ニコチンとタールですっきりしたルーシは、教員室へ向かう。MIH学園は一応クラス制で、まずはクラスメートに顔見せしなくてはならないから、担任へ会いに行こうとしているのだ。
「失礼します。ルーシ・レイノルズです」
教員室はコーヒーのニオイが漂っていた。どうやら彼らは激務らしい。
「ルーシ……ルーシか!! あのクールの娘なんだよな!?」
そうきさくに話しかけてきたのは、ルーシ以上に低身長な女教師だった。しかも美人である。
「ええ、そうですよ」
「アイツには手を焼かれてばかりでな! まあアイツの妹のキャメルは優等生なんだけどよ! さて、キミはどっちだ? もう耳を引きちぎったらしいけど?」
──もうチクったのか。根性のねェヤツらだ。
「さァ。ワタシはそんなこと一切してませんけどね」
「そっかそっか! なら良いんだ! いまMIHは厳しくてよ! 暴力で停学とかになるからさ! 昔はそういうのなかったんだけどな! んで……アタシがキミの担任だ! なんか困ったらいつでもいってこい! てか、まずは顔見せだな!」
──随分元気な先生だな。クールのときも先生していたのなら、実年齢はだいぶ高いはずだが、妙に若々しい。二〇代でも充分通用するレベルだ。
「これがキミの学生証だ! 名前のスペルも間違ってないよな?」
「ええ、大丈夫です」
「なら教室行こうか! ランクAが六年飛び級で入ってきたとなれば、アイツら驚くだろうな~!」
すごく楽しそうである。若々しく見えるのは性格も関係しているのかもしれない。
ルーシと担任は一緒に歩く。
「クールは元気か? キミの入学んときに来たらしいけど、アイツアタシに顔出さずに帰りやがった! あんだけかばってやったのによ~!」
「ええ、元気ですよ。でも、お世話になった人と会わずに帰るとはいただけませんね。今度呼び出しましょうか?」
「おう! 頼むぜ!」
そんななか、ルーシは見覚えのある女生徒を目に捉える。
一〇歳のルーシと変わらない程度の身長、貧相な身体つき、明るい茶髪、整った顔立ち、実はルーシより貧乳。
「おお! キャメルじゃねえか! この子のこと知ってるよな!?」
「……あっ!! 知ってますよ!! ルーシちゃん!! 入ってきたんだね!!」
キャメル・レイノルズ。クールと歳の離れた兄妹で、このMIH学園の主席であり、名目上ルーシと親戚である。
「ええ、やはり学校へ通うのは大事だと感じまして」
「よっしゃ、家族同士すこし話しな! 教室のデータ渡しておくからよ!」
担任は紙……ではなくタブレットを渡してきた。こういったところも「近未来異世界」らしい。
「ありがとうございます。では」
ルーシとキャメルはふたりきりになる。別に話したいことなんてないルーシは、とりあえず彼女の出方を伺う。
「ルーシちゃんさ、ランクはなんだった?」
「Aでしたよ」
ランク。MIH学園においてもっとも重要な評定基準である。計測は簡単。この国ロスト・エンジェルスでは、いや、この世界では魔術というものが発展しているわけだが、要するにそれの実力を計るのだ。
「ランクA!?」
「そういわれたんですけどね」
「え、えっと。この前はじめて会ったとき、ワタシがいったこと覚えてる?」
「ランクAはいまのところ五人しかいないと?」
「そうなんだよね。当然ワタシもそこへいるんだけど……やっぱりルーシちゃんはお兄様の娘だね。一〇歳でランクAになる子なんて聞いたことないもん」
──まァ、学園の上層部が持つ書類では、オレはランクSなんだがな。
「て、ことはさ。飛び級なのかな?」
「ええ、六年飛び級です。キャメルお姉ちゃんと一緒の高等部ですよ」
「……色々と異例まみれだね。でも、ひとついっておきたいことがあるんだ」
「なんですか?」ルーシはすこし頭をかしげる。
「ワタシの派閥に入らない?」
派閥。聞いたことはあるが、学校にそんなものがあるのかは知らなかった。しかし、キャメルがそういうのならば、きっと学生同士でも政治があるのだろう。
「派閥、ってなんですか?」
「えっとね、MIH学園っていじめとかひどいじゃない? だからワタシたちみたいな実力のある生徒がさ、そういういじめられる子を守るために設立したものなんだ。いじめられるほうにも原因があるとかいうけど、この学校でそういう扱いを受けるのは、たいていは魔術の才能がないからで、勉強とか部活を頑張ってる子も多いしさ。そんな子たちを守ろうとしてるんだ」
──随分とは早口だな。なにか後ろめたいことでもあるのか?
「と、いうことは、他にも派閥があるんですか?」
「あるよ。主に五大派閥って呼ばれるヤツが有名だね。でもそれ以外にも、有力な生徒は派閥を作ってるたい」
「なるほど。キャメルお姉ちゃんの派閥に入りたいのは山々なんですが、すこし考えさせてもらって良いですか?」
「良いよ~。ルーシちゃんの自由だからね」
おそらく、キャメルは派閥のメンバーには困っていない、有力な生徒が集まっているのだろう。キャメルは一学年にして一〇〇〇〇人の頂点に君臨した少女だ。人ならばいくらでも集まる。
しかし、キャメルの思惑はともかく、優秀な生徒は傘下においておきたいのだろう。仮に後ろめたいことをしていても、仮に正しいことをしていても。
「じゃ、ワタシは顔見せをしてこなくてはいけないので、ここで失礼します。また連絡しますね」
「うん! MIH学園を楽しんでね!」
キャメルが悠々と去っていくのを確認し、ルーシはタブレットどおりに道を進んでいく。
古めかしい校舎だったが、中身は近未来そのものだ。壁紙の代わりにディスプレイが置かれており、しかも前世における有機ELより美しい。なのに提示してある情報は陳腐なものである。いじめをやめましょうとか、暴力を振るった生徒は停学処分だとか……はっきりいって意味がない。意味を成していない。
「実力主義ってのはわかったが……陰謀ってのがよくわからんな」
派閥というものは、ルーシが考える限り、所詮学生の政治ごっこである。MIH学園のトップにいるのが女子で二学年のキャメルなのが気に食わない連中もいるだろうが、それはひっくり返す余地のない話しだ。キャメルは名門中の名門レイノルズ家の子ども。無理なものは無理なのだ。
「ま……入ってみてわかることもあるだろう。せいぜいオレを楽しませてくれよ? 一〇〇億円の価値があるようにな」
そう日本語でつぶやき、ルーシは教室の横開きドアを開ける。
クラスは和気あいあいとしていた。学生らしいといえば学生らしい。
──金のあるクソガキは、オレを使って良い思いしていたんだな。ボンボンってのはどうしても気に入らねェ。オレみてェな無法者はいつも金持ちを喜ばしてばかりだ。
と、思っていると、担任が大声を張り上げ、クラスを落ち着かせた。
「よっしゃおめえら!! 新入生だ!! 六学年飛び級で高等部へ来た、現首席キャメルの親戚!! そして伝説であるクール・レイノルズの娘!! ルーシ・レイノルズだぁ!!」
クラスは騒然となった。たいしてルーシは冷めていた。こんなものだ。なにせ、もういじめの痕跡を二~三個ほど見つけてしまったのだから。
「ルーシ、自己紹介だ!!」
「はい。ルーシ・レイノルズです。先生がいったように、ワタシは父にクールを持ち、叔母にキャメルを持ちます。ですが、皆様とぜひとも仲良くしたいと思っております。よろしくお願いいたします」
嫌味がなさそうで嫌味があるな、とでも思われただろう。ルーシは一〇歳だ。一〇歳児ならば一〇歳児らしく天真爛漫な性格風に行ったほうが良いし、最初に担任が話したとはいえ、わざわざクールとキャメルの名前を出し、それでいて自分が上であるといわんばかりに仲良くしたいと。
しかし、別に高校一年生と仲良くする義理なんてないのも事実だ。ルーシは異世界人の一八歳。しかももともとの性別は男。それが別の世界の高校生とお友だちになれるわけがないのだ。
だから、教室の評価は真っ二つに割れた。こちらまで聞こえるように陰口を叩き、挙句の果てには「やっちまおう」という声すら聞こえる。それが大多数である。
だが、目をキラキラさせる少女も確かにいた。
──獣娘? どれだけアニメみてェな世界観なんだよ。こりゃオタク野郎が転生したら、大喜びだろうな。
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