エセリアが《チーム・エセリア》の面々に警告した二日後。彼女の懸念は早くも、現実の物となった。
「エセリア、ちょっと待て!」
「はい、殿下。どうかなさいましたか?」
放課後に廊下を歩いている時に呼び止められ、何気無く振り返ったエセリアに向かって、グラディクトが素っ気なく言い付ける。
「今月中に、お前にやって貰う事ができた。周りの人間に声をかけて、滞りなく準備を進めろ」
「今月中ですか? もう半月もありませんが……」
「そうだな。それがどうした? この私が直々に声をかけているのに、まさか断るつもりでは無いだろうな?」
「もう剣術大会の準備に入っておりますので、他の企画など無理ですわ。他の方を当たって下さいませ」
横柄に言い放ったグラディクトに対して、エセリアが余裕すら感じられる笑みを浮かべながら拒絶すると、彼は忽ち怒気を露わにした。
「何だと!? 下手な言い逃れを! 剣術大会はまだまだ先だろうが!」
しかしその指摘に対し、エセリアはわざと声を上げながら反論する。
「まあ! 今年で三回目になる剣術大会の準備運営を、まさか実行委員会名誉会長のグラディクト殿下がご存じないとは仰いませんよね? あのような見事な記章やマントが、一朝一夕で作れるとお思いですか?」
「それはそうだが! その他の係はまだ」
「そもそも剣術大会開催の目的の一つに、生徒同士の交流が挙げられております。それ故、第一回の開催時から、希望する係で実働する前に、係毎に顔合わせの為に集まったり、細かい仕事の打ち合わせをしているのです。今月末まで、そちらの予定が目白押しですのよ?」
「そんな事は幾らでも、後回しにできるだろうが!」
グラディクトは尚も主張したが、エセリアはそれを皮肉交じりの反論で封じた。
「監督して頂く教授方にもお願いして、放課後の教室利用の申請も済んでおりますの。何と言っても昨年は音楽祭とか絵画展などという、前例の無い催し物が突然発生したもので、それに伴ってあちこちに支障が出ておりましたし」
「それは仕方が無いだろうが!」
「ですから、今年は何が起こっても余裕を持って対処できるように、可能な限り予定を前倒しにして、準備を進めております。ご了解下さいませ」
「……っ!」
音楽祭も絵画展も自分が言い出した行事であった為、それ以上反論できず、グラディクトは悔しそうに歯噛みした。そんな彼の心情など全く構う事無く、エセリアが思い出したように手にしていた鞄から何枚かの用紙を取り出し、有無を言わせず彼に押し付ける。
「ああ、そうでしたわ。せっかくお声をかけて頂いたのですから、この機会に今月から活動している係に所属している方々の名簿を、お渡ししておきますわ。こちらの方々は今月末までは何かと忙しいと思いますので、何か催し物を企画されておられるなら、ここに名前が挙がっている以外の方にお声をかけて下さいませ。それでは失礼致します」
一方的にそう告げて、悠々と友人達とその場を離れていくエセリアを見送りながら、グラディクトは悪態を吐いた。
「全く、何て忌々しくて生意気な女だ!」
そしてざっと手元の用紙に目を通した彼の顔が、更に渋面になる。
(この名簿……。アシュレイ達の名前も、しっかり載っているとは。だから最近、彼らが顔を見せに来れなかったんだな……。あの女、権力を笠に着て、嫌がる人間をこき使うとは……)
内心で益々腹立たしく思っていると、側付きの一人が慎重に声をかけてくる。
「殿下、どうなさいますか?」
その問いかけに彼らに向き直ったグラディクトは、不機嫌そうに名簿を押し付けながら言い付けた。
「この名簿を見るとこれらの各係の責任者には、それぞれ上級貴族の家の者が就いている。この中から無理にこちらの仕事をやらせようとして、その責任者達の反感を買うのは拙い。この名簿に名前が無い者だけで、準備を進める以外に無さそうだ。お前達で学園生徒の名簿と照らし合わせて、動員できる者のリストを作っておけ」
「はぁ? 私達がですか?」
「当たり前だ。他にこの場に、誰が居ると言うんだ。明日までだぞ? 分かったな?」
「ですが!」
「それから言うまでもないが、今年の新入生の為の行事だから、準備に携わる者は教養科ではなく、専科所属の者達だけだからな。それでは今日はもう良い。ご苦労だった」
そして一方的に仕事を押し付け、アリステアが待っている統計学資料室に向かった彼の姿が見えなくなってから、三人は口々に不平不満を言い出した。
「全く……、次から次へと、余計な事を考え付きやがって。やりたかったら自分でやれよ!」
「それにしても……。これを見ると、既に平民の生徒が殆ど参加してるんじゃないのか?」
「ああ。小物係では単なる装飾品の他にも、投票用紙や看板やプラカード、様々な掲示物を全て準備していたからな」
「貴族でも器用な奴らは、昨年も率先して嬉々として作っていたし……。そうなると残っている生徒で使い勝手の良い人間は、それ程居ないんじゃないのか?」
「…………」
その事実に気が付いた彼らは、グラディクトの知らない所で、より一層不満を募らせる事となった。
「アリステア、待たせたな」
「グラディクト様、オリエンテーションの準備はどうなりましたか?」
「何とかなりそうだ。今、動員できる生徒を確認させている」
そのグラディクトは、アリステアと顔を合わせるなり調子の良い事を言っていたが、次の彼女の台詞で驚愕の表情になった。
「そうですか? 良かったです。ひょっとしたらエセリア様に、妨害されたかと思いましたから」
「どうして分かった?」
「え? まさか本当に?」
(本の中では悪役令嬢が、オリエンテーションに協力する生徒を裏で脅して、失敗させようとしていたから、言ってみただけなんだけど。本当に妨害してきたなんて!?)
驚いたのは彼女も同様だったが、すぐに相手がそれを隠したがっていた事に気が付き、神妙に謝った。
「すみません、ちょっと言ってみただけのつもりだったんですが……」
「そうか……。実はエセリアが『剣術大会の準備を前倒しして、既に係毎の活動を始めているから、他の企画に人手を割けない』と言い放ったんだ。アリステアに、余計な心配をかけたくなかったんだが……」
「本当に意地が悪いですよね! オリエンテーションは剣術大会みたいに長々と活動するわけじゃないし、殿下に恥をかかせない為に、少し位融通を利かせてくれても良いじゃありませんか!」
「アリステア。あの女に、そういう気配りを求めるだけ無駄だ。君とは、人間の出来が違うからな」
「グラディクト様……」
苦笑しながら自分を宥めてきたグラディクトを見て、アリステアは(婚約者にそんなに蔑ろにされるなんて、何てお気の毒なの)と心の底から同情した。その憐憫の視線に気が付いた彼は、それを打ち消す為に明るい口調で言い出す。
「大丈夫だ。他に動かせる人間が、全く居ないわけじゃない。その者達を使って、オリエンテーションを成功させよう。ついでにこのオリエンテーションを利用して、今年入学した上級貴族の生徒達に、君への好印象を与える策も思い付いた」
「どういう事ですか?」
「今まではともかく、今後アリステアに社交界で活躍して貰う事もあるだろう。だからどんな些細な繋がりでも、作れる時に作っておいた方が良いからな」
「分かりました。頑張りますね」
グラディクトはその場では詳細について語らなかったが、彼が考えている事なら心配要らないと、アリステアは深く頷いた。
(なるほど、全く考えていなかったけど、エセリア様はともかく、他の上級貴族の人達と仲良くできないと、後々の社交界での交際に困るものね。殿下の側にいつまでもいる為にも、そっち方面にも頑張らないと)
そんな決意を新たにしながら、アリステアは彼と共に、オリエンテーションの準備に没頭していった。
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