身長わずか一五〇センチ。幼い顔。サラサラした銀髪。青い目。張りのある肌。当然邪魔なひげもムダ毛も生えてこない、至って普通の一〇歳の幼女。
そんな幼女ルーシは、クールというナイスガイであり姉弟分である男の持ってきた教科書を読みながら、天使──ただしアル中でアホでポンコツでピンク色の髪の毛をした女ヘーラーの奇妙な踊りの中心部にいた。
「アニキ、あれいったいどういうことなんです?」
「さっぱりわかんねェ……。つか、ダンスのキレが悪いな。実年齢二五歳とかいってたし、これが限界か」
ルーシは気にすることなく教科書を読みすすめる。理由は単純。この世界の住民であるクールへ「裏金入学」を聞いてみた結果、それは基本的には推薦入学と変わりがなく、学力試験も科せられるらしいからだ。
ついでにクールの母校を聞いてみると、「メイド・イン・ヘブン学園」という学校へ高等部と大学部に在籍していたらしい。急速的な成長を続ける彼らの国「ロスト・エンジェルス」随一の名門校であり、その歴史は一〇〇年。現在の指導者のもと緩やかな共産主義経済に移行する前から、存在していたらしい。
「調べりゃわかるもんだな。たまには勉強も悪くねェ」
「る、ルーシさ~ん……さ、さすがに疲れてきたんですけれど……」
「世界で一番うめェ酒が飲みたいんだろ? だったらオレの身体に魔力を開発すべきだ。ちゃんと交換条件は与えたんだから、サボったりミスしたら承知しねェぞ?」
「ヘーラーにはわかる……こんな妹はいないって……。天使を酒で釣るような一〇歳の妹はいないって……神なんて最初からいなかったんだ!!」
天使がそんなこといっていいのかよ。粛清されるんじゃねェのかコイツ。
とはいえ……。
「よーしよーし。なにやら身体に異物が入ってきた気がするぞ。あと一時間頑張りな」
「は、は~い……」
数多の薬物を使ってきた生前のルーシですら知り得ない感覚。超能力者として様々な問題に直撃し、そのたびに身体へなにか新しいものが流れ込んできたこともあったが、それとも違う感覚。これが魔力である。
*
「あー、昔の相棒が勉強は息抜きだっていっていた理由がわかってきたぜ。小学校中退のオレでも、案外なんとかなるかもな」
「……そ、それはよかったです。けれども……世界で一番おいしいお酒は本当にあるんですか?」
ヘーラーは熱病でも出したかのように、その場に寝っ転がって動けなくなった。
「ああ、あくまで主観になってしまうが、オレはあれが一番だと思う。ちょっと待っていろ」
ルーシは個室から出ていき、表のバーに向かう。しかし客として飲むわけではない。CEO特権で、裏側にある多数の酒を持ってくるだけだ。
「一応頑張ったんだし、本当に良い酒をくれてやるか」
ルーシの祖国「ロシア連邦共和国」では、寒い地域が多く、その分酒へのこだわりを持つ者も多い。男性の死因の上位にアルコール中毒があるほどである。そんな国の贅沢、最高級の七〇〇ミリウォッカを手に持つ。
「こんな高けェのをくれてやる日が来るとは……。つか、酒の味とかわからねェんじゃないか?」
天界の事情は知らないし、そもそもそんな世界があるのかも眉唾だが、ルーシへ魔力を注入できるあたり、すくなくともこの世界の住民ではないのは事実だ。そんな者が酒の旨味を理解できるのだろうか。
まァ、別に自分の金ではないので、どうでも良い話しだな。
「ほら、アル中」
「……こ、これはっ!!」驚嘆を隠さない。
値段にして一五〇〇万円ほど。こちらの金に換算すると一五万メニー。最上級の贅沢品である。
「おお、わかるみてェだな」
「……このロスト・エンジェルスへ来てから数多のお酒を飲みましたが、こんなにもおいしそうなお酒ははじめです。きっとワタシは神に愛されているのでしょう!!」
「先ほど神を否定していたヤツのいい分とは思えんな……。ま、好きに飲めよ。祖国じゃストレートで飲んだが、第二の祖国ではコーラとかレモンで割って飲むヤツもいたな。ひとついえることは、すくなくともラッパ飲みするようなもんじゃ──」
グラスに注いでそのまま飲む。氷を入れて飲む。ジュースや炭酸水で割って飲む……通常のウォッカの飲み方はこういった例があげられるだろう。ましてやこのウォッカは工業用アルコールのような安物ではない。富裕層が記念日にすこしずつ飲むようなものだ。
そして、それらを踏まえ、天使の飲み方を見ていこう。
「ああ!! マジうめえ!! やはり酒はラッパ飲みに限りますね!!」
ルーシは思わず首を横に振った。コイツがどんな理由でロスト・エンジェルスに来たのかは知らないが、どうせ天界とやらでも無駄飯食いだったのだろう。
空気が読めず、人の忠告も聞けず、頭が弱く、アル中で、ピンク色で、失禁済みで、二五歳にもなって処女、
非情で無慈悲なルーシは、この国に来て、銀髪碧眼美少女になって、二度目の同情をした。
「……まァ、好きにやってくれ。吐かねェようにな。クールの子分どもに掃除させるのもかわいそうだ」
「失礼な! ワタシは天使なので吐きませんよ! 当然うんちもしません!」
「しかしションベンは漏らすと。おまけにクソしねェだと? どおりで口が臭せェはずだ」
「て、天使は口臭くないですよっ!?」
「……いや、その、オレもあまりいいたくないんだ。口臭ってのは当人も自覚していないことも多いしな。しかもおまえは女だ。オレも女になってから余計に歯磨きに気を使うようになったし、かなりデリケートな話しだってことはわかってんだ。だが……ひとついわせてくれ。おまえ、最後に歯磨きしたのいつだ?」
「……ご、一ヶ月くらい前かな~。夜は眠くなっちゃうし、朝は忘れちゃうし……。で、でも、ワタシは浄化術式を使っているので、匂いは無いはずですよ?」
「……これから一日三回歯磨きしろ。あと、オレのフリスクやるから」
ルーシはフリスクを差し出した。煙草を吸ったあとには必ずなめている、必需品のひとつである。
「しかし、先ほどシャワー浴びただけあって体臭はないみてェだな。ただ、最初にあったときは獣臭かった。おまえ、天使とか人間とかの前に、衛生概念が終わっているだろ?」
「し、失礼な!! 一週間に一回はシャワーを絶対浴びてますよ!!」
「なるほど。つまりは根本から叩き直す必要があると」
到底女としてカウントしたくないようなヤツである。最後に歯磨きしたのが五ヶ月前。シャワーは一週間に一回。一日三回歯磨きをし、二回はシャワーと風呂に入るルーシからすれば、彼女は不潔以外の何者でもない。
「ポールに掛け合ってみるか。ふたりが住める程度の広さの家を持っていねェか」
まさか一〇歳になって二五歳を更生させるために動くことになるとは思わなかった。あれだけ人を殺しておいて、二一世紀最大の怪物になる寸前までいった男が、今となれば身長一五〇センチの童顔美少女となり、本当はどうだって良い女を嫁入りできる程度まで再生しようとしている。世の中は常に不思議なことばかり起こるのだ。
「アネキ、車の準備ができました。ヘーラーのアネキはどうするおつもりで?」
「女子の子分はいるか? いるんだったら、コイツに口臭ケアの方法と正しいシャワーの使い方を指導するように伝えておいてくれ」
「しょ、承知です」
ヘーラーは半ば涙目になりながらやけ酒に浸るが、どう考えても自分で撒いた種なので、ルーシもクールの子分も気にしない。
「さて……行こうか」
時刻は九時三〇分。ルーシは人生初、少女ものの服を買いに行くこととなる。
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