薄暗いフロアに、ヨーイチとサキは降り立つ。奇しくも、そこはゼロイチの記憶を見たとき、最後に彼らがたどり着いていたフロア……『前世記録室』のある場所だった。制御システムの暴走か、扉は全開まで開かれ、その青い箱の羅列を惜しみなくさらけ出している。壁の投影も取り払われ、ヨーイチにとっては見慣れた町の風景が、果てしなく広がって夕日に染まっている。
ナオキの遺体を運び出し、青い箱の一つに寄りかけさせた。丁度一番光が差し、ひだまりを作っている場所に。血と陽の光が混ざり合うその赤さが、青い箱とハレーションを起こす。
この箱たちは、本当に機械なのだろうか。冷却ファンの音も、装置が唸る音もなにも聞こえてこない。キューの言っていた通り、墓場のようという表現がぴったりだった。ここは酷く静かだ。五月蠅いくらいに静かだった。
「ヨーイチ、あれ」
ふいにサキがそう言って指をさす。その先には、部屋の一角設けられた簡素なモニタースペースがあった。ゼロイチの記憶にこの光景はなかった。彼らが起こした事件のせいで、新しく設置されたのだろう。
静かにモニターに近づく。ディスプレイには監視カメラの映像が映し出されていて、走馬塔の内部で起こっていることを一望することができた。
「これだったんだね」
いつの間にか隣にいたサキの小さな声が、フロアにがらんと転がった。
「ヨーイチが犯した、『罪』」
Sランク。
それは大量虐殺や法で裁けないものに付けられる、特別なランク。
この『地獄』は、まぎれもなく、すべて自分の、そして過去の自分が原因で巻き起こっている大量虐殺だった。
今もなお、ロボットが人々を追いかけている。おそらくナナシの仲間だろう。機械が暴走を始めたのか、駆けつけた職員ごと木っ端微塵に吹き飛ぶ様子は、まるで現実味のない光景だった。こんな危険な機械を搭載するほど、走馬灯局は実験の真実を明るみにすることを恐れていたのか。真相を知ったものを皆殺しにするまで。この世界を牛耳っていくために、ここまでする必要があるのか。
ヨーイチは、さっき井坂と分かれた部屋のディスプレイをまともに見る事ができなかった。動くものがひとつもない。見るのが怖い。
モニターから目をそらすと、真っ白な顔をしたサキがこちらを見つめていることに気づく。沈む夕日が、彼女を照らしている。彼女の肌に落ちた陰影。思わず手を伸ばそうと思って思いとどまる。
ずっと幻覚だと思っていた。そうであれと、願っていた。
「ねえ、ヨーイチ、やっぱり私たちって」
「言うな」
ひとつ。
ゼロイチの記憶を見て、気づいたことがある。
しかし、言葉にしたくない。まだ、できない。
さらに口を開こうとしたサキを制止しようとした瞬間、ふいに廊下からモーター音が近づいて、ヨーイチとサキは身構えた。開け放たれた青い扉の向こう、エレベーターの開く音とともに、一人の人影が現れる。
思わずブレインスキャナを向けたが、現れた姿にヨーイチは力をぬいた。
「……新田くん?」
「時崎さん、なんでここに」
困惑した様子の時崎が、丸い瞳に不安を滲ませながらヨーイチを見ていた。
「それはこっちの台詞だよ。下が大騒ぎになっているから、管理室にも入れなくて。ここのモニターなら安全かと思って、上階から様子を見ようと……井坂さんは? 一緒じゃないの?」
その名前を聞いた瞬間、心臓がつかまれたかのように傷んだ。なにかが込み上げてくる、それに耐えられる自信がない。ふらつく足で時崎に歩み寄ろうとした瞬間、ふいに強く腕を捕まれた。思わず振り返ると、サキが険しい顔で、じっと時崎のことを見つめている。
「撃って」
「は?」
ヨーイチの腕を掴んでいたユキの手がするすると下に降りて、ブレインガンごと手を取られる。あっけにとられていると、サキはヨーイチの手ごとブレインガンを構えた。
まっすぐ、時崎にむけて。
「新田くん、あなた……」
「ちがう、これは」
「気づいたの?」
時崎はその一瞬で、自身の背中に手をまわした。ぎらりと鈍く光る黒が、時崎の手に握られたそれが、カチリと小気味いい音を立てる。
スキャナではない。前時代の黒々とした殺傷銃。
時崎は静かに笑っていた。笑いながら、銃口をヨーイチにまっすぐにむけていた。
「時崎、なんで」
「あなたが先に銃口を向けたんでしょう」
安全装置はすでに外れている。彼女は本気だ。
「撃って!」
ユキの叫び声と共に、ヨーイチはスキャナの引き金を引いた。同時に発砲音。スキャナの音じゃない。実弾の音。
頭に衝撃をうけて、ヨーイチは背中から倒れ込んだ。時崎の手にある拳銃が、煙を吹いていた。ああ、おそらく銃弾が、頭を貫通したのだろう。痛みはない。ガラスが割れる音と同時に、風の音がヨーイチの思考をさらっていく。
空がみえた。真っ赤に燃える空が。
落ちる、そう思ったとき、ヨーイチの頭に記憶が流れこんでくる。
これは、彼女の……
時崎の、前世の走馬灯だ。
* * *
ヨーイチは、徐々に遠く離れていく塔の先端を見つめていた。どんどん離れていくのに、真っ赤に染まった空だけは、視界の端から端まで広がって留まることを知らない。背中いっぱいに風をうけながら、ヨーイチは笑った。この光景は、見たことがある。
ゼロイチの視界と同じ。塔から今、落ちている。
横にはサキがいた。風の抵抗で痛んだ髪がなびいて、夕日の陽を受けたその一本一本がシナプスのように発光する。
ヨーイチは小さな声で言う。
「……お前、なんでわかったんだ」
「……あの人、見たことがあるの。わたしが元いた『未来』で」
そしてサキは『未来』について語る。語りながら、自嘲気味に笑う。
「このためだったんだね」
「……ああ」
「わたしたち、存在してないんだね、ここに」
サキが悲しげに一度、瞬きをする。
「私はヨーイチに、このことを知らせるために魂に作られた……『虚構』だった」
その一言が、どうしても聞きたくなかった。
サキの声は、はっきり聞こえた。まるで耳元で囁かれているかのように鮮明に。すさまじい高さから落ちているのに、会話ができている。こうやって笑い合うことも。
ここが、現実じゃないから、そうすることが出来る。
「おかしいよね。こうやって悲しい表情を作っているけれど、私には意識がない。だって私はまだ生まれてもいない」
「虚構なのは、俺も同じだよ」
「違う。あなたは、この後思い出すでしょう。私と出会ったことも、思い出もすべて。でもこれから生まれる私は、貴方とは絶対に出会わない。出会えない。思い出も、何もかも、今感じていることも、何も」
「じゃあ俺が」
思わずヨーイチはサキの手をとった。驚いたように見開かれた目は潤み、これが本当は存在していないなんて、その瞳の奥で揺れ動いている感情的な様子は演出であるなんて、にわかに信じることができなかった。それはサキだけではなく、自分も同じことだ。俺達はここに存在していない。
そんなこと、ゆるせなかった。
この心が、すべて虚構だなんて、ゆるせなかった。
「約束する」
地面が近づいている。もうすぐ叩きつけられ、虚構である自分達は消えるだろう。そして目を覚ます。本当の世界に生きている「ヨーイチ」が。
「俺が死んだら、会いに行く。だからずっと待っていてくれ」
サキの体を抱きしめる。暖かい、と感じる。
嘘でも、虚構でも、ここに感じる。彼女が生きていたこと。
サキが笑った。背中に小さな手が回された。耳元で、彼女は囁いた。
「じゃあ、またね、ヨーイチ」
強い衝撃と共に、2人は消えて、そして
『俺』は、目を開けた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!