「テーブルクロスを調達すると言っても、カフェでも寮の食堂でも使っていないし……。街に出て、買ってくるしかないのか?」
講堂から廊下に飛び出したものの、すぐに難しい顔で考え込んでしまったグラディクトだったが、そんな彼に名案を思い付いたアリステアが、勢い込んで告げた。
「グラディクト様、テーブルクロスはちゃんと学園内にあります! 礼儀作法の授業でテーブルマナーの時に、テーブルクロスを敷いてカトラリーを全部並べて行いましたもの!」
「そうか、そうだったな! さすがはアリステア。目の付け所が違う!」
「いいえ、そんな大した事では……。それより早く、テーブルクロスを借りに行きましょう!」
「そうだな」
嬉々として二人は教授達に研究室が与えられている棟に向かい、礼儀作法科目で主幹教授である、セルマ教授の部屋のドアを叩きながら呼びかけた。
「セルマ教授、急用だ! ここを開けろ!」
しかし何度叩きながら呼びかけても応答が無い上、ドアにはしっかり鍵がかけられており、二人は困惑してしまった。
「グラディクト様、教授は中に居ないんじゃないですか?」
「そうらしいな……。全く、こんな時にどこに行っている! 備品は全て、各教科主幹教授室から繋がっている備品室で、保管されている筈なのに……。よし、他の礼儀作法の教授の部屋に行ってみよう」
しかし近隣の研究室を回ってドアを叩いても同様で、全く人の気配が感じられない為、次第にグラディクトの顔に焦りの色が濃くなった。
「どうしてこんな時に限って、教授達が誰も居ないんだ!?」
「そう言えば……、今は剣術大会中で授業はありませんし、大会運営に関係無い教授は、お休みを貰っている人が多いのかも。統計学のグレービス教授から『大会期間中は休暇を取るので、資料室を使うのはご遠慮下さい』と言われましたよね?」
「確かにそうだったな。それならどうするか……」
難しい顔になってしまった彼に、アリステアが再び思い付いた事を口にする。
「あ、事務係官の方が非常時の為に、部屋の合鍵を持っているんじゃありませんか?」
「なるほど! 確かにそうだ。やはりアリステアは賢いな。早く借りて来よう!」
「はい!」
彼女を褒め称えつつグラディクトは瞬時に上機嫌になって、事務係官が詰めている棟に向かった。
「誰か居るか! 至急、貸して欲しい物がある!」
いきなり事務係官室に飛び込んで来るなり大声を上げたグラディクトに、その日当直でのんびりとお茶を飲んでいた三人は、怪訝な顔を向けた。
「……はい?」
「何だ? 騒々しいな」
「セルマ教授の部屋の鍵を貸してくれ! 至急、必要な物があるんだ!」
遠慮無く室内に入り込み詰め寄って来た彼に、設備維持担当の係官が杓子定規に答える。
「セルマ教授は休暇中ですので、私達が勝手に合鍵をお貸しできません」
「室内に、私が必要としている物があると言っているだろうが! 王太子の私の言う事が聞けないのか!?」
「いや、しかし……」
「そう言われましても」
グラディクトの恫喝に、若手二人は困惑した顔を見合わせたが、偶々その場に居合わせた印刷担当のドルツは彼を鼻で笑った上、横柄にあしらった。
「教授の許可無く、勝手に備品を持ち出すつもりか? それなら尚更、鍵を貸し出すわけにはいかねぇな。それ位、頭を働かせれば分かるだろうが。頭が有ればの話だがな」
「何だと!? 貴様、この前の事といい今といい、無礼過ぎるぞ!!」
「グラディクト様、落ち着きましょう!」
「いや、アリステアの言葉でも許せん!」
血相を変えて怒り出したグラディクトを、アリステアが必死に宥めたが、そこでその剣幕に恐れをなした若手の係官が、恐る恐る申し出た。
「あ、あ……。学園長が許可を出して立ち会って頂けるのであれば、合鍵で室内に入っても構わないと思いますが……」
「それを早く言え! すぐに学園長を連れてくる! まさか学園長は休みでは無いだろうな!?」
「はい、学園長は今日も出勤しておりまして、先程から」
「分かった。アリステア、行くぞ!」
「はい!」
その提案を聞いて勢い込んで宣言した彼は、係官の話の途中でアリステアを引き連れて駆け出して行った。そして静寂が戻った室内で、係官の呟きが続く。
「……大会議室で王宮から出向いていらした文官の方々に、経理担当の事務係官と共に、教育方針とカリキュラム、及び予算消化状況についての説明をされているんですが」
「聞いちゃいねぇぞ。それに、あんなのはほっとけ」
「そうですね。学園長室にいらっしゃらないのが分かったら、すぐにここに戻って来ますよ」
「だが教授が休みの日に、何が必要なんだろうな?」
「どうせ大したもんじゃ無いだろ」
呆れ顔で言い合った係官達がお茶を飲みながら雑談を続けていると、少ししてからどうやら他の棟にある学園長室まで走って往復したらしいグラディクトが、息を切らしながら再び駆け込んで来た。
「おいっ! 学園長はどこにいる! 学園長室に居ないじゃないか!」
その訴えを聞いた三人は、全員(他人の話を、ちゃんと最後まで聞いとけよ)と心の中で突っ込んだ。
結局、王宮から派遣されている文官の前で会議室に乱入されても困る為、係官がグラディクト達を会議室まで引率し、学園長を廊下に呼び出した上で二人に直接交渉させた。案の定、二人の話を聞いたリーマンは、たかがテーブルクロスの為に施錠されている教授室を開けるのかと却下したが、二人が食い下がって騒ぎ出した為、立場上、文官を待たせるわけにはいかなかった彼は、渋面になりながら係官立ち合いの下で、確実にテーブルクロスだけを持ち出すなら良しとして会議室に戻った。
「全く! 気の利かない奴らのせいで、時間を浪費したぞ! 何度同じ所を、行き来したと思っている!」
「でも、ちゃんとテーブルクロスを持ち出せて良かったですね!」
「ああ、急いで講堂に戻って、アリステアの働きぶりを、多くの生徒に見て貰わなければな!」
「はい! 途中抜けてしまいましたけど、まだまだ開票作業の予定時間内ですし、最後まで頑張ります!」
何か問題があったら、自分達の責任問題になりかねないと渋る係官を急かし、再びセルマ教授の研究室に戻った二人は、入り口のドアの鍵と奥の備品庫の収納棚も合鍵で開けさせ、漸く手にしたテーブルクロスを抱えて意気揚々と講堂に戻って行った。そんな二人の後姿を係官は忌々し気に眺めていたが、その彼らの機嫌の良さも、講堂に一歩足を踏み入れるまでだった。
「……え?」
「人がいない?」
自分達が離れた時、盛況だった講堂内が閑散としており、特に中央の作業台は人っ子一人おらず、机の撤収作業すら行われていた。二人がその光景を茫然と眺めていると、指示を出していたレオノーラが二人に気が付き、歩み寄りながら声をかけてくる。
「あら、殿下。アリステアさん。後片付けを手伝って下さるのですか?」
「後片付け……」
「まさか、もう開票作業が終わったとでも言うのか!? 予定終了時間までは、まだ時間があるだろうが!」
「今年で三回目ですから、専科の皆さんは随分慣れておられまして、予想以上に作業がはかどりましたので」
「そんな……」
事も無げに語られた説明を聞いたアリステアが茫然としながら呟くと、彼女が抱えている物に気が付いたレオノーラが、軽く首を傾げながら言葉を継いだ。
「あら、新しいテーブルクロスを持参して下さいましたの? お二人が出て行かれた直後に、ワーレス商会から新しい茶器のセットとテーブルクロスを寄付して頂きましたから、一枚駄目にした事を気に病まないで下さいね?」
「……寄付だと? ワーレス商会が?」
「ええ、目を疑う程の最高級品を、惜しげも無く。さすがはワーレス商会だと、皆様口々に褒め称えておりましたわ」
訝し気に口を挟んできたグラディクトに説明してから、レオノーラはアリステアに向き直り、笑顔で告げた。
「それであなたの粗相の事など、それ以降は話題にもなりませんでしたから、本当にお気になさらず。それでは後片付けがありますので、失礼致します」
「レオノーラ様、こちらの茶器やテーブルクロスはどうしましょう?」
「教授はお休みでしょうから、学園に出て来られるまで事務係官室で保管して貰いましょう。私がお願いしてきます」
「それが良いですね。何かあったら大変ですもの」
そして指示を仰いできた生徒と話しつつ講堂の奥へと戻って行くレオノーラを、グラディクトが睨み付けながら低く唸る。
「ワーレス商会だと? またエセリアがアリステアの活躍を妬んで、話題をさらうように企んだのか」
「グラディクト様……。やっぱりレオノーラ様は、エセリア様の指示で嫌がらせをしていたんですね」
「ああ、間違いない。自分の手を汚さずに、どこまでも他人を陥れようとするとは。あんな女を、この国の至高の存在などにさせてたまるものか!」
勝手に勘違いして気落ちしたアリステアを見て、グラディクトはこれまで以上に怒りを募らせ、そんな見当違いの思い込みを正そうとする者は、だれ一人として存在しなかった。
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