悪役令嬢の怠惰な溜め息

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(20)ケリー大司教の動揺

公開日時: 2021年6月24日(木) 19:57
文字数:3,095

「その……、久しぶりだな、ケリー大司教。一体どうしたのだ?」

 取り敢えず気を取り直して尋ねたエルネストに、ケリーは恭しく一礼してから説明を始めた。


「陛下には、この度の不祥事に関して、伏してお詫び申し上げます。実はあのアリステア・ヴァン・ミンティアは、私が後見人を務めております」

「そうだったのか」

「あの……、大司教様は、どうしてここにいらしたのですか?」

 思わずエセリアが口を挟むと、彼は彼女に目礼してから、重々しく告げた。


「私は五日前から王都近隣の領地にある、教会の視察に出向いていたのですが、昨日、総主教会の者がアリステアがエセリア様を毒殺して王太子妃に成り代わろうとした挙げ句、直前になって事が露見した為、王太子殿下を操って国王夫妻を監禁したと知らせて参ったのです」

「……え?」

 事実誤認にも程がある内容を言われて、さすがのエセリアも絶句して顔を引き攣らせた。ケリーはそんな彼女からエルネスト達に視線を移し、大真面目に彼らの無事を喜ぶ台詞を口にする。


「それで慌てて王都に戻り、総主教会に到着しましたら、こちらの学園で今まさに審議の場が設けられていると聞いて、取る物も取りあえず駆けつけました。両陛下のご無事なお姿を目にして、安堵いたしました」

「あ、いや、その……、大司教?」

 どこからどうやって相手の誤解を解けば良いのかとエルネストが困惑していると、横からマグダレーナが苦々しい口調で囁いた。


「どうやら総主教会内で、相当情報が錯綜したとみえますね。あの式典には、国教会関係者が参加しておりましたし」

「いや、それにしても、事実誤認が酷くないか?」

「それだけ下々の間では、今回の事が面白おかしく語られているのではないでしょうか?」

「勘弁してくれ……」

 声は聞こえないまでも、二人の様子からだいたいの会話の内容を察したエセリアも、ケリーの背中を見ながら項垂れた。


(伝言ゲームにしても、その内容の膨らみ具合と脱線っぷりは何なの? 笑うに笑えない状況だわ)

 そんな周囲の内心など分かるわけが無いケリーは、他者からは滑稽にしか見えない懇願を繰り返した。


「陛下! アリステアは少々躾が行き届いていない所はございますが、根は真面目で素直な子なのです! 間違っても王家乗っ取りなど、大それた事に手を染めたりはいたしません!」

「その……、ケリー大司教」

「それにアリステアは優秀で、官吏科の中でも五指に入る成績を保っております」

「はぁ?」

「……っ!」

 そのケリーの主張を聞いて、これまで散々彼女の劣等生ぶりを聞かされていたエルネストは怪訝な顔になり、これまでずっと彼に対して成績を偽ってきたアリステア達は顔色を変えた。しかしどちらの表情にも気が付かないまま、ケリーが必死の面持ちで主張し続ける。


「確かに誰かに唆されて、良からぬ事に手を染めたかもしれません。ですが! これだけ聡明な彼女の事! 必ずや悔い改めて、国の為に尽くす人材になる事を、私が保証いたします! どうか陛下! 罪を全て免じて欲しいなど、厚かましい事は申し上げません。できうる事なら、私が代わりに罰を受けますので、彼女にはなるべく寛大なご処置をお願いします!」

 端から見れば感動的な場面である筈が、この場にいる全員が既にアリステアの実像を知っていた為、講堂内にしらけ切った空気が流れた。そして必死に彼女を庇うケリーを不憫に思ったセルマ教授が、人垣の前に出て彼に声をかける。


「大司教様、申し訳ありません。少々宜しいでしょうか?」

「え? ……はい、何でしょうか?」

 不思議そうに振り返った彼に向かって、彼女は淡々と事実を述べた。


「アリステア・ヴァン・ミンティアは、官吏科などではございません。今現在は、貴族科上級学年に所属しております」

「は? そんな筈はありませんが」

「加えて言うなら、入学直後から成績不良で、補習と追試の常連者です。天地がひっくり返ったとしても、官吏科に入る筈がございません」

 そこまで断言されたケリーは、狼狽してセルマ教授に訴えた。


「いや、ですが! 私はついこの前の学年末休暇の時も、素晴らしい成績が記載された、彼女の成績表を見せて貰ったのですが!?」

「どのような成績表をご覧になったのかは不明ですが、上から五指に入るのではなく、下から五指に入るの間違いでは無いですか?」

「アリステア、これは一体、どういう事なんだ!?」

「あ、あの……、それは……」

 ケリーに問い質され、狼狽えたアリステアがまともに返答できないでいると、ここで予想外の人物が声を上げた。


「すみません、学園長。発言しても宜しいでしょうか?」

「構わない。どうかしたのか?」

 それは学園の事務係官の一人で、リーマンが何事かと思いながら許可を出すと、彼はケリーに向かって周囲の者達が予想もしなかった事を言い出した。


「その……、私は学園内で使用される備品一般の管理をするのが仕事なのですが、二年前から定期試験の度に、グラディクト殿下に成績表の用紙を渡すように言われておりまして……。もしかしたら大司教様がご覧になった物は、それを使った物ではないかと思うのですが……」

「ばっ、馬鹿な事をほざくな! 貴様なんぞ知らんぞ!」

 慌ててグラディクトは彼と面識は無いと強調したが、彼の主張を真に受ける者など、既に講堂内には一人も存在しなかった。


「成績表の用紙? 成績表の再発行では無くか?」

 顔付きを険しくしながらリーマンが確認を入れると、彼が神妙に頷く。


「はい。殿下は『こちらの不注意でお茶を零して汚したのに、わざわざ学年主幹教授と学園長の手を煩わせるのは気が引ける。数字だけ書き写して、陛下にお見せする時に説明する』と仰いまして、半ば強引に持って行かれました」

「作り話もいい加減にしろ! そうか、貴様はアーロンの手先だな! 私を陥れようと、口から出任せを!」

 そんな悪あがきを口にするグラディクトを横目で見ながら、リーマンは冷静に問いを重ねた。


「因みに、それは一回だけかな?」

「いえ、一昨年と去年、二回ずつです」

「計四回か……。成績表の再発行の規定はあるが、この数年、申請された事は無いな。あれば記憶に残る……。分かった。これまでの事に関しては不問に付す。その代わり、今後はすぐに報告するか、相手が誰であろうと、譲渡を断固拒否するように」

「了解しました。誠に申し訳ありませんでした」

 リーマンが即座に判断を下すと、事務係官は深々と頭を下げた。それからリーマンがグラディクトに向かって、鋭い視線を向ける。


「殿下。その成績表の用紙は、どのような用途でお使いになりましたか?」

「使ってなどいないと、言っているだろうが!!」

「グラディクト様……」

 呆然として言葉もないケリーの前で、グラディクトが癇癪を起こして叫んだ。その彼を不安そうにアリステアが見上げていると、再度出入り口の扉が開き、新たな人物が現れる。


「失礼いたします」

「また誰か来たわよ?」

「え? あれはもしかして……」

「お兄様!? どうしてここに?」

 二人連れの一方が、来るとは聞いていなかったナジェークだった為、エセリアは本気で驚いたが、二人は硬い表情のまま舞台に歩み寄り、エルネストに礼を取ってから恭しく申し出た。


「陛下、至急確認したい事柄が発生した為、急ぎこちらに参上致しました。少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

「それは構わないが……。どうかしたのか?」

 怪訝な顔でエルネストが許可を出すのを横目で見ながら、エセリアは内心で少々呆れた。


(なるほど、上手く誘導できたみたいね。お兄様は本当に容赦がなくて辣腕だわ)

 そんな事を考えながら、エセリアはおとなしく傍観者に徹する事にした。


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