同乗者たち

ハラアイ
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02-監理者たち

公開日時: 2020年10月17日(土) 15:03
更新日時: 2020年10月17日(土) 15:09
文字数:3,806



 人生は一度きり。だから人の命は尊く、かけがえないものである。

 かつてそう思われていた時代もあったらしいが、今やそんな窮屈な時代を知っている者は、ただの一人も残っていない。


「21グラムの魂、および輪廻転生は実在する」


 最初にそれを発表したのは、「回谷めぐりやハジメ」という脳科学者だった。彼は人間が生まれた瞬間、21グラム体重が増えると同時に、脳内に謎の神経回路が発生することを突き止める。そしてそこに記録されているのが、「かつて実在した人物の一生」だと分かった時……既存の常識がひっくり返ることとなった。

 回谷はこの現象が、本来繋がるはずのないニューロン同士のシナプスによって発生する亡霊的スパイクニューロン発火、「前世の走馬灯」ではないかと予測。やがてすべての生者の脳内に、過去実在した死者の記憶がまるで固有のDNAや指紋の如く存在することが明らかとなり、科学者たちはこれが前世の記憶だと仮定することで、あらゆる疑問が解消すると認めざるを得なくなった。


「人は生まれてからまもなく21グラム体重が増え、逆に死ぬ間際には、21グラム体重が減ることがわかっている。『前世神経回路』が脳内に発生しているのは、必ずこの21グラムの増加以後から、減少以前の間に限られる。つまり、21グラムの謎の物体『X』が肉体に留まっている間のみ、このニューロンはスパイク可能だということだ。また、前世記憶の移動サイクル、つまり前世から来世への記憶移動の統計結果から、この『X』はまず生まれたばかりの肉体に宿り、その肉体が死ぬと、そこでの記憶を保持したまま、次の肉体へと移ると考えられる」



 そして、「それ」は世界中に宣言されたのだった。  



「これらの帰納的事実から、私はこの謎の物体Xを『魂』のようなものだと定義する」



「魂」という目に見えないものが、どうやら存在する。

 その事実は、この世の人類すべてを困惑させた。

 まず神への冒涜だとする声明とともに、回谷を狙ったテロや暴力行為が多発、さらに当時この国の若者から絶大な支持を得ていた団体「光の会」も加わり、小さな混乱はいつの間にか歯止めのきかない大混乱の渦となり果てた。しかしそこに加わったのは信仰を持つ者だけではない。来世があるならば、現世は捨ててかまわない……魂という存在が明らかになる前から、平然とした顔をしながらも日々鬱憤をためていた人々は、その事実によって箍が外れはじめた。

 自殺したって来世がある。犯罪を犯したって来世がある。徐々に犯罪件数と自殺率は増え、小火だったそれは山火事の規模へと発展。政府でも対処しきれない、自殺、暴行、殺人の嵐。

 数年がかりで鎮圧され、そして生まれたのが「走馬燈局」。

 前世を管理する、世界共通の組織である。



「現世で犯罪を犯した者、および、自殺をした者は、来世でペナルティを受けることになる」



 この「前世法」の制定で、犯罪者と自殺者は減少。犯罪を犯した者たちは、犯した罪の重さによって、来世でA~Cまでのランクがつけられることになった。

「前世監理官」は、ランク付けされた前世犯罪者、通称「クロアナ」の行動を監視し、場合によっては強制的に拘束する権限を持つ。

 前世の行いによって現世での地位が決定する、「前世社会」の始まりだった。







「お疲れさん」


 ゆっくりとした動作で、井坂が階段から上ってきた。ヨーイチにねぎらいの言葉をかけながらも、地面に伸びているクロアナを見て顔をしかめる。


「なにも気絶させなくてもいいでしょうに」

「『隔離所』に戻すと告げたら、わめき散らし始めたので」

にべもなくヨーイチは答えた。嘘じゃなかった、あまりにもうるさいものだから、意識を失わせるコマンドを入力して撃ったのだ。

ホルスターにスキャナを戻しながら、言い訳するように続ける。


「……それに、こっちのが運びやすい」

「歩かせたほうが楽でしょうに。クロアナだったらブレインスキャナをバンバン撃って良いわけじゃないんだからね。乱暴なんだから君……」


 そうぼやきながら、井坂はため息をついて頭を掻く。50歳も半ばの彼の髪の毛は、最初出会った頃よりもどんどん白く、ぼさぼさになっている気がする。それを指摘してみれば、「言うことを聞かない部下がいるせいかなぁ」と皮肉に言われた。


「もちろん、俺が運びますよ。俺がやったんだから」


 ヨーイチが背中にクロアナを担いだその時、割れた窓ガラスから青い光の点滅とともに、車のエンジンの音が聞こえてきた。階段を降りてビルの正面玄関から外へ出ると、路肩に停まった青いワゴン車から、黒スーツの女が駆けだしてくる。


「井坂監理官! 困ります、新田にった君を野放しにするなんて」

「相変わらず過保護だねぇ、トキちゃん。ヨーイチ君をそんな猛獣みたいに」

 

 井坂が女を軽くあしらうと、女――時崎ときさきミチルはゆるく巻いた長い髪を振り乱し、噛みつくように言った。


「わたしはカウンセラーとして、あなたたち前世監理官を守る義務があります! 新田君は正式な監理官になってまだ3年です、いくら成績優秀だからって……」

「でも大丈夫だったよね? ヨーイチ君」

「まあ」

「そうやってすーぐ井坂さんは新田君を甘やかす! たしかに彼は成績優秀ですよ、でもね、子供に走馬燈映像は刺激が強すぎます、いつ壊れるか――」

「君ら、同い年でしょうに」

「カウンセラーにとって監理官はすべからく保護対象です。あなたもですよ、井坂さん」

「赤ちゃん扱いかな」


 井坂が肩をすくめた瞬間だった。視界に緊急通信アイコンが点滅したと思えば、その場をつんざく大音声が三人を震え上がらせた。


<なに油を売ってる! さっさとクロアナをコンテナにつめろ!>


 矢土やつち指揮官の美しくも甲高い怒鳴り声が、キンと脳内に反響する。念じた言葉を電気信号に変換し、スキャナを通して相手の一次聴覚野へと送る脳内通話は、肉声と遜色ないレベルで抑揚やボリュームまでをも再現できる。耳鳴り――…もとい、「脳鳴り」にくらくらしながらも、ヨーイチはあわててクロアナを抱え直し、車へと向かった。


「こっわ。わざわざ緊急連絡を使って言うことかね? 自分は本局の安全な指揮官室に籠もりっきりで、現場の僕らのことなんか駒としか見ちゃくれない」

「矢土指揮官はまじめなんですよ、伊坂監理官。あなたと違って」

「堅物って表現するけどなぁ、僕は」

「あなたがお豆腐レベルに柔らかすぎるんです。おとなしく従ってください、指揮官命令は班員にとって絶対ですからね!」


 時崎のいつもの小言に、井坂は不服そうに鼻を鳴らす。ヨーイチ達は大人しく車に乗り込んで(クロアナは後部にあるコンテナに押し込んでおく)、時崎が車の自動運転をオンにした。なめらかな動作で走り出した車の振動を心地よく感じながら、ヨーイチはぼんやりと灰色に染まる窓の外を眺めた。

 勢いを増した雨は、大都会に平等に降り注いでいる。そのコンクリートの森の中から、曇天の空へとまっすぐに昇る一筋の光が見えた。朝も昼も夜も、まるで残り火のように青くぼんやりと輝いている……あれがヨーイチたち前世監理官たちの巣である「走馬燈本局タワー」、別名「走馬塔」だ。

 全長1000メートルを超えるその塔は、国内すべてのブレインスキャナとリンクしていて、さらにその頂上にあるコンピューターには、走馬灯局が設立してからの全国民の「前世記録」が納められているという。もちろん、生まれ変わりは国内だけとは限らないため――…死んだ場所に近いところに転生するのはもはや常識だが――…国外の監理官とも綿密なネットワークが築かれている、国の中枢だ。

 前世主義社会と言われる今、前世研究最先端であるこの国の走馬塔は、もはや世界のランドマークと言える。


「で、ヤッチー指揮官。このクロアナはどうするわけ?」


 ふわ、と気の抜けたあくびをしながら、後部座席に座っていた井坂が言った。


「『塔』に持って帰る? それとも『隔離所』へ送り返す?」

<一度こちらに帰ってこい。逃亡方法を詳しく分析確認する必要がある>

「了解……それにしても、隔離所から逃走ってすごいよね、いったいどんな手を使ったんだか」


 井坂が後部座席でごろんと横になって言うと、時崎が振り返って答えた。


「隔離所の言い分によると、警報器が誤作動をおこしたそうですよ。ちょっとした混乱があって、その隙に抜け出したみたいで」

「誤作動……? また『売魂者』か。懲りないなぁ、やつらも」


 井坂がため息をついた瞬間、視界の隅で再び緊急通信アイコンが光った。また怒鳴られるのかと身構えたヨーイチたちだったが、聴覚野で再現された矢土上官の声音は予想に反して静かだった。


<時崎、車を止めろ>

「え? でも、もうすぐそっちに着きますよ」

<いや戻ってくるな。いいか良く聞け、3-d隔離所からまたAランクのクロアナが逃走した>


 その言葉に、横になっていた井坂が「はあ?」と叫びながら飛び起きた。


「そんなことある? 隔離所から逃げ出すことすら相当な確率なのに、一日に二件って……警備さんたち何、ポンコツ?」

<知らん! 売魂者が絡んでいることは間違いない。他の班は奴らの潜伏場所を洗っている。おまえらはクロアナの確保だ、急げ!>


 矢土の怒鳴り声に、時崎があわてて手動モードのハンドルを握りアクセルを踏み込む。


「ずぶ濡れになる前に終わらせよって言ってたけど、無理だったね」


 引力で頭をしたたかにヘッドレストにぶつけて唸るヨーイチの耳に、井坂の深いため息が聞こえた。

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