「医務官はいるか!? 至急、怪我人の手当てをしてくれ!」
アリステアを抱きかかえて医務室に入ってきたグラディエクトに、医務官のアバルトは驚いたように顔を向けた。
「おや、殿下。どうされたのですか?」
「彼女が階段で何者かに突き落とされて、怪我をしたんだ! 早く診てくれ」
「それは大変だ! 君、意識は大丈夫か? 気持ち悪くなったり、頭が痛いとかは?」
途端に真剣な顔つきで迫ってきたアバルトに、アリステアは取り敢えず話を合わせてみる。
「そう言えば……、ちょっと頭が痛いような……」
「転倒して一番怖いのは、頭部への衝撃ですからな。慎重に診察いたしましょう。それでは殿下。彼女をそちらの診察台に、ゆっくり下ろして頂けますか?」
「分かった。こうだな? それから足を捻挫したらしく、痛がっていた」
それに頷いたアバルトは、二人に指示を出す。
「そうですか。それではまずそちらから診ましょう。直接触診するから、君は靴下を脱いで貰って良いか? 殿下は席を外して下さい」
「分かった。少し離れている」
靴下はガーターベルトで固定している為、さすがにそれを脱ぐ所を凝視など出来なかったグラディクトは、大人しく離れている背中を向けて立っていた。そして少ししてから、そのまま診察状況を尋ねる。
「どうだ?」
しかしその問いかけに、困惑も露わなアバルトの声が返ってきた。
「殿下……。この生徒は、どこも怪我などしておりませんが?」
「は?」
それを聞いた途端、グラディクトは勢い良く向き直って彼に詰め寄る。
「だが彼女は痛がっているだろうが! アリステア、そうだな?」
「あ、は、はい! 痛たたたっ! 足が痛いっ!」
語気強く言われて、それまで大人しくしていた彼女は、慌てて痛がるふりをし始めた。
「ほら、何をボケッとしている! さっさと処置をしないか!」
そう要求されても、アバルトは胡乱気な眼差しで、診察台に座り込んでいる彼女を見下ろしながら反論した。
「……ですが、殿下。捻挫と言われましても、両足首は全く同じ状態です。腫れても熱を持ってもいませんし、今まで一通り触診しても、彼女は全く痛がらなかったのですが?」
「そっ、それはっ! あまり痛がったら、治療の妨げになると思ったから! 本当はもの凄く痛くて、ずっと我慢してたんですっ! いたたたたっ! もう我慢できないぃぃぃ――っ!!」
「このやぶ医者が! これだけ痛がっているのに、怪我を見抜けないとは何事だ! この学園は王族をはじめとして、上級貴族の者も多数在籍しているのだぞ! 万が一、急病時に処置が遅れたら取り返しがつかないだろうが!」
突然喚き出した二人に心底嫌気を覚えながらも、アバルトは相手が腐っても王族な為、表面上は従ってみせた。
「技量が至りませず、誠に申し訳ございません。それでは湿布をして、痛み止めを出しておきましょう。どちらの足でしょうか?」
その問いかけは殆ど嫌みだったのだが、二人は更に喚き散らした。
「み、右ですっ! いたたたたっ!!」
「さっさと治療をしないか!」
そこで彼はどう考えても何ともなっていない足首に湿布を施し、その上から包帯で固定した。
「それでは、これで宜しいでしょう。痛みが酷いようなら、これを一回に一包服用して下さい」
「はい、だいぶ痛みが無くなりました。ありがとうございます」
「アリステア、こんな怠慢な奴に礼を言う必要は無い。行くぞ」
「はい」
アリステアが鎮痛剤を受け取ると同時にグラディクトは腹立たしげに声をかけ、彼女は即座に立ち上がった。そのまま二人並んで医務室を出て行ってから、室内に取り残されたアバルトが、呆れ果てた口調でひとりごちる。
「あんな健康体に、どんな治療が必要だと? それにあれだけ痛がる位なら、普通は歩けなくて杖が必要だろうが。湿布した位で、まともに歩けるわけ無いだろう。馬鹿馬鹿しい」
アリステアが怪我をしたと嘘をついている事を看破した彼は、通常なら1日数回湿布を取り替える指示や、杖を使用しての歩行方法など、彼女に伝えすらしなかった。更に彼女の言い分を鵜呑みにし、自分を罵倒したグラディクトに対して、辛辣なコメントを口にする。
「どうやら殿下は、真面目に武術の鍛錬など、全くした事が無いらしい。一度でも捻挫や脱臼を経験したら、嫌でもその症状が分かる筈だしな。普通だったら定期的に湿布を交換に来るか自分でする分の薬剤を自室に持ち帰る必要があるが、あの生徒はもう来ないだろう」
正確に今後を予測した彼は、不愉快な出来事はさっさと忘れようと、手際良く出した薬剤や器具を片付け始めた。
その日はエセリアが王宮から寮に戻るのが遅くなった為、翌日カフェに《チーム・エセリア》が集合した時、ローダス達は呆れるしかない事の顛末を報告した。
「……それでは、茶話会出席者ははっきりしているから、変な偽名を使って『茶話会を中座した』と言う宣誓書などは作れないし、『偶々廊下を歩いていたら、会場の教室から出て来たエセリア様を見た』とでも証言する宣誓書でも、作っておきましょうか」
「そうですね……」
最後まで話を聞いてから、深い溜め息を吐いてそう述べたエセリアに、ローダスが少々気が抜けたように応じる。ここでカレナが、素朴な疑問を呈した。
「それにしても、お話を聞いた限りでは、殿下は彼女を抱えて医務室に連れて行ったのですよね? ですが本当は転がり落ちてなどいませんから怪我はしていないでしょうし、医務官の方に不審に思われなかったのでしょうか?」
その疑問には、シレイアが淡々と答えた。
「あの後さり気なく医務室にお邪魔して、世間話をしつつアバルト医務官にお話を伺ってみましたら、明らかに無傷の足首を彼女は『捻挫で猛烈に痛い』と言い張り、殿下は『それを見抜けないお前はやぶ医者だ』と罵倒したそうです。それで仕方なく湿布を施したら、杖も付かずに歩いて出て行ったとか。ですから、『彼女は特殊な精神の病で、時々突発的に身体のあちこちがおかしくなる奇病なのでしょう』とフォローしておきました」
それを聞いた他の面々は、揃って微妙な顔付きになった。
「……突っ込みどころ満載ですね」
「それ……、フォローなんでしょうか……」
「一番おかしくなっているのは、頭だろうがな」
「ローダス殿。身も蓋も無いですわ」
そして先程よりも深い溜め息を吐いたエセリアは、何とか気を取り直して話を進めた。
「状況は、良く分かったわ。ご苦労様でした。それでは期末試験も終わりましたし、残すところは卒業記念式典だけですね。ここでは特に問題は起きないと思いますが、年度末休み中に色々動く事がありますし、特に来年度になったら学園に残っているのはミランとカレナだけだから、負担が多くなると思いますが、宜しくお願いします」
「お任せ下さい」
「連絡を密にして、慎重に事を運びましょう」
そこで名前が出た二人が力強く頷き、最終局面まで一ヶ月強となった面々は、そこで配られた今後の細かいスケジュール表を凝視しながら、幾つかの項目について控え目に意見を交わし合った。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!