「その……、マリーリカ? ちょっと聞きたい事があるのだけど……」
「はい、何ですか? エセリア姉様」
「入学してから、困った事とかはない?」
いきなりの脈絡の無い質問に、マリーリカは一瞬当惑したものの、すぐに微笑みながら答えた。
「いいえ、特には。周りの皆様も教授方も、親切な方ばかりですし」
「そう、それなら良いのだけど……。この学園には色々な方が入学されるから、戸惑う事が多いかと思ったの」
「それは勿論、平民の方もいらっしゃいますから……」
そこで何かに思い至ったように、不自然に口を閉ざしたマリーリカを見て、エセリアは嫌な予感を覚えながら再度尋ねた。
「マリーリカ、どうかしたの?」
その問いかけに、彼女が困惑気味に言葉を返す。
「いえ、あの……。そう言えば、平民の方では無いのですが、少々変わった方がいらしゃるなと思いまして……」
「どういう事かしら?」
エセリアがさり気なくアーロンに視線を向けると、心得た彼は思い当たる節を口にして、マリーリカに確認を入れた。
「マリーリカ。それはひょっとして、例の子爵令嬢の事を言っているのかな?」
「ええ。その……、何と言うか、他人様の事を一方的に悪く言うのはどうかと思いますが、捉えどころのない方だなと思っておりましたので……」
(マリーリカは私なんかとは違って、本物の深窓の令嬢ですものね。他人の悪口なんかを口にするのは、気が引けるわけか。でも嫌な予感がするんだけど)
どうにも歯切れが悪い物言いに、エセリアは尋ねる相手を変えてみる事にした。
「殿下は、その方をご存じですのね?」
一緒に居るなら当然把握している筈と、見当をつけて尋ねてみると、彼は幾分困った表情になりながらも素直に口を割った。
「エセリア嬢の、お耳に入れる程の事ではないと思うのですが……。ミンティア子爵家のアリステア嬢が、今年私達と一緒に入学したのです。ですが彼女に関しては、周囲の評判が芳しく無いもので。気品に欠けると言うか、協調性が無いと言うか……」
(やっぱり来たわね……)
思った通りの名前が出てきた事で、エセリアは顔が引き攣りそうになるのを何とか堪えながら、質問を続けた。
「具体的には、どのような事がありましたの?」
「所作の一つ一つがなっていないと申しますか、ドアを足で開け閉めしますし、新入生歓迎の昼食会でも、テーブルマナーがまるで身に付いていなかったのです」
「……まあ」
エセリアは内心で(幾ら私でも、人前でドアを足で開け閉めしないわよ)と呆れたが、ここでよほど腹に据えかねる事があったのか、マリーリカが勢い込んで言い出した。
「それだけなら態度を改めれば宜しいだけの話ですが、それを周りから注意されても『両手に荷物を持ってるんだから、足を使えば効率的でしょう?』とか『別に他人に不快な思いをさせている訳じゃないから、良いじゃない』とか、悪びれずに言ったとか。羽振りの良い商家出身の生徒の方がよほど礼儀正しいと、教授陣の間でも噂になっているそうです」
「入学してから一週間も経過していない筈なのに、教養科ではもうそんなに噂になっているの?」
「ええ、そうです。特に彼女の家と同格の子爵家や男爵家出身の生徒などは、『あんな方と同一視されたくありません』と、憤慨していますわ」
エセリアが本気で驚くと、マリーリカが小さく頷き、続けて訴えた。
「それからアーロン様にも、一時期纏わりついていましたのよ? しかも『あなたが僻むのは分かるけど、王太子の座はグラディクト殿下の物なんですからね。分を弁えておいた方が良いわよ』と、訳の分からない事を、いきなり面と向かって言い放ちましたの。分を弁えるのは、あの女の方よ! 何て失礼なの!?」
先程までの躊躇いはどこへやら。本気で怒り出して声を荒げたマリーリカに、周囲のテーブルに居た者達から視線が集まった為、アーロンは苦笑しながら彼女を宥めた。
「マリーリカ、人目があるから少し落ち着こうか。私の為に怒ってくれるあなたの顔も可愛いけど、笑ってくれた方がもっと素敵だと思うよ?」
「アーロン様……」
優しく囁かれたマリーリカは、瞬時に怒りを消し去って頬を染める。そんな甘い空気が漂う二人を目の当たりにして、エセリアは心底うんざりしながら、何とか笑顔を保った。
(あぁ~、はいはい、ご馳走様。何、このバカップル一歩手前の、この状況。馬鹿馬鹿しくてやってられないわ。……でも、そんな事より、きちんと確認しておかないと)
そう思い直した彼女は、真顔でアーロンに確認を入れた。
「殿下。先程は『一時期纏わりついていた』と仰っておられましたが、そうすると最近は、そのご令嬢に絡まれてはいらっしゃらないのですね?」
「はい。何やら私に『お兄さんの足を引っ張るな』とか、『根暗が考え込むとろくな事にならないから』とか、幾つか理解不明な事を言っていましたが、『私の役目は果たしたから』とか満足げに告げて立ち去ってからは、一切接触して来ていません。私達とはクラスが違いますし」
「それなら良かったですわ」
それを聞いたエセリアは、おそらくこれ以上アリステアがこの二人には絡んで来ないだろうと推察して、密かに安堵した。そしてアーロンに対して、真摯に頭を下げる。
「これからも予想外のトラブルが起こるかもしれませんが、マリーリカの事を宜しくお願いします」
「こちらこそ、宜しくお願いします」
「それではそろそろ午後の授業が始まるから、失礼するわ。また会いましょうね?」
「はい、楽しみにしています!」
そこで休憩時間の終了が迫っていたエセリアは、二人に別れを告げて歩き出した。そして予定通り、午後からの授業が行われる教室で、友人達と合流する。
「皆様、お待たせしました」
「いいえ、大した事はありませんわ。マリーリカ様とゆっくりお話ができましたか?」
「ええ、久しぶりに。でも同じ学園内に在籍しているのですから、これからゆっくり話そうと思えば話せますわ」
「そうですわね」
そう微笑んで教室に入ったエセリアだったが、授業が始まるとほぼ同時に、真剣に考え込んでしまった。
(さっきの話から考えると……。アリステアは、アーロン殿下狙いではないって事よね? 殿下は大して気にしていなかったみたいだけど、気に入られようと思っているなら、初対面に近い段階であんな暴言を吐く筈がないもの)
そう安堵したものの、エセリアは引っかかりを覚えて、先程のやり取りを思い返す。
(でも、あのフレーズに、何となく聞き覚えが……。確か本来のグラディクトルートで、兄を蹴落す為に色々と小細工をするアーロンを窘めて、逆に叱責される時の台詞と似ているような……。それを人伝に聞いたグラディクトが、ヒロインの勇気を称えるのよね。グラディクトルートの《暁の王子編》でも、その類の台詞を書いた気がするし……)
そこまで考えたエセリアは、微妙に顔色を悪くした。
(実際はアーロン殿下は闊達として、小細工なんかしない方だし、見当違いの事を言われて当惑しただけで済んでいるけど……。ひょっとしたらアリステアはグラディクト狙いで、実はもう接触しているとか? もしそうだったら、私がお邪魔虫な悪役令嬢一直線じゃない!?)
「……拙いかも」
思わず口に出した呟きを、隣席の友人が耳にして、小声で尋ねてくる。
「エセリア様、どうかしましたか?」
「あ、い、いいえ、何でもないわ」
「そうですか?」
慌てて笑顔を取り繕ってその場を誤魔化したエセリアだったが、その内心はかなり焦りまくっていた。
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