同乗者たち

ハラアイ
ハラアイ

番外編

両の、この手で(リョーコとヨーイチ)

公開日時: 2020年12月2日(水) 14:30
文字数:4,074




リョーコとヨーイチ、全人類の記憶書き換え後の、姉弟の物語。



 まただ。

 カップをソーサーへと静かに戻しながら、私は心の中で呟く。

 最近私の弟は、窓の外を眺めながらぼんやりとすることが増えた。今がまさにそう。コーヒーカップの取っ手に手をかけながら、首をほんの少し傾けて、その瞳の視線はまっすぐに窓の外、青い塔へと注がれている。


「ヨーイチ?」


 問いかけても反応はなかった。もう一度、身を乗り出して問う。


「ヨーイチ、どうしたの?」


 やっと彼は気づいたようで、ゆるりと顔をこちらに向ける。その瞳を見た瞬間、心の中がすっと冷えるのを感じた。

 私の知らない、瞳の色。


「……ごめん、ぼうっとしてた」


 困ったように薄く笑って、彼はごまかすようにコーヒーを口元へ運ぶ。その表情はいつもの彼に戻っていた。姉である私がよく知っている顔。たぶん、おそらく、ずっと昔から。

 その場を取り繕うように、彼は薄く笑って言う。


「姉さんの入れたコーヒー、おいしい」

「でしょ。前時代のドリッパーをそのまま使ってるの。ロボットが入れたのより劣るはずなんだけどね」

「……人の手で入れたっていうことを知ってるから、美味しく感じるんだろうな」


 ヨーイチはぐるりと店内を見回した。ここで、私は数ヶ月前から働き始めている。町の外れの、小さな喫茶店。すべての料理やドリンクをAIロボットではなく人の手で作るアナログで暖かな雰囲気の店内は、前時代のレトロな内装で統一されていた。すべてオーナーがかき集めてきた雑貨達だ。

 自分が働く職場に来てみないか。そう誘ったのは、私の方だった。リハビリセンターを退院して、別々に暮らし始めても、私たちは定期的に連絡を取り合っては、こうしてテーブルを囲む。関係が断ち切れないように。取り繕うように。そうしなければ、きっともう二度と会うことは無くなってしまうかもしれない。

 今の私たちの間にあるものは、血のつながり、ただそれだけで。


『あなたの「お姉さん」のこと、どうしても好きになれない』


 その他の繋がりを断ち切ったのは、私のほうだった。




「……ヨーイチは、図書館タワーが好きなんだね」

「え?」

「だって、最近よくぼんやりと見つめてるでしょ」

「……そうかな。気づかなかった」

「そうだよ。普段、本なんて読まないのに。ナオキくんのすら……」

「あいつの書く小説は、なんか軽いんだよな」

「重い小説なんて、読んだことないくせに」

「……それを言われると、何も言えないけど。……ただ綺麗だなって思って。あの、青が」


 そう言って、ヨーイチは再び窓の外に目を移す。その瞳に浮かぶのは、やっぱりあの、私の知らない色。


(あなたのお姉さんが本を好きだったから?)


 のど元まででてきた言葉を飲み込む。無意味な言葉は私の腹に溜まり、肥溜めのように積み重なっている。今まで飲み込んできた無数の言葉達。腐りきったそれらの腐臭が、一生私の腹から消えてくれない。

 その香りが強くなるほどに、私の背後にいる亡霊が実態を増して、私の首元を撫でるのだ。その白い指が、私の首に手をかけて、真綿で首を絞めるように、優しく力を込めていく。




『姉さん』

 

 自分のこと、この世のこと。なにも分からない不安の中で、彼が私に「存在」をあたえてくれた。

 はじめてこの世界に目覚めたとき、病院のベットで、小さな彼は私の手を握って目に涙を溜めていた。彼は私の弟で、私のことを愛してくれている存在だった。共に過ごすうちに、私も彼を愛おしい、そう感じるようになった。

 しかし彼は、私を見ていたのではない。『彼女の亡霊』を、ずっと私の姿の中に見出そうとしていただけだった。しかしその片鱗ひとつ見せない私に、彼の瞳は徐々に曇っていった。警察官になってからは、ついに彼は私を避けるようになった。彼がずっと求めていたもの。世界でただひとり、私だけが、彼に与えることができるかもしれないもの。彼の渇望の視線が、私の背後にその亡霊を生み出した。

 それを、私は殺した。『彼女』を、殺した。

 呪われて、当然だ。




「……さん、姉さん」


 はっとして顔をあげる。ひらひらと、ヨーイチが目の前で手をふっていた。不思議そうに顔をのぞき込むそこには、心配そうな表情が浮かんでいる。


「姉さんこそ、ぼうっとしてる」

「……ごめん、考え事」

「大丈夫? 仕事で疲れてるんじゃないの」

「ヨーイチに比べたら、全然平気」


 これから幾度、こうした無意味な言葉を紡ぎ続けて関係を保っていくのだろう。『彼女』という要が消え去ったパズルは永遠に完成することなく、無理矢理はめ込んだピースがはじけ飛ぶ前の静けさで、私たちの間に静かに横たわっている。

 沈黙の中、旧時代のブラウン管テレビを模したモニターから、午後のニュースの音が響いてくる。


<――『光の会』の迷惑行為のため、3-b道路の通行が一時停止に……>

<『我々は前世の存在を信じます。なぜなら私たちには魂が見えるからです。その光は我々に正しい道を――』>

<『政府は「光」についての情報を隠蔽し、全世界の国民の情報操作を――……』>


「……最近、『光の会』の活動、活発だね」


 騒々しいモニターの向こうの様子にそう言えば、うん、とヨーイチは心ここにあらずの返事をする。その視線をたどれば、彼はブラウン管の上に飾られた絵を見つめていた。それは私が描いた、2輪の花の絵だった。オーナーがわざわざ購入して、ここに飾ってくれたものだ。

 リハビリセンターで、最後に描いた赤い花の絵があった。退院とともにそれをヨーイチに贈った時、彼は喜ぶ表情を顔に浮かべていた。けれど直感ですぐに分かった、彼はこの絵を好いてはいない。それでも彼は、自身のマンションの居間に、それを飾ってくれている。

 この店にあるのは、ヨーイチにあげたその絵と同じ花を描いたものだ。彼の部屋に飾っているものと似た、赤い2輪の花。どうして同じような絵をまた描いたかと問われれば、きっと欲していたのだろう。彼との繋がり。彼の部屋に飾られたものと同じものを、自身の側に置いておきたかった。

 無意味なことばかりしている。昔から。ずっと。

 口の中に広がるコーヒーの味が苦く濁ったとき、ヨーイチが静かにつぶやいた。

 

「……俺さ、あの絵、好きじゃなかった」


 すっと、周りの音が消えた。

 澄み切った彼の言葉だけがこの世界に響いているかのように、テレビのキャスターの声も、道路を走る車の音も、潮が引くように無くなった。

 からからに乾いた喉を動かして、私も答える。


「……知ってた」

「……昔、俺の姉さんは、赤色が嫌いだった」


 彼はじっと、壁に掛けられた絵を見つめながら続ける。


「血の色ににているからって。花の赤も、夕日の赤も、視界に入ったらすぐに目をそらすくらい。そんな姉さんが、赤色の絵の具を使うだなんて、信じたくなかった」

「……うん」

「あの姉さんは、もうどこにもいないんだってことを、信じたくなかったんだ」

「……うん」

「だけどそれは、あなたに限ったことじゃない」


 そのときに私は気づいた。彼は、私の知らないあの瞳の色をたたえて、私をまっすぐに見つめていた。初めて正面から見つめるその色の中には、強い決意と、切なさがある。捉えられたように、そこから目を離すことができない。

 いつから彼は、こんな瞳をするようになったのだろう。

 いつから、窓から見える青い塔を、ぼんやりと見つめるようになったのだろう。


「姉さんは、変わった。でもそれは、誰だって同じことだ。一瞬たりとも同じ人間なんていない。俺もあなたも、過去に戻る事なんてできないし、今このときに一人しか存在していない。そして今ここにいる俺は、『昔のあなた』も、『今のあなた』のことも、大切だ。本当に、ただ、それだけなんだ」


 たどたどしく紡がれる言葉。なんて、単純で、純粋な答え。

 ずっと子供だと思っていた。その彼は、変わった。

 私と同じように。すべての人と、同じように。


「それだけで、いいって思ったんだ。姉さん」


 心臓が、大きく脈打つ。

 そのときに私は、生まれて初めて、彼に『姉』と呼ばれた気がした。


「あれっ、新田くん!」


 カランという軽快な音とともに響いた高い声に、世界の音が一瞬で私の元に戻ってきた。店の扉が開き、スーツを着た小柄な女性が驚いたように目を丸くしてこっちを見つめている。その背後では、くたびれたコートをはおった白髪の男が、ひらひらと手を振っていた。

 

「おやぁ? ヨーイチ君、奇遇だねぇ」

「井坂さん、時崎さん……どうしてここに」


 顔をしかめて言うヨーイチに、白髪の男は「えー」とふざけて口をふくらます。


「君が言ったんでしょう、ここの喫茶店の料理が美味しいから、是非行ってみてくれって。捜査で近くにきたから、せっかくだから寄ろうってことになって」

「井坂さん、余計なこと言わないでくれ……」

「え? なになに? ていうかその女性は……彼女?」

「ええっ」


 白髪の男が私を指さして言った途端、小柄な女性が絶望的な顔をした。とたんに鋭い目つきで私のことをじっと見つめてくる。わけがわからず戸惑っていると、ヨーイチがため息をつきながら言った。


「違います。姉です」

「え? あ、そーなの……あ、どうも、ヨーイチ君の上司の井坂です。いつもお世話になっております」

「そうだったんですね! 私は同僚の時崎といいます」


 とたんに小柄な女性がにこにこしながら頭を下げた。ヨーイチが「あーもう!」と小声で悪態をつき、席を立つ。


「……っなんで今日来るんですか!」

「え? べつにいいじゃん、僕らの自由でしょー?」

「そーですよ! それに有給取ってる新田くんがここにいるなんて、わかるはずもないでしょう」

「タイミングの悪い人たちだな、ちょっと、あっち行っててください……」


 ぎゃあぎゃあと店内で騒ぐ三人に、思わず笑いがこぼれた、その瞬間だった。ふいに頬をすっと撫でられた気がして、振り返る。彼女の亡霊。私と同じく、彼のことを愛しく思う、私の亡霊。

 私は初めて、その手に自身の手を重ねる。


「……あなたも、彼のことを愛していたんだよね」


 その白い手を、ゆっくりと握る。

 私は、私たちは、これからも彼を守り続ける。片方はわたし、片方はあなた。

 この両の手で、ずっと。


<end>

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