同乗者たち

ハラアイ
ハラアイ

20-探索者たち

公開日時: 2020年11月9日(月) 00:16
文字数:4,358


音の反響は、さっきまでいた廃線路より小さく響く。大人が二人横に並んでやっと通れるほどの、狭い通路だ。しかしまだ先は長いようで、ナナシが照らすペンライトの向こうは同じような廊下が延々と続いている。無駄な会話ができないようにか、井坂とユータはヨーイチ達よりずいぶん後ろを歩いているようだ。

 四方は相変わらず冷たいコンクリートだが、所々に用途の分からないボタンや、天井には照明らしきものも見える。うち捨てられているかのようなあの廃線とは、作りが全く違うのは一目瞭然だった。


「随分新しいな。大混乱以後に作られたのか?」

「そうだ」

「……何のために」

「作ったのは、私たちじゃない。あんたたちの組織だよ。ここは、走馬塔の地下施設へ続く道さ」

「タワーの下に潜り込むとは、随分と肝が据わっているな。捕まる恐怖はないのか」

「別に。捕まろうが、ましてや死のうが……『次の私』がいるから平気なんだ」


 そうつぶやいた彼女の言葉の意図が分からずにいると、ナナシは「ま、あんたになら話しても問題ないか」と一人つぶやいた。


「私はね、5代目なんだ」

「5代目?」

「そう。私は物心ついたとき、隔離所にいた。Sランクのクロアナとして」


 世間話をするような調子で、ナナシは淡々と話を続ける。


「私は、隔離所での生活をなんとも思っちゃいなかった。レアケースのクロアナみたいに、『どうして私がこんな目に』なんて、高尚な思考は持ち合わせてなどいなかったんだ。毎日指示されたことをやる。まるでロボットみたいな毎日は、今考えれば生きているとは言えないけれど、思い返せば心地よかったようにも思う。ただ生きているだけ……それでも生きていたんだ。楽だった、あそこでの生活は」


 ナナシは懐かしむように、隔離所での生活を語った。


「だがある日、売魂者たちが私をあの心地の良い牢獄から連れ出した。私の前世は、彼らの仲間だったらしい。『君はナナシの五代目の魂だ』って、私に言うんだ。泣きながら、お帰りって、言うんだ」

「それって、まさか」

「私の5個前の前世は、自らをナナシと名乗って走馬燈局に初めて反乱を起こした張本人らしくてね、以来、私の魂は生まれ変わる度に、売魂者である仲間達に隔離所から助けられてリーダーに仕立て上げられているんだと。一番最初に反乱を起こした奴らは全員が寿命で死んでいるが、その意思は消えることなく、コミュニティに受け継がれている。私には前世の記憶はないけれど、皆が言うからにはどうやらそういうことらしい。だから私は5世代分の責任があるんだ。最初のナナシの魂を受け継いだ者としての責任が」

「生まれながら運命が決まっている…」

「ね。どっかで聞いたことあるような話だよね?」


 面白そうに笑って、ナナシは頷いた。


「走馬灯局の上層部はもちろん私の存在に気づいているはずだ、4世代も同じ魂をもつSランクのクロアナが隔離所から脱走するんだから。でもその事実を、君たち下っ端は伝えられてないだろ? ま、こんな失態を知られたら、信頼も士気も下がるだろうし、当たり前っちゃ当たり前だろうけど」

「……あんたは、それでいいのか。走馬燈局じゃなく……自分の魂の言いなりなっているなんて」

「だから戦っているんだよ。あの忌々しい青い塔が消えれば、私の役目は終わる。名無しは、もう誰にも求められることはない。そこでやっと私は自分の本当の名前を名乗ることができる。そのためにだったら何でもするよ。君を生け贄にすることも厭わない」


 ナナシは立ち止まった。いつの間にか通路の終わりに来ていたようだ。暗がりの向こうに上り階段が現れて、その上に新たな扉が見える。上部の小窓から、白い光が漏れて辺りに反射していた。

 背中にぐっと何かを突きつけられた。おそらく、スキャナだろう。


「……ブレインスキャナは、持ち主にしか引き金を弾けないぞ」

「残念だったね、これは君のスキャナじゃない」

「模造品か。さっき、ニューロン回路を遮って体を操ったのも……どうやって作った?」

「五世代分の研究結果がこっちにはあるからね。一つ君たちに忠告すると、隔離所のクロアナに仕事としてスキャナのパーツを作らせるのはよろしくない。どんなに小さい、技術を盗まれてもかまわないと思っている部品でもね」

「……生きて帰れたら、技術部に伝えよう」

「それは残念」


 歩け、とスキャナで背中を押し上げられる。痛みに顔をしかめながら、ヨーイチは階段を上った。小窓から差し込む白光は、闇になれた目にはナイフのように突き刺さる。促されるまま冷たいドアノブを掴んで、一気に捻った。

 扉を開けた瞬間、溢れ出てきた光のあまりの白さに目が眩む。薄目で当たりを見回すと、天井の高い、広い部屋が滲むように浮かび上がってきた。何かが騒然と並んでいる。まるでスーパーマーケットの陳列棚のようだと思ったそれは、小さな寝台だ。しかしマットレスはない、鉄枠がむき出しになっているのが整然と並ぶ様は、異様な光景だった。


「ここはスクラップ置き場だ。見てごらん」


 ナナシが指を指す先を見つめる。そこには何かが、鈍く光る鉄の上に横たわっていた。陶器のようななめらかな曲線が、蛍光灯の元に晒されその白を反射させている。

言葉を失っているヨーイチの隣で、ユキが小さくつぶやく。


「死体」


 ナナシに言われるまでもなく、ヨーイチはゆっくりと一つのベットに近づいた。

 子供だった。雪のように白いそれはまるで人形のように見える。一糸まとわぬその手首には、柔らかそうな腕輪が着いていた。

 1306、と印字されている。

 呆然と辺りを見回す。20台ほど並んでいる寝台の、7つが子供の体で埋まっていた。男が三人、女が四人。3歳から15歳ほどまで年齢はまばらだ。能面のように無表情に目を閉じている様はまるで眠っているかのようだが、肌の色を見れば、自分たち生者とは一線を画す存在であると一目で分かる。


「これらは、ある程度寝台が埋まったら捨てに出される」

「捨てに、って」

「クロアナ街にだよ。走馬灯局が持っている処理場がクロアナ街の郊外にあるらしいけど、死体の数が多い場合は、そこら辺で餓死したように見えるようにうち捨てられて、のちに公的に回収される。私たちはその捨てられた死体の情報を集めて、ここまでのルートを特定したんだ」


 唖然としているヨーイチに、ナナシはつぶやくように言った。


「本当に、何も知らないんだな」


 ナナシはじっとヨーイチを見つめる。その視線は、ただ彼の無知を笑っているのとは違う。何かをヨーイチに問いかけているように見える。けれど分からない。何も、分からないのだ。


「教えてくれ。これは、ここは一体何なんだ」

「実験場」

「……実験?」


 答えになってない、という問いは口から出ることなく頭を反響する。意識を保つための何かが揺らぎ、強い照明がヨーイチの瞳を焦がしたかのように、目の前が霞んだ。


「ここはまだ通過点だよ」


 ナナシはただ立ち尽くしているヨーイチの背中を押した。整然と並ぶベットの間を、ヨーイチは壊れた人形のように歩く。入り口の反対側に、もう一つの扉があった。暗い廊下に出て何度か曲がったが、混乱する頭ではマッピングする余裕もなく、亡霊のように足を運ぶしかない。どこかで、子供の声が聞こえたような気がした。幻聴だろう、いよいよ頭がおかしくなったのだろうか。

 そう思った瞬間、腕を強く掴まれた。気づけば大きなスライド式の扉が目の前にある。ナナシがヨーイチを追い抜いて、スキャナで端末に何かを打ち込んだ。音もなく、扉が左右に割れるようにスライドする。

 現れたのは薄暗い、小さな部屋だった。家具は何一つない。床と壁は、オフホワイトのクッション材質で覆われている。

 その中央にしゃがみ込んでいる男に、ヨーイチは声を絞り出した。


「ナオキ」


 部屋の中央に跪いていたナオキはゆっくりと立ち上がった。彼の足元のクッションの一部が、不自然にめくれていた。右手に何かを持っている。薄明かりの中で鈍く光る、その瞳がすうっと細められた。笑ったのだ。


「思ったより早かったじゃん。監理官としてのお前のこと、正直侮ってた。もっと遅いかと思ってたのに、計画が狂ったな」

「別にどこでやろうと、変わんないだろ。どうせ一瞬なんだ。早いに超したことはない」


 ナナシがそう言いながら、ヨーイチを部屋に突き飛ばした。ナオキの足下に無様に這いつくばる。顔を上げることができなかった。まるで下位ニューロン回路を遮断された時にように、体が動かない。背後の廊下から差す光が、ヨーイチの影をクッション上に形成する。その影の頭を、ナオキの靴の先が踏んでいる。


「ヨーイチ」


 自分を呼ぶ声に横を向けば、サキが同じように跪いて、懇願するようにこちらを見つめている。


「もう、いいでしょ。このままじゃ本当に殺されちゃう」

「まだ、動くな」


 ヨーイチは魘されたように言葉を漏らした。


「まだ、何も分かってない……何も……」


 ヨーイチは呻くように言う。まだこの男から何も聞いていない。あの死体が何なのか。友人を偽って、自分に近づいたのはなぜなのか。それを聞く前に、ここから逃げ出すことなどできない。

 一人で呟くヨーイチに、ナオキが顔をしかめたその時だった。


「継承者」


 ふいに背後から声がした。


「やはり、君がそうだったのか」


 それは、井坂の言葉だった。

 聞いたことの無い冷たいその声は、まるで別人の様に無機質に部屋に響く。

 ナオキは小さく息を吐いて、面白そうに笑った。


「そっか……あんたも一枚噛んでるんだ。あんた、敵? それとも味方?」

「君の邪魔をするつもりはないよ……今回は」


 頭上でかわされる会話に、ヨーイチはゆっくりと振り返った。扉から差し込む光が逆光となり、背後に跪いている井坂の表情は見えない。暗闇に塗り潰されたようなその顔から、無感情な言葉だけが、ぽつぽつと届いた。


「ヨーイチ君」

「上官、これは、」

「彼の言う通りにしてくれないか」


 それきり、井坂は言葉を発する気配はない。ただ強い懇願だけが、その沈黙に込められていることを悟る。その時ヨーイチは部屋の中央でたった一人、他人事のように思ったのだ。

ここに自分の味方は一人もいない。

 世界に穴が空いて、自分だけが転がり落ちたように意識が遠くなる。

 隣で誰かの声がする。サキが、ヨーイチの両の手を力いっぱい掴んで何かを叫んでいる。必死な色に染まったその瞳を見返したその時、頭上の影がゆらと揺れて、額に冷たい何かが押し当てられた。

 ナオキが、スキャナによく似た銃型機器をヨーイチの額に当てていた。


「ヨーイチ、俺は今からお前を殺す」


 本気だということは、目の前の男の瞳を見れば分かる。


「本当にごめんな」


 彼は、寂しそうに小さく微笑んでいた。

 引き金が引かれた振動と共に、ヨーイチの意識は暗闇の中にひきずりこまれた。

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