審議日程が決定して、王宮内の関係部署が慌ただしく準備している頃。前夜に引き続き、朝から再開されていた取り調べから漸く解放されたミンティア子爵夫妻が、疲れきって王宮の廊下を歩いていると、その背後から些か能天気な声がかけられた。
「ミンティア子爵、お疲れさまでした。王宮の地下牢に滞在されたご感想を、是非お伺いしたいものですね」
「何だと? この若造が!?」
皮肉っぽい口調のそれに、子爵夫妻が怒気も露わに振り返って恫喝すると、ナジェークがそんな彼らに向かって、慇懃無礼に自己紹介する。
「申し遅れました。私はナジェーク・ヴァン・シェーグレンと申します。あなた方の娘が謀略の限りを尽くし、グラディクト殿下を操って陥れようとした、エセリア・ヴァン・シェーグレンの兄に当たります。我が家を敵に回したと言う事は、それ相応の報いを受ける事を、当然覚悟の上だとは思いますが」
そう彼が告げた途端、夫婦は顔色を変えて弁解した。
「滅相もございません!」
「誤解です! あの娘は、私達とは無関係ですので!」
「まあ、我が家がどうこうしなくても、既にお前達がそれ相応の罰を受ける事は、既定路線だがな」
「何ですって?」
「どういう事ですか!?」
ナジェークが急に冷徹な口調で切り捨てた事で、夫妻は更に顔色を悪くしたが、彼はそれには全く構わずに話を続けた。
「エセリアに全く非は無い。それは明日の審議の場で明白になる。それに従ってグラディクト殿下は、王太子位を剥奪されるのみならず、最悪、王族籍を抜けて臣籍降下されるだろう。その場合、殿下はどこの家に入ると思う?」
「どこの家と言われましても……」
「まさか、うちでは無いでしょうね!?」
問われた子爵は、どうして自分がそんな事を聞かれるのかと本気で困惑したが、何やら思い至った夫人が焦った様子で問い返した。それにナジェークが冷笑で応じる。
「バスアディ伯爵家はディオーネ様の実家で、現当主は殿下の実の伯父上に当たるが、彼を引き受ける気は無さそうだぞ? 『殿下はミンティア子爵令嬢との婚約を前提に、エセリア嬢との婚約破棄を通告したのだから、責任を取らせる意味でミンティア子爵家に入れるのが筋だ』と、朝から官吏達に触れ回って、工作活動に腐心しているからな」
「何ですって!?」
「そんな馬鹿な!」
「明日正式な処分が下ったら、即座にミンティア子爵家に殿下の籍が移るのは確実だ。そうなると現当主は即刻蟄居、殿下を当主として据えて、元王族としての体面を保つ。これで無事、万事解決と言うわけだ」
「納得できません!」
「冗談じゃありませんわ!」
予想外過ぎる内容を聞かされて、必死の形相で声を荒げた二人だったが、ナジェークは淡々と忠告らしき物を口にした。
「そう言われてもな……。私がそれらの処分を決めるわけでは無い。早いうちに荷物を纏めておいた方が良いぞ? すぐにでも屋敷を明け渡す事になるだろうからな」
「そんな! 私達は何もしていません!」
「あんまりですわ!」
「ああ、何もしていなかったみたいだな。実の娘の世話をせず、死んだ母親の財産を好きにできないと分かれば、その身柄を国教会に押し付けた。それなのに厚かましく親子関係だけは主張して、娘を金持ちに売りつけて金をむしり取ろうとした、正当な報いだろう。違うか?」
「……っ!」
「それは!」
全く反論できずに二人が口ごもると、ナジェークが思わせぶりに話を続ける。
「だが本当に娘が企んだ事とは無関係なら、同情する余地があるから、一言忠告してやる。ミンティア子爵家を乗っ取られたくなければ、さっさと娘の籍を抜くんだな」
「はい? 籍を抜くですと?」
当惑したミンティア子爵に、ナジェークが説明を加えた。
「そもそも貴様と、死んだ娘の母親との婚姻そのものを無効にできれば完璧だな。そうすれば母親は実家の籍に戻されるし、当然娘もミンティア子爵家に存在しない」
「なるほど! それはそうですな!」
「さすがはシェーグレン公爵家のご子息ですわ!」
解決の目処が立って目を輝かせた二人だったが、ここでナジェークが二人の歓喜に水を差した。
「しかしその手続きが、明日正式な処分が下るまでに完了するかな? 相当金を積んで伝手を駆使して働きかけないと、間に合わないのではないか? そんな物が有れば、の話だがな。それでは失礼する」
言うだけ言ってあっさりその場を立ち去ろうとしたナジェークの腕を、子爵が慌てて捕まえて懇願する。
「ナ、ナジェーク殿! 是非とも高官の方にお取り次ぎを!」
「ナジェーク様は、王妃様の甥に当たりますのよね!?」
しかしその期待に満ちた訴えを、ナジェークは乱暴に手を払いつつはねつける。
「はぁ? ふざけるな。貴様らは馬鹿か。どうして迷惑を被ったシェーグレン公爵家が、お前達の為に骨を折らなければならない。忠告してやっただけ、ありがたいと思え」
「そんな!」
「ほら、さっさと動かなくて良いのか? もう午後だし、時間が無いぞ?」
「あなた!」
「あ、ああ! とにかく一度、屋敷に戻るぞ!」
悲鳴じみた声を上げながら夫婦は慌ただしくその場を後にし、それを見送ったナジェークは、苦々しげな呟きを漏らした。
「全く……。エセリアからあの娘の話を聞いてから少しずつ調べていたが、本当にろくでもない。娘が娘なら、親も親だ。そもそも親として娘を真っ当に育てていれば、こんな事にはならなかったのだからな。当然の報いを受けろ」
そう吐き捨てたナジェークは、すぐに気持ちを切り替えて廊下を歩き出した。
「さて、後は財務局だな。今日中にジムテール男爵家にも出向かなければいけないし、さっさと済ませる事にするか」
ナジェークがそんな独り言を呟いていると、前方から歩いてくる人物が、これから自分が訪ねる予定の相手だった事を認めて、密かにほくそ笑んだ。
「やあ、アラン。久しぶり。忙しそうだな」
「ナジェーク、大丈夫なのか? 今回の騒ぎで、妹さんが渦中の人物になっているし」
前年まで財務局で同僚だった彼が、心配そうに尋ねてきた為、ナジェークも沈痛な面持ちで応じる。
「私は殿下が謹慎処分中だから、する事が無くて暇なんだ。全く、腹立たしい事この上ないよ。妹と共に、誠心誠意殿下にお仕えするつもりだったのに……。確かに婚約以降も妹と殿下の間に、多少のわだかまりはあると感じていたが、それは時と共に解消すると楽観視していたのは、甘い考えだったようだ」
それを聞いたアランが、心底同情する口調で慰めてくる。
「君の落ち度では無いから、そんなに落ち込むな。私だって驚いているよ。最近王家からではなく、殿下個人から初めてエセリア嬢に贈り物をして、歩み寄っているなと感じていたから」
それを聞いたナジェークは、僅かに表情を緩めた。
(アラン。君の方からその話題を、持ち出してくれるとはな。本当に助かったよ)
わざわざ誘導する手間が省けた事に、ナジェークは非常に感謝したがそれは面には出さず、不思議そうに問い返した。
「殿下個人から、エセリアに贈り物だって? 確かに王家からは折に触れ頂いているが、我が家ではそんな物は一度も受け取っていないが。一体、何の事を言っているんだ?」
「え? 何の事って……、どうして兄の君が知らないんだ?」
そしてしらばっくれたナジェークとアランの間で、慌ただしく情報のすり合わせが行われ、その結果アランは顔色を変えて職場へと戻り、ナジェークは次の目的地に向かって悠然とした足取りで歩き出した。
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