同乗者たち

ハラアイ
ハラアイ

遥か遠く(ナナシとナオキ)

公開日時: 2020年12月9日(水) 22:05
更新日時: 2020年12月9日(水) 22:06
文字数:4,803



ナナシとナオキ、「名無し」が名前を取り戻す物語。

 自分が特別な存在だなんて、思ったことは一度たりともない。周りに居る、白い服をきた、たくさんの子供達の集団の一部。ただ他の子よりも身長が高い、ただ、それだけだったのに。


「お前は、ナナシの5代目の魂なんだ」


 私をあの白い施設から連れ出した人々は、そう言った。どうやら私は、「普通」ではなかったらしい。


「だからお前には、使命がある」


 知らない老人は、そう言って泣きながら私のことを抱きしめた。嫌な臭いが鼻をかすめて、それが酒とタバコの香りだということを数年後に知ることになるが、当時何一つ世間のことを知らぬ子供だった私は、自分が不快に思っていることにすら気づかずその刺激を受け入れた。


「使命って?」

「あの塔を壊すんだよ」


 そう言って老人は、ひび割れた窓ガラスから見える、青い美しい塔を指さした。私は小さく頷く。そうしろ、と言われたならば、そうすることにする。

 私は良い言葉で言えば純粋で、

 悪い言葉で言えば、空っぽだった。






「……で、私が君に協力した暁には、君は見返りになにをくれるの?」

「塔の破壊」


 は、という言葉とともに、口から煙がぼわりと漏れた。流煙の向こうで、丸い二つの瞳が私のことを見つめている。冗談を言っているようには見えないのは明らかでも、思考が追いつかない頭はお決まりの言葉を私の口から出すように指示をする。


「……冗談だろ?」

「そう思う? 俺の顔見て」

「……思わないけど。嘘を言っていないんだったら、あんた、頭がおかしいってことだ」

「どうして? 君たち売魂者は、あの塔を壊すために、こんなしみったれた地下に夜な夜な集まっているんだろ」


 わざとらしく咳をして、男は……九条ナオキは手で副流煙を振り払った。私は火を点けたばかりのタバコを灰皿に押しつけて、一つ息を吐く。


「……つまり、こういうことか。理由はまだ言えないが、君は走馬灯局の関係者で、局長に監視されている身だと」

「そう」

「その監視を解く術を教えてくれれば、あの塔を壊すのに力を貸すと」

「少し違うな。俺もあの塔を壊したいんだ、そのためには、局長の監視を解くことが必要になる」


 そう言って、彼は私に手を差し出した。


「協力しようってことだよ、『名無し』さん」








「何かを得るためには、何かを差し出さなければならない」


 老人はゆっくり歩きながらそう言った。ここは、クロアナ街という場所らしい。前世で罪を犯した者たちの吹きだまり。真っ白で、ぴかぴかに磨き上げられた廊下しか歩いてこなかった私には、歩くのだけでも慣れるのに時間がかかった。


「だから私たちは魂を売るんだ。時間、労力、肉体、命、……自分の持っているすべてを、あの塔を壊すために捧げる」

「あの塔を壊したら、ここに居る人たちも、良い暮らしができるんだよね?」

「ああ、だが彼らは……売魂者ではないクロアナたちは、真にこの世界に生きているとはいえない。この不条理を受け入れている。仕方がないと、来世に期待しようと、現世を浪費して食いつぶしているだけだ。私たちの努力によって彼らに自由が訪れたとしても、彼らの精神に大きな変容は期待できない」

「精神?」

「自分の意思はなく、あたえられた指示に従うだけの精神だ。言うなれば、操り人形だよ」


 老人はそういって、私の頭を一度、撫でた。


「お前はそういう風になってくれるなよ、ナナシ」


 そういう風になるな。操り人形のように、なるな。

 そう言われたならば、そういう風にならないよう、生きよう。

 ナナシとして、売魂者として、生きよう。







「ナナシってさぁ、本当はなんていう名前なわけ?」


 じっと望遠鏡で隔離所を見つめながら、ナオキが言う。次に襲撃する3-b隔離所だ。伊藤チハル、東条ミチオを今日、ここから救出する。作戦前の緊張体制である現在、それと全く関係ない質問に私は戸惑う。


「……は?」

「だって本名じゃないだろ、『ナナシ』なんて」

「そりゃあね」

「教えてよ」

「なんのために」

「いつか、呼ぶためにさ」


 ナオキは望遠鏡から目を離して、わたしを見上げた。


「だって塔が壊れたら、もうナナシは必要ないだろ?」


 思わず言葉に詰まる。

 それは、すべてを見通している目だった。

 「ナナシではなくなる」。ずっと望んできたこと。『ナナシ』という人間が、きっと望むであろうもの。それは自由。先代のナナシ達が、老人達が、売魂者たちが望んだ、自由。

 誰にも、老人にすら告げていなかった名前が、のど元に込み上げる。



「私の名前は……」



 私は、自由が。

 ナナシという名前を失うことによって訪れるであろう自由が、本当はどうしようもなく、怖い。







「じいちゃん、大丈夫?」


 返事はなかった。静かなボロ家、ここが私と老人の家。そして売魂者の集会場だった。作戦会議のため、いつも数人がこの部屋に集まっていたというのに、今日に限って私と彼の二人きりだった。浅い呼吸が、彼の命が残りわずかだと告げている。

 ここではこうやって孤独に死んでいく者は多い。医者に頼らず、死を喜ぶ人々。来世では、罪が軽くなる。浄化される。

 しかし売魂者に来世はない。再びこの世に生まれ落ちたその瞬間から、彼らは隔離所に隔離される。仲間達に救出されるまで。

 私と、同じように。


「心配しなくていいよ」


 私はその手を握って、語りかける。


「じいちゃんの生まれ変わり、きっと見つけて、またここに連れてくるから」


 その言葉に、老人は薄目を開ける。愛しそうに、私を見つめる。本当の子供のように育ててくれた、温かい視線を私は懸命に受け止める。


「お前は、立派になった」


 ささやくように私に告げる。


「ほんとうに、彼と同じ……ナナシだ」

 

 老人はそう呟いて目を閉じる。その瞼の裏に浮かぶのは、おそらく私ではない。私の前世である、ナナシ。彼の、友人である男の名前。

 老人の呼吸音がやがて止まる。私は部屋でひとりになる。一人きりに。それでも私は生きていける。動くことができる。


「わたしは、ナナシ」


 ナナシは、私を動かす糸。

 操り人形のように、私の手首に、足首に、のど頸に巻き付いて離れない、命の綱。

 



 






「……あんたはさ、自分の運命を呪ったこと、ないの」


 遥か遠くまで、道は続いている。この道は走馬塔の地下研究所と繋がっているらしい。

 問われたナオキは不思議そうに首をかしげている。


「運命って?」

「あの塔を壊すって、ゼロイチの遺言に縛られている」

「あれ、そう見える?」


 薄く笑って彼は戯ける。この場での飄々とした態度は浮世離れしていて、やはり彼が普通の人間ではない……「継承者」という記憶を引き継いだ実験体だったということを意識させる。


「そんな深く考えたことなかったな」

「あんたのそのー……楽観的なところ、ほんと尊敬するよ」

「まじ? ありがと」


 皮肉もまたそうやって受け流す。


「俺はその時その時正しいと思ったことをやってるだけだよ。それが周りから定められた事だったとしても、俺が『そうしたい』って思った意思だけは本物だから」

「意思……」

「まあこれも、彼の受け売りなんだけどね。……ナナシは?」

「え?」

「きみは、自分の意思で、自分の名前を捨てたの?」


 コツコツと足音が響く中、私は、静かに答える。


「そうだよ」


 自重気味な笑みが漏れた。


「わたしは、臆病者だからね」






 じいちゃんの生まれ変わり、きっと見つけてまたここに連れてくるから。

 私は、その約束を果たした。おそらく『ナナシ』がやるであろうことは、何だって、した。


「あんたは、私の育ての親の来世なの」

「うん」


 虚げで不安そうな瞳で、彼は……現世では彼女は、私を見つめてくる。まだ着替えも済んでいない、隔離所の真っ白な洋服は汚れ、所々破れている。居心地悪そうにその布に包まる彼女を安心させるように、私は言う。


「わたしたちは、不条理と戦う組織なんだ」

「ふじょうり」

「どうして自分があんなところに閉じ込められてるんだって、疑問に思ったことない?」


 返事はない。疑問も何もない、ただ、不思議そうにこちらを見上げる視線だけがそこにある。他にはなにも、ないのだ。

 息が詰まる。水面に顔を出して呼吸を継ぐように、私は言葉を続ける。


「あの塔を壊すんだよ」

「……あの塔を?」

「そうだ」

「……わかった」


 彼女はちいさく笑った。ぼやけた磨りガラスのようだった瞳に光が宿り、私を貫く。

 

「今度は、それをやればいいんだね」


『これを組み立てなさい』

『これを切り出しなさい』

『これを分解しなさい』


 隔離所の目が眩む様な白。

 監視員の、無機質な声が、脳裏に蘇る。


『おまえはナナシだ』

『ああいう風にはなるな』

『彼と同じだ』

 

 タバコと酒臭い息とともに吐き出される言葉たち。

 なんて、心地いい響きだろう。

 彼らは私を導いてくれる。不安もない。疑問もない。なにも、ない。生きてるのかは分からない、けれど、不幸も、ない。

 わたしたちは、その楽園の中から引きずり出された哀れな子供だった。


「うん、そうだよ」


 私はそう呟いて、彼女を抱きしめる。

 私自身を、抱きしめる。


「君は、私の言うことを聞けば、それでいいよ」


 私を縛り付けていたナナシという命綱の結び目なんて、本当は存在しない。わたしはただ、しがみついている。両の手を固く握りしめて、その糸が切れてしまわない様に。私を縛るように。

 何かを得るためには、何かを差し出さなければならない。

 では何かを失うとき、私は誰かに何かを与えられるのだろうか。

 わたしは、ナナシという名前を失ったとき、一体、何を。


 自由なんて、いらないのに。















「    」



 聞き慣れぬ音の連なりが、私の頭に響き渡った。この世界でたったその3文字だけが存在しているかのように鮮明に。それが私につけられた音だと気づくのに、しばらくかかった。

 振り返れば、その言葉を発した声の主が私のことを見つめていた。


「……今、なんて言った?」

「え、だって、約束したろ。すべてが終わった暁には、ナナシという名前は必要なくなるって」


 ナオキはそう言って笑う。


「もうナナシはいないんだろ」


 足元がぐらつく。それは、今居るこの前世管理室が凄まじい高さにあるからではない。必死に掴んでいた糸は切れた。

 わたしは、落下している。

 自由という名の奈落の中を。


「……正直、どうしたらいいかわからないんだ」


 震える声で、わたしはつぶやいた。壁の投影が取り払われた窓から、無限に広がる街並みが見える。今、人類は自身の記憶を書き換えている。3日後、クロアナはもうどこにも存在しない。

 わたしが救うべき彼らはどこにもいない。

 ナナシはもう誰にも必要とされない。


「……わたしは、空っぽなんだ」

「いいじゃん、これから何でもそこに入れることが出来るってことだろ」

「でも」

「じゃあ一つ、頼まれてくれない? 俺の小説を読んで感想を聞かせて欲しい」

「え?」

「客観的な感想が欲しくてさぁ。頼むよ、ね?」


 両手を擦り合わされてそう懇願される。再び地に足がつく。

 仕事をあたえられた。それならば、


「……私は、何を返せばいい?」

「対価なんて、必要ないよ。生きてくのは、以外と簡単だ」


 ナオキはデータの入ったチップを私に差し出しながら微笑む。


「ありがとうって言葉だけで、事足りる」


 その瞬間、雲の切れ間から光が差して、私たちのいるフロアを照らした。無限に立ち並ぶ様に見えるコンピュータの影がざっと動くのと同時に、私の中の液体も脈打つ。血がざわめく。目に光が乱反射する。わたしは今日やっと、この美しい世界に生まれ落ちた気がする。


「ナナシさん、ナオキさん! こっちきてください、凄いんですよ……」


 ユータが大きく手を振って、こちらを手招いている。私は一歩、そちらに足を踏み出す。ナナシという道標はなくても、わたしには新しい命綱が手首に巻かれていた。その糸の先は、どこに繋がっているかはわからない。けれど遥か遠くのその先に、きっと本当の私がいる。

 今は装うだけで精一杯かもしれないけれど、それでも、いつかは。


「ナナシじゃないよ」


 その音の連なりを、抱きしめる。


「私の名前は、ハルカ」


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