悪役令嬢の怠惰な溜め息

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(16)虎の尾を踏むグラディクト

公開日時: 2021年4月29日(木) 22:03
文字数:3,865

エセリアと同じく貴族科上級学年に所属しているレオノーラが、ごく親しい友人達と廊下を歩いていると、唐突に背後から呼び止められた。


「待て。レオノーラ・ヴァン・ラグノース」

「はい、殿下。どうかなさいましたか?」

 同じクラスで聞き慣れた声であった為、レオノーラは微塵も動揺せずに振り返ると、グラディクトは早速話を切り出した。


「お前が今年の剣術大会の、接待係の取り纏め役だと聞いたが?」

「はい、そうなっております」

「それでは接待係にアリステアが参加するから、そのように取り計らえ」

 いきなりそんな事を言われたレオノーラは、本気で困惑した。


「え? あの……、その『アリステア』と言うのは、もしやアリステア・ヴァン・ミンティアの事でございますか?」

「ああ、そうだ。彼女はまだ、どの係にも入っていなかったからな。途中参加でも構わないのだろう?」

 そう問われたレオノーラは、周りの友人達が渋い顔をしているのに気付いたが、決まりは決まりだった為、落ち着き払って頷いた。


「はい。勿論です。それでは彼女の名前を、名簿に加えておきますわ。お話はそれだけでしょうか?」

「いや、それで接待係の顔合わせには私も同席させて貰うから、日程を教えてくれ」

「……はぁ?」

 今度こそ本当に面食らったレオノーラが絶句したが、そんな彼女を見たグラディクトは、苛立たしげに再度尋ねた。


「聞こえなかったのか? 顔合わせの日程を教えろと言ったんだ」

「いえ、聞こえてはおりましたが……。接待係での顔合わせの予定などは、全くございません」

「何だと? どうしてだ。他の係は既に、何度も顔合わせや打ち合わせをしているだろうが!」

 強い口調で迫ったグラディクトだったが、レオノーラは小首を傾げながらあっさり反論した。


「他の係の事情を、詳しくは存じ上げませんが……。様々な身分や立場の者が集まって、細かく作業を分担するので、自然と顔を合わせる回数が多くなるのではないでしょうか? ですが接待係は、開票時の道具を運ぶお手伝いや、休憩する方にお茶を出すだけですから、事細かな打ち合わせなどは必要ありませんし、希望する方々は殆ど顔馴染みの方ばかりですもの。敢えてそんな事をする必要はございませんわ」

「アリステアにとっては、知らない人間ばかりだ」

 そう彼が主張すると、レオノーラははっきり分かるほど顔付きを険しくしてから、確認を入れた。


「殿下……。それではまさか、そのアリステア嬢の為に、この私に、接待係全員を揃えての顔合わせの場を設けろと仰っておられますの?」

「新しい人間が入るのだから、当然だろうが」

「お断り致します」

「……何だと?」

 即答の上、はっきりと拒否されて、グラディクトは怒りの形相になったが、レオノーラはそれに全く怯む事無く堂々と言い返した。


「どうして私が、そんな取るに足らない者の為に、接待係の全員に声をかけて、紹介の場を設ける必要がございますの? そんなに顔合わせの場を設けたければ、そのアリステア嬢が私達を招く形にすれば良いのですわ。新参者であるならば尚更、それが当然と思われます」

「貴様、私の命令が聞けないと言うのか!?」

 その恫喝めいた叫びに、周りの女生徒達は小さく悲鳴を上げたが、レオノーラ本人は含み笑いで応じた。


「仮に……、顔合わせの場を設けて欲しいとお願いしてきたのがエセリア様でしたら、彼女に恩を売る意味でも快諾するところではありますが……。どこの馬の骨とも知れない者の為になど、どうして私が」

 そうあからさまにアリステアを見下した発言をした彼女に向かって、グラディクトは本気で怒りの声を上げた。


「そうか。貴様等は揃いも揃って、あの女の走狗だな!? 本当に人品卑しい女どもだ!」

「は? 何を仰っておられますの?」

「それでは望み通り、こちらで手筈を整えてやる。だがその場で滅多な事をするなよ? 私が目を光らせているから、そう思え!」

「え? あの……、殿下?」

 いきなり意味不明な事を喚いたと思ったら、いきなり踵を返して歩き去ったグラディクトを呆然と見送ってから、レオノーラは友人達に困惑顔で尋ねた。


「殿下が先程口にされた内容、皆様はお分かりになりました?」

 しかし彼女達も、揃って要領を得ない顔を見合わせる。

「いえ、あまり……。と申しますか、正直言って何の事やら……」

「そもそも『あの女』とは、一体誰の事ですの? 殿下があそこまで罵るなんて……」

「それに『走狗』とは……、誰が誰の使い走りになっていると?」

「話の文脈からすると、レオノーラ様がエセリア様の言いなりになっているような、意味合いだったかと思いますが」

「…………」

 中の一人がポツリと呟いた瞬間、それを耳にした全員が押し黙り、その場に微妙な空気が漂った。


 ※※※


 翌朝。寮から校舎に向かう途中で、エセリアは自分と同様に、ごく親しい友人達と連れ立って歩いているレオノーラに遭遇した。


「ご機嫌よう、エセリア様」

「ご機嫌よう、レオノーラ様」

「少々お尋ねしたい事があるのですが、宜しいですか?」

「はい、何でしょうか?」

 普段は挨拶をする程度の彼女が、わざわざ何かしらと、エセリアが不思議に思いながら足を止めると、同様に立ち止まったレオノーラが、淡々と話を切り出した。


「昨日グラディクト殿下から、あのアリステア嬢を接待係に入れろと命じられたのですが、エセリア様はこの事はご存知でしょうか?」

「……いいえ、全く。初耳ですわ」

 完全に寝耳に水の事を言われ、顔を引き攣らせた彼女を見て、レオノーラは本当に知らなかったらしいと納得し、そのまま話を続けた。


「しかも、かのご令嬢が接待係の殆どと面識が無いので、私に顔合わせの席を設けろと仰いましたのよ? 挙げ句の果てに、何をどう勘違いされたのか、私を『エセリア様の走狗』とまで仰られて、意味不明な罵倒をされておられました」

「それは……、レオノーラ様にご不快な思いをさせた上、ご迷惑をおかけして申し訳ございません」

 エセリアは心の中で(何やらかしてんじゃ、あのボケがぁぁっ!)と罵倒したが、取り敢えず事を荒立てたくは無かった為、レオノーラに向かって頭を下げた。すると彼女が、皮肉っぽく微笑みながら告げる。


「まあ……、エセリア様が頭を下げずとも宜しいのですよ? あなたの責任ではありませんし。本当に、分別がお持ちでない婚約者をお持ちですと、ご苦労が多いですわね? 私、グラディクト殿下の婚約者にならなくて、本当に良かったと思っておりますわ」

「…………」

 そこでコロコロと楽しそうに笑ったレオノーラに、エセリアは全く反論できなかった。しかしレオノーラはすぐに真顔になり、エセリアに問いかける。


「それで、一つ確認なのですが。恐らく殿下が顔合わせの席を設けて、接待係全員を招く事になると思いますが、その場で何があっても、エセリア様の関知するところではございませんわね?」

 それにエセリアも、負けず劣らずの真剣な顔付きで頷く。


「勿論ですわ。私もシェーグレン公爵家も、そんな些細な事に煩わされず、これからもレオノーラ様とラグノース公爵家との友好関係を保ちたいと考えておりますもの」

「それを伺って、安心いたしました。それでは私の好きにさせて頂きます」

「ええ、どうぞご存分に」

 最後は互いに微笑んでから、二人は離れて歩き出したが、エセリアはすぐに周囲に聞こえない程度の小声で呻いた。


「やってくれたわ……」

「ええと……、どういう事ですか?」

 貴族間の関係性が良く分かっていないシレイアが、困惑しながら尋ねると、サビーネが溜め息を吐いてから彼女に解説した。


「ラグノース公爵家のレオノーラ様は、家格から考えても、エセリア様がいなければグラディクト殿下の婚約者になっていたかもしれない方なの。でもエセリア様の有能さは子供の頃から群を抜いていたから、あっさり殿下の婚約者に決まったのだけれど」

「それではあの方は、エセリア様と敵対しているわけですか?」

 シレイアが素直に考えて導き出した結論を口にしたが、サビーネはそれに首を振って否定した。


「そんな事は無いわ。レオノーラ様はご自分の能力が、エセリア様に敵わないとしっかり認識しているもの。だから目標と言うか、好敵手として尊敬していると言うか……。でもレオノーラ様は誇り高い方だから、変に馴れ合うのを良しとしていなくて、貴族科の中では微妙な空気を醸し出しているけど」

「はぁ……、そうなんですか……」

 シレイアがなんとなく納得して頷くと、エセリアは笑ってその説明に付け加えた。


「でも、ああいう孤高を保つ方って、私は結構好きよ? それは彼女の個性だし、それだけしっかり自分の意見を持っていると言う事だもの」

「ですから今年の接待係のまとめ役を、レオノーラ様にお願いしたのですが……。どうして殿下は最初から、怒らせる真似をするのでしょう。エセリア様に対抗する人脈を築こうとするなら、まずレオノーラ様を取り込むべきでしょうに」

 サビーネが如何にも理解できないと言った風情で述べた為、シレイアは再び困惑した表情になった。


「レオノーラ様のお話では、殿下が彼女の事を『エセリア様の手下と勘違いをしている』との事でしたが……。殿下はそこら辺の事情を、ご存じでは無いのですか?」

 その疑問にエセリアとサビーネが、思わず顔を見合わせる。


「確かに教室内では、お互いに笑顔で挨拶しているけれど……」

「普通に観察していれば、上下関係とか普通の友人関係とは微妙に異なると、分かると思うのに……」

 そんな更なる騒動の予感に、女三人は微妙な顔を見合わせながら深い溜め息を吐いた。


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