「全く、いい気なものだな。己の功績で伯爵位を授かった訳でもあるまいし」
「それは重々、承知しておりますわ」
思わず神妙な口調で答えたものの、すぐ横にいる人物の事を思い出して、エセリアは顔色を変えた。
(ちょっと待って。さっきからアーロン殿下を無視しているけど……。まさか私に話しかけているだけで、王太子殿下に挨拶している訳ではないから、序列なんてどうでも良いとか、そんな事を考えてないわよね、この人!?)
周りの人間もそう判断したらしく、グラディクトに対する視線が、一層険しい物になる。そんな刻一刻と悪化する空気の中、彼が全く悪びれずに言い放った。
「分かっているなら良い。ジムテール男爵家に融通しろ」
「は? 何を融通しろと仰いますの?」
咄嗟に何を言われたのか分からなかったエセリアが、反射的に尋ね返すと、グラディクトは当然の如く要求を繰り返した。
「決まっているだろう。お前の領地から上がってくる税収だ」
「……え?」
「お前の領地は、私が婚約破棄をしたおかげで、手に入れた物だからな。それ位して当然だろう」
平然とそんな事を口にした彼の横で、アリステアも明るい声で主張する。
「そうですよ。それにエセリア様のお家は公爵家で、何の不自由も無いじゃありませんか。こっちは色々と苦労しているんですから」
「さすがに全部渡せとは言わない。お前にも、立場と言うものがあるだろうからな。半分もあれば十分だ」
「エセリア様はワーレス商会からの収入もありますし、お金が一杯あって使い切れませんよね? 私達が有効に使ってあげますから!」
「…………」
アリステアが笑顔でそう宣言するまでの間に、周囲は既に静まり返っており、二人の非常識にも程がある要求が、会場中に響き渡っていた。
(何、この人達、正気なの? 自分達が何を言っているのか、本当に分かって無いわけ!?)
さすがのエセリアも、あまりの事態に二の句が継げないでいると、アーロンがその顔に強張った笑みを浮かべながら、何とか声を絞り出した。
「あ、あはは……。ジムテール男爵。ご夫人まで一緒になって、タチの悪い冗談は止めてください。笑えない冗談を聞いた皆さんが、困っておいでです」
そう言って何とか事態の収拾を図ろうとしたアーロンだったが、その咄嗟の配慮をグラディクトが踏みにじった。
「何を言っている。私は冗談など言っていないし、貴様に用は無い。邪魔だから引っ込んでいろ」
「…………」
それを受けてアーロンは口を噤み、エセリアは大真面目にそんな暴言を吐いたグラディクトから、黙って視線を逸らした。
(やっぱり底抜けの大馬鹿だわ……。せっかくアーロン殿下が、たちの悪い冗談を思わず口走ったという形にして、何とか穏便に事を済ませようとしたのに……。殿下を呼び捨てにした挙げ句、邪魔者扱いをするなんて)
そして動かした視界の中に額を押さえて項垂れた、この祝賀会の本来の主役のマグダレーナと、憤怒の形相のエルネストを認めてしまったエセリアは、更に視線を動かして見なかった事にした。
(陛下のお顔が……。これは完全に詰んだわ)
そうエセリアが確信した時、勢い良く椅子から立ち上がったエルネストから、鋭い声が発せられた。
「ジムテール男爵! 及び男爵夫人!」
「はい、父上! お呼びでしょうか?」
「お久しぶりです、お義父様!」
個別に呼びつけられた二人は、嬉々としてエセリアの前から離れてエルネストの前に駆け寄ったが、そんな二人を彼が盛大に怒鳴りつけた。
「貴様らのような恥知らずとは、金輪際親でも子でも無い!! ジムテール男爵夫妻は今後十年王宮への入場、及び王都へ入都を禁じる! それに伴い、王都のジムテール男爵邸から、一週間以内に退去する事を命じる! 警備担当者は何をしている! この目障りな痴れ者どもを、即刻ここから排除しろ!!」
「はっ! 畏まりました!」
その怒りを目の当たりにした、会場中に散らばっていた警備担当の近衛騎士達が、血相を変えて一斉に二人駆け寄った。
「二人の身柄を確保しろ!」
「さあ、さっさと歩け!」
そして有無を言わさず二人は腕を取られて、会場から引きずり出されて行く。
「何をする! 私は父上に話があるんだ!」
「きゃあっ! 何するの!? 離してよっ!」
「黙れ! この恥知らずどもが!」
「とっとと歩け!」
怒声を撒き散らしながらその一団が会場から出て行ってから、一連の流れを呆然と見守っていたマリーリカは、エセリアを振り返って慎重に尋ねた。
「あ、あの……。お姉様。早速お伺いしても宜しいでしょうか?」
「……ええ、何かしら?」
何となく彼女が何を聞きたいのかが分かったが、エセリアはそのまま促してみた。すると彼女から、予想通りの内容を尋ねられる。
「先程のお話は、まさかエセリアお姉様が爵位と領地を得たのは自分達のおかげだから、領地からの利益を寄越せというお話ではありませんよね?」
疑わしげにそう問われたエセリアは、益々頭痛を覚えながら彼女に言い聞かせた。
「マリーリカ……。信じられなくて混乱するのは分かるけど、先程、まさにそういう主張をされたのよ」
「あの、でも……、そんな意味が通らない理屈が成り立ちますの? 迷惑を被ったお姉様が、あの方達に便宜を図る必要など、無いと思うのですが……」
「マリーリカ。世の中には常識が通じそうで通じない方は、結構存在しているものよ? そういうものだと割り切って流しましょう。真面目に考えるだけ、時間の無駄と言うものよ」
「……分かりました」
まだ幾分、呆然としながら頷いたマリーリカを見て、年嵩の公爵夫人が彼女を宥めた。
「驚いたのは、マリーリカ様だけではありませんわ。私も同様ですから。でもまさか王太子殿下にご挨拶もせずに、あんな暴言を口にされるとは……」
その苦々しげな口調に、忽ち周囲が賛同の声を上げる。
「本当に、呆れて物も言えません」
「己の行為を、全く反省していらっしゃらなかったと言う事ですな」
「全く、今でも王太子気分が抜けきらないようですね」
「さすがに十年も社交界から遠ざかれば、嫌でも認識できるのでは?」
このままグラディクトに対する非難がエスカレートするだけだと、王家の威信にも傷が付きかねないと判断したエセリアは、さり気なく話題を逸らしてみた。
「ですがあの場面で、咄嗟に男爵の冗談にしてしまおうとした、王太子殿下の判断はさすがですわ」
かなり苦しかったもののアーロンの誉め言葉に繋げてみると、他の者達も不愉快な話題を好き好んで口にしたくなかったのか、口々にアーロンを褒め称える台詞を口にし始めた。
「ああ、全くアズール伯爵が仰る通りですな」
「しかもあのような男爵風情にまで、恩情をかけようとするとは」
「やはりアーロン殿下が王太子になられて、正解でしたわね」
「ええ、安心できましたわ」
それからは普通の会話に戻った為、エセリアは安堵して胸をなで下ろし、アーロンから目線で感謝された。
「全く、どこまで周囲に迷惑をかけるつもりやら。今回は助かったよ、エセリア。咄嗟に言葉が出ないなど、私もまだまだだな」
「お兄様、ああいう非常識な展開に、あまり慣れなくても宜しいと思いますわ」
「そう願いたいな」
この間、驚いて事態の推移を見守っていたナジェークが苦笑いで囁き、エセリアも困った顔で応じてから、周囲の貴族達との話に加わった。
(こちらは何もしていないのに、本当にどこまで墓穴を掘ってくれるやら。だけど王宮どころか王都からも追放処分が下ったからには、暫くは顔を見る事も無いでしょうね)
今回の主役の一人でもあるエセリアは冷静にそんな事を考えながら、入れ替わり立ち替わりやって来る出席者達から祝辞を受けつつ、最後まで和やかに会話を交わしていた。
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