ロスト・エンジェルス連邦共和国。移民を積極的に受け入れ、その文化は多種多様だ。いや、誰かが持ってきたとされる文化が、そのまま根付いているともいえる。
文化。そのなかには当然、スポーツも含まれる。そして当然、LA最高峰の学園であるMIH学園には、これでもかといわんばかりに運動部がある。
「三番、ショート。メント」
メントは野球部へ所属している。女子野球部だ。最近、少しずつではあるが、女子野球も認められつつある。草野球チームができたり、部を設ける学校ができたり……。一応プロリーグもあるが、正直メントほどの実力があれば、月収一〇〇〇メニーの仕事に就く理由もない。なので、これはあくまでも趣味の範囲内だ。
「あれがメントってヤツか……。男子でも通用するんじゃねえの? アウトローぎりぎりをあっさりホームランにしやがった。しかも球速は一三〇キロくらいだぞ? 文武両道ってヤツだな」
そんな学校設立野球場を通りかかったふたりの少年と少女は、メントの打球がスタンド最上段へ吸い込まれていったのを眺めていた。
「すごい人なんだね。この前遊んだけど」少年は他人事だ。
「最近おまえすこし変だぞ? 感情の波が妙に低い。心療内科行ったほうが良いんじゃねえの?」
「普段どおりでしょ。だいたい、心療内科なんてよくわかんないし」
「まあアタシもよくは知らんけど……なんかの病気みたいで心配なんだ」
「人間なんだから、テンションの低いときと高いときくらいあるよ。そうでしょ?」
「そうなんだけどさ……」
少女は不安を拭いきれていなかった。この少年、高校一年生のときからの付き合いだが、最近ゲームやライトノベル、アニメなどに興味を示さなくなった。すこし前までやかましいくらいにそういった「ナード」系の話しをしてきたのに。
「アーク、本当に大丈夫か?」
「だから大丈夫だって。そこまでいわれるほどおかしいの?」
「今季アニメの話しとかしねえじゃん」
「アニメは見てるけど、話す理由がないんだよ」
「今季のアニメ全部見てそれをブログにあげてた人間のいうことではないんじゃねえの?」
「まぁそうかもしれないけどさ。でも、アロマはそういう話しあんまり興味ないでしょ? どっちかっていうとゲーム派じゃん」
アロマはますますいぶかる。ならばゲームの話しでもすれば良いのに。典型的なまでに、得意な分野になると饒舌になるアークはどこへ行ったのだろうか。
「つか、最近ゲーム部にも顔出さないじゃねえか。みんなおまえを待ってるんだぞ? アタシもそうだし」
「まぁね。でも、いまはただなにもしたくないんだ。学校が終わるとずっと天井を見つめてる。別に落ち込んでるわけでもないし、心療内科に行かなきゃいけないほど追い詰められてるんなら、とうの昔に行ってる。なんか、天井見ながらなにも考えないのが楽しいんだよ」
それこそなんらかの病気である。意欲の減退だろうか。ここは無理やりにでも病院へ連れて行ったほうが良い気もする。
「なあ……やっぱ病院行くべ? 金がないんなら出してやるから」
「ボクは超富裕層だよ? 国からとんでもない金搾り取られてるアロマよりお金なら持ってる。むしろ国からお金もらってるくらいだからね。だから、そういう話しじゃないんだ」
「けどよお……おまえやっぱおかしいぞ? 原因がなんなのかはわかんねえけど、ここ二~三日様子が変だ。自覚あるか?」
「あるといえばあるし、理由もわかる。心配無用だよ」
「アタシに話せねえ理由があんのか?」
「どんな人にも話せないことはあるでしょ」
そんなわけで平行線である。アークはうつのような状態を自分でもわかっていて、理由もわかるらしい。だが、それをアロマへ伝えないのは変な話しだ。なにか変わったことがあれば、性別こそ違えど、親友にはいうはずなのに。
そういぶかんでいると、目の前に女子の大群がいることにアロマはようやく気がつく。
「……滑稽だな。群れねえとなんもできねえの?」
「中心にいる子を見ればわかるんじゃない? 群れてるってよりは、ひとりでいたいときも誰かが近くにいる状況に見えるし」
アロマはアークの言葉を聞き、中心に立つ背丈の低い女子を見る。
「おお、あの偽善者じゃん」
アロマの毒しかない言葉を聞いても、アークは特にとがめなかった。
この状況からしておかしいのだ。アークはアロマの毒気を嫌う。いや、人の毒を嫌う。そういった言葉を聞いたとき、アークはそれとなく注意するのに、この二~三日はそれも放棄している。
「ちょっとキャメルに会ってくるよ」
「……あ?」
「幼なじみだしね。毛嫌いすることもないでしょ」
「いやいやいや、アーク……。おまえ、昔あの女と揉めに揉めたじゃねえか。良いの?」
「昔のことをほじくり返してくるような器の小さい人でもないよ、キャメルは。すくなくとも、派閥メンバーの前じゃ普通に振る舞うと思うし」
そういったときには、アークは女子の群れへ向かっていた。
アロマは、
「あーあー……もう知ーらねえと」
そうつぶやいて戦争になる前にさりげなく立ち去ることとした。
「やあ、キャメル」
キャメル・レイノルズは、最初こそ下手なナンパだと思っていたが、目の前にいるのが紛れもない幼なじみだと知れば、目の色を変えた。
「……あ、アーク?」
「そうだよ。こうやって話すの久しぶりだね」
キャメルの派閥──フランマ・シスターズは、臨戦態勢となった。キャメルとアークの間になにが起きたのかは知らないが、ふたりの仲が悪いのはもはや公然的だ。
「キャメルちゃん……ここは」
「いや……大丈夫。みんな先に行ってて」
彼女たちはいまにもツバでも吐きかけそうな態度で、アークの横を過ぎ去る。
「相変わらずだね。仰々しくてさ」
「……一体なんの用かしら? 要件によっては、ワタシも慈悲を与えるつもりなんてないけど」
「赤ちゃんのころから一緒にいる子と話すのに理由がいるの? それじゃ寂しいね」
「……アナタ、本当にアーク?」
「本当ってなに?」アークは空を見上げるような、いってしまえば関心がないような目つきで、「本当もなにもないよ。人間にさ、本当なんてあったらおもしろくないじゃん?」
キャメルは直感的な感覚で、目の前にいるのは彼女の知るアーク・ロイヤルでないことを悟る。彼はなにかを失った。いや、なにかを手にした。なにかを得てしまったがゆえに、人格さえも不安定になっている……と推察する。
「そうかもしれないわね。けれど、そんなことをいうアナタなんて誰も見たくないわ」
「うん、ボクも見たくなかった。あんなに強かったキャメルが、あんなに普通な女の子みたいにボクへすがってくる姿は」
「……あれは──」
「クールくんのことが好きなんでしょ? いや、クールくんみたいな役割をボクに求めてるんでしょ? 強くて偉大なお兄ちゃんを。でもさ、キャメルはもっと考えたほうが良いよ? クールくんみたいな人なんていないってことを。あの人は強すぎる。そうは思わない?」
「……くだらない説教でもしに来たのかしら? 幼なじみと世間話をするわけでなく」
「いいや、ボクにも余裕が生まれたってことさ。あのとき、ボクはキャメルのいってることの意味がわかんなかった。なんであんなにボクを求めるのかもわかんなかった。キャメルはボクなんかよりもかっこよくて強い人をたくさん知ってると思ってたから」
「……そうね」キャメルもまた喫煙でもするように宙を見上げながら、「子どもの考えることに正解はないってところかしら。ワタシもすこし余裕が生まれたのよ。ある親戚と会ってね」
キャメルの脳裏には、あの銀髪で青い目をした少女が焼き付いている。到底一〇歳児とは思えない、自らを一〇歳だとうそぶいているような幼女が。
「いまだって子どもじゃん」
「……ねえ、ワタシとやり合いたいの?」
「別に良いけど」あっさりといい放ち、「さっき、野球をなんとなく眺めてたんだ。あれのルールはよくわかんないけど、サッカーより点が入りやすいことくらいはわかる。だから、一〇点差で負けてた試合が三点差くらいまでうまるんじゃないかな?」
「あら、随分と自分を高く見積もるのね。自信過剰は自分を滅ぼすわよ?」
キャメルはこの学校の主席だ。それが三点差まで詰め寄られたら、プロリーグでMVP級の活躍をする選手としては恥なんて次元ではない。キャメルは負けてならないのだ。負けることが許されないのだ。
「どーだろうね。率直に思ったこといっただけだけどさ」
「……勝機があるのか、正気じゃないのか、ここで証明してあげようかしら?」
「相変わらず短気だね。キャメルに良い男の子がやってこないのはさ、そういう性格だって起因になってると思うよ?」
「だから?」キャメルの語気は強い。
一触即発の雰囲気だ。キャメルはすでにアークと闘う覚悟は決まっているし、アークも表情には出さないが、こういった煽りを入れる時点で彼のなかでもなにかが決まっているのだろう。
そんな雰囲気のなかでも、空気の読めない人間は平然と割り込んでくる。
「よお、いつぞやのカマ野郎じゃねえか。あんとき表情筋死んでたけど、いまも死んでるな。なんか嫌なことでもあった?」
メントである。ユニフォームを着ていて、その白い戦闘服は泥やら砂ホコリやらで汚れきっている。
「……格下が割り込んできて、なんの用かしら? ワタシは苛立っているのよ?」
「知らねえよ。ただ知り合いがいたから話しかけただけだ。コミュニケーション能力が大事だからよ。つか、そうやってカリカリしてるから身長もおっぱいもちっちゃいんだ。主席さん」
「……おっぱいがちいさいのはお互い様だと思う」
「あ?」
「あ?」
キャメルとメントの地雷は踏み込まれた。
アークは正気に戻ったかのように、
「……ごめん。ちょっと思ったことをいっちゃっただけなんだ。別に他意はないよ。ボクだって身長低いしね」
適切なのかわからないフォローを入れる。
「思ったこと、だあ!? てめえアタシがどんだけ牛乳を飲んでマッサージをしてると──」
「……ようやくいつもどおりのアークのようね」
メントがコミカルな怒りを発揮しているとき、キャメルはどこか安堵の表情を浮かべていた。
「そうみたい。さっきアロマにもいわれたけど、ちょっと心療内科行ってみるよ。なんか最近変なんだ。すぐ人を傷つけるようなこといっちゃう」
「……そうしなさい。ワタシだってアナタを潰したくはないわ」
「うん、ごめんね。じゃ、また」
アークは携帯を取り出し、おそらく病院へ電話をかけながらキャメルたちの元を去っていった。
「へえ。あんなのが好みなんだ」
「……アークと闘う気は失せた。けれど、アナタと闘う気は起きたわ」
「怖えな。やっぱカルシウム足りてねえよおめえ。短気は損気っていうじゃん?」
「極めて正当な苛立ちだと思うけれど?」
「そうか? 勝手にブチ切れて勝手に苛立って勝手に人のことボコそうとしてるだけだろ。アタシだってバカじゃねえから、主席に挑むつもりはねえ。だから、じゃあな」
MIH学園の守備がはじまったことを知ったメントは、足早に去っていった。
「……まったく、ドイツもコイツも」
──短気が損気? この性格の所為で損してる? お兄様の面影をアークへ求めてる? なにをいいたいのかさっぱりだわ。これはなんの夢かしらね? 夢でないのなら……やっぱりドイツもコイツもムカつくわ。生理ってわけでもないのに。
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