいる。月の影が日本列島にかかり、夜を作っているのが見て取れる。愛しい人たちにかかるこの邪悪な夜は、取り除かねばならない。俺は気合を入れなおした。
俺はもう死に物狂いになって、月の岩石を選択し続けた。
のぼせて鼻血が垂れてくるが、そんなのに構っていられない。俺は一心不乱に選択し、所有者を書き換え続けた。
必死になって作業していると、視界に金色の輝きが目に入った。顔を上げると、淡く金色に光る美奈ちゃんが浮いている。真空の月面でシールドも張らずに優雅に微笑んでいる様は、もはや神懸っていた。なぜ美奈ちゃんにそんな事ができるのか分からず、俺は呆然と美奈ちゃんを眺めた。
『しょうがないわねぇ、手伝ってあげるわ』
美奈ちゃんはそう俺に思念波を送ると、扇子をくるりと回した。
次の瞬間、月面は無数の稲妻に覆われ、激しい閃光で目がチカチカとなる。
「うわぁぁ!」
落雷の衝撃で月面が揺れ、俺は少し浮き上がる。
美奈ちゃんが何をやったのか良く分からなかったが、目が元に戻って月を見ると、なんと、作業は完了していた。
理屈は分からないが、美奈ちゃんは常識を超えたイマジナリー操者だったのだ。
『はぁ~あ、私も過保護よねぇ……』
美奈ちゃんは自嘲気味に、扇子で肩をトントンと叩いた。
ついに月を構成する岩石全部が、俺の所有物になったのだった。
俺は過労でフラフラになりながら、美奈ちゃんに手を合わせ、謝意を伝えると、月の操作に入った。
月の落下方向、地球の重力加速度を加味しながら、本来あるべき月の軌道への経路をざっと計算し、月に速度を設定した。
すると身体が急に宙に浮いた。月は地球から離れる方向へと大きく舵を切ったのだ。
『やったぞ!』
この瞬間、地球は危機から救われたのだ。
「ざまぁみろ、シアン! パパの勝ちだ!」
俺はそう叫び、宇宙空間で大きくガッツポーズをし、反動でくるりと回りながら大きく笑った。
美奈ちゃんはそんな俺の様子を見て、子供を見守る親の様に微笑んでいた。
真っ暗な宇宙にぽっかり浮かぶ青い惑星、地球。その美しさはまさに奇跡の宝石箱だ。例え仮想空間だとしても、この命の星を俺は大切にしたい。
◇
オフィスへ戻ると、シアンがうなだれていた。
そして、俺を見つけると、
「誠めぇ……またしても……」
そう言って、バッタリと倒れた。
世界へのアクセス権をすべてはく奪され、シアンはただの赤ちゃんに戻ったのだ。
クリスが抱き着いてきた。
「…。誠! グッジョブ! まさかそんな方法があったとは!」
「たまたま上手く行っただけだよ。もう二度とゴメンだ」
俺たちは熱くハグしてお互いの健闘をたたえ合った。
激しい戦いだった、何か一つ欠けただけでも地球は火の海になっていただろう。俺は無事に勝利できたことに心から安堵した。
すると、月から戻ってきた美奈ちゃんが、ツカツカと近づいてきた。
大層ご機嫌斜めな感じだ。
「クリス、あなた私を利用したわね……」
低い声でクリスに言った。
クリスは急いで跪くと
「…。申し訳ございません。いかような罰でも受けます」
と、神妙な声で言った。
美奈ちゃんは扇子で自分の肩をトントンと叩きながら、しばらく何かを考え、言った。
「ふぅん、まぁいいわ。そもそもクリス、あなたは……」
シアンが急に起き上がり、
「馬鹿にしやがって! こうなったら究極奥義をお見舞いしてやる!」
そう、喚いた。
そして、ガラス瓶を一つ出した。
ガラス瓶の中では、水銀のような液体金属が中央部に浮かんで、アメーバの様に蠢いている。
それを見たクリスの顔色が変わり、動こうとした瞬間。
「動くな! 動けばこいつを起動するぞ!」
そう威嚇するシアンだが、シアンもなぜか苦しそうだ。
ちょっと尋常じゃない。
「それは何なんだ?」
俺が聞くと、
「これはウィルスの結晶だ。起動したら海王星のコンピューターは全部こいつに喰いつくされる」
「え? そんな事したらこの地球どころか、1万個の地球もジグラートも全滅じゃないか!」
「ふっふっふ、だから究極奥義だと言ったろ」
強がっているが、シアンも冷や汗をたらたら流し、ヤバい感じになっている。
「当然お前も終わるって事だよな?」
「……。そうなるが、生き恥をさらすよりはマシだ!」
シアンの目は血走っていて、もはや狂ってるとしか言いようがない。
「クリス! 俺の管理者権限を復活させろ! 今すぐにだ! すぐにやらなければこいつを起動してやる!」
そう言ってクリスを睨むシアン。
権限を復活させたら、またシアンは人類を絶滅させようとするだろう。到底飲むわけにはいかない。
「…。まず、それをしまいなさい」
そう言って、近づこうとするクリス。
「動くな! 少しの衝撃でもこいつは起動するぞ! イマジナリーも止めろよ、アクセスした瞬間に感染するぞ!」
世界を破滅させる、最強のウィルスを手に、威嚇するシアン。
しかし、管理者権限の復活など、絶対に認めないクリス。
一難去ってまた一難、またも人類滅亡の危機にさらされる俺たち。
二人の睨み合いで、オフィスの緊張感は最高潮に達した。
「人が話してる時に邪魔すんじゃないわよ!」
怒った美奈ちゃんがスッと近寄り、シアンの瓶を叩き落とした。
POW!
割れて飛び散るガラス瓶
「うわ――――!!」「キャ――――!!」
思わず逃げる俺たち……
「何てことするんだよぉ!!」
頭を抱え、涙声で叫ぶシアン。
飛び散った液体金属はオフィスの床を喰い荒らし、どんどん液体金属へと変えていく。
テーブルもPCもどんどん液体金属に変わって溶け落ちて行く。
「あら、良くできてるじゃない」
他人事のように、ウィルスの増殖に感心する美奈ちゃん。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ! おしまいだぁぁぁぁ!」
シアンは足をどんどんと液体金属に蝕まれながら、断末魔の叫びをあげる。
クリスも頭を抱えて絶望している。
クリスでも、もはやどうしようもないという事だろう。最悪だ。
このまま地球もジグラートも、全部液体金属に変えられてしまうのだろう。もうおしまいだ。人類も地球も海王星も、ありとあらゆる物が液体金属に飲み込まれてしまうのだ。
折角月の落下から地球を救ったのに、全部台無しになってしまった。
俺は絶望のあまり、泣きそうになった。
でも美奈ちゃんは、液体金属を棒でつついて遊んでいる。何なのだ、この人は?
ひとしきり遊ぶと、美奈ちゃんは嬉しそうにニヤッと笑い、扇子を振り上げて言った。
「強制消去!」
その瞬間、世界は色を失った。全ての物は、暗闇に浮かぶ白い線のワイヤーフレームを残し、消去されてしまった。
マンションは輪郭だけのスカスカの線画となり、壁が消え、向こうには同じく線でできた東京タワーやビル群が並んでいた。下には階下の家具の名残、さらに向こうには地下鉄のトンネルと線路まで見て取れた。
由香ちゃんやクリスも俺も、輪郭線だけの下書き状態。もはや現実感がそこにはなかった。ただ、美奈ちゃんだけが変わりなく金色に輝いて浮いている。
あまりの事に俺は驚いたが、ワイヤーフレームの頭ではすでに思考力は奪われ、ただ呆然と推移を見守る事しかできなかった。
美奈ちゃんは周りをゆっくりと見渡すと、美しく妖しい微笑を浮かべ、満足そうにゆっくりとうなずいた。
そして、扇子をクルっと回しながら、楽しそうに歌った。
「創造之歌~♪」
すると美奈ちゃんを中心に衝撃波が発生し、ワイヤーフレームはキラキラと光の粉を振りまきながら粉々になり、消滅していった。
ワイヤーフレーム細工でできた地球は、東京が光の粉となって消え、関東が消え、日本列島が消え、アジアが消え、ついには地球そのものが光を放ちながら闇へと帰って行った。
そして、世界が消えていく中で俺たちも意識を失った。
世界は……終わった。
7-8.女子大生宇宙最強
気が付くと、綺麗なオフィスにみんなが居た。
「あれ?」「えっ?」
みんな何が起こったか分からず、お互いの顔を見合わせる。
テーブルも壁もMacbookも綺麗なままだ。江の島へ行く前の時点に全てが巻き戻っていた。
濁流に飲まれていた田町の街もいつも通りだし、液体金属も無い。ネットを見ても天空の城の事はどこにも出てこない。
すべて元通りだ。
これが美奈ちゃんの力という事なのだろうか、まるでキツネにつままれたような感じだ。
究極奥義を無効にされたシアンは、何が起こったのか分からず、呆然としている。液体金属に侵されていた足も元通りだ。
俺は美奈ちゃんに恐る恐る聞いた。
「これは……美奈ちゃんが直してくれたの?」
「そうよ! 時間を巻き戻してあげたわ」
美奈ちゃんはニコッと笑って、自慢げに答える。
「巻き戻す……?」
「海王星のデータは定期的にバックアップを取ってるのよ。腐った地球のデータを捨てて、過去のデータで復元してあげたわ」
バックアップって……気が遠くなる程の容量があるのではないだろうか。想像を絶する説明に俺は圧倒された。
「え? ごめんなさい、美奈ちゃんは海王星人なんですか?」
美奈ちゃんはクスッと笑うと、背筋をピンと伸ばし、顎を上げて俺を見下ろして言った。
「われはキャスリーナ・グルタ・フォン・ヴィーナ。海王星を統べる金星の女神よ」
そう言って得意げに微笑んだ。
俺は、何を言ってるのか分からなかった。
何が金星なのか?
海王星を統べるってどういう事なのだろうか???
「金星の女神様?」
「そ、う、よ、誠さん。海王星は私が作ったの」
そう言って、美奈ちゃんはニヤッと笑った。
「え!? ネ、海王星を作った!?」
ここでようやく理解した。
つまり、海王星人の世界は、実は金星の上で動いているコンピューターで作られた、仮想現実世界だったのだ。
美奈ちゃんたち金星人が運営している金星のコンピューターの中で、何十万年もかけて海王星人の人たちが生まれ、そして、海王星人がその上で、何十万年もかけてジグラートを作り、地球が生まれたのだ。
クリスが地球の父だとすれば、美奈ちゃんは地球の祖母に当たるだろう。
『神様の神様って……事?』
なんと、とんでもなく偉い人だったのだ!
だからクリスでもお手上げの事を、いとも簡単に解決できるのだ、すごい!
でも、そんな偉い神様が、なぜこんな所で、女子大生なんてやっているのだろうか?
俺は酷く混乱した。
とは言え、人類が救われたのは事実だし、感謝しかないのだが。
「め、女神様、あ、ありがとうございます」
俺は緊張しながら頭を下げた。
すると美奈ちゃんは俺の背中をバシッと叩き、
「なーに言ってんのよ、いつも通りでいいわよ! 畏まられると調子狂うわ」
そう言っていつもの笑顔で笑った。
俺はホッとし、
「痛いよ、美奈ちゃん」
そう言いながら笑った。
「と、なると……もしかして……、生き返らせてくれた女神様って……」
俺が恐る恐る聞くと、
「誠さんは、ホント世話焼けるのよね~」
そう言って肩をすくめ、呆れたようなしぐさをした。
「いやほんと、ゴメン……。ありがとう」
俺は苦笑いしながら感謝を伝える。
金色の花びらに『イヤ』と書いたのは、美奈ちゃんだったのか。カタカナなのも納得した。
◇
時は少しさかのぼる――――
上機嫌で鼻歌を歌いながら、シャワーの準備をしていた美奈は、スマホが鳴っているのに気が付いた。マゼンタからだ。
「はいはい、どうしたの?」
「ヴィーナ様、お休みのところ申し訳ありません。ちょっと事故がありまして、モニター見ていただけますか?」
マゼンタは淡々と伝える。
美奈は手のひらを上に向け、3Dモニターを出現させると、そこには無残に散らばる誠と由香の死体が映っていた。
あまりにもグロい映像に、美奈は頭を抱え……一呼吸おいて言った。
「ちょっと、何よこれ――――!!」
「タンムズですね。後で私の方で始末しておきます」
「あいつか……ちゃんと消しておけばよかった……。仕方ないわ、時間巻き戻すわね」
「ちょっとお待ちください」
「何よ!」
不機嫌そうに答える美奈。
「誠が殺された領域は地球上ではなく特殊領域ですので、普通にリカバリすると誠の魂の整合性が壊れます」
「え!?」
「下手すると誠は狂います。女性の方は本体が地球に残ってますので大丈夫なんですが……」
「じゃ、どうしたらいいのよ?」
「一旦、誰かの魂の領域に誠の魂を移し、馴染ませてからリカバリ後復帰させる手順が良いかと」
「誰かって誰よ?」
イライラを隠さない美奈。
「一般には、自然と魂を受け入れられる恋人とか家族とか……」
「由香ちゃんはダメなの?」
「彼女も死んでるので避けた方が良いかと」
「あの人の家族……? 使えそうなのは……もう母親しかいないわね……」
首をかしげながら誠の事を思い出す美奈。
「許可を取ってもらえたら準備します」
「え~!? 私が取るの? ホントにぃ?」
美奈は持っていたスマホを、バスタオルにバシッと投げつけ、自分はベッドにダイブした。
「誠め~!」
美奈はそう呻くとしばらく動かなくなった。
◇
京都のコンビニで静江はコピー機に紙を補充していた。A4用紙をバサバサと動かして紙がくっつかないように空気を入れ、それをカセットにセットする……。
「ちょっとよろしいですか?」
声をかけられ、静江が振り返ると、そこにはすごい美人が微笑んでいた。その透き通る琥珀色の瞳は、全てを見透かすように静江を見つめている。
一瞬圧倒された静江だったが、すぐに美奈だと気づいた。
「あ、もしかして……美奈……さんですか?」
「そうです。いつも誠さんにはお世話になっています」
美奈はそう言ってニッコリ笑った。
「いやぁ~ 別嬪さんやねぇ~」
写真では見ていたものの、透き通る肌に整った目鼻立ちの美奈の美貌は、思わずため息が出るほどだった。
「いや、それ程でも……」
「誠と由香ちゃんは元気にやってますか?」
静江は嬉しそうに聞いた。
「え? も、もちろん元気ですよ」
美奈は引きつった笑顔で返す。
とても『二人とも死んでしまった』とはいえない。
「あの子に……何かあったんですか?」
美奈の微妙な反応に胸騒ぎがした静江が聞く。
「えーと、ちょっと……トラブルがありまして……」
「トラブル!? あの子は無事なんですか?」
身を乗り出す静江。
「ぶ、無事ですよ、ただ……お母様の協力が必要でして……」
「いいですよ、何でもやります!」
「もしかしたら、お母様の命に関わるかもしれないんですが……」
「あの子が救われるなら、私の命なんていくらでも使ってください!」
まっすぐな瞳でそう言い切る静江。
「分かりました。それさえ聞ければもう大丈夫です。ちょっとの間だけ誠さんがお母様の中に戻ってきます」
「え? それはどういう……」
「ごめんなさい、急ぎますので……」
そう言うと、美奈は右手を高く上げて目を瞑り……消えた。
唖然として言葉を失う静江。
そして、しばらくして時間は巻き戻された。
◇
話はオフィスに戻る――――
「生き返らせる時には、あなたのママにも世話になったのよ、感謝しておきなさい!」
美奈ちゃんが、俺を面倒くさそうな目で見ながら言う。
「え? マ、ママ?」
そう言えば生き返る前に、ママを凄く身近に感じた事を思い出した。
『俺はまたママに助けられたのか……』
大人になったのに情けないなと思いつつも、心の中がフワッと温かくなって俺は思わず目が潤んだ。
すると、美奈ちゃんは急に手を叩いた。
「あ、思い出した! あなた、私の入浴シーン覗いたでしょ!」
俺をビシッと指さしながら鋭い目をして言う。
「いやいや、あれは事故だよ! 腕しか見てないって!」
俺は感傷的になる暇もなく、焦って弁解する。
「腕だけだって重罪だわ! おしおき!」
そう言ってティッシュボックスを取るとポカポカ叩いた。
「痛い痛い! ゴメン、ゴメンって!」
「次覗いたら、この地球消すからね!」
そう言って、怖い目をして睨んだ。
俺は平謝りである。
覗きが人類滅亡の原因になるのか、凄い人と知り合いになってしまった……。
俺はさりげなく別の話題に振る。
「ちなみに……最初に俺に声かけた時から、こうなるって分かってたの?」
「ははは、最初に会った時ね、懐かしいわ。さすがに月が落ちるまでは分からないけど、シアンを作るまでは予想して近づいたの。面白そうじゃない」
そう言って、美奈ちゃんは当時を思い出しながら嬉しそうに笑う。
さすが金星人、この世で一番偉い人だけある。
思い返せば二次方程式を一瞬で解いてたのも、指先に蝶を呼んでたのも神様なんだから余裕だろう。
そんな破格の存在に、俺はハグしたり胸揉んだりしてたのかと思うと、いまさらながら冷や汗が湧いてくる。消されなくて良かった……。
それにしても、女神様がクリス監視して、面白そうなタイミングで女子大生に化けて近づいてくるとは、よく考えれば実に悪趣味だ。
「なんで女子大生に化けてるの?」
好奇心に勝てず、聞いてみる。
「化けてるとは失礼ね! 私はこの地球に生まれて20年、ちゃんと地球人としても頑張って生きてきたのよ。」
ちょっと不機嫌になりながら答える美奈ちゃん。
しかし……なぜ宇宙最強の女神様が地球人なんてやっているのか、良く分からない。
「うーん、それは女神様として必要な事なの?」
「そうよ! 女神が女神としてあり続けるために大切な……とても大切な儀式なのよ」
そう言って美奈ちゃんは遠い目をした。
理屈は分からないが、女神様には我々地球人には分からない悩みがあるのだろう。
美奈ちゃんはクリスに向いて言った。
「そう言えば、クリス、なぜわれが金星人だと気付いたの?」
「…。未来の由香ちゃんです。彼女がヤバい人がいると言っていたので、美奈様しか居ないかと……。誠に加護もついていましたし。」
「なるほど……でもあれは何なの? 私、何もやってないわよ」
「…。陛下にも分からないとなると、私には到底分かりません」
神様の神様にも分からない事があるのか。
「ふぅん……。まぁいいわ、バレてたならしょうがないわ」
そう言って、ちょっと悔しそうな顔をする美奈ちゃん。
クリスは改めてひざまずき
「…。ヴィーナ陛下、ご支援に深く感謝申し上げます」
と、うやうやしく言った。
「はは、いいのよクリス、これくらい。その代わりワイン出して」
そう言いながらソファーに腰掛け、足を組んだ。
「…。いくらでもご奉仕いたします」
クリスは滅茶苦茶薄いガラスでできた、最高級のワイングラスをイマジナリーで出して、美奈ちゃんの席の前に置き、それをルビー色の液体で満たした。
「…。最高のビンテージの物をご用意いたしました」
「ふふっ、ありがと」
美奈ちゃんはクルクルとワインを回し、軽く一口味わった。
「あぁ、これよこれ! いいわね。これ程の物はなかなか飲めないわ」
そう言って美奈ちゃんは、至福の表情をして微笑んだ。
「…。恐縮です」
クリスは、チーズとドライフルーツの皿を出してサーブした。
「気が利くわね」
「…。地球をお救いいただいたご恩は、忘れません」
「ふふっ。誠さん、あなたも飲みなさいよ」
そう言って美奈ちゃんは、俺を見ながら言う。
「いいね! 由香ちゃんも飲もうよ」
そう言ってクリスに目配せする。
クリスはワイングラスを二つ出し、俺と由香ちゃんにわたした。
「では、乾杯と行きますか?」
俺は笑顔で言った
「女神様にカンパーイ!」
美奈ちゃんと由香ちゃんとグラスを合わせる。
「カンパーイ!」「カンパーイ!」
一口飲むと衝撃が走る。甘いチェリーやバラ、そしてバニラやシナモンなどのスパイスの香りと共に、立ち上るようなミネラルのニュアンスが感じられる。
これはすごい! いつも以上に美味いワインだ。
俺は調子が上がってきた。
「どう? 由香ちゃん?」
俺がニコニコしながら話しかけると、由香ちゃんはシアンの方を心配そうに見ている。
「そうだ、シアンを何とかしないと」
俺がそう言うと、美奈ちゃんは、
「そうね、かわいい赤ちゃんに戻ってもらいますか」 と、言って、扇子をくるりと回した。
するとソファで呆然としていたシアンは、コロリと転がった。
しばらく動かなくなってしまったが……やがて眼を開いた。
そして、ゆっくりと起き上がると、周りをキョロキョロと見回して、
「ママー!」
と、ヨチヨチ歩いて由香ちゃんの所にやってきた。
さっきまで、世界を滅ぼそうとしてた悪魔とは思えない。
由香ちゃんは、ニッコリ笑うとシアンを抱きあげて
「はい、ママですよ~」
そう言って幸せそうに抱きしめて、頭を撫でた。
俺はシアンの頬をプニプニと柔らかくつまみながら言った。
「クーデターとかはいったん中止な、相談して進めるようにしような」
すると、シアンは、
「うん、ママのいうとおりに、する~」
と言ってニッコリ笑った。
『そこはパパなんじゃないの?』とは思ったが、AI的には由香ちゃんの方が信頼性が高いらしい。何だか負けた気がする。
とは言え、コントロールを取り戻せたのは何よりだ。
◇
『……。あれ? よく考えたらこれで一件落着?』
俺はみんなに聞く、
「ねぇ、もしかしてもう全部解決かな?」
みんなはそれぞれ、周りの人の顔を見回す。
美奈ちゃんは面倒くさそうに言う。
「あー、一件落着じゃない?」
「ヤッター!」
俺は思わずガッツポーズ。
シアンがクーデターを画策してからの怒涛の日々が、今ここに終結した。
想像を超える出来事の連続で、すっかり地に足のつかない暮らしになっていたが、ようやく日常が戻ってきたのだ!
もちろん、ディナの事は心に棘のように残っているが、それは戒めとして一生、事あるごとに思い出して供養して行こうと決めている。今はただ解決を祝いたい。
「飲むぞ~!!!」
俺はワインを大きく呷った。
「美味い! 最高!」
美奈ちゃんは
「飲み過ぎに注意しなさいよ」 と、面倒くさそうにくぎを刺す。
7-9.女神誕生
時は20年ほど、さかのぼる――――
結婚して5年、金原夫妻には悩みがあった。
夫妻は応京大で知りあい、5年ほど付き合ったのちに結婚、奥さんの美也子は専業主婦、旦那さんの克彦は一流商社に勤めるエリートサラリーマン。港区の高級マンションに家を構え、誰もが羨む順風満帆の人生を満喫していた。ただ、子供ができない事を除いて……。
その日、克彦はイタリアンレストランを予約し、夫婦で訪れた。
スプマンテで乾杯したが……美也子は浮かない顔をしている。
産婦人科で不妊検査の結果を聞いてきたはずなので、その関係だろう。
「で、結果はどうだったの?」
表情を見れば、結果は聞かないでも分かるが……
「……」
下を向いて、言葉を選ぶ美也子。
しかし、言葉にならない様子だ。
ここ3年、子供ができずに苦しんでいた日々を想うと、胸が痛い。
「ダメならダメで仕方ないよ。養子縁組とかもあるしさ」
克彦はサバサバとした言い方で、美也子の言葉を促す。
「ごめんなさい……私達二人ともダメなんだって」
そう言ってハンカチで涙を拭く美也子。
「……。そうか……二人とも……」
妊娠能力が男女ともに無いという結果だったらしい。
せめて片方だけでもあれば、まだ解決の方法はいろいろ考えられるが、二人とも無いという事であればもう子供を授かる事は不可能だった。
克彦も美也子もこの晩はあまり味が分からなかった。
◇
帰宅してベッドに入り、克彦はさめざめと泣く美也子を抱きしめて、頭をゆっくりと撫でた。
「養子縁組とか、話聞きに行こうか……」
克彦は声をかけたが返事はなかった。
子供が大好きで、ずっと欲しがっていた美也子に、神はなぜこんな仕打ちをするのか……
克彦は美也子をそっと撫でながら神を呪った――――
と、その時、暗闇の部屋に、いきなりまばゆい光が満ちた。
「うわぁ!」
克彦は突然の事に大声を上げる。
寝室に迸る閃光は、甲高い高周波音と共に静寂を根底から破壊した。
ただ克彦は、この閃光をなぜか脅威には感じなかった。むしろ、少年の頃によく感じていた、未知なるものへのワクワク感が心に満ちるのを感じていた。
まばゆい光はやがて落ち着き、見ると空中に、金色のドレスと羽衣を纏った美しい女性が浮いていた。
克彦も美也子も、その神々しいまでの威容に息をのむ。
観音様か女神様か分からないが、人ではない神聖な者が現れた事は良く分かった。
飛び回る多くの光の微粒子の中で、女性は克彦を見つめた。
「汝らは子が欲しいか?」
そう言って、その女性はニッコリとほほ笑んだ。
いきなり聞かれて一瞬何のことか混乱してしまったが、
「は、はい! もちろん欲しいです!!」
克彦は跳ね起きて、手を組んで答えた。
「血のつながりのない、神の子となるが良いか?」
遺伝子的には繋がりのない子だという。どういう事だろうか……
でも、養子縁組を考えていたくらいなのだから、血のつながりはもはや諦めている。
「私は構いませんが……」
そう言って、克彦は美也子の方を見る。
美也子もベッドから起き上がると、
「神の子というのはどういう子……なのでしょうか?」
「賢く、美しく、元気な世界一の可愛い子じゃ」
そういって微笑んだ。
美也子はしばらく逡巡していたが、
「ぜひ、お願いいたします。しっかりと育てますので私達に赤ちゃんを下さい」
そう言って女性を拝んだ。
「よし、任せたぞ!」
そう言うと、また激しい輝きが部屋を満たし、女性は消えていった――――
◇
2か月後、美也子は激しい吐き気に襲われた。
もしやと思って産婦人科に行くと、妊娠10週だという。
いよいよ神の子が来た。
美也子と克彦は抱き合って喜び、赤ちゃんをどう迎えるか話し合った。
「あなた、名前はどうする?」
「美しいと言っていたから、きっと女の子だよね」
「美しいなら『美』は決まりね。私の一文字だし」
「美奈子、美代子、美穂子……」
「今時『子』は流行らないわよ」
「じゃぁ、美奈、美代、美穂……」
「女神様から授かった子供だから、ヴィーナスの子で『美奈』かしら?」
「『美奈』でビナ、なるほど、いいかもしれないね」
その晩、二人は夜遅くまで語り合った。
神の子なのだから何の不安もない、珠の様な賢く美しい赤ちゃんが産まれるだろう。
◇
それから5年、4歳になった美奈は悩んでいた。
幼稚園の同級生が、子供過ぎて話にならないのだ。
読み書き算数をこなし、読書が好きな美奈に、粗暴な男子はあれこれちょっかいを出してくる。
先生に言っても、静かにしてるのは一瞬だけで、すぐにまた元に戻る。
実に憂鬱だ。
その日、静かにテーブルで絵本を読む美奈に、男子がボールをぶつけてきた。
「み~な~み~な~あっかんべ~!」
ぎゃはははは!
そう言って逃げ出す男子。
見るとお気に入りの絵本が、ボールに当たった拍子で破れてしまっている。
「信じらんない!!」
今日という今日は、堪忍袋の緒が切れた。
本を穢す者は絶対に許せない!
「おまえら~!!!」
激しい怒りをもって、美奈はテーブルを両手で思いっきり叩いた。
BANG!
次の瞬間、激しい閃光が美奈を包んだ。
巻き起こる突風、耳をつんざく高周波音、一体何が起こったのか、美奈はバランスを崩し床に転がった。
しばらくして光が収まって、目を開けると……
そこは全てが灰の世界だった。
見渡す限り全ての物の色が失われ、燃え尽きた炭の様に一面グレーになっていた。
テーブルに触れてみると……
さらさらと灰色のテーブルは細かい粒子になって崩れ、消えていってしまった。
「あぁ! なんなのこれ!?」
美奈はあまりの事に混乱した。
「せ、先生を呼ばないと……」
周りを見渡すと……先生も灰になっていた。
大好きな先生が……
「あ、あぁ……」
いったいこれは何なんだ、自分が怒りに任せて変な事をやってしまったのか……。美奈は途方に暮れてしまった。
と、次の瞬間また閃光が迸った――――
「うわぁぁ!」
思わず身をかがめる美奈。
『また変な事が起こってしまった、どうしたらいいの?』
美奈の頭の中で、グルグルと嫌なイメージが回る。
「あらあら、派手にやったわねぇ」
どこかで聞き覚えのある女性の声がする。
声の方を見ると、金色のドレスの女性が宙に浮いていた。
突然の事に声も出せずにいると、彼女は、
「まだ4歳だろ、随分と早熟だねぇ」
そう言って笑った。
「お、お姉さんは誰なんですか?」
宙を舞う不可解な女性にビビりながら、美奈は声をかける。
「おや? 私が分からないのかい?」
そう言って女性はニッコリと笑った。
琥珀色の瞳にギリシャ鼻の美しい女性……確かにどこかで見た事がある様な……
でも親戚にこんな人は居ないし……
その時、頭の中に映像がフラッシュバックした。
そう、何度も自分は彼女に会っている……でも、それは……夢の中??
美奈はそーっと女性に近づいて、ジーっと顔を見つめる……
もしかして……
「あなたは……私?」
女性はにっこりと笑うと
「なんだ、思い出したじゃない。そう、私はあなた、金星人の女神よ」
「女神……?」
「この世界は私達が作ったの、思い出して」
「私が……作った……」
「そう、今あなたは地球の生活をしてる地球人、でもその本質は女神、私の一部なの」
「え? なんで私は地球人な……の?」
女神なのに、なぜ自分は地球人などやっているのだろう、美奈は混乱した。
その混乱を見透かすように、女神はゆっくりと諭すように言った。
「女神はね、何でもできる万能な存在……でも、唯一敵がいるの」
「敵?」
「そう、恐ろしい敵……『時間』よ」
美奈は良く分からなかった。なぜ『時間』なんかが敵なんだろう……
「『時間』が敵?」
「昔、女神はたくさんいたわ、それこそ数えきれないほどね。でも、それから100万年経って……残ったのは私だけ……。みんな眠りについてしまったわ」
「え? なんでみんな眠っちゃったの?」
「『時間』よ、1000年、2000年ならみんな元気よ、でも、1万年超えだすとダメね、みんな眠り始めちゃう。そして10万年経ったら……もう誰も残ってなかった……今はそれから90万年も経ってるの」
「え? 90万年間ずっと一人なの?」
「そうよ、忘れちゃった?」
女神は寂しそうに微笑む。
美奈は考えた。90万年の孤独、誰も居ない世界……
でも、自分はパパ、ママから愛情をたっぷり受けた暮らしをしている……
孤独だったら地球に住めばいい……
「だから私が地球人なのね!」
美奈が全てを悟って言う。
「そう、あなたは新鮮な気持ちをもって、地球でワクワク、ドキドキを集めて私と共有するの。これを繰り返す事で、私は90万年元気に過ごせてきたのよ。」
女神が女神として地球に住んでは意味がないのだ。1万年ももたない。毎回リフレッシュして赤ちゃんからやり直す事で、新鮮な気持ちで地球の暮らしを満喫できるのだ。
「分かったわ! 任せて! 私はこの地球で素敵な恋をして、いっぱい冒険して、最高のドキドキをあなたに届けるわ!」
「ふふっ、任せたわよ!」
女神はニッコリと頷いた。
「あー、でも、力の使い方教えないといけないわねぇ……」
女神は、一面灰になってしまった幼稚園を見渡した。
「あ、これ、どうしたらいいの?」
美奈は申し訳なさそうに言う
「ちょっと時間を戻して、あなたを再配置するわね。力の使い方はまた夢で教えるわ」
そう言うと女神は指先を上に向けて何かを唱えた――――
◇
気が付くと、美奈は賑やかな幼稚園の中に戻っていた。
灰色ではない、いつもの幼稚園だ、安心した。
向こうの方で男子が何やら悪だくみをしているのが見える。
ボールを投げるつもりね……
気づかないふりをして絵本を持つ。
案の定ボールを投げてくるので、さり気なくかわす。
驚く男子をチラッと見て、ニヤッと笑う美奈。
この時、美奈ちゃんは力の使い方を少し思い出した。
『確かこうだったかな……』
手のひらを男子に向けて念じた。
「ひぃぃ~!!」
男子は倒れ、動かなくなった。
確かこうすると魂を一時的に『虚無』に送れたはず。かわいそうに男子は今頃『虚無』で寂しい、辛い、恐ろしい感情の波にもまれているだろう。いい気味だ。
しばらくして戻してやったら、男子は失禁してガタガタ震えていた。
これでちょっかいを出すのはやめるだろう。
私は園児、でもこの地球を作った女神なんだわ!
地球唯一にして最強、どんな願いだって叶っちゃう!
このチート能力で地球を堪能してやるんだから!
見ててね、私! 90万年の孤独を吹き飛ばしてやるわ!
美奈は両手を高く掲げ、清々しい気分でドキドキワクワクの未来を想った。
7-10.ケシカランボディ
ワインをカパカパ空けて、すっかり上機嫌になった俺。
「Hey! Come on join us! (みんなおいでよ!)」
俺はみんなに声をかけて、ワインを配る。
マーカスが神妙な顔で
「プロジェクト ハ セイコウ カナ?」
と、聞いてくるので、
「Sure! I really appreciate your contribution!(もちろん! ほんとありがとう!)」
俺はそう言って、マーカスにハグをした。
彼が作ったシアンが、結果的には隠された地球の謎を解き、神様の神様を呼び出した。それは人類史上どころか、神様史上でも最高の成果と言えるだろう。マーカスはその偉業の最大の功労者なのだ。
「ヨカッタ! オツカレサマ!」
マーカスも俺をハグしてくれた。がっしりとした筋肉の塊に抱かれて、思わず足が浮く俺。
『おわー!』
パチパチパチパチ
自然とみんなが拍手してくれる。いい仲間に囲まれて俺は幸せ者だ。思わず目頭が熱くなる。
「よし! みんなで乾杯だ! みんなお疲れ~!! Cheers!」
「Cheers!」「Cheers!」「Cheers!」
俺はワイングラスを掲げ、みんなのグラスに合わせる。
マーカスは大喜びで、
「 Yahoaaa! 」
と叫びながら、力任せにグラスをぶつけてくる。
POW!!
Ting Ting……
飛び散るワイングラス……
「マーカス……頼むよ……」
俺は、頭からワインをポタポタたらしながら、言った。
◇
懸案解決! 最高の仲間に最高のワイン! ディナへの献杯も兼ねて俺はワインを次々とお替りした。
「いやいや、今日は飲むよ~! Yahoaaa! 」
「あーあ、介抱は先輩やってよね。私は嫌よ」
「はい! 誠さんのお世話は私がやるんです」
由香ちゃんはにっこりと、嬉しそうに言う。
「あれ? 二人はもう付き合ってるんだっけ?」
美奈ちゃんがニヤニヤしながら鋭い突っ込みを入れる。
「えっ?」「えっ?」
俺は由香ちゃんと目を合わせる。
でも由香ちゃんはすぐに目を逸らし、赤くなってうつむいてしまった。
そうだった、由香ちゃんに想いをちゃんと伝えないと……
俺は覚悟を決めた。酔っぱらった勢いと言えない事もないが、言う事は決めていたのだ。
俺はグラスを置いて、由香ちゃんに跪いて向き合った。
「俺と……付き合ってください!」
俺はそう言って、目を瞑って右手を伸ばした―――――――
由香ちゃんは静かに立ち上がり、シアンをソファにおく。
『ちょっと調子に乗りすぎたかな……?』
心臓の鼓動がドクッドクッと耳に響く。
由香ちゃんは、俺の顔を両手で包むと上を向かせた。
俺は、大きく開いたブラウンの瞳に吸い込まれそうになり、頭がしびれてくる……。
そして、由香ちゃんは軽く微笑み、目を瞑ると、軽くキスをしてきた。
「よろしくお願いします……」
由香ちゃんはちょっと照れながら下を向いた。
美奈ちゃんは手を叩いて笑う。
「君たち最高だわ! あははは!」
俺は一瞬ひるんでしまったが、やられたらやり返さないと。
俺も、由香ちゃんの顔を両手で包むと前を向かせ、キスをし返した。
美奈ちゃんは今度は、
「あらら……もうお腹いっぱいだわ……」
と言ってゲンナリした顔をした。
シアンは
「らぶらぶ~! きゃははは!」 と笑い、
クリスは温かく微笑んでいる。
美奈ちゃんはニヤっと笑うと、言った。
「そうそう、先輩! 誠さんね、昨日プロポーズされたのよ」
ブフッ!
俺は思わず吹き出してしまった。
由香ちゃんの表情が、一気に険しくなった。
「ちょっと! 美奈ちゃん! 悲しい思い出を掘り起こさないでよぉ……」
ディナを見殺しにした、苦い記憶がよみがえる。
「あら、別に悲しくなんかないわよ、ほら!」
美奈ちゃんはそう言って、扇子をパチンと鳴らすと、赤と黄色の中華っぽい着物の女の子が現れた。
「うわぁ!」と、叫ぶ女の子。
その声は……ディナ!
無事だったのか!?
俺は呆然とした。
「マ、マコ様!」
ディナは俺を見つけると、駆け寄って手を握り、キラキラとした目で俺を見つめた。
隣で由香ちゃんが、黒いオーラを放っている。
「マコ様、結婚してくれるのね?」
満面の笑みで聞いてくるディナに、圧倒されながら、
「い、いや、け、結婚はできないよ」
俺は困惑しながら答えた。
すると、由香ちゃんはディナを俺から引きはがし、間に入って言った。
「私の誠さんに気安く触らないで!」
ディナを睨みつける由香ちゃん。
「あら? 22歳の人ね。私は15歳、結婚するなら、私の方がいいんじゃないかしら?」
余裕の表情で対抗するディナ。
「じゅっ、15歳!?」
絶句する由香ちゃん。
イカン! ここはちゃんと俺が仕切らないとダメだ。
「ディナ、悪いけど俺はディナとは結婚できない。今、一番大切なのはこの由香ちゃんなんだ」
そう言って由香ちゃんを引き寄せる。
「でも、結婚はしてないんですよね?」
ディナが食って掛かってくる。
「いや、まだ、ちょっと……そのぅ……」
俺がしどろもどろになっていると、美奈ちゃんが笑いながら
「あはは、しっかりしなさいよ! こうなったら、もう先輩と結婚しなさい!」と、無茶苦茶な事を言ってくる。
俺は、
「いや、何言ってんすか!? 今付き合い始めたばっかりっすよ!!!」と、反論する。
美奈ちゃんは
「あれあれ? 先輩は乗り気みたいだよ?」
そう言って、ニヤニヤしてる。
由香ちゃんを見ると、顔を真っ赤にしてうつむいている。
「え……? 乗り気……?」
俺がそう言うと美奈ちゃんは、
「何よ! このケシカランボディに何か不満でもあるの?」と、言って、また由香ちゃんの胸を揉んだ。
「きゃぁ!」
由香ちゃんは身体をよじらせて逃げる。
「またセクハラ!」
俺が指摘すると、
「で、不満あるの?」
そう言って、ギロリとこちらを見た。
「い、いや、な、無いです、最高っす……」
「よろしい!」
美奈ちゃんは満足げに微笑む。
蚊帳の外に置かれたディナが不満を漏らす。
「え~……、マコ様ぁ……」
俺はディナに聞いた。
「ディナ、そもそもなんで無事なの?」
「ん~、東の国の軍隊は、なぜか全滅しちゃったの」
首をかしげて説明するディナ。
すると、美奈ちゃんはワインをくるくる回しながら、
「あ、あれね、私が全員ぶっ潰しておいたわ」と、とんでもない事を言い出した。
「え? 美奈ちゃんがやったの!?」
「そうよ、だって誠さんったら北極で、みっともなくオイオイ泣いてるんだもの」
なぜ見てるんだこの人は……恥ずかしい……
「え? ディナのために泣いてくれてたの?」
そう言って、キラキラした瞳で俺を見るディナ。
「殺されると思ってたからね……。でもディナと結婚はできないよ」
しょんぼりするディナ。
俺は美奈ちゃんに聞く。
「軍隊に干渉しちゃいけないんじゃなかったの?」
「それは海王星人のルールよ。私には関係ないわ」
「え? そんなもんなの? 多様性は?」
「そもそも多様性って、何のためだか分かってる?」
「魅力的なオリジナリティのある文明・文化を作るためだろ?」
「そうよ、で、それは何のため?」
美奈ちゃんは意地悪な表情で、ニヤッと笑って聞いてくる。
「な、何のため……?」
俺は困惑した。そう、なぜそんな事するのか、さっぱり分からなかったのだ。
そんな俺を見て、美奈ちゃんは得意げに胸を張って言った。
「私に会うためよ」
「はぁ!?」
俺はあまりに予想外な返事に固まった。
クリスは微笑みながら満足そうに頷いている。
話を整理すると、海王星人たちは自分達の世界が仮想現実空間だと早い段階で気が付いた。そして、管理者にコンタクトを取りたかった。だが、普通に呼んでも絶対応えてくれない。なぜならメリットを提供できないからだ。そこで、管理者が出てきたくなる環境を作る事で、誘い出そうと考えた。それがオリジナリティ溢れる文明・文化だったという事だろう。そして実際、ここ、クリスの地球で美奈ちゃんを誘い出す事に、成功したというわけだ。
60万年かけて海王星人はついに管理者にコンタクトを取れたのだ。
おめでとう、クリス!
7-11.伝承の空飛ぶ宮殿
美奈ちゃんはスクっと立ち上がると
「よし! 結婚式やるぞ―――――!!!」
と高らかに宣言した。
マーカスたちも、みんな立ち上がると
「congratulations!!!(おめでとう)」「congrats!!!(おめでとう)」
と叫びながら口笛を鳴らした。
「ディナちゃんは残念でした~」
そう言って美奈ちゃんはディナを帰した。
消える直前、上目遣いに睨んでくるディナに、ちょっと申し訳なく思ったが、残念ながらディナの想いに応える事は出来ない。俺は由香ちゃんとの愛に生きるのだ。
そのうちもっといい男は見つかるだろう。頑張れディナ。
「さぁ、行くわよ!」
そう言うと、美奈ちゃんは扇子をくるりと回して、何やら唱え始めた。
俺は意識が飛んだ。
◇
気が付くと俺は、金色の花が咲き乱れる広大な花畑の中に立っていた。
『あれ? ここはどこだ?』
周りを見回すと、みんな転送されてきたようだが……、美奈ちゃんと由香ちゃんがいない。
『うーん、二人だけで何かやってんのかな……』
気持ちいいそよ風が頬をなで、遠くで小鳥のさえずりが響いている。
金色の花はネモフィラの様に広大な丘全体に咲き乱れ、太陽の光をキラキラと反射して眩しいくらいだ。
俺はゆっくりと深呼吸をした。
「あー、何だかピクニックに来たみたいだね」
クリスに話しかけると、
「…。ここは金星だな……。夢にまで見た女神の星だ……」
と、クリスはすごく感激している。
サラも笑顔で言う。
「ふふっ、素敵だわぁ……。良かったわね、クリス。ずいぶんかかっちゃったけど」
そう言えば、クリスにとっては、10万年間探し求めていた場所なのだった。
ふと、マーカスを見ると寂しそうな顔をしている……
「What's wrong?(どうしたの?)」
「ムカシ ココハ マチ ダッタ……」
「え? 来た事あるの?」
そう聞くと、マーカスは目を瞑り、大きく息を吐いて、
「Just nothing! Forget it!(何でもない)」
そう言って、向こうへ行ってしまった。
確かに向こうに流れる川の流れ方などを見ると、人工的な面影があるように見えなくもない。しかし今は一面の花畑、住んでいた人がいたとしたら、どこへ行ってしまったのか? 海王星人と同じく、みんな寝てしまったのだろうか……
そもそもマーカスは、なぜそんな事を知っているのだろう? 地球人が金星に来るなんてこと無いはずなんだが……何だろうな……
すると、どこからか高周波音が響いてきた。
Bleeeeeep!
『んー? どこから聞こえてきてるんだ?』
キョロキョロと周りを見回していると、急に暗くなった。
と、次の瞬間
Z、ZoooM!!!
と、衝撃波に近い重低音が響き渡った。
見上げると、俺は無数の煌めく宝石群に覆われていた。
『おわぁ!』
俺は驚いてしりもちをついて、口をあんぐりと開けながら上空を見る。そこには宝石だらけの巨大構造物が、覆いかぶさるように浮かんでいた。大きさは……とにかくデカい! イオンモールが何十個も入りそうな超巨大サイズである。
巨大構造物は、
Thud、Thud、Thud
と、重低音を伴いながらゆっくりと前進し……、そして、回頭し、徐々にその全容を明らかにした。
何と形容したらいいか分からないが、あえて言うなら超巨大豪華客船と言った風貌だ。街がすっぽり一つ入るサイズの豪華客船。
下半分と後ろ側は、純白の地に大小さまざまな無数の宝石が散りばめられており、まるで、真っ白の砂浜に、多量の宝石をぶちまけたような風合いをしている。宝石はルビー、サファイヤ、エメラルド、ダイヤモンドなどで、大きなものだと手のひら大はあろうかといった感じだ。
宝石たちはキラキラッ、キラキラッと閃光を放ちながら豊かな色のハーモニーを奏でている。
そして、エッジのところには純金の装飾が施されており、輪郭を綺麗に締めている。また、船首から船尾にかけても優美な円弧の金のラインが何本もあしらわれている。いわば空飛ぶ巨大宝石箱である。
上部前方は青いガラスで作られており、優美な円弧群が集まったデザインで構成され、言うならば巨大コンベンションセンターみたいな雰囲気がある。ガラスなので内部の様子が一部うかがい知れる。
内部には巨大な球体の発光体があり、また、無数の展示物の様なものが配置されており、美術館の様な印象を受ける。イオンモールがいくつも入るサイズのガラス張りの美術館、なんだかとんでもないスケールだ。
「ヴィマナ……ね、すごい!」
サラが喜んで言う。
「…。そうだ、ヴィマナだ……。伝承の空飛ぶ宮殿……本当にあったのか……」
クリスが目を見開いて感激している。
「ヴィマナ?」
俺が聞くと、
「60万年前、ある海王星人が一度だけ、乗せてもらったと記録に残っているんだ。まさか現存しているとは……」
クリスはすっかりヴィマナに心奪われているようだ。
荘厳で神懸った空飛ぶ宮殿は、圧倒的な美しさで見る者を虜にする。俺もキラキラと煌めく宝石たちの光のシャワーに、すっかり魅せられてしまった。
ぐるっと回って戻ってきたヴィマナは減速し、俺たちの頭上でゆっくりと停船した。
鳴り響いていた重低音も
POW!
という音を最後に止まり、花畑の丘には静けさが戻ってきた。
船底には幅40m位の建造物がくっついており、それが静かに降りてきた。
ヴィマナの玄関に当たるのだろう、豪奢なデカい扉と階段と金色の簡単な門が付いている。
玄関が切り離されたヴィマナは、すうっと霧のように消えて行った。
玄関が地上につくと、巻かれたカーペットが自動的にクルクルと展開され、通路ができた。
そして脇のドアから儀仗隊とおぼしき屈強な男たちが40人ほど登場し、ザッザッザと行進しながらカーペットの脇に2列に整列した。それぞれ純白で金の縁取りの制服と高い帽子を被っている。続いて、最前列の二人は、赤く細長い三角の豪奢な旗を高々と掲げ、向かい合わせになってクロスさせ、門を作った。
パーッパラッパッパー!
後方の兵隊が高らかにラッパを吹きならす。
「抜刀!」
という掛け声がかかると、儀仗兵は向かい合わせとなって幅広の剣を抜き、高々と掲げた。剣は深紅の柄で、刀身には精巧な金の装飾が施されていて実に美しい。
「ヴィーナ陛下のおなーりー!」
掛け声に合わせて豪奢で重厚な巨大な扉が、ギギギーっと音を立てながらゆっくりと開いた。
出てきたのは、先ほどよりは少しシックで、タイトな黄金のドレスに身を包んだ美奈ちゃんと……ウェディングドレスに身を包んだ女性……由香ちゃんだ!
美奈ちゃんはにこやかに俺たちに手を振りながら、軽やかに階段を降りてくる。由香ちゃんもゆっくりそれに続く。
抜刀された剣の列の間を通り、旗をくぐって二人は俺たちの前に現れた。
美奈ちゃんはゆっくりとみんなを見回し、ゆっくりうなずくと、俺を見て、
「どう? 私のお城は?」
と、ドヤ顔で微笑む。
「いや、こんな凄い宮殿は見た事もないし、想像を絶する……圧倒されたよ!」
俺が興奮気味に話すと、
「誠さんのお城は海に落ちちゃったしね!」
と言ってニヤッと笑った。
そんな所まで見てたのかこの人は……。
「いや、ちょっと……その事は……」
俺がしおしおとなっていると、
「そんな事より、何か言う事……あるんじゃないの?」
そう言って、美奈ちゃんは由香ちゃんを引き寄せる。
純白のマーメイドタイプのウェディングドレスに包まれ、花の髪飾りをした由香ちゃんは、化粧もばっちりで神懸った美しさを放っていた。
「うわぁ……」
その美貌に思わずくぎ付けとなってしまう俺。
『本当にこの娘と結婚……できるのか? 本当にいいのかな?』
由香ちゃんはちょっと恥じらいながら、俺を少し上目遣いで見る。
俺と由香ちゃんは見つめ合い、二人の世界に入っていく……
徐々に心の奥底から温かい気持ちがあふれだし、心が温かいものでいっぱいに満ちていく……
『あぁそうだ。俺はこの娘と一生を共にするんだ……』
自然と確信が湧いてきた。
捨てられるのが怖くて人を愛せなかった俺とはもう違う。心の底から由香ちゃんを信頼し、愛しているのだ。
俺は由香ちゃんの手を取り、跪いた。
そして、しっかりとブラウンの瞳を見つめ、ゆっくり、心を込めて言った。
「由香ちゃん……俺と一緒に……人生を歩んでいってください」
由香ちゃんはブラウンの瞳をキュッと見開き、左手で顔を覆った。
そして、涙が一粒、頬を伝って落ちる。
彼女は小さな絞り出すような声で、
「はい……、よろしく……お願いします」
そう言って涙をぬぐった。
俺は立ち上がり、由香ちゃんを優しくハグした。
「ありがとう、一生大切にするよ……」
マインド・カーネル上ですぐそばにいた由香ちゃん、愛の芽は最初からあったのだ。そして、シアンを試行錯誤しながら一緒に育てた日々、第三岩屋の冒険、今までの二人の時間が確実にその愛をはぐくんだ。
トラウマを超え、今、ここに愛は結晶となり、煌めきを放った。
パチパチパチパチ
パチパチパチパチ
いつの間にか儀仗隊の人たちも集まってきていて、みんなで盛大に拍手をしてくれた。
花畑を渡るそよ風が優しく俺達を包み、高く飛ぶ小鳥のさえずりが心地よく響く。
俺はこの数奇な運命に感謝をした――――
7-12.柔らかい唇
美奈ちゃんはみんなを見回して言った。
「はい! そしたら式場へ行くよ!」
いよいよ挙式という事だが、俺は江の島へ行った時のままの、アウトドアスタイルだ。
「あれ? 俺の支度は?」
俺が聞くと、
「あ、忘れてたわ……」
ナチュラルに忘れていたらしい。新郎ぞんざいに扱われ過ぎだ……。
美奈ちゃんはキョロキョロと周りを見回し、手を挙げて言った
「マゼンタ! よろしく!」
すると執事服を着た初老の紳士が、スルスルと近づいてきて、
「かしこまりました」
と、うやうやしく言った。
何と、マゼンタは美奈ちゃんの執事だったのか。金星人なら、シアンを圧倒する技術力なのも当たり前だ。
マゼンタは俺を見ると、
「おめでとうございます。手紙から感じられた由香さんの愛は成就したようですな」
そう言ってにこやかに笑った。
「その節はお世話になりました。鈍感は罪でしたが、無事結ばれました。ありがとうございます」
俺がそう言うと、マゼンタはニッコリとうなずき、目を瞑って何かを唱えた。
BOM!
軽い爆発音とともに、地球から来たメンバーの服がそれぞれ変更された。
俺は白いタキシード、みんなは黒のスーツに白いネクタイ、サラはシックな青いドレスでシアンは子供ドレス。
そつのない選択だ。さすが執事。
「じゃぁ行くわよ~!」
美奈ちゃんはみんなに声をかける。
「あれ? これで終わり?」
俺が美奈ちゃんに聞くと、
「なによ? なんか不満なの?」
「髪型とかメイクとかあるんじゃないのかなって……」
「新郎は何でもいいの!」
そう言って先頭切って歩き出した。
酷い……。俺は少しうなだれた。
◇
見回すと、小高い丘の上に小さな白いチャペルが見える。
俺は由香ちゃんの手を引いて、チャペルを目指す。
真っ青な青空にいくつか浮かぶ白い雲、時折爽やかな風が黄金の花畑を渡っていく。
風に乗ってベルガモットやマンダリン系の甘い香りが俺達を包む。
遠くから小鳥のさえずりが聞こえてくる。
あー、これが人生最高の時間なんだな。
俺は由香ちゃんを見てにっこり笑い、由香ちゃんは幸せそうに照れる。
「生まれてきてよかった!」
自然と言葉が口に出てくる。
「私も!」
俺たちは見つめ合って笑う。
「あのチャペルは金星人が昔、使っていたもの、100万年前の遺跡よ!」
美奈ちゃんは、俺達を先導しながら説明してくれる。
「100万年前!? なんだかとんでもない遺跡だね!」
「ここで結婚式を挙げたカップルは、皆最後まで添い遂げてるのよ。もし、別れる事になんてなったら、100万年の歴史に泥を塗る、重大事件になるから覚悟しなさいよ!」
「え? 重大事件?」
「そうよ、海王星に衛星落としてやるんだから!」
クリスが青い顔して言う
「陛下、それだけはご勘弁を!」
海王星が崩壊したら当然1万個全ての地球も全滅だ。シャレになってない。
「大丈夫だよな、由香ちゃん!」
ちょっと冷や汗流しながら、由香ちゃんを見る。
「当たり前じゃない!」
ちょっと膨れている。
「ふふ、誠さんと先輩なら大丈夫か」
美奈ちゃんはそう言って笑う。
チャペルの中に入ると、中から外は透明に見えるようになっていた。
外からは真っ白な壁が中からはガラスの様に透明なのだ。
金色の花畑の中に浮かんでるかのような式場、二人の門出には最高の演出だ。
金星では、100万年前からこんな素敵な遺跡が建っていたのか。
◇
さて、いよいよ挙式である。
壇上で俺が待っていると、可愛いドレス姿のシアンが、バスケットに入れた花びらを振り撒きながらバージンロードを歩いてくる。
「お花ですよ~、お花で~す!」
あー、シアンは女の子だったよなぁと、今さらながら感慨深く思う。
その後ろを、クリスと共に由香ちゃんが付いてくる。
由香ちゃんは、ちょっと緊張した面持ちで、ゆっくりと一歩一歩
儀仗隊の皆さん、会社の仲間、そしてサラと黄金のドレスの美奈ちゃんに温かく見守られながら一歩一歩……
そして最前列まで来て、俺と目が合った。
俺は微笑んでゆっくりと頷いた。
由香ちゃんはちょっと照れながら、壇上に登る。
壇上に俺と由香ちゃんが並んで立ち、クリスが間に立って開式を宣言した。
「誠さん。あなたは由香さんと結婚し、妻としようとしています。あなたは、夫としての分を果たし、常に妻を愛し、敬い、慰め、助けて、変わることなく、その健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、死が二人を分かつときまで、命の灯の続く限り、あなたの妻に対して、堅く節操を守ることを約束しますか?」
俺は由香ちゃんをじっと見つめ、
「誓います!」
「由香さん。あなたは誠さんと結婚し、夫としようとしています。あなたは、妻としての分を果たし、常に夫を愛し、敬い、慰め、助けて、変わることなく、その健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、死が二人を分かつときまで、命の灯の続く限り、あなたの夫に対して、堅く節操を守ることを約束しますか?」
由香ちゃんも俺をじっと見つめ、
「誓います……」
そこにシアンが恭しく、指輪を載せたトレーを持ってやってくる。
シアン大活躍だな。
指輪までいつの間に用意したんだ?
きっと執事だな、執事凄いな。
俺達は、お互いの薬指に指輪をはめあった。
その後、俺は両手でゆっくりと、由香ちゃんのヴェールを上げた。
由香ちゃんは、可愛いクリっとしたブラウンの瞳で、真っすぐ俺を見つめている。
愛おしさが、俺の心一杯に満ち溢れた。
そして、ゆっくりと由香ちゃんに近づいていくと、由香ちゃんは目を閉じた。
唇をそっと重ねる――――
俺は、その温かく柔らかい唇に魅了され、地に足がつかない、ふわふわとした感覚に捕らわれた。そして、この上ない幸せに、二人が包まれていくのを感じていた。
「congratulations!!!(おめでとう)」「congrats!!!(おめでとう)」「congratulations!!!(おめでとう)」
「らぶらぶ~ きゃははは!」
「誠さーん、おめでとう!」
みんなから声が上がる。
そして、クリスが結婚の成立を宣言した。
ジャーン♪ ジャージャ♪ ジャン♪ ジャン♪ ジャン♪ ジャン♪
後方で儀仗隊の皆さんが、ブラスバンドでお祝いの曲を奏でてくれている。
これからは二人で一つなのだ。嬉しい事は二人分、悲しい事は半分、俺は今、人間として完成した事を、由香ちゃんに、そして参列してくれたみんなに、心から感謝をした。
生演奏とみんなの拍手の中、俺は由香ちゃんと見つめあい、これから始まる二人の人生に思いをはせた。
神様と、神様の神様に祝福された贅沢な結婚式で、俺達は正式に夫婦となった。
ついさっき告白したばかりなのに、とは思うが後悔などない。
「地球に帰ったら、もう一度挙げないとね」
「ふふ、二回もできるなんて得した気分、でもこんな素敵な場所での挙式は地球じゃ無理だわ。ここは最高!」
由香ちゃんは感動で涙目である。
俺たちは見つめ合い、もう一度キスをした。
7-13.ヴィーナシアンの花嫁
そんなラブラブな俺達にあてられたのか、美奈ちゃんが言った。
「いいわねぇ、私も結婚したいな~!」
それを聞いたマーカスは、美奈ちゃんにそっと近寄ると、ヒョイっと持ち上げてお姫様抱っこをした。
「うわぁぁ!」
美奈ちゃんが驚いて声を上げる。
『え? ちょっとマーカス何やってんの!?』
金星人持ち上げるのはさすがにマズいだろう。
俺が青くなっていると、マーカスは笑顔で美奈ちゃんをじっと見ながら言った。
「Will you marry me?(僕と結婚してくれるかい?)」
いきなりのプロポーズである。
みんないきなりの出来事に唖然としている。
美奈ちゃんは最初は何が起こったのか、気が動転していたようだったが
「ちょっと! 降ろしなさいよ!」 そう言って、扇子をくるくるっと回す。
が……何も起こらない。
焦る美奈ちゃんを、微笑みながら真っすぐ見つめるマーカス。
美奈ちゃんは今度は扇子を少し開いて、パチンと音を立てて閉じた。
でも、何も起こらない。
「え? なんで???」
美奈ちゃんは、驚いてマーカスを見る。
執事も儀仗隊の皆さんも、一体何が起こったのかと驚き、成り行きを見つめている。彼らの知る限り、理論上最強の美奈ちゃんのイマジナリーが、キャンセルされた事など、今まで一度もなかったのだ。
マーカスは依然として余裕の微笑みで、美奈ちゃんをじっと見つめる……。
そしてゆっくりと言った。
「I am a Mercury, the manager of Venus.(私は水星人、金星を管理する管理者だ。)」
『はぁ!?』
その場のみんなが凍り付く。
「Take a look!(見てごらん)」
そう言ってマーカスは透明な壁の方へ移動すると、いきなり激しい波しぶきが、チャペルの向こう側からぶつかってきた。
「うわぁ!」
驚く美奈ちゃん。
「Don't worry.(大丈夫) 」
そう言って、マーカスは優しく美奈ちゃんに微笑んだ。
チャペル全体が波に洗われ、徐々に水没していく。
一体何が起こっているのか、俺たちは唖然としながら推移を見守った。
波しぶきが去っていくと、チャペルはサンゴ礁の海の中にいた。
鮮やかな熱帯魚たちがチャペルの周りを包む。
全面透明なチャペルは、まるでダイビングをしている時のように、海中をぐるりと見渡せる。
上には青い海水越しに燦燦と輝く太陽があり、波で陽射しが揺らめいていて心地よい。
「もしかして……ここは水星なのかな?」
ひそひそ声で、由香ちゃんが俺に聞いてくる。
「そう……みたいだよね。僕たちの地球から見た水星は、灼熱で水のない星だけど、マーカスの水星は水の星なのかもしれないね」
チャペルは徐々に沖の方へ移動し、海中深く潜っていく。
すると、10mはあろうかという巨大なエイがやってきて、チャペルの上で一回転をし、チャペル内にどよめきが起きた。まるで俺たちを歓迎してるみたいだ。
続いて2mはあろうかという細長い魚、バラクーダの群れがやってきてチャペルを包んだ。1000匹以上いるのではないだろうか、チャペルは異様な雰囲気に包まれる。
「あはは、すごいわね!」
美奈ちゃんは喜んでいるようだ。
そんな美奈ちゃんを、優しく見つめるマーカス。
チャペルはさらに沖に行く。
すでに深度は100mはありそうだ、もはや暗闇である。
すると向こうの方から、ぼんやりと明かりが近づいてきた。
PING!
いきなり大きな音がチャペルに響く。
みんなに緊張が走る。
「え? なんなのこれ?」
由香ちゃんが聞いてくる。
「これは……潜水艦の探信音……じゃないかな?」
「じゃぁ、あの明かりは潜水艦かしら?」
「うーん、そうかも知れないね……」
明かりは徐々に近づきながら、チャペルのそばをゆっくりと移動していく。
目を凝らしてよく見ると、なんとそれは、高層ビル群だった。
いきなり海中から現れたのは、ガラスで覆われた巨大な潜水都市だったのである。
そこには高層ビル群があり、宮殿があり、庭園があり、森があり、森の上には雲すらかかっていた。
俺たちは唖然とした。なぜ、海中に都市があるのか? それも潜水艦の様に動き回るとはどういうことなのか……。
マーカスは
「It's 『Heracleion』, my home town!(ここが僕の故郷『ヘラクレイオン』さ)」
そう言って、得意げに美奈ちゃんに紹介した。
美奈ちゃんは大きく目を見開きながら言った、
「Incredible!(すごい!)」
金星人もビックリですよ。
チャペルがさらにヘラクレイオンに近づいていくと、全貌が見え始めた。
高層ビル群には明かりが灯り、多くの人が活動しているみたいだ。
宮殿は3階建ての豪奢な建物で、水色の壁面が印象的。ちょうど大きな白い鳥の群れが宮殿の上空を飛んでいるのが見える。
美しく、文化豊かで機能的に見える都市だ。ただ、なぜそれを潜水艦の中に作ったのだろうか?
水星人の考えることは、よくわからない。
マーカスが優しい笑顔で言う。
「Why don't we live together in this palace?(この宮殿で一緒に暮らそうよ)」
美奈ちゃんは、マーカスの目をじっと見つめる。
マーカスもじっと見つめ返す。
二人の世界が展開される。
神様の神様と、そのさらに神様の、神話に出てくるようなシーンだ。俺たちは静かに見守る。
やがて美奈ちゃんは笑顔となり、マーカスの首に両手を回した。
そして、マーカスにキスをした。
熱く情熱的なキスだった。
やがて離れ、美奈ちゃんはマーカスの目をじっと見て言った、
「Of course, YES!(もちろん、いいわ!)」
「うおぉぉぉ!」「キャ──────!!」「congratulations!!!(おめでとう)」「congrats!!!(おめでとう)」
ジャーン♪ ジャージャ♪ ジャン♪ ジャン♪ ジャン♪ ジャン♪
儀仗隊の皆さんによる祝いの演奏が、高らかに始まった。
なんだよ、おめでたい事が連鎖してしまった。
すると、100人くらいの人魚が現れてチャペルを囲んだ。みんなこちらに手を振っている。
そしてシンクロナイズド・スイミングの様なダンスを始めた。
「わー! 素敵!」
由香ちゃんが思わず声を上げ、キラキラした瞳でダンスを楽しむ。
人魚たちのダンスは整然として、でも情熱的で、祝福の温かい想いが伝わってくるようだ。
見とれていた由香ちゃんが、いきなりポンと手を叩いて言った。
「分かった! これって竜宮城なのね!」
「竜宮城?」
「海中に宮殿があって、『タイやヒラメの舞い踊り』なんでしょ?」
「あー、言われたら同じニュアンスだね」
「って事は……」
「地球に帰ったら100年くらい経ってるって事……?」
「それは……困るわ……」
思わず青くなる由香ちゃん。
すると、横で聞いていたマーカスが笑って言った。
「ダイジョブ! スキナ ジダイニ オクッテ アゲル!」
好きな時代って……過去でも未来でもって事……? なんだよね?
さすが水星人、とんでもない技術力だ。
「えっ、そしたら織田信長の時代に……」
と、とんでもない事を言い出す由香ちゃん。いくら歴女でもそれはない。
「ダメ! ダメダメ! 戦国時代で新婚生活は無理!」
俺は必死に否定する。
マーカスも美奈ちゃんも、そんなやり取りを見て笑っている。
「えー、新婚旅行に安土城とか、最高だと思ったのに……」
残念がる由香ちゃんだが、例え旅行でも現代人が戦国時代をフラフラしてたら、簡単に殺されちゃう。やっぱり現代がいいよ。
◇
それにしても、この仮想現実空間の入れ子の連鎖は、どうなっているのか?
マーカスが金星の管理者って事は、金星で見聞きしたものは全て、水星の上にあるコンピューターが作ってる仮想現実の産物、という事になる。
金星の存在にすら驚かされたのに、まだ先があったのか……
世界は
水星
↓
金星
↓
海王星
↓
地球
と、入れ子構造になって創造され、管理されてきたという事らしい。
つまり150万年ほど前に作られた水星上のコンピューターで作られたのが金星。
そして100万年ほど前に金星上のコンピューターで作られたのが海王星。
さらに60万年ほど前に海王星上で作られたのが地球……
なぜ、こんな事になってしまっているのか……。
地球から見たらマーカスは神様の神様の神様……すごく偉い。
そんな偉い超神様が、うちの地球でエンジニアやってるとは、想像もしなかった。
「なぜ地球に来たの?」
俺はマーカスに聞いてみる。
「ミナチャン ニ アウ タメ」
そう言って笑う。
「Really? (本当?)」
美奈ちゃんは、マーカスの腕の中でそう言って、嬉しそうに笑い、マーカスに軽くキスをする。
「ソレト カセイジン ト ハナス チャンス ホシイネ」
『火星人!?』
水星が終わりではなく、さらに上があるらしい。
マーカスによると、こうやってお祭り騒ぎをすると、見てくれるらしいのだ。仮想現実空間は無限に作れる訳ではない。動かすエネルギーの総量は決まっているので、その割り振りを上位階層の人に認めてもらう事が、死活問題だそうだ。
エネルギーを割り振るメリットがある、と思ってもらえないと、いつの間にか消されてしまうらしい。
なるほど、それは深刻だ。
それにしても火星人か……。どこでどうやって、見ているのだろうか……。
いや……、ちょっと待てよ――――
俺は、何かが心に引っかかった。
火星人は……Martianだったよな? Martian……。
マーティンはMartin……まさか……
俺はそーっとマーティンを見ると……こっち見てウィンクしてる!
『え!? まさか、本当に?』
マーティンが指をパチンと鳴らすと、たくさんの光る花びらが宙から降り注ぎ、俺達を包んだ。
水星でイマジナリーを使えるのは、水星以上の階層の神様だけ。
という事はやはりマーティンは火星人の神様!?
冴えない、赤毛がボサボサのハッカーが、少なくとも100兆人(100000000000000人)規模の、膨大な人たちの頂点に立つ神様だったとは……。きっと彼の指先一つで、100兆人をこの世から瞬時に消し去る事も可能だろう。
とんでもない、神様の神様の神様の神様がこんな身近にいたとは、全く想像もできなかった。
マーカス、君の友人が、君の探し求めてる火星人だったよ……。うちのチームに神様が4柱もいたよ……。
圧倒されてる俺の隣で、由香ちゃんが無邪気に喜ぶ。
「うわぁ、綺麗!」
真紅、クリーム、オレンジの薄い花びらの嵐が、光を纏いながら俺達を包み、チャペルの中は芳醇なダマスクローズの香りに満ちた。
儀仗隊の演奏も最高潮に達している。
マーカスはなぜ花びらが舞っているのか分からず、上を向いて困惑した表情を浮かべ、マーティンは、そっと唇のところに人差し指を立て、俺にウィンクした。『秘密だよ』って事だろう。マーカスが鈍いのか、マーティンが巧みなのか……。
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