「と言う馬鹿馬鹿しいにも程がある内容を、あのお二人が自習室で、私の机とそう離れておられない場所で、恥ずかしげも無く話されていたのですわ。何回も笑い出したいのを堪えていたせいで、疲労困憊してしまいました」
「災難だったわね、アズリーナ」
「ご苦労様でした」
いきなり教室に駆け込んで来るなり、まくし立てた彼女に、エセリアを囲んで談笑していた女生徒達は、揃って同情の眼差しを送った。
「その後、『早速話を付けてくる』などと仰って、自習室から出て行かれましたから、嫌な予感がしたのでこちらに報告に参りましたの。今日はこちらで、紫蘭会の《『欺瞞と真実の狭間で』について語る会》の会合があると聞いておりましたから」
「それは分かりましたが……、どうしてそんなに慌てて報告にいらしたのですか?」
不思議そうにエセリアが尋ねると、彼女は怒りの形相になりながら断言する。
「私の予想通り、殿下がすれ違う人にエセリア様の所在を尋ねながら歩いていたからですわ! 絶対に音楽祭とやらの準備を、エセリア様に丸投げするおつもりですわよ!? 私の髪を賭けても宜しいですわ!」
彼女がそう叫んだ瞬間、室内の空気が冷え切った物に変化した。
「企画を考えるのは勝手ですが、自分でされるのならまだしも……」
「エセリア様を都合の良い駒扱いとは、何様のつもりですの?」
「しかもあの道理を弁えない女に、良い顔をする為とは。以ての外です」
「呆れて物も言えませんわ」
周囲から怒りを内包した声が湧き起こるのを聞きながら、エセリアは考え込んでいたが、すぐに知らせてくれたアズリーナに礼を述べた。
「良く分かりました。急いで知らせてくれてありがとう。何を言われても、落ち着いて対処ができますわ」
「いえ、これ位何でもありませんので!」
「向こうがその気なら、遠慮は無用ですわね。そう言えば……」
そこで顔を上気させたアズリーナからシレイアに視線を向けたエセリアは、穏やかに尋ねた。
「それではシレイア。ちょうど良いので、例の件をお願いしても良いかしら?」
「任せて下さい。準備万端、整えてあります」
「頼りにしているわ」
力強く頷いたシレイアが、何やら意気揚々と部屋を出て行ってから少しして、再びエセリア達が談笑していた教室にグラディクトが乱入してきた。
「エセリア! 散々探したぞ。どうしてこんな所に居る?」
(はっ! どこにいようとこっちの勝手よ!)
理不尽な文句を言われたエセリアは、内心でそう毒吐きつつ、笑顔で答えた。
「友人の皆様と、これからの年間行事についての、意見交換をしておりましたの」
「ふん、暇そうだな。ちょうど良い。今度新たに学園の年間行事に、音楽祭を開催する事にした。またお前が実行委員長を引き受けて、企画運営しろ」
「お断りします」
「何だと?」
常識的に考えると、いきなり言い出した上、微塵も頼む気配を見せない相手に断りを入れるのは当然だったが、グラディクトは忽ち気分を害したように問いただした。
「私の命令が聞けないのか?」
「逆にお尋ねしますが、どうして私がそのお役目を引き受けなければならないのですか? 私は殿下の部下ではありませんが」
「はぁ? お前は私の婚約者だろう? 私の為に働こうとは思わないのか?」
苛立たしげに恫喝したグラディクトだったが、エセリアは全く恐れ入る事無く、堂々と言い返した。
「それならまず第一に、その音楽祭とやらに殿下は参加致しますの?」
「参加はしない。剣術大会と同様に、名誉会長にはなるがな」
恥ずかしげも無くそう言った彼に、エセリアは興醒めした表情で話を続けた。
「第二に、音楽祭を開催する意義が分かりません」
「浅慮な奴だな。学園は勉学だけに励む所では無い。多様な活躍の場を設けるべきだろうが」
鼻で笑ったグラディクトだったが、エセリアはそれ以上の冷笑で返した。
「そうお考えなら、ご自身で学園長や教授方と交渉するべきですわね。私は、開催する意義を認めません」
「何だと!?」
「第三に、私は今年も剣術大会の実行委員長を引き受けて、既に実働しておりますので、余計にそんな事に割く時間と労力はございません」
「そんな事だと!? 無礼だろうが!」
激高したグラディクトだったが、エセリアは淡々と話を続けた。
「第四に、私は音楽など、殊更進んで嗜みたいとは思いません」
それを聞いた途端、グラディクトは嫌らしく含み笑いをしながらエセリアを眺めた。
「……ほう?」
「何か?」
「我が婚約者殿は、それほど演奏が不得手と見える。他者に披露するのもはばかられるとは、王太子の婚約者としては失格だな」
「そうですわね。ですから私がする義理も義務も意欲もありませんわ。それらに満ち溢れた方に、実行委員長を引き受けて頂ければ宜しいでしょう」
挑発すれば「そんな事は無い」と否定して、率先して引き受けるだろうと思っていたグラディクトは、予想に反してエセリアがあっさり頷いた為、再度怒りの声を上げた。
「はぁ!? 貴様はそんな不名誉な噂が立っても構わないと言うのか!」
しかしその訴えも、彼女は当然の如く言い返す。
「それのどこが不名誉だと? 大体、演奏などは本職の楽師が行えば宜しいでしょう。本来貴族に求められるのは、それを正確に愛でる感性と知識ですわ」
「話にならん! 貴様は本当の意味で音楽を理解できない、単なる知識の塊に過ぎない女だな!」
「ええ、そうですの。ですから音楽祭の企画運営など無理なのですわ。やっとご理解頂けたようで、安堵致しました」
「このっ……!」
そこまで失格者だと罵倒する人間に、まさかお任せする筈もありますまい?との含みを持たせてエセリアが話を終わりにすると、グラディクトが悔しげに歯ぎしりした。そして彼女の周囲から失笑が漏れる中、エセリアがさり気なく言い出す。
「そう言えば殿下。久しぶりに直にお話しする機会を得られましたので、一言ご忠告したいのですが。ご友人や側に置く者は、吟味なさった方が宜しいと思いますわ」
「何だと?」
「さもないと殿下まで、その程度の人間と同レベルの人間と、周囲の者に捉えられかねませんもの」
笑顔で告げられた台詞に含まれた意味を、さすがに察する事ができたグラディクトは、地を這うような声で問い返した。
「貴様……、何の事を言っている?」
しかしエセリアは、凄まれても全く動じずに話を続けた。
「ですが最初から同レベルでしたら、別に私がどうこう言う必要はございませんわね。寧ろお似合いですわ」
そんな暴言を口にした挙句「おほほほほ」と高飛車に笑った彼女を、グラディクトが怒鳴りつけた。
「エセリア! 貴様、私に向かって無礼だろう!」
「まあ、どこがどう無礼だと?」
「エセリア様は、一般論を述べただけですわ」
「そうですわね。現に殿下が取るに足らない人間をお側に置いているならともかく」
「あら、でもそれならエセリア様の発言は、全く無礼ではないでしょう?」
「そうですわ。殿下の評判を落とさない為の、正しい処置ですもの」
「本当に、理想的な婚約者でいらっしゃいますわね」
しかしエセリアの周囲の女生徒達が、不思議そうに口々に意見を述べた為、彼は纏めて彼女達を睨み付けた。
「貴様ら……。揃いも揃って、こんな女にすり寄るとは……」
そんな険悪な空気の中、この間黙っていたエセリアが、のんびりと口を挟んでくる。
「分かりませんわね……。私の発言のどこがどう殿下に対しての不敬に当たるのか、両陛下にお尋ねしてみましょうか? 何度も殿下をご不快にさせるのは、私の本意ではありませんし」
「……っ! もう良い!! 貴様には何も頼まん!」
万が一、この話が国王夫妻の耳に入った場合、一子爵令嬢の為に公爵令嬢であるエセリアを働かさせるとは何事だと、叱責される恐れがあると判断したグラディクトは、悔しげに捨て台詞を吐いてその場を後にした。
その姿を見送ってから、エセリアが友人達に笑いかける。
「漸く静かになりましたわね……。ですが皆様が咄嗟に私に合わせて下さって、驚きましたわ」
その言葉に周りの者達は、揃って笑顔で返す。
「あれ位、当然です! だって先程の台詞は『欺瞞と真実の狭間で』の作品中の、主人公をいたぶる敵役令嬢のシェイラの台詞、そのままでしたもの!」
「エセリア様がシェイラになりきっておられるのに、私達が乗らないわけがございませんわ!」
「ついつい悪ふざけが過ぎて、シェイラの取り巻きになりきってしまいましたわね」
「エセリア様。この際、他の台詞も言ってみては頂けません?」
「そうですわね……。それでは」
中の一人がそんな事を言い出した為、エセリアは一瞬考え込んでから冷酷な眼差しを作り、上から目線で言い放った。
「お黙りなさい、この下郎! その不快極まりない顔を、私の視界に入れる事、その事だけで万死に値するのが分からないなら、その綺麗な顔ごと、頭を野良犬に喰わせておしまいなさい!!」
その途端、彼女の周囲で歓声が上がる。
「きゃあぁぁっ! 正に本のイメージ通り!」
「さすがはエセリア様ですわ!」
「お願いします! 他にもやってみて下さいませ!」
「そうね、それでは次は……」
それから暫くの間、エセリアは調子に乗って悪役令嬢を演じまくり、大盛り上がりの周囲から拍手喝采を浴びた。
(人目が無いから、安心して悪役令嬢っぽく振る舞ってみたけど……。何だか楽しくなって来たわね)
そんな彼女達の様子を、偶々報告する事があってエセリアを探しに来たミランが目撃する羽目になり、彼は教室の入口で盛大に嘆息する事となった。
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