同乗者たち

ハラアイ
ハラアイ

03-監理者たち

公開日時: 2020年10月17日(土) 15:15
更新日時: 2020年10月17日(土) 15:16
文字数:3,966




「伊藤チハル、女、9歳。昼食のあと腹痛を訴えて救護室へ。5分目を離した隙に姿がなくなっていた――逃走ルート不明、か」


 何やってんだか、とため息をつく井坂と並んで、ヨーイチは少女の逃げ込んだ広大な公園の入り口に立った。「大混乱」収束後、荒地になった土地を整備して作られた平和記念公園は、都心にあるとはいえかなりの広さだ。巨大な木々が延々と続く道からは、雨に濡れて匂い立つ土の香りが色濃く漂ってくる。この敷地のどこかに、本日二人目の隔離所逃亡者が身を隠しているのだ。

 「前世隔離所」は文字通り、前世犯罪者を一定の期間収容する施設だ。この国の人間は、生まれてからすぐに前世を調べられ、走馬燈局で「前世証明書」を作らなければならない。そして万が一、その赤ん坊がランク該当者――つまり、前世犯罪者だった場合、「前世隔離所」に収容されることになるのだ。

 犯罪の重さによって振り分けられたランクによって、収容年数は異なる。たとえば一番軽いCランクならば7年、次のBランクならば21年。そして前世で「殺人」を犯した者に与えられるAランクの場合、収容年齢は50歳までに跳ね上がる。

 しかし人間の肉体は死を迎えるが、魂は永久だ。一度死んだだけでは許されないとして、この国では通称「浄化システム」と呼ばれる方法で、罪が償われることになっている。それはつまり、死ぬごとに罪のランクが浄化されていく仕組みだ。たとえばAランクの者は、来世ではBランク、来来世ではCランク、来来来世でやっとクリーンな魂、つまり「一般人」となれる。

 自殺すれば手っ取り早く一般人に近づけそうものだが、あいにく自殺者はどんな理由であろうと問答無用でAランク行きになる。そもそも「前世法」は、自殺をして罪を免れることを防ぐための法だからだ。


「あんなところから抜け出す人間が一日に二人もいるだなんて、きな臭いねぇ」

「……ですね」

「さっきよりも慎重にいこうか」


 背後のワゴン車に時崎を待機させ、二人はスキャナを手に園内へと足を踏み出した。視界の隅で赤いランプが点灯し、矢土指揮官の無感情な指令とともに、公園内の地図が表示された。


<目標は300メートル先『こどもひろば』という遊具が集まっている地点だ。おそらく中央の家型の遊具だろう。周りは林、いや森に近いな。売魂者の接触のせいで位置情報チップが破損したのか、情報に乱れが出ている。注意しろ>

<了解>


 目標地点に近づいてから、ヨーイチと井坂は木の影にかくれて広場をうかがった。こどもひろばの中央には、女の子が人形遊びで使うような家を、ガレージほどの大きさまで拡大したような家が並んでいた。


「あの中のどれかだなぁ。一件ずつピンポンしてくしかないね。僕が行くから、君はここから援護を」

「はい……気をつけて」

「ま、おじさんにまかせなさいな」


 散歩にでもいく気軽さで、井坂は木の影からふらりと歩き出す。

 クロアナを示す赤い点滅はたしかにこども広場の中央にあるままだが、混乱が見られるせいで、どの家の中にいるまではわからなかった。井坂が堂々とした足取りで、一件ずつ家の扉を開けていく。


<この家が最後だね>


 脳通話で井坂がそう言いながら、最後の家の扉をあけた瞬間だった。

一つ手前の家の裏から、突如小さな影が飛び出してきた。ヨーイチは思わず引き金を引きそうになったが、井坂はまるで予想していたかのようにひらりと影をかわす。

 黒い影は……少女は、弾みで足を滑らして体制を崩した。その瞬間を逃さず、井坂は彼女の両腕をつかむと地面に組み伏せる。ヨーイチはスキャナの目を少女にむけたまま井坂の元へ駆けた。


「大丈夫ですか?」

「ま……こんなとこだろうと思ってたよ。ああ、こら、暴れるな……仕方がないな。ヨーイチ君、この子おさえててくれる? ぼくが『確認』するよ」


 クロアナであるかどうかは顔認証や体内チップ等で判別可能だが、売魂者たちによって細工されている可能性があるため、確保前に必ず前世監理官が身をもって……「脳をもって」確認することが義務づけられている。つまり、直接「走馬燈を見る」ということだ。

 井坂が振り返ってこっちをみるが、答える代わりにヨーイチはスキャナの目を少女に向けた。


「井坂さん、俺が確認しますよ」

「でも」

「平気です」


 脳視界上に見慣れたフォントが表示される。


【ゴーストスパイクを再生しますか】


「ヨーイチ君、やっぱり待って――…」


 井坂の制止も虚しく、ヨーイチは引き金をひいた。




 

 雨が降っていた。土砂降り。握りしめた手には金属バットがあった。ぬるぬるして滑るのは、雨のせいじゃない。あの子の冷たい瞳が、私を見上げていた。


『どうして殺した』


 現実に戻る。白い部屋、目の前に、まるで能面のような顔をした男が座っている。


『お金がほしかった。弟が病気だから』

『治療はあきらめろ』

『見殺しってこと』

『そのほうが、いいんじゃないのか。君の弟もCランク、あと一回死ねば懲役は終わる。晴れてクリーンな魂になれるんだからな』

『クロアナには、生きる価値なんてないっていうの』

『ここでは私が問いかける側の人間だ。ここに書かれている記憶映像の通り、殺したのは、親友だったようだな。君が求めたマネーを、君が使える現金に変えて会いに来てくれた。なぜ、殺した』

『だって、あの子は……私に同情していた。かわいそうだって』

あの子はいつも優しく、にこにこと笑っていた。一般人の彼女は、一般人の両親と一緒に立派な一軒家に住んでいた。ボランティア団体である「星の宿」に所属していることを誇りに思っていた。私のような不幸なクロアナを救いたいって。たぶん心の底から。

『……だったら、いいじゃない。もっとお金をわけてくれたって』


そうだよ。

だって、


『私って、かわいそうなんでしょ?』






「はい、深呼吸」


 大きな手が規則正しく背中をさすっていた。ザアアという音が、どこか遠くで鳴っている。雨の音だ。膝をついている、そのそばにある水たまりに、ゆがんだ顔が映っている。

 誰だ。


「君、自分が誰かわかるか」

「……わたしは」

「違う。もう一度きく。お前は誰だ」

「俺は……ヨーイチ」

「何者だ?」

「前世、監理官」

「僕の名前は」

「……すみませんでした、井坂上官」

「よし、ちゃんと戻ってきたね」


 井坂がため息をついて立ち上がった。ヨーイチはあたりを見回す。土砂降りが、泥だらけの地面を叩いていた。「こどもひろば」には、自分と井坂、二人しかいない。ヨーイチは、さっきまで少女が居たはずの場所に跪いていた。


「俺……『溺れた』んですか」

「そうだね。君が走馬燈に溺れるなんて、いったい何があったの? 正式な監理官になってから、初めてじゃないか。いや……」


 井坂は言葉を切って、小さく息を吐いた。


「1日に2件のクロアナの走馬燈はしんどかったね。すまない」

「いえ……」


 違うのだ、そう伝えようとして口をつぐむ。自分が溺れた理由はわかっている。けれど、それを説明する気にはどうしてもなれなかった。


 「監理官!」


 泥だらけの道を、時崎が走ってくるのが見えた。いつもピカピカに磨かれているパンプスも、皺一つないスーツも、跳ねた泥で汚れている。ためらうことなく泥の中に膝をついて、時崎はヨーイチの肩に手をおいた。


「新田くん、大丈夫ですか」

「……はい」

「いったい何が……そういえばクロアナは?」

「取り逃がしたよ」


 井坂の言葉に、ぐっとヨーイチは唇を噛んだ。やはりそうだ、様子がおかしくなったヨーイチにかまっているせいで、井坂は獲物を取り逃がしたのだ。それなのに井坂も、時崎も、自分を責めない。そのことが、怒鳴られるよりもヨーイチには辛かった。

 時崎は立ち上がると、静かに言った。


「矢土指揮官、聞いてましたよね。しばらく新田君には、捜査からはずれてもらった方がいいです」

「ま、待ってくれ、今日はたまたま気分が……」

「新田くん」


 ふらふらと立ち上がったヨーイチを、時崎はいつになく真面目な顔でまっすぐに見据えた。


「君の精神は確かに若いのに安定しています。走馬燈を見ることは、つまり死ぬことを疑似体験すること……その上、あなたたちの追うクロアナは、凄惨な罪の記憶を持っている。その記憶再生に耐えられる人間は希だからこそ、前世監理官の数は少く、不足しています。現にあなたは今日、完璧に溺れました」

「それは」

「それにね、新田くん、私はあなたの精神グラフで一つ気になっていることがあるんです」


 時崎の瞳がすっと細くなる。


「あなたは、走馬燈で死を体験するときは、他の監理官並に恐怖は感じています。でも、見終わったときのあなたの精神は、その恐怖を忘れるほどに、高揚している」

「トキちゃん――」

「今回は溺れたので別ですけどね。でも普段のあなたは、走馬燈を見終わった後、とっても、喜んでいるんですよ。獲物を見つけた野生の動物に近い。こいつはクロアナだ、間違いなく自分の獲物だ……あなたはそう認識している。復讐のつもりなのかもしれないけれど――」

「時崎」


 井坂の静かな声に、時崎は我に返ったように息を飲んだ。ばつが悪そうに目を伏せる。


「……私はただ、あなたが心配なんです。本当に」

「全くもってトキちゃんの言う通り。で、ヤッチー指揮官どの、聞いてたでしょ。君のご判断は」


 黙って成り行きを見守っていた矢土指揮官は、いつも通りの無感情な声音で言った。


<新田ヨーイチ、1週間は『前世管理センター』で窓口業務に当たれ。その後、再び時崎のカウンセリングを受けること。現場復帰可能かは、その診断書を見てから改めて判断する。……返事は>

「……はい」


 力なく返事をする。泥だらけになったスキャナが酷く重い。

 全身に降り注ぐ雨粒が上着の隙間から入り込み、じっとりとシャツに染みこんできて初めて、ヨーイチは自身の体が冷え切っていることに気がついた。

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