同乗者たち

ハラアイ
ハラアイ

22-継承者たち

公開日時: 2020年11月13日(金) 20:47
文字数:5,089



「外に行きたい」


 ふいにキューがつぶやいた。彼女は仰向けになって、図書端末を操作している。


「急にどうしたの」

「空、みてみたい」


 キューはため息を吐きながら呟く。横に並んで寝そべって端末を見上げると、彼女が読んでいるのは国内の青春小説だった。鮮やかに色彩された挿絵は、青いベタ面と、白い靄のようなものが描かれている。

 空だ。


「写真とか動画で見たことあるでしょ」

「本物が見たいんだよ、端末の中だけじゃなくてさ。すっごく大きいんだよね。どんなだろうなあ」


 お昼と夜の間はオレンジ色になるんだって、うらやましそうに呟く声を聴きながら、イチは端末に表示された言葉の羅列を読む。「学校」という施設に通う子供が、河川敷で喧嘩をしている描写が目についた。夕日に染まった丘で二人が仲直りをするシーンは、想像すると美しい。


「ねえ、マモル君は見たことあるんでしょ? 本物の空」


キューがふいに部屋のドアにむかって声をかけた。「はあ?」と気の抜けた男の声が、扉の向こうから聞こえてくる。


「あたり前だろ、俺がお前らみたいに、ずっとこの塔の中に閉じ込められているとでも思ってんのか?」

「今日もツンツンしてる」


 忍び笑いをしながら、キューがイチに囁いた。

マモル君は、3週間前から二人の部屋の監視員として働いている。もともと「塔の外」で働いていたが、怪我をしたとかで、それが完治するまでの間この任につくことになったという。しかしそのことが本人はとても不服らしい。キューやアヤノは、よくそんな彼をからかっては笑っていた。


「どうしたら本当の空を見れるのかな」


 キューがマモくんに問いかけると、ドアの向こうから鼻で笑うような音がきこえた。


「夢のまた夢だ。お前らは元々罪人だったんだ、この先、ここから出られることはない」

「ずっと? 何回死んでも?」

「魂のからくりがすべて明らかになったら、解放されるかもしれないけど。まあ、それもずっと先の話だろ。魂の研究は近年ずっと停滞しているからな。何百年、はたまた何千年先か――……」

「失礼なこと言うね、マモ君?」


 ふいにアヤノの声がして、マモル君が「わっ」と声を上げた。スライド式のドアが開かれる。萎縮した表情のマモ君の横で、白衣姿のアヤノが手を腰に当てているのが見えた。


「まるで私の研究が遅れてるみたいな言い方だねぇ」

「暮日(くれひ)さん……俺はそんなつもりは」

「さあ、イチ、キュー、検査の時間だよ」


 アヤノが二人を手招きする。イチとキューは立ち上がって部屋を出た。キューは抑えきれずに小声で笑っている。マモル君の顔は真っ赤だ。

 研究室に入ったところで、キューが待ちきれない様子で言った。


「マモ君、ぜーったいアヤノのこと好きだよね」

「あんた、どこでそんなませたこと覚えたわけ」

「恋愛小説」

「うーん、これも成長か……感慨深いけど」


 面白そうに笑いながら、アヤノはてきぱきと検査の準備を進めていく。名前の分からない機械をたくさん取り付けられ、頭がぐらつくほど重くなっていく中、アヤノの声がくぐもって聞こえた。


「ところで、さっきなんで塔の外の話をしていたの?」

「キューが空をみたいんだって。写真とか絵じゃなくて、本物のやつ」

「どうしてまたそんな急に」

「今読んでる小説に書いてあったんだ、『その空はこの世界の何よりも綺麗だった』って」


 イチと同じく、たくさんの機械を取り付けられたキューが不機嫌そうに言った。


「でも、結局小説なんて、『文字』っていう記号の集まりでしょ。本当にこの人たちも、空も、存在しているわけじゃない……意味がない。だから、本物が見たいなって思ったんだ」


 キューの言葉にしばらく考えるように押し黙った後、アヤノは言葉を探すように言った。


「確かに、フィクションは実在しないからこそのフィクションだけど……それを読んでいるキューは、本当に存在してるでしょう」

「そうだけど」

「キューが感じた、綺麗とか美しいとか、悲しいとか嬉しいとか、そういう気持ちは全部、本物でしょう」

「うん」

「それだけは、その感情だけは、偽物じゃない。無意味なんてこと、ないよ」


 キューもまた、アヤノの言葉の意味を考えるように、しばらく口を閉ざした。部屋には機械が唸る小さな音だけが響き、アヤノの傍にある真っ黒いディスプレイに、時たま花のように光が咲く様子が見える。イチや、キューの脳内で起きている出来事を観測しているのだ。

キューが思った「綺麗」だとか「美しい」だとかいう感情もきっと、こうやって可視化することができる。すべて、この世に存在する現象として。


「そうだ……知ってる? 自分自身が感じる『現実の痛み』と、誰かが苦しんでいるのを見て感じる『虚構の痛み』は、脳内で同じ痛み関連領域が活性化するんだ」


 ディスプレイを見つめながら、アヤノがつぶやいた。「どういうこと?」と首をかしげるキューの胸に、アヤノは人差し指をとんと添えた。


「肉体的に痛みを感じていなくても、あなたの脳は、心は、否応なく反応する。それが現実のものだろうが、空想の物語だろうが関係ないんだ。貴方は虚構を自分自身の身をもって体験して、現実で悲しくなったり、嬉しくなったりする」


 ディスプレイがふっと暗くなった。二人の脳内で輝いていた思考の光は、まるで幻のように消え失せてしまった。


「それを、人の言葉で『共感』とか、『同情』と呼ぶんだ」


 機材のスイッチを切って、アヤノはそう言って小さく笑った。







 その一ヶ月後、イチを使った特別な「実験」が開始させられることが決定した。


「短いスパンで、君は転生を繰り返すことになる」


 感情のないような声音で、アヤノが言う。


「マモル君が言っていた通り――……ここ数年、魂の研究は停滞していてね。君やキューの検査結果も、いつ何時調べようと、他の被検体達との差は少ない。しびれを切らした回谷室長、つまりここの研究リーダーが、今回のことを無理矢理決定させてしまったんだよ。生まれてから死ぬまでの時間の短さ、そして死の回数が、魂の進化に関係があるかどうか改めて調べるんだ」

「アヤノの仮説が正しいか、確かめるんだね」

「残念だけど」


 暗い表情をしているアヤノの感情が、イチにはよく分からなかった。どうしてそんな顔をするのか聞いても、アヤノは黙ったまま目をそらす。言ってもどうせ分からないと思っているのだ、とイチは推測した。


「かわいそうだって思ってるんだ」


 そう言うと、彼女の目元が引きつったように見えた。息を詰めたような彼女の唇が緩んで小さく息が漏れる。諦めたように笑っていた。


「私は学生の時からずっとこんな研究に携わって来たけれど……やっぱり人の子だって思い知った。多くの人間は、小さな子供が酷い目に遭っているのを見過ごせない。優しいとかそういう事じゃ無くて、自身の種を残すための本能として」

「酷い目にあってるなんて、思ったことないけど」

「分かってる。でも君の気持ちは関係ない。生存の本能として子供の泣き声が不快に感じ、愛情を錯覚して、あの手この手で泣き止ませそうとするのと同じさ。私は、私が嫌な思いをするから嫌なんだ」


 それ以上アヤノは話すことはないと思ったのか、淡々と実験の説明をはじめた。実験は転生を繰り返す、つまり「生まれて」「死ぬ」をひたすら繰り返すということ。継承者ならば、転生中……魂が古い肉体から出て、新しい肉体に宿るまでのブラックボックスである「浮遊期間中」の記憶も維持できるかもしれないという可能性を考えているということ。転生を30回目を終えたところで一度、言葉が話せるまで「殺す」のをやめ、直接イチに記憶を確認するということ。何が起こるかわからないため、キューは「スペア」として待機、実験にはイチだけが参加すること。


「死んでから生まれ変わるまでの転生サイクルは、今のところ最速で2日、遅いもので1ヶ月だ。だけど君も知っている通り、人口調整で魂が『失踪』する可能性もある。その覚悟は、しておいた方が良い」

「うん」

「……なんだかイチ、楽しみだって顔してるけど」

「だって、ぼくも気になるから。魂ってどんな仕組みになっているんだろうって。それがこれから分かるかもしれないって思うと、少しわくわくする」

「君……元クロアナじゃなかったら私と同じ、研究者になってたかもね」


 苦笑しながらアヤノは言った。意味が分からず、イチは首をかしげる。


「どうして?」

「多くの人は、魂は『自分自身のもの』だと思っている。人間の主体は、魂だって。だからこの物質を神格化して、からくりを暴こうなんてまず考えない。『光の会』って団体が最たる例だね。でも私は違うと思っている。私を構成しているのは、今までの記憶の積み重ねによって生まれた、今私は『ここにいる』っていう意識だけ」

「意識」

「魂も、それこそ肉体だって、いつ与えられたものなのか記憶にないんだ。私のものだって、どうしてそう言い切れる?」

「じゃあ……魂って、誰のものなの?」

「誰のものでもない、ただそこに在る存在。私や君のように。人間、その他の動物、植物と同じようにね。けど不思議なのは、魂は必ず人間とともに在るってことだ。だから私は、魂は人間を『利用』してるんじゃないかって、最近思うんだ。寄生虫が生き物に寄生するようにね」

「寄生……」

「生まれたばかりの人間に取り付いて、死んだら次の宿主をさがす。寄生って言葉がぴったりでしょ」


 アヤノはそう言って、デスクのディスプレイを表示した。二つのウィンドウに、同じような光が点滅している。


「これは最近わかったことなんだけど……前世を観測する時、『観測している側』の前世回路ニューロンも、微弱ながら活動していることがわかったんだ。前世神経回路は人によってランダムに違う指紋のようなもので、お互いに反応し合うようなものじゃない。それなのに、二人の脳と脳を繋ぐとお互いの前世神経回路のニューロンが活性化する。そして言うまでもなく、前世神経回路は、私たちが唯一目視できる魂に関係のあるものだ。これ、どういうことか分かる?」

「さあ」

「人の数だけ存在している『魂』という物質は、お互いに情報を共有し合っているかもしれない、ってこと」

「……なんのために?」

「さあ、目的はわからないけどね。もしかしたら魂の親玉みたいなやつがいて、私たちの体に宿っているのはその大いなる『何か』の手先なのかもしれない。人間どもの記憶を記録してこい……って。ま、こんなことを言うと、みんなに笑われるんだけど」

「なんだか、キューの読んでるフィクションみたいだね」


 イチの言葉に、確かにわくわくするよ、とアヤノは研究者らしく笑った。






 実験当日、キューは今にも泣きそうな顔をしていた。感情が豊かなのは、部屋にある小説を読みあさっているからだろうか。イチが寝かされている台を取り囲む研究者を押しのけ、キューは強い口調で繰り返した。


「はやく戻ってきてよ。何ヶ月、何年もあの部屋で一人だなんて、耐えられないよ」

「アヤノもマモルくんも居るじゃん、大丈夫だよ」


 台に乗って運ばれながらイチが言うと、上から見下ろしてくるキューがあきれたように顔をゆがます。


「なんでそんな平気そうな顔なんだよ、どうなるかわからないのに。もう二度と会えないかもしれないのに」

「はは」

「何笑ってんの」

「ぼくはキューに同情できないなって」


 きょとんとしたキューに笑いかけて、イチは続けた。


「どうしてそんなに不安そうな顔をするのか、キューの気持ちが分からない。僕はちょっと楽しみなくらいなのに」

「はあ?」

「だって、今まで見たこともないものが見られるかもしれないでしょ。キューが見たがってた空だって、見られるかも。ほら、死んだら魂って、ふわふわ宙を漂うって思われてるし」

「そうだけど……」

「だから、キューはぼくに『同情』して、笑ってよ。楽しみだねって」


 キューの腕を誰かが引き、イチの台から離れていった。実験室の扉が開く音がする。少しだけ頭を上げると、閉まっていく扉の向こう側、遠くで研究員に止められたキューがみえた。体を押さえつけられながらも、歪な顔で笑っている。その表情がおかしくて、イチも笑う。

あの世へと旅立つ準備中、イチは静かに目を閉じていた。ふいに気配を感じて瞼を開ければ、アヤノがイチの顔を覗きこんでいる。逆光で表情はわからない。


「……そろそろ、いい?」

「いいよ」

「それじゃあ……いい夢を」


 アヤノの柔らかな手がイチの瞼をそっとなぞって視界をふさぐ。マスクが口元を覆い、いつか嗅いだことのある甘い香りが鼻をつき、イチは意識を手放した。

 長い、長い旅がはじまったのだ。

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