剣術大会の実行委員会は、予選が全て終了した翌日、学園内で一番広い講堂の中央に大きな机を何台も並べて広い作業台を作り、前日までに集めていた人気投票の集計に取りかかった。
開票作業に当たるのは、これまで準備作業に携わって来なかった貴族の子弟、もっと詳しく言えば上級貴族に属する者が大半を占め、そんな者達が真面目に動くのかと周囲は密かに懸念していたが、格式としては最高の公爵家嫡男で最上級生のナジェークが開票現場を指揮統率している為、意外にもスムーズに作業は進んでいた。
「申し訳ありません。少しお茶をいただけますか?」
しかしさすがに慣れない立ち仕事で、音を上げる生徒が続出しており、そんな彼らを、講堂の壁際にテーブルをセットして待ちかまえていた女生徒達が、愛想良く出迎えていた。
「はい、どうぞお座りになって。今、お茶を準備いたしますわ」
「お二方とも、お疲れ様です。こちらの果物もどうぞ」
「ありがとうございます」
こちらもこれまで表立って活動していなかった、公爵や侯爵家の子女が顔を揃えており、そんな生徒達に給仕をして貰えるなんてと恐縮したり感激したりしながら、複数のテーブルでは入れ替わり立ち替わり男子生徒達が休憩を取っていた。
「作業は順調ですか?」
すぐ飲める様に、そこで淹れたてのお茶を出したりはせず、予め用意されてある冷茶をカップに注ぎ、手軽につまめるようにフォークを添えたカットフルーツを差し出しながらマリーアが尋ねると、一口冷茶を飲んだ生徒は、如何にも難儀な事の様に応じた。
「なかなか大変な作業ですね」
「なにしろ、書いてある名前が多すぎて。どこの籠に入れるのか、迷ってしまいます」
「確かに、仕分けが大変そうだとは思っておりましたが」
「本当にご苦労様です。ですがこの様な経験をするのは、在学中だけだと思いますし、得難い経験だと思われて最後まで頑張って頂きたいですわ」
マリーアと共に、そのテーブルを担当しているリュグノー公爵家のディアナも微笑みながら告げると、彼らは少し上気しながら力強く頷いてみせた。
「ええ、勿論です」
「今回の行事は、『一人一役』が標語として挙げられていますし」
そして楽しげに幾つかの世間話をしてから、マリーアがさり気なく少し離れた場所に目をやりながら、目の前の彼らに囁いた。
「あら、そろそろお戻りになられた方が良くありません? ナジェーク様が、少々険しい視線でこちらの方をご覧になっていたような……」
「ああ、そうですね。つい長居をしてしまいました」
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
そんな光景を、少し前から離れた所で観察していたエセリアは、(さすがマリーア様。サボリ魔をテーブルに張り付かせず、適当に回転させているわ)と内心で賞賛しながら、席が空いたテーブルに近寄った。
「マリーア様、ディアナ様、ご苦労様です」
「エセリア様、大して苦労などしておりわせんわ。長居はさせずに適当に追い払う位、何でもありませんわよ?」
「正直に申しまして、最初は給仕の真似事などどうしようかと思いましたが、必要な物は全て裏で準備していただいていますし、却って申し訳無かったですわ」
平然と微笑む二人に、エセリアが苦笑しながら応じる。
「それはそうですが、皆様程の上級貴族の令嬢でないと増長して変に居座ったり、自分に気があると変な誤解をして、今後に支障を来す場合がございますから、本当に助かっております。普通の社交界でなら間違っても気安く会話を交わしたりできない皆様と交流できる、彼らに取っては貴重な機会なのですから、愛想を振りまいて、こき使って差し上げて下さい」
全てのテーブルに付いている、上級貴族の女生徒達を見回しながらエセリアが告げると、マリーアがおかしそうに囁いた。
「まあ……、エセリア様は、意外に悪い方ね?」
「実はそうなのですわ」
そこで女三人で顔を見合わせて笑ってしまってから、急にマリーアが真顔になり、声を潜めて言い出した。
「ところで、グラディクト殿下の事なのですが……」
「殿下がどうかされましたか?」
不思議に思いながらエセリアが尋ねると、彼女が更に小声で告げてくる。
「大会が開催されてから、この大会で敗者に記章を授ける事と、敗者復活の人気投票は、自分が発案だと周囲にふれ回っておられるみたいですわ」
それにディアナも頷いてから、少々不愉快そうに続けた。
「それは私も耳にしました。ですが殿下は準備期間中、何もしていなかったではありませんか。各方面との調整を行ったのも、連日担当の係の進行状況を確認しつつ差し入れをしていたのもエセリア様ですし、皆様本当のところを分かっておりますわ」
「ちなみに、それを聞いた皆様は、どんな反応をしていらっしゃるかご存知ですか?」
その問いかけに、マリーア達はチラリと顔を見合わせ、考え込みながら答える。
「そうですわね……。相手が王太子殿下ですから、さすがに面と向かって『それはエセリア様が発案されたものです』と口にされる方は、いないと思いますわ」
「そうですわね、わざわざ相手を不愉快にさせたくはありませんもの。ですが皆、本当のところを知っておりますから『そうでしたか、存じませんでした』と冷静に返していると思いますが」
それを聞いたエセリアは、笑い出したいのを堪えながら、二人に頼み込んだ。
「そうですか。それで構いませんので。お二方も周りの方に、変に事を荒立てないように伝えて頂けますか?」
「それは構いませんが……、少々納得できかねますわ」
「良いのです。学園在学中に、生徒全員で何かを成し遂げる。その一体感を実現できた事だけで、私は満足ですから」
「本当にエセリア様は、懐が広くていらっしゃいますのね」
「それと比較すると……、他人の業績を我が事の様に吹聴するなど、どうかと思われます……」
マリーアはそれで割り切ったらしいが、ディアナがなおも不満げな表情を見せた為、エセリアは苦笑しながら宥めた。
「ディアナ様。お気持ちは嬉しいのですが、そこまでで。ご実家に累が及びかねませんので……」
「我が家の事まで心配して頂いて、ありがとうございます。最後まで精一杯、務めさせていただきますわ」
「よろしくお願いします」
最後にはディアナにも納得してもらい、笑顔でそのテーブルが離れたエセリアは、他のテーブルも空き次第次々回って、担当している女生徒達を労った。
そして全てのテーブルを回り終えたエセリアは、次に講堂の正面に陣取っているナジェークの所に向かう。
(忙しさに紛れて、噂なんか耳を通り抜けていたけど、殿下はそんな事を周りに言いふらしているわけか。武術全般が並以下と、騎士団や母親の前で公言されたのが癪に障って、どうせなら全部自分の手柄にしておこうって? 必死過ぎて笑えるわ。勝手にしていれば良いわよ)
辛辣な事を考えながら進んだエセリアは、ずっと立ったまま鋭い視線で講堂内を観察している兄に歩み寄り、声をかけた。
「お兄様、お疲れ様です。集計状況はどうですか?」
「見ての通りだ。順調だよ」
「それなら良かったです」
ナジェーク自身が全く椅子に座らずに作業を監督している為、「疲れたから椅子を持ってこい」などと口にできる者がおらず、全員無駄話もせずに作業を進めているのを見て、彼女は改めて兄に感謝した。するとナジェークが前方に顔を向けたまま、エセリアに囁いてくる。
「ところで……、お前が指示して騎士団幹部に渡した資料が、早速役に立っているらしい」
「そうですか?」
「来場された方の中に、人事を担当する方がいてな。『何故騎士団に推薦された人間が、半分以上も予選で敗北している?』と、大層ご立腹されたそうだ」
苦笑いで告げられた内容に、エセリアは少々意外そうに返した。
「まあ……、そんなに不振だったのですか?」
「ああ。責任者である騎士科の科長教授が呼び出されて、『偶々不調者が重なっただけです』と弁解したらしいが、『負けた者はそもそも普段の成績も良くないが、どうした事だ?』と、余計に叱責を受ける羽目になったとか。騎士団長に『こちらで推薦者を全面的に見直す』とまで言われて、面目丸つぶれだ。あの顔色では、辞任するかもしれないぞ?」
「そんな大事になっているとは、存じませんでしたわ」
「仕組んだ本人が何を言う」
大真面目にエセリアが感想を述べると、ナジェークが小さく笑った。
「ですが、さすがに騎士団の幹部なだけはありますわね。来年度からの選抜方法の見直しに繋がればとは思っていましたが、早速見直しを考慮していただけるとは」
「それで予選通過者の意気が余計に高まっているらしく、この人気投票の結果発表も、皆が目を血走らせて待っているらしいな」
そこでエセリアは、若干心配そうに兄を見上げた。
「……大丈夫とは思いますが、不正など行われない様にお願いします」
「それは任せてくれ」
途端に真剣に頷いてくれたナジェークに安堵しながら、ここでエセリアは忘れていた事を思い出した。
「ところで、イズファイン様とクロード様は、無事に勝ち残れたのでしょうか? 雑務に忙しくて、予選通過者名を確認するのをすっかり失念しておりまして……」
少々面目なさげにエセリアが尋ねた為、ナジェークは失笑しながら教えてやった。
「どちらもしっかり予選通過しているが、二人が泣きそうだから今の発言は聞かなかった事にしておくよ」
「そうして下さい」
そんな些細な出来事を挟みながら、剣術大会は益々盛況を極めていった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!