この二年程、エセリアは王都のシェーグレン公爵邸に滞在している日の方が少なく、彼女が滞在している日は、家族揃って夕食の席に着く事が多かった。そして彼女が総主教会に出向いた日も、両親と兄夫婦と共に夕食を食べる事となった。
「エセリア、久しぶりの王都はどう? 今回はゆっくりできるのでしょう?」
食べ始めて早々に、ミレディアから期待を込めた眼差しを向けられたエセリアは、その問いかけに少々困ったように応じた。
「確かに2ヶ月は滞在するつもりですが、必要な物資や物品の購入に出向いたり、各所との調整に回る予定で殆ど埋まっていますから、あまりのんびりできそうにありませんね」
「まあ、そうなの。今回はエセリアと一緒に、出かける事ができると思っていたから残念だわ。あなたったら去年から、王都と領地を忙しなく行ったり来たりしているから」
「私も、結婚すると入れ違いにエセリアが頻繁に領地に出向くようになったので、今回はゆっくり語らえるかと思っていたので残念です。今日も早速、総主教会とワーレス商会に出向いていましたし。本当に忙しそうですね」
母に続いて、前年ナジェークと結婚した義姉のカテリーナからも残念そうに言われて、確かにこの間、姉妹らしい交流は大してしていなかった事もあり、申し訳なく思いながら軽く頭を下げた。
「申し訳ありません、お義姉様。学術院が軌道に乗ったら時間を取って、のんびりするつもりではいますので」
しかしその弁解の台詞に、両親が苦笑交じりに茶々を入れる。
「そうなったらそうなったで、エセリアはまた別な事を考えついて、忙しくなりそうだけど」
「確かに。否定はできないな」
「お父様とお母様まで……、虐めないでください。王都に戻って早々に面倒な頼まれ事をされて、多少気が重くなっていますのに……」
「それは一体何事だ?」
「エセリアが困るような頼み事って、一体何なの?」
両親から不思議そうに尋ねられたエセリアは、うっかり口を滑らせた事を後悔しながら言葉を濁す。
「その……、第三者のプライベートに関わる事ですので、できれば不用意に口外するのは、控えたいのですが……」
「あら、私は軽々しく、外で口外する事などありませんよ?」
「そうだな、エセリアが頭を悩ませる問題など、そうそう無いだろう。実に気になるな」
(失敗したわ。うっかり口が滑って、お父様とお母様の興味を引いてしまったみたいで……。これはきちんと話すまで、解放して貰えないわよね。あの様子だとお兄様達の援護も、期待できないし)
エセリアは笑顔で促してくる両親から、さり気なく兄夫婦に視線を移したが、彼らも興味津々の表情で無言を貫いており、この場を曖昧に誤魔化すのは不可能だと観念して話し出した。
「以前、この屋敷にも招いた事があるのですが、キリング総大司教のご子息とカルバム大司教のご令嬢とは、クレランス学園で同学年だったのです」
そう話の口火を切った途端、兄夫婦が少し驚いたように口を挟んできた。
「それじゃあ厄介な頼まれ事と言うのは、ローダスとシレイアに関する事だったのかい?」
「まあ、あの二人に関する事?」
「お兄様は当然彼らをご存知だとしても、お義姉様もあの二人をご存知なのですか?」
意外に思ってエセリアが問い返すと、カテリーナは微笑みながら告げた。
「シレイアとは王宮内の同じ寮で生活していたし、近衛騎士として王宮内での勤務だったからローダスさんの話や噂は耳にしていたから」
「そういえばそうでしたね」
「話の腰を折って悪かった。それで、どう言った内容なんだ?」
「それがですね……」
ナジェークに促されたエセリアは、その日総主教会で交わされた会話のあらましを語って聞かせた。それを聞いた家族は、揃って難しい顔になる。
「……と言うわけです」
「それはまた……、難儀な話を持ちかけられたものだな」
「話を聞く限り、他人に言われてすぐにどうこうなるのなら、とっくに結婚しているのではなくて?」
「幾らエセリアが二人から尊敬されているとは言っても、素直に聞き入れてくださるかしら?」
舅姑に続き、率直な意見を口にしたカテリーナに、エセリアは頷きながら答えた。
「お義姉様もそう思いますよね? ですが総大司教と大司教が相当心配しておられるようなので、取り敢えず二人に近況を尋ねつつ、お互いをどう思っているか探りを入れてみるつもりです。方向性を考えるのは、それからですわね」
それを聞いたカテリーナは、穏やかに微笑んだ。
「そうなの……。総大司教様や大司教様にはお世話になっているだろうし、頑張ってね。ゆっくり歓談する機会は、後の楽しみに取っておくわ」
「ありがとうございます、お義姉様」
理解のある義姉に笑顔で返したエセリアだったが、ここで彼女の隣に座っているナジェークが、妙な顔付きで黙り込んでいる事に気が付いた。
「お兄様? 何やら変な顔をされておられますけど、どうかされましたか?」
「ナジェーク?」
妹と妻から不審そうな目を向けられた彼は、少々言いにくそうにある事を話し出した。
「ああ……、うん。実はその二人の事は、最近官吏達の間でちょっとした噂になっているんだ」
「どんな噂ですか?」
「噂と言うか……、賭けの対象だ」
「はぁ?」
エセリアが本気で戸惑った顔付きになる中、ナジェークは控えめに説明を続けた。
「あと何年の間にローダスが口説き落としてシレイアが仕事を辞めるか、ローダス以外の男と結婚して彼女が仕事を辞めるか、一生未婚で仕事を続けるか」
その夫の説明を聞いたカテリーナは呆れ顔になり、エセリアは忽ち渋面になった。
「そんな事で賭けをされているとは……。官吏の方々はそんなに暇なのですか?」
「なんですか。時期や相手に関しては色々あるでしょうが、シレイアが結婚して仕事を辞めるか、独身のまま仕事を続けるかの二択と言うのは」
「だが現実に、少数ではあるが女性官吏は存在しているが、これまで全員結婚を期に辞めているからな」
それを聞いたカテリーナは、考え込みながら相槌を打った。
「確かに女性の王族や賓客の警護に携わる女性騎士も、結婚を期に全員辞めていますね。私みたいに『結婚しても勤務を続けて構わない』と仰っていただける、理解のある婚家に嫁いだ人間は皆無だったでしょうし」
「そうではないかとは思いましたが、やはりそうですか」
官吏でも騎士でも、女性が結婚後も就労を続けるにはまだまだ大きな壁があるのねと、エセリアが改めて認識していると、ナジェークがしみじみとした口調で言い出す。
「しかし、シレイア・カルバムは官吏の間でも優秀と評判だし、個人的な感想を言わせて貰えば、この国の為にも仕事を続けて貰いたいものだな。だが独身を貫けと、上から命じるわけにもいかないし……」
「私もこれまでに、辞めるのは惜しいと思った同僚は、何人もおりましたわ」
難しい顔になった兄夫婦を見てエセリアも少し考え込んだが、すぐに笑顔になって二人に声をかけた。
「お兄様、お義姉様、ありがとうございます。何となく話の進め方が、頭の中でまとまってきました」
「そうなのかい?」
「それなら良かったけれど」
「はい。今領地の方で取り組んでいる内容にも、係わってくる内容ですし。取り敢えず今度、本人に会って、彼女の考えを聞いてみます。詳しい話はそれからですね」
それを聞いたナジェークとカテリーナが、安堵した表情になる。
「分かった。何か手伝える事があったら、いつでも言いなさい」
「頑張ってね?」
「はい。他にも王都滞在中に色々済ませないといけない事がありますので、時間を無駄にせず頑張りますわ」
兄夫婦に笑顔で頷いたエセリアだったが、ここでディグレスとミレディアが会話に加わった。
「頑張るのは良いが、他人に迷惑をかけないように、あまり非常識な事や大事にはしないようにな?」
「カテリーナの勤務に寛容なのは、コーネリアとエセリアが子供の頃から色々と突拍子もない事をしてきたのを目の当たりにして、私達が多少の事では動じないようになったせいですものね」
「……否定はできませんが」
憮然とした表情で低く肯定したエセリアを見て、たまらずナジェークが噴き出し、その笑いが次々に伝染して最後はエセリア自身も笑い出し、シェーグレン公爵家の晩餐は楽しげな笑い声に包まれて終了した。
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