三月某日。まだまだ寒い時期だ。いや、この国において寒くない時期は少ない。七月、八月に入っても最高気温は二五度前後。夏になると半袖の人も増えるらしいが、そんな光景はつい最近この国に来たルーシ・レイノルズが見たわけでもないので、未だに信じがたいものがある。
ルーシ・レイノルズ。偽名に偽名を重ね、ついには本名すら忘れてしまった無法者は、新しい名字に違和感を覚えながら、子どもらしいちいさな手で書類へのサインを終える。
「ルーシ・レイノルズ。一〇歳。性別女。……これって、トランスジェンダーの人はどうするんだ?」
「さァ。でも、制服さえ着ていれば問題ない学校だからよ。男だったら女のを着て、女だったら男のを着るんじゃねェの? それ以外にも問題はありそうだが、オレのときはLGBTなんて被差別民以外のナニモンでもなかったしなァ。それに比べりゃ、マシにはなってると思う」
──だったら、心理上の性別は男で、見た目は女ってことにしとけばよかったな。男ってほうがやりやすいし。どうしても一八世紀の常識が抜けていねェ。
そう思った少女、いや、幼女、ルーシは、いまひとつ価値を見いだせなかった長髪が比較的短髪になったことに、すこしばかりすっきりした気分でいた。
銀髪碧眼。身長一五〇センチジャスト。バストは八〇センチ。体重は四〇キロ。引き締まった身体。童顔ながらも整っていて、特徴的な座った目。身体中を駆け巡る和彫りとタトゥー。ほんのすこしだけ施された、いや、自分で行った化粧。デパートに行った際ついでに買っておいた、程よい香水の匂い。そんな少女である。
「それで? 下ごしらえは済んでいるのかい?」
「ああ、仰せの通りに」
それに答えるは、クール・レイノルズという男だ。年齢は三二歳。しかし三二歳に見えないほど若々しく、それでいて童顔──幼い顔にも見えず、あくまでも男前に整った顔立ちである。身長一九〇センチを超える巨漢で、身体は鍛えられており、タトゥーの類いは入っていない。髪の毛は明るい茶髪。彼の家族は大半が茶髪らしい。なので、ルーシと親子という設定で行くには少々度胸がいるかもしれない。しかし、今回の作戦でクールの存在は欠かせない。そのため、多少の無茶は承知の上だ。
「戸籍謄本も改ざんしておいた。かなり時間を食っちまったが、仕方ねェよな? CEO」
「ああ、おまえはよくやっているよ。さすがはクールの懐刀だ」
そうやってルーシへ話しかけたのは、ポールモールという男だ。年齢は二九歳。こちらは歳相応といった顔立ちで、クールほどではないが顔立ちは整っている。身長は一七五センチほどと、この国における平均身長とまったく同じだ。
そんな三人の無法者は、この国──ロスト・エンジェルス最大の学園「メイド・イン・ヘブン学園」から、合法的に一〇〇億円に及ぶ金をかすめ取るべく、きょうを迎えた。
これは、彼らの所属する組織「スターリング工業」の最初の大仕事である。
*
そんなわけで、さっそくメイド・イン・ヘブン学園──MIH学園へ向かいたいのだが、ルーシにはひとつ懸念材料、いや、行わないといけないことがあった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!